イ 甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性について
(ア)原告X3の申請疾病は,前記前提となる事実のとおり,「甲状腺機能低下症」であるところ,甲状腺機能低下症は,甲状腺ホルモンの欠乏又は作用不足により易疲労感や無気力等の症状を示す病態であり,その95%は甲状腺自体の障害による原発性のものであって(血中甲状腺ホルモン(FT4,FT3)低値及び甲状腺刺激ホルモン(TSH)高値によって診断される。なお,FT4及びFT3が正常値でTSHのみ高値の場合は,潜在性甲状腺機能低下症と診断される。),その大部分は,慢性甲状腺炎を原因とする(乙A601~603)。
慢性甲状腺炎は,甲状腺における慢性炎症性の疾患であり,自己免疫性疾患の一つであって,甲状腺自己抗体(抗マイクロゾーム抗体,抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体,抗サイログロブリン抗体)陽性により診断される(乙A601~603)。
(イ)甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,
①昭和59年に受診した広島原爆の被爆者9159人における甲状腺機能低下症の頻度は,男女とも近距離被爆者群(1.5㎞以内群)が対照群(3㎞以遠群)よりも有意に高く,また,被曝線量の増加とともに高率となり,さらに,甲状腺機能低下症症例のマイクロゾーム抗体陽性率は近距離被爆者群では対照群に比して男女いずれも著明に低率であったとし,甲状腺機能低下症が被曝線量と統計上有意に相関していることを示すとともに,自己免疫性のもの以外のものも含めた甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連の可能性について指摘した伊藤千賀子らの報告(甲A161の2文献5,6),
②同年から長崎のAHS集団1745人を対象に行った甲状腺機能低下症の調査において,被爆者全体の甲状腺機能低下症の発生頻度は0ラド群と比して有意な増加が認められ,被曝線量別に見ると1~49ラド群についてのみ0ラド群に比して有意な発生頻度の増加が認められたなどとする長瀧重信・井上修二らの報告(甲A161の2文献7),
③同年から昭和62年に長崎のAHS集団1978人を対象に行った甲状腺疾患の調査において,抗体陽性特発性甲状腺機能低下症(自己免疫性甲状腺機能低下症)の有病率が0.7±0.2シーベルトで最大レベルに達する,上に凸の線量反応を示したとする長瀧論文(甲161の2文献3。
なお,長瀧論文は,マーシャル諸島の核実験で被爆した子どもに10年以内に甲状腺機能低下症が認められたこと,マーシャル諸島の住民の甲状腺被曝は主として内部放射線によるものであったこと,その甲状腺機能低下症の多くは自己免疫性甲状腺機能低下症ではなかったことも指摘している。),
④甲状腺疾患(非中毒性甲状腺腫結節,び慢性甲状腺腫,甲状腺中毒症,慢性リンパ球性甲状腺炎,甲状腺機能低下症のうち一つ以上が存在する疾患)と被曝線量との関係を解析すると有意な正の線量反応が見られ(1グレイ当たりの相対リスク1.30,P値<0.0001,95%信頼区間1.16~1.47),特に若年で被爆した人でリスクの増加が見られるとするAHS第7報(甲A161の2文献9),
⑤甲状腺疾患における1シーベルト当たりの相対リスクは1.33(P値<0.0001,95%信頼区間1.19~1.49)であり,リスクは20歳未満で被爆した者で顕著に増大したとするAHS第8報(甲A161の2文献12)のほか,
⑥甲状腺炎自然発症マウス NOD-H2h4 において,0.5グレイ単独放射線全身照射により甲状腺自己免疫(甲状腺炎と抗サイログロブリン抗体価)が有意に増悪したとする永山雄二らの報告(甲A272)等の知見があることが認められる。
⑤甲状腺疾患における1シーベルト当たりの相対リスクは1.33(P値<0.0001,95%信頼区間1.19~1.49)であり,リスクは20歳未満で被爆した者で顕著に増大したとするAHS第8報(甲A161の2文献12)のほか,
⑥甲状腺炎自然発症マウス NOD-H2h4 において,0.5グレイ単独放射線全身照射により甲状腺自己免疫(甲状腺炎と抗サイログロブリン抗体価)が有意に増悪したとする永山雄二らの報告(甲A272)等の知見があることが認められる。
(ウ)以上のとおり,甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と低線量を含めた放射線被曝との関連性を肯定する疫学的知見が存在していること等に照らすと,甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるというべきである。
(エ)この点,被告は,
①長瀧論文は,自己免疫性甲状腺機能低下症について,上に凸の線量反応関係を示したとしており,これは線量と有病率との正の相関関係を示す一般的な統計学的モデル(直線線形モデル,二次曲線モデル)とはいえないところ,このような線量反応関係が示されたことについて何ら理論的な説明がされていない,
②AHS第7報及び第8報は,いずれも,甲状腺疾患全体を対象としたものであり,特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響について評価したものではないから,これらに依拠して甲状腺機能低下症と放射線との関連があるということはできない,
③長瀧論文の結論については,その再現性を検証するために平成12年から平成15年にかけて広島及び長崎のAHS集団3185人を対象に行われた甲状腺疾患の調査の結果,甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症も同抗体陰性甲状腺機能低下症も線量に関連していなかったとする今泉美彩らの論文
