2017年7月13日木曜日
今泉論文についての指摘(千葉地裁判決文)
今泉美彩ほか「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」(平成17年,以下「今泉論文」という。)
には,次の記載がある。
成人健康調査集団のうち,平成12年3月から平成15年2月までの間に,2年に1度の検診を受けた4552人のうち,協力依頼に同意した4091人について,遊離サイロキシンや甲状腺刺激ホルモンレベル等の測定検査,甲状腺超音波検査等を行い,胎内被爆者,市内 不在者及び放射線量不明者を除いた3185人について,各甲状腺疾患の線量反応を解析した。
その結果,甲状腺自己抗体陰性甲状腺機能低下症は線量に関連していなかった。
自己免疫性甲状腺疾患については,甲状腺自己抗体陽性率と甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症のいずれについても,有意な放射線量反応関係は認められなかった。
この結果は,ハンフォード原子力発電所からのヨウ素131に若年時に被曝した人々に関する最近の報告結果及び被爆者に関する以前の疫学調査報告と一致している。
しかしながら,昭和59年から昭和62年に長崎の成人健康調査対象者について実施された調査(長瀧論文)においては,甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症について凸状の線量反応関係が示され,有病率は,0.7 Sv の線量で最も高くなるとされている。
この違いは, 本調査では,調査集団が拡大され,広島及び長崎の被爆者の両方が対象とされたこと,甲状腺抗体と甲状腺刺激ホルモン(TSH)の測定に異なる診断技法が用いられたこと,時間の経過に伴い,対象者の線量分布が変化したこと(死亡及びがんリスクは,放射線量に依存するため)に起因するのかもしれない。
さらに,両調査においては,1回 の血清検査に基づき診断が行われたが,血清検査の結果は時間の経過 に伴い変化することが時折ある。
本調査には,幾つかの限界があり,まず,以前に結節性甲状腺疾患の診断を受けた人は,それにより調査に参加する意向を持った可能性があり,調査における特定の偏りが生じた可能性がある。
第2に,本調査には,生存による偏りが明らかに存在する。すなわち,寿命の中央値は,放射線量に伴い,1Gy 当たり約1.3年の割合で減少するの で,昭和33年当初の集団に比べて,本調査では,高線量に被曝した 被爆者の割合が減少していること,死亡リスクだけでなく,がんリスクも放射線量に依存し,重度の甲状腺がん患者は,早期死亡により本調査から除外された可能性があることから,本調査集団,特に高線量に被曝した被爆者には,生存による偏りがあると考えられる。
第3に, 本調査は,被爆後55年ないし58年経過した後に実施された横断調査であるため,甲状腺結節形成に対する放射線の早期の影響や,被爆後に影響が持続した期間を明らかにすることができなかった。
(中略)
(被告は)今泉論文は,甲状腺自己抗体陽性率、及び甲状腺自己抗体陽性の甲状腺機能低下症について有意な線量反応関係が認められなかったことを明らかにし,それ以前に甲状腺機能低下症と原爆放射線との関連性があることをうかがわせる調査結果を否定している,
また,山下論文は,今泉論文の正確性を是認し,長瀧論文を否定したものであると結論づけている。
しかしながら,今泉論文は,調査対象が長瀧論文の昭和59年10月から昭和62年4月までのものとは異なり,平成12年10月から平成15年2月までのものであり,今泉論文自体が,
① 以前に結節性甲状腺疾患の診断を受けた人はそれにより調査に参加する意向をもったかもしれず,調査における特定の偏りが生じた可能性がある,
② 本調査には生存による偏りが明らかに存在する,すなわち,寿命の中央値 は放射線量に伴い1Gy 当たり約1.3年の割合で減少するので,昭和33年当初の集団に比べて本調査では高線量に被曝した被爆者の割合が減少している,
③この調査は原爆被爆後55年から58年を経過した後に実施した横断調査であるため,甲状腺結節形成への放射線の早期の影響や被爆後どれくらいの期間影響が持続したのかを明らかにすることができなかった
と述べており,長瀧論文の結果を明示的に否定していない。
したがって,今泉論文においても,甲状腺機能低下症(これを含む甲状腺疾患)の放射線との関連性を肯定する知見をすべて否定するものではないというべきである。
また,山下論文は,上記の今泉論文を根拠に,甲状腺機能低下症について甲状腺被曝線量との関連性は認められていないとするものに過ぎない。
以上からすれば,自己免疫性甲状腺機能低下症と原爆放射線との間には関連性があるとする科学的知見は,現在においても否定しきれるものではなく,関連性を有するものと解するのが相当である。