2017年7月26日水曜日

(参考人)池田眞規: 本来あるべき被爆者援護法とは「国家補償」の明記および理念



第131回国会 厚生委員会 第10号
平成六年十二月七日



○参考人(池田眞規君) 池田でございます。
私がこれから述べる被爆者援護法についての意見は、私の所属する日本弁護士連合会が発表した被爆者援護法に関する三度にわたる報告書の見解に基づくものであります。報告書は、昭和五十四年、昭和六十年、平成二年の三回にわたり発表いたしました。その都度内閣総理大臣及び厚生大臣に提出してあります。私も右の報告書の作成に参画いたしました。
私ども法律家が、原爆被害者の援護制度はいかにあるべきかについて調査研究する場合の基本的な立場は、まず被害の実態から出発いたします。原爆被害の実態を把握した上で、これに対し憲法は国家の救済制度として、どういう理念のもとに、あるいはどういう救済規定を設けているかを検討し、あるべき被爆者援護法の法的根拠を明確にしていくわけでございます。

そこで、まず原爆被害の特徴から話します。
原爆の被害は人類がかつて経験したことのない戦争被害の極限でございます。原爆被害の深刻な実態及び被害の全体像はいまだ解明すらされていないと言っても過言ではありません。私どもが長年被爆者問題の調査を続けてまいってきた上での実感でございます。
原爆は、従来の火薬の爆発エネルギーを使用した通常兵器とは質的に異なっております。原爆による攻撃とは、核分裂の連鎖反応から放出される巨大なエネルギーを利用する攻撃であります。それは、音速に近い速度で襲いかかる爆風、数千度という高温度の熱線、それに原爆特有の放射線、これらの巨大な力が同時に、瞬時に生きている人間を襲うのであります。原爆のキノコ雲の写真を見て、その下に繰り広げられる地獄を想像してください。我々の想像を絶するこの世の地獄がそこにあったのです。今生きている被爆者は、あのキノコ雲の下の地獄を体験した人々であります。このことを忘れてはならないのであります。
原爆被害は、従来の通常兵器の被害に見られない特別な残酷な被害であります。その被害の態様は極めて多様であり、総合的であります。熱線による傷害、爆風により吹き飛ばされ、また飛来した物体による打撃の傷害、放射線による障害などが同時に相乗効果を加えて受ける傷害であります。放射線による障害は、五十年を経た現在でもなお被爆者を緩慢に殺し続けております。いつ訪れるかわからない死の影におびえながら、被爆者は老境に達してきました。
このような被害をもたらす原爆、いわゆる核兵器の使用が、不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁止した国際法、いわゆるセント・ペテルスブルグ宣言あるいはハーグ陸戦法規などに違反する、あるいは無防守都市に対する攻撃の禁止、無差別攻撃の禁止を定めた国際法、ハーグ陸戦規則あるいはハーグ空戦規則案などに違反することは明らかであります。これは、東京地方裁判所の昭和三十八年十二月七日の判決でもはっきりと認めております。

次に、被爆者の要求について検討します。
このような被害を受けた被爆者は、地獄の体験の中から次のような基本的な要求を提起いたしました。一つは、このような残酷な非人間的な原爆被害をもたらした責任者は被爆者に対し謝罪をして償いをしてほしい、これが国家補償。
第二に、二度と原爆地獄を人類が繰り返さないために核兵器は絶対に使わないでほしい、核兵器の廃絶というものであります。これが被爆者の要求の端的な表現でございます。
この二つはその一つが欠けても意味がなく、不可分一体なのであります。被爆者たちが、従来の原爆二法があるのにあえて国家補償による被爆者援護法を要求し続けているのは、右の二つの要求を従来の原爆二法は充足していないからであります。

そこで、国家補償の法的検討に入ります。被爆者の要求する国家補償の法的根拠について次に検討してみます。
被害者救済の国家制度の憲法上の規定を見てみますと、国民の被害について国家の行為に被害の原因がある場合について、憲法は三つの規定を定めております。

第一は、憲法第十七条、御存じの公務員の不法行為によって損害を受けたときの損害賠償請求権です。これは国家賠償法によって立法化されておるものであります。

二番目、憲法第四十条、御存じの抑留、拘禁の後に無罪の判決を受けたときの刑事補償請求権でございます。これは、裁判という合法的手続の中で生じた誤判という事件でございます。誤判であるから違法な行為とは言いません。しかし、無実なのに拘禁されたという不法な被害であるために国家が補償する制度であります。