によって再現性が認められておらず,今泉論文等を踏まえて,甲状腺自己抗体陽性率及び甲状腺機能低下症一般について被曝線量との関連性は認められていないとする山下俊一論文(乙A610)や,原爆被爆者のこれまでの研究では甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎のいずれについても甲状腺被曝線量との有意な関係は認められていないなどとする「原爆放射線の人体影響改訂第2版」の「要約」(乙A614)等もある上,放射線の影響に関する世界的権威であるUNSCEARの報告書(乙A616)も,原爆被爆者の調査結果を含め,放射線被曝と自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎)の間に関係は見いだせないと結論付けているのであって,長瀧論文等のみから,低線量の放射線被曝により甲状腺機能低下症が発症するという結論を導くことは,明らかに科学的経験則に反するものであり,許されないと主張する。
しかしながら,上記①の点については,高線量の被曝をして甲状腺機能低下症を発症すべき者が早期に死亡するなどしたために調査対象に含まれなかった可能性を否定できない上,具体的な機序が未解明であるからといって,このような線量反応関係が直ちに不自然であり,低線量域における線量反応関係を認めた調査結果が不合理であると断ずることもできない。
また,上記②の点については,AHS第7報及びAHS第8報が甲状腺疾患全体の線量反応関係を検討したものであり,甲状腺機能低下症のみについて解析をした場合に異なる結果が出る余地があることは否定できないが,これらの報告は,低線量の放射線被曝が甲状腺に対して一定の傷害作用を有することを示唆するものということができ,その限りにおいては,甲状腺機能低下症と低線量の放射線被曝との関連性を検討する上でも意味を持つというべきである。
さらに,上記③の点については,今泉論文は,それ自体,長瀧論文の調査結果との違いについて,「時間の経過に伴い対象者の線量分布が変化したこと(死亡およびがんのリスクは放射線量に依存するため)」等に起因するかもしれないとしており,上記調査結果を積極的に否定するものではないのであって,甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と低線量の放射線被曝との関係を認める長瀧論文等の知見が,今泉論文によって科学的に完全に否定されたとまではいうことができない。
【参照】今泉論文についての指摘(千葉地裁判決文)
そして,このことは,今泉論文を引用する山下論文及び「原爆放射線の人体影響改訂第2版」や,UNSCEARの報告書についても同様である。
そうすると,今泉論文等があるからといって,訴訟上,上記(ウ)のような結論を導くことが直ちに許されなくなるものではないというべきである。
よって,被告の上記各主張は,いずれも採用することができない。
エ まとめ
以上のとおり,原告X3は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X3が,被爆当時12歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X3が,甲状腺機能低下症を発症した当時,相当に高齢であったことを考慮しても,原告X3の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X3申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。
以上のとおり,原告X4は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X4が,被爆当時6歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X4が,女性であり,甲状腺機能低下症を発症した当時,比較的高齢であったことを考慮しても,原告X4の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X4申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。
以上のとおり,原告X5は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,自己免疫性でないものを含む甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X5が,被爆当時5歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X5が,女性であり,甲状腺機能低下症を発症した当時,比較的高齢であったことを考慮しても,原告X5の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X5申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。
以上のとおり,原告X7は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,自己免疫性でないものを含む甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X7が,被爆当時2歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X7が,女性であり,甲状腺機能低下症を発症した当時,比較的高齢であったことを考慮しても,原告X7の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X7申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。