2017年7月26日水曜日

(参考人)池田眞規: 本来あるべき被爆者援護法とは「国家補償」の明記および理念



第131回国会 厚生委員会 第10号
平成六年十二月七日



○参考人(池田眞規君) 池田でございます。
私がこれから述べる被爆者援護法についての意見は、私の所属する日本弁護士連合会が発表した被爆者援護法に関する三度にわたる報告書の見解に基づくものであります。報告書は、昭和五十四年、昭和六十年、平成二年の三回にわたり発表いたしました。その都度内閣総理大臣及び厚生大臣に提出してあります。私も右の報告書の作成に参画いたしました。
私ども法律家が、原爆被害者の援護制度はいかにあるべきかについて調査研究する場合の基本的な立場は、まず被害の実態から出発いたします。原爆被害の実態を把握した上で、これに対し憲法は国家の救済制度として、どういう理念のもとに、あるいはどういう救済規定を設けているかを検討し、あるべき被爆者援護法の法的根拠を明確にしていくわけでございます。

そこで、まず原爆被害の特徴から話します。
原爆の被害は人類がかつて経験したことのない戦争被害の極限でございます。原爆被害の深刻な実態及び被害の全体像はいまだ解明すらされていないと言っても過言ではありません。私どもが長年被爆者問題の調査を続けてまいってきた上での実感でございます。
原爆は、従来の火薬の爆発エネルギーを使用した通常兵器とは質的に異なっております。原爆による攻撃とは、核分裂の連鎖反応から放出される巨大なエネルギーを利用する攻撃であります。それは、音速に近い速度で襲いかかる爆風、数千度という高温度の熱線、それに原爆特有の放射線、これらの巨大な力が同時に、瞬時に生きている人間を襲うのであります。原爆のキノコ雲の写真を見て、その下に繰り広げられる地獄を想像してください。我々の想像を絶するこの世の地獄がそこにあったのです。今生きている被爆者は、あのキノコ雲の下の地獄を体験した人々であります。このことを忘れてはならないのであります。
原爆被害は、従来の通常兵器の被害に見られない特別な残酷な被害であります。その被害の態様は極めて多様であり、総合的であります。熱線による傷害、爆風により吹き飛ばされ、また飛来した物体による打撃の傷害、放射線による障害などが同時に相乗効果を加えて受ける傷害であります。放射線による障害は、五十年を経た現在でもなお被爆者を緩慢に殺し続けております。いつ訪れるかわからない死の影におびえながら、被爆者は老境に達してきました。
このような被害をもたらす原爆、いわゆる核兵器の使用が、不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁止した国際法、いわゆるセント・ペテルスブルグ宣言あるいはハーグ陸戦法規などに違反する、あるいは無防守都市に対する攻撃の禁止、無差別攻撃の禁止を定めた国際法、ハーグ陸戦規則あるいはハーグ空戦規則案などに違反することは明らかであります。これは、東京地方裁判所の昭和三十八年十二月七日の判決でもはっきりと認めております。

次に、被爆者の要求について検討します。
このような被害を受けた被爆者は、地獄の体験の中から次のような基本的な要求を提起いたしました。一つは、このような残酷な非人間的な原爆被害をもたらした責任者は被爆者に対し謝罪をして償いをしてほしい、これが国家補償。
第二に、二度と原爆地獄を人類が繰り返さないために核兵器は絶対に使わないでほしい、核兵器の廃絶というものであります。これが被爆者の要求の端的な表現でございます。
この二つはその一つが欠けても意味がなく、不可分一体なのであります。被爆者たちが、従来の原爆二法があるのにあえて国家補償による被爆者援護法を要求し続けているのは、右の二つの要求を従来の原爆二法は充足していないからであります。

そこで、国家補償の法的検討に入ります。被爆者の要求する国家補償の法的根拠について次に検討してみます。
被害者救済の国家制度の憲法上の規定を見てみますと、国民の被害について国家の行為に被害の原因がある場合について、憲法は三つの規定を定めております。

第一は、憲法第十七条、御存じの公務員の不法行為によって損害を受けたときの損害賠償請求権です。これは国家賠償法によって立法化されておるものであります。

二番目、憲法第四十条、御存じの抑留、拘禁の後に無罪の判決を受けたときの刑事補償請求権でございます。これは、裁判という合法的手続の中で生じた誤判という事件でございます。誤判であるから違法な行為とは言いません。しかし、無実なのに拘禁されたという不法な被害であるために国家が補償する制度であります。

第三番目は、憲法二十九条三項であります。公共のために私有財産を提供させられたときの正当な補償を請求する権利でございます。これは、公共のための収用事業は法律に基づく適法な行為でありますが、収用される国民にとっては財産上の犠牲を強制されるのでありますから、これに対して国家が正当な補償をするという制度であります。