第三番目は、憲法二十九条三項であります。公共のために私有財産を提供させられたときの正当な補償を請求する権利でございます。これは、公共のための収用事業は法律に基づく適法な行為でありますが、収用される国民にとっては財産上の犠牲を強制されるのでありますから、これに対して国家が正当な補償をするという制度であります。

これら憲法上の三つの制度を見ますと、国家の違法な行為あるいは国家の適法な行為、いずれの場合でも、国家の行為によって国民に被害が生じた場合には国家はこれを補償するという基本的な思想が読み取れます。
この基本的な思想が、憲法の中では前文の中の理念として、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであってこ「その福利は国民がこれを享受する」という理念を前文で示しております。
この理念は憲法十三条によって具体的に規定されております。すなわち、この憲法十三条によりまして、国家は生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について最大限の尊重をすることが義務づけられております。

以上のような憲法の各規定から、次の法理論が導き出されます。
国家の行為が原因で国民に被害が生じたときは、その原因となった国家の行為が違法か合法がを問わず、それによって生じた国民の被害については、国家は結果責任として国民に対する国家補償の責任が生ずるという法理論でございます。これは、国家補償による援護法の制定の第一の法的根拠でございます。

この法理は、最高裁判所の判決でも、また東京地方裁判所の判決でも是認された論理でございます。東京地方裁判所の原爆判決は、国家はみずからの権限とみずからの責任において開始した戦争によって、国民の多くを死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのであるから、戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるであろうと述べております。この判決は確定しております。この判決はまた国際的にも著名な判決になっております。

以上の法理から、戦争災害については国家補償責任が生ずるということが明らかになります。そうすると国家は、原爆被爆者のみならず一般戦災者についても被害の程度に応じて国家補償をしなければなりません。日本国憲法とは違った憲法のもとにあるドイツあるいはフランスにおいても、戦争災害について国家は、軍人とか市民とかに差別などなく国家補償制度を確立しております。軍人という特別な権力関係にある者のみを特別に手厚く保護する日本の現在の制度とは大分違います。おくれております。

それでは、次に被爆者に特有の援護法制度の法的根拠について述べます。今のは、一般の戦災者と認識していただいて結構でございます。

第一は、原爆被害が前に述べましたように国際法に違反した核兵器による巨大な力による攻撃であり、通常兵器の被害とは質的にも量的にも全く異なる特別の戦争被害である。このことを認識した上で、国家としては戦争開始、遂行という国家行為によりもたらした被害の結果でありますから、この結果責任として前述の国家補償の基本的法理の各論である被爆者援護法については当然に手厚く補償するべきであります。これが第一点。

次に、被爆者援護法についての法的根拠の第二は、アメリカの原爆投下行為は国際法に違反するということは明らかであります。これは国際的にも認めております。これに対して被爆者は米国に対する賠償請求権を持っております。ところが、日本政府は米国との平和条約第十九条(a)項において対米賠償請求権を放棄いたしました。これは、さきに述べた憲法二十九条三項、国家、公共のために犠牲を強制された場合、つまり請求権を奪われてしまった場合の正当な補償すべき場合に該当いたします。ここで憲法二十九条三項の国家補償義務が生じます。

次に、被爆者援護法の国家補償についての法的根拠の第三は、原爆被爆者は、先ほどのお二人の参考人の御意見にありましたが、被爆後の半年間はやけど、傷害、急性障害で苦しみました。その後は晩発性障害あるいは後遺症に苦しみ続けました。
この最も救援を必要とする時期において、アメリカの占領政策に基づいて国際赤十字への救援さえも妨害され、原爆被害の報道は禁止され、被害の救済を受けることを放置されてしまいました。この間、死ななくてもよかった多くの被爆者たちが死亡していきました。そして、財産をすべて失い、生き残った被爆者らも働くこともできず、治療も満足に受けられず苦しみ続け、原爆医療法が制定されたのは被爆後実に十二年後でございます。
憲法十三条による生命、自由、幸福追求を最大限に尊重すべき国家の義務がある、その義務に日本政府が違反した責任は極めて大きいものと言うべきであります。

結びに入ります。
東京地方裁判所の原爆判決は次のように言っています。
「終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上」、
この被爆者援護でございますが、「これが不可能であるとはとうてい考えられない。われわれは本訴訟」、これは原爆訴訟のことを言っていますが、
「本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。」と嘆いております。

振り返って今回の法案を見ますと、被爆者の要求する国家補償の立場は法的に正当かつ妥当な根拠があるにもかかわらず、これが記載されておりません。
これは「国の責任」という言葉にすりかえられてしまっております。
「国の責任」という場合、憲法二十五条に規定する生存権に基づく社会保障の立場と同じでございます。被爆者の援護制度の基本理念である国家補償とは異なる法理でございます。

また、被爆者の求める核兵器の廃絶については「究極的廃絶」にすりかえられております。「究極的」という場合、そのときまでの核兵器の使用は認めることになってしまいます。廃絶される日までその使用を認めるということになり、論理的には核兵器の使用を認めるということになります。この点からも、「究極的」という言葉を法案から削除してもらいたい。

以上、若干時間を経過いたしましたけれども、法的根拠について述べさせていただきました。


これはかなり法律問題のように見えまして、被爆者の皆さんには大変難しい問題だと思いますが、法律家から見れば非常に簡単明瞭なことでございます。

「国家補償」という場合は、これは国家の戦争責任の問題にかかわってきます。


「国の責任」という場合は、国の戦争責任は全然排除されます、なくてもいいんです。例えば社会保障、これは国家の責任なんです。生存権、憲法二十五条でございますね、これでいいんです。

だから、国の行為によって戦争を開始した結果、戦争被害で原爆を受けたじゃないか、だから当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるというのは東京地方裁判所の原爆判決の中に書いてあるんです。これはもう法律家なら常識なんです。だから、そういう趣旨で国家補償という場合は、国が戦争を開始、遂行した責任の問題が正面からとらえてあるんです。

ところが、「国の責任」といいますと、戦争を開始した国家の責任問題はもうなくていいんです、問わないんです。そういう意味でもう大変な違いがございます。

そういった意味で、被爆者援護法は「国家補償」でなければならないというのは我々法律家の、日弁連のと言っても結構ですが、日弁連の公式見解でございます。





第131回国会 厚生委員会 第8号
平成六年十二月五日

○横尾和伸君 
昭和二十年八月、広島市、次いで長崎市に投下された原子爆弾は、一閃両市を焦土と化し、実に三十万人余のとうとい生命を奪ったのであります。
核爆弾の爆発時に放射される強烈な放射線、熱線及び爆風は、その複合的効果によって、大量かつ無差別に市民を殺傷し、あらゆるものを破壊し尽くしました。また、爆発時に空中で生成された強い放射能を持つ核分裂生成物、いわゆる死の灰は、地上にちりや黒い雨となって降り注ぎ、奇跡的に一命を取りとめた人たちにさらなる放射線被曝を与えたのみならず、体内に入り込んで深刻な放射線体内被曝をもたらしたのであります。
この原爆による被害は、通常の爆弾等、他のいかなる兵器による被害とも比べることのできない特異な質的損害及びはかりがたい量的損害をもたらすことを如実に示したのであります。いかなる理由があるにせよ、絶対に二度とあってはならないのであります。
したがって、原爆等の核爆弾は、人間の生存の権利を根本的に脅かすものであり、かつ、あらゆる生物の生存や繁栄を脅かす悪魔の兵器であり、許すべからざる絶対悪と断じなければなりません。
人類史上初の原子爆弾被爆国となった我が国は、このような非人道的な悪魔の兵器とも言うべき核爆弾の惨禍を、地球上のいかなる地点においても再び繰り返させないとの強い決意と真摯な祈りを込めて、核兵器の究極的廃絶と恒久平和の確立を全世界に訴え続けるべきであります。