これら憲法上の三つの制度を見ますと、国家の違法な行為あるいは国家の適法な行為、いずれの場合でも、国家の行為によって国民に被害が生じた場合には国家はこれを補償するという基本的な思想が読み取れます。
この基本的な思想が、憲法の中では前文の中の理念として、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであってこ「その福利は国民がこれを享受する」という理念を前文で示しております。
この理念は憲法十三条によって具体的に規定されております。すなわち、この憲法十三条によりまして、国家は生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について最大限の尊重をすることが義務づけられております。

以上のような憲法の各規定から、次の法理論が導き出されます。
国家の行為が原因で国民に被害が生じたときは、その原因となった国家の行為が違法か合法がを問わず、それによって生じた国民の被害については、国家は結果責任として国民に対する国家補償の責任が生ずるという法理論でございます。これは、国家補償による援護法の制定の第一の法的根拠でございます。

この法理は、最高裁判所の判決でも、また東京地方裁判所の判決でも是認された論理でございます。東京地方裁判所の原爆判決は、国家はみずからの権限とみずからの責任において開始した戦争によって、国民の多くを死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのであるから、戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるであろうと述べております。この判決は確定しております。この判決はまた国際的にも著名な判決になっております。

以上の法理から、戦争災害については国家補償責任が生ずるということが明らかになります。そうすると国家は、原爆被爆者のみならず一般戦災者についても被害の程度に応じて国家補償をしなければなりません。日本国憲法とは違った憲法のもとにあるドイツあるいはフランスにおいても、戦争災害について国家は、軍人とか市民とかに差別などなく国家補償制度を確立しております。軍人という特別な権力関係にある者のみを特別に手厚く保護する日本の現在の制度とは大分違います。おくれております。

それでは、次に被爆者に特有の援護法制度の法的根拠について述べます。今のは、一般の戦災者と認識していただいて結構でございます。

第一は、原爆被害が前に述べましたように国際法に違反した核兵器による巨大な力による攻撃であり、通常兵器の被害とは質的にも量的にも全く異なる特別の戦争被害である。このことを認識した上で、国家としては戦争開始、遂行という国家行為によりもたらした被害の結果でありますから、この結果責任として前述の国家補償の基本的法理の各論である被爆者援護法については当然に手厚く補償するべきであります。これが第一点。

次に、被爆者援護法についての法的根拠の第二は、アメリカの原爆投下行為は国際法に違反するということは明らかであります。これは国際的にも認めております。これに対して被爆者は米国に対する賠償請求権を持っております。ところが、日本政府は米国との平和条約第十九条(a)項において対米賠償請求権を放棄いたしました。これは、さきに述べた憲法二十九条三項、国家、公共のために犠牲を強制された場合、つまり請求権を奪われてしまった場合の正当な補償すべき場合に該当いたします。ここで憲法二十九条三項の国家補償義務が生じます。

次に、被爆者援護法の国家補償についての法的根拠の第三は、原爆被爆者は、先ほどのお二人の参考人の御意見にありましたが、被爆後の半年間はやけど、傷害、急性障害で苦しみました。その後は晩発性障害あるいは後遺症に苦しみ続けました。
この最も救援を必要とする時期において、アメリカの占領政策に基づいて国際赤十字への救援さえも妨害され、原爆被害の報道は禁止され、被害の救済を受けることを放置されてしまいました。この間、死ななくてもよかった多くの被爆者たちが死亡していきました。そして、財産をすべて失い、生き残った被爆者らも働くこともできず、治療も満足に受けられず苦しみ続け、原爆医療法が制定されたのは被爆後実に十二年後でございます。
憲法十三条による生命、自由、幸福追求を最大限に尊重すべき国家の義務がある、その義務に日本政府が違反した責任は極めて大きいものと言うべきであります。

結びに入ります。
東京地方裁判所の原爆判決は次のように言っています。
「終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上」、
この被爆者援護でございますが、「これが不可能であるとはとうてい考えられない。われわれは本訴訟」、これは原爆訴訟のことを言っていますが、
「本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。」と嘆いております。

振り返って今回の法案を見ますと、被爆者の要求する国家補償の立場は法的に正当かつ妥当な根拠があるにもかかわらず、これが記載されておりません。
これは「国の責任」という言葉にすりかえられてしまっております。
「国の責任」という場合、憲法二十五条に規定する生存権に基づく社会保障の立場と同じでございます。被爆者の援護制度の基本理念である国家補償とは異なる法理でございます。

また、被爆者の求める核兵器の廃絶については「究極的廃絶」にすりかえられております。「究極的」という場合、そのときまでの核兵器の使用は認めることになってしまいます。廃絶される日までその使用を認めるということになり、論理的には核兵器の使用を認めるということになります。この点からも、「究極的」という言葉を法案から削除してもらいたい。

以上、若干時間を経過いたしましたけれども、法的根拠について述べさせていただきました。


これはかなり法律問題のように見えまして、被爆者の皆さんには大変難しい問題だと思いますが、法律家から見れば非常に簡単明瞭なことでございます。

「国家補償」という場合は、これは国家の戦争責任の問題にかかわってきます。


「国の責任」という場合は、国の戦争責任は全然排除されます、なくてもいいんです。例えば社会保障、これは国家の責任なんです。生存権、憲法二十五条でございますね、これでいいんです。