被爆後満五十年を迎えようとしている現在、最も大切なことは、このような考えをより強い社会的決意とすることであり、そのための手がかりとなり、かつ、象徴ともなる具体的措置を制度化することであります。
既に御承知のとおり、良識の府たる参議院では、既にこのような趣旨を踏まえ、国家補償の精神に基づく措置として、平成元年と同四年の二回にわたり原子爆弾被爆者等援護法案を可決しているのであります。
また、現行の原爆二法、すなわち原爆医療法及び原爆特別措置法が、広い意味における国家補償の見地に立つという基本的考え方によるものであり、従来から延々と続けられてきた関係者の並み並みならぬ努力の成果であることを忘れてはならないのであります。
しかるに、今回衆議院から送付されてきた政府提案による法案は、これらの重要なポイントを十分踏まえたものとは到底言いがたいものとなっているのであります。すなわち政府案は、生存被爆者を対象とした援護対策をいわゆる事後処理として国が行うことを基本としており、国家補償的配慮によるものではないのであります。
今回私たちが提案しました法案の主眼は国家補償的配慮に基づくものとしたことでありますが、次にこの件について申し上げます。
被爆者の健康上の障害がかつて例を見ない特異かつ深刻なものであることを考えれば、国は社会保障の観点から被爆者対策を講じなければならないことは当然でありますが、昭和五十三年の最高裁判決が判示するように、かかる特殊な戦争被害の原因をさかのぼれば、戦争の遂行主体であった国の行為に起因する被爆によって、健康が損なわれ生活上の危険ないし損失が生じたものであるという観点に目を閉じることは許されません。

つまり、原爆医療法及び原爆特別措置法のいわゆる現行二法も、社会保障と国家補償の二つの側面を有する複合的性格を持っているということであります。このことは、前述の最高裁判決では、「国家補償的配慮」という言葉で表現されております。また、昭和五十五年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の報告書では、広い意味での国家補償という表現になっております。
したがって、原爆被爆者対策が国家補償的配慮に基づいて行われるべきということの国民的合意は既に形成されていると言わなければなりません。
私たちは、かかる事実を直視して、国家補償的配慮を制度の根底に厳然と据えて、葬祭料制度発足前に亡くなられた原子爆弾死没者の遺族に対する特別給付金の支給を含め万全の援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者のとうとい犠牲を銘記するための事業を行うこととしたものであります。以上がこの法案を提案した理由であります。





2017年7月24日月曜日

原爆基本懇の議事録開示 「援護法」 回避へ誘導



2010年8月1日 東京新聞 

大平内閣から鈴木善幸内閣にかけて国が被爆者に補償する被爆者援護法制定の可否を検討した厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の非公開の議事録が厚生労働省内で見つかった。

民間委員の議論に官僚が介入。財政難などを理由に当初から法律制定に難色を示していたことが浮かび上がった。
基本懇の結論を受け援護法成立は自社さ連立政権下の一九九四年まで見送られた。 

見つかったのは全十四回の会合のうち第十一、十四回会合を除く、十二回分の議事録や資料など八百二十九ページ。

厚労省は当初、本紙の取材に「議事録は残っていない」と回答したが、情報公開請求で、昨年十二月に開示され、本紙で補足取材などを進めていた。
政治家と公務員以外の人名は黒塗りになっていた。 

基本懇は橋本龍太郎元首相が厚相だった一九七九年六月、茅誠司・元東大学長を座長に発足。行政や医学の専門家ら六人が委員を務めた。 

議事録によると、第一回会合で委員の一人が「スモン訴訟や水害訴訟で国家賠償の要求が拡張されている。歯止めをかけないと国家財政が破綻(はたん)する」と発言。

別の委員も「被爆者は三十七万人もおられ、ぴんぴんして何でもない人も多いんでしょう」などと述べていた。 

厚生省も援護法の制定に反対の立場から、会合で積極的に発言。恩給法など国家補償がある軍人・軍属との格差に批判が出ていたため、基本懇の事務方を務めた当時の厚生省公衆衛生局企画課長(76)は第十二回会合で「同一に論ずるわけにはいかないことだけは(答申で)コメントしていただきたい」と発言。

委員が作成した意見書の草案に修正を加えたと説明した。 

また、被爆者援護法という名称について、当時の公衆衛生局長(86)は第十回会合で「事務当局としては、いかなる場面でも援護法という名前は受け入れられない」と強く注文を付けていた。 

野党や被爆者団体は、日本政府が戦争を遂行した責任を認めた上で、被爆死した人への弔慰金や遺族年金の創設を求めていたが、基本懇は八〇年十二月、国の完全な賠償責任は認めず、弔慰金や遺族年金の創設を否定する意見書を園田直厚相(当時)に提出した。 

☆ 

三十年ぶりに明るみに出た原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)の議事録。民間の戦争被害者に我慢を強いる「受忍論」が初めて行政の方針として示されたが、民間委員の間では賛否をめぐり論戦が交わされた様子はない。

被爆者が期待をかけた各界の権威からも補償拡大に消極的な発言が相次いでいた。 

「原爆放射能による健康上の被害は、国民が等しく受忍しなければならない戦争による『一般の犠牲』を超えた『特別の犠牲』…」 

一九八〇年七月、厚生省の会議室で開かれた第十回会合。事務局が朗読する「たたき台」の中で「受忍論」は姿を現した。 

一見、被爆者を救済する表現だが、東京大空襲など「一般の犠牲」の受忍を強要。

それとのバランスを盾に、被爆者の救済も生存者の放射線障害に限定した。
しかし、委員は誰も反応しなかった。 

しばらくして「こういうのもあります」と事務局は別の資料を出した。

基本懇設置のきっかけになった韓国人被爆者の最高裁判決(七八年)に対抗するように、カナダで財産を接収された引き揚げ者が起こした訴訟の最高裁判決(六八年)を読んだ。
「戦争犠牲または戦争災害として国民が等しく受忍しなければならなかった…」 

当時は知られていなかった同判決を基本懇に持ち込んだのは、元最高裁判事の田中二郎委員とする見方が強い。

しかし、賛否を問わず、受忍論に触れる委員はいなかった。 

意見聴取では、母親の胎内で被爆した原爆小頭症の女性の人生を語った被爆者が帰った後、「センチメンタルなものを長々と読み、時間を浪費した」と酷評。

半面、橋本龍太郎厚相(当時)を招いて議論の方向性を確かめるなど、政府への配慮は手厚かった。 

意見書がまとまった後の第十三回会合で、ある委員は「被爆者対策の改善と言いながら内容は何もない。これでいいのか」とつぶやいた。

「相当の反発を予想しなくては」と気にする声も出たが、結論が変わることはなかった。

 

◆憤る被爆者ら 『官僚筋道』『言いなり』

 
「ひどい」「政府の言いなりだ」。基本懇の内幕に、被爆者は憤りを隠さない。 

長崎で被爆し、基本懇当時に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局次長だった吉田一人さん(78)はあきれる。

被爆体験を「センチメンタル」と評された部分を「あれだけの被害を受け、感情的になるのは当たり前。被害の実態や本質を受け止める姿勢がない」と批判する。 

被団協の田中熙巳事務局長(78)も「官僚が筋道を作る審議会政治は変わっていなかった」。

被団協は今年六月の総会で国家補償を求める運動強化を再確認し、改正案作りに向け学習会を始めている。 

原爆症認定集団訴訟の山本英典原告団長(77)は「委員には日本の良心を代表する人もいたが、他の戦争被害者にも広がると脅され、厚生省と一体になっていたことが裏付けられた。

国の方針を『すべて受忍せよ』から『すべて補償せよ』に変えたい」。

担当する内藤雅義弁護士は「専門家に任せたと言いながら行政が作った典型例。文書公開の意味は大きい」と話す。 

一方、焼夷(しょうい)弾による空襲被害者にも波紋は広がる。


東京大空襲訴訟の星野弘原告団長(79)は「受忍論の議論は委員に心の準備がないまま、事務局により進められたのでは。
正当と言えるのか、あらためて議論すべきだ」と話している。

 

<基本懇の意見書>


 原爆被害には放射線障害という特殊性があり「広い意味で国家補償の見地に立つべきだ」としつつも、国の完全な賠償責任は認めず、被爆者が求めた国家補償に基づく被爆者援護法の制定を事実上退けた。

近距離被爆者の手当や原爆放射線の研究体制、被爆者の相談事業の充実を挙げるにとどまり、被爆者は激しく反発した。

1994年の自社さ連立政権下で成立した現行の援護法も基本懇の意見書を踏襲。
「国家補償」は盛り込まれず、救済は生存者の放射線被害に限定、死没者補償は含まれなかった。