だから、国の行為によって戦争を開始した結果、戦争被害で原爆を受けたじゃないか、だから当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるというのは東京地方裁判所の原爆判決の中に書いてあるんです。これはもう法律家なら常識なんです。だから、そういう趣旨で国家補償という場合は、国が戦争を開始、遂行した責任の問題が正面からとらえてあるんです。

ところが、「国の責任」といいますと、戦争を開始した国家の責任問題はもうなくていいんです、問わないんです。そういう意味でもう大変な違いがございます。

そういった意味で、被爆者援護法は「国家補償」でなければならないというのは我々法律家の、日弁連のと言っても結構ですが、日弁連の公式見解でございます。





第131回国会 厚生委員会 第8号
平成六年十二月五日

○横尾和伸君 
昭和二十年八月、広島市、次いで長崎市に投下された原子爆弾は、一閃両市を焦土と化し、実に三十万人余のとうとい生命を奪ったのであります。
核爆弾の爆発時に放射される強烈な放射線、熱線及び爆風は、その複合的効果によって、大量かつ無差別に市民を殺傷し、あらゆるものを破壊し尽くしました。また、爆発時に空中で生成された強い放射能を持つ核分裂生成物、いわゆる死の灰は、地上にちりや黒い雨となって降り注ぎ、奇跡的に一命を取りとめた人たちにさらなる放射線被曝を与えたのみならず、体内に入り込んで深刻な放射線体内被曝をもたらしたのであります。
この原爆による被害は、通常の爆弾等、他のいかなる兵器による被害とも比べることのできない特異な質的損害及びはかりがたい量的損害をもたらすことを如実に示したのであります。いかなる理由があるにせよ、絶対に二度とあってはならないのであります。
したがって、原爆等の核爆弾は、人間の生存の権利を根本的に脅かすものであり、かつ、あらゆる生物の生存や繁栄を脅かす悪魔の兵器であり、許すべからざる絶対悪と断じなければなりません。
人類史上初の原子爆弾被爆国となった我が国は、このような非人道的な悪魔の兵器とも言うべき核爆弾の惨禍を、地球上のいかなる地点においても再び繰り返させないとの強い決意と真摯な祈りを込めて、核兵器の究極的廃絶と恒久平和の確立を全世界に訴え続けるべきであります。


被爆後満五十年を迎えようとしている現在、最も大切なことは、このような考えをより強い社会的決意とすることであり、そのための手がかりとなり、かつ、象徴ともなる具体的措置を制度化することであります。
既に御承知のとおり、良識の府たる参議院では、既にこのような趣旨を踏まえ、国家補償の精神に基づく措置として、平成元年と同四年の二回にわたり原子爆弾被爆者等援護法案を可決しているのであります。
また、現行の原爆二法、すなわち原爆医療法及び原爆特別措置法が、広い意味における国家補償の見地に立つという基本的考え方によるものであり、従来から延々と続けられてきた関係者の並み並みならぬ努力の成果であることを忘れてはならないのであります。
しかるに、今回衆議院から送付されてきた政府提案による法案は、これらの重要なポイントを十分踏まえたものとは到底言いがたいものとなっているのであります。すなわち政府案は、生存被爆者を対象とした援護対策をいわゆる事後処理として国が行うことを基本としており、国家補償的配慮によるものではないのであります。
今回私たちが提案しました法案の主眼は国家補償的配慮に基づくものとしたことでありますが、次にこの件について申し上げます。
被爆者の健康上の障害がかつて例を見ない特異かつ深刻なものであることを考えれば、国は社会保障の観点から被爆者対策を講じなければならないことは当然でありますが、昭和五十三年の最高裁判決が判示するように、かかる特殊な戦争被害の原因をさかのぼれば、戦争の遂行主体であった国の行為に起因する被爆によって、健康が損なわれ生活上の危険ないし損失が生じたものであるという観点に目を閉じることは許されません。

つまり、原爆医療法及び原爆特別措置法のいわゆる現行二法も、社会保障と国家補償の二つの側面を有する複合的性格を持っているということであります。このことは、前述の最高裁判決では、「国家補償的配慮」という言葉で表現されております。また、昭和五十五年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の報告書では、広い意味での国家補償という表現になっております。
したがって、原爆被爆者対策が国家補償的配慮に基づいて行われるべきということの国民的合意は既に形成されていると言わなければなりません。
私たちは、かかる事実を直視して、国家補償的配慮を制度の根底に厳然と据えて、葬祭料制度発足前に亡くなられた原子爆弾死没者の遺族に対する特別給付金の支給を含め万全の援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者のとうとい犠牲を銘記するための事業を行うこととしたものであります。以上がこの法案を提案した理由であります。