被爆者補償、歯止めありきの議論「財政破綻恐れた」

朝日新聞2010年10月25日
被爆者援護の理念が話し合われたはずの原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)は、厚生省(当時)の誘導で、戦争被害者に対する国家補償の拡大に、いかにして歯止めをかけるかが主題となっていた――。基本懇の報告書はその後の被爆者援護法の土台となり、被爆者への国家補償は実施されなかった。被爆者らから「議論のやり直しを」の声も上がっている。
「被爆者対策を国家補償でやるとなると、額が大きくなるだけでなく、シベリア抑留者や一般戦災者の要求が強まり、甘くできないという考えだった」
基本懇で、国家補償拡大への歯止めを求める発言をした厚生省公衆衛生局企画課長だった木戸脩氏(76)は、朝日新聞の取材に、こう語った。
木戸氏によると、基本懇設置当時の厚相だった故・橋本龍太郎氏に相談しながら、議論を調整していった。橋本氏は厚相を退いた後も基本懇の議論の内容を把握し、国家補償を回避させる方向で指示を続けたという。
1980年7月の第10回会合に提出する「報告書に盛り込むべき事項」に「(戦争による一般の犠牲は)国民が等しく受忍しなければならない」との文言を加えたのは、そんな橋本氏の意を受けた木戸氏ら厚生官僚の判断だったという。
木戸氏は「一般戦災者らの補償要求が高まる中、受忍論をうちたてないと国家財政の破綻(はたん)につながりかねないというのが当時の認識だった。ただ、戦後65年たって時代も変わり、当時の結論のまま要求を拒み続けていいかどうかは正直わからない」と話した。
被爆者団体の関係者や空襲被害者からは、報告書の見直しや議論のやり直しを求める声があがった。
国家補償に基づく被爆者援護法の実現を求めている日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の、田中熙巳事務局長は「官僚があからさまに口をはさみ、自らの思惑を押し込んでいる姿に驚いた。基本懇は、民間有識者を隠れみのに、官僚側に都合のいい方針を導き出した審議会行政の典型と疑っていたが、それが外れていないことが裏付けられた。日本が本当に『核なき世界』の先頭に立つと言うなら、現在も被爆者援護の方針である(基本懇の)報告書を見直すべきだ」と話した。
大阪空襲訴訟原告団の安野輝子代表世話人は、空襲被害者への援護策をとらないことを正当化する「受忍論」が盛り込まれた過程などが明らかになったことについて「受忍論は、民間人の戦争犠牲は切り捨ててもよいという棄民の発想。官僚の意向が働いていたにせよ、有識者と呼ばれていた人たちがやすやすと受け入れ、通してしまったことが悲しい。議論をやり直してほしい」と話した。

被爆者補償議事録「一種のたかり」「何でもない人多い」

朝日新聞2010年10月25日
厚生省(当時)の誘導があった原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)。議事録に記録された会合での発言からは、被爆者を含めた戦争被害者への国家補償をなんとしても食い止めようとする厚生省側の強い意向が浮かび上がった。
■議事録に記されていた発言の一部(※委員名は非公開)
●第1回会合(1979年6月8日)
【橋本厚相】(昨年に)現行の原爆医療法そのものがすでに国家補償の範疇(はんちゅう)に入るんだという判例が出されまして、これは私どもとしても相当なショックでございました。
【委員】厚生省もスモン事件で窮地に追い込まれて(中略)何とかそういう動きに対して歯止めをしないことには、国はいくらお金を出してもとどまるところを知らない。
【委員】(被爆者は)いま37万人もおられ、これでぴんぴんして何でもない人もずいぶん多いんでしょう。
●第4回会合(1979年10月11日)
【橋本厚相】非常に厄介なのが(空襲被害者への補償を求めている)名古屋を中心としたグループ、及び東京の下町を中心としたグループ(中略)率直に申しまして、国家補償という言葉をできるだけ使いたくない。
●第5回会合(1979年12月6日)
【委員】(被爆手記を朗読した被爆者団体代表が帰った後)センチメンタルなものを長々と読みまして、せっかくの時間を浪費してしまった恐れがある。
●第6回会合(1980年1月30日)
【委員】我々は歯止めのために集まっているというふうに解釈してもいいのではないか。つまり便乗組をどういうふうに納得させるか。
●第7回会合(1980年2月27日)
【委員】(被爆地域拡大の要求に関して)何か一種のたかりの構造の具体的なあらわれのような感じがいたしまして。
●第9回会合(1980年6月17日)
【委員】(配布された旧軍人・軍属の援護額の表を見て)恐らくこの表を出したら原爆被爆者というのは食いついてくるのではないか。
●第10回会合(1980年7月22日)
【企画課長】援護法を作るか、作らないかというのは、あるいは非常にげすな議論なのかもしれないのですが、(報告書の中に)そんなことまで触れていただかなくてもいいと思います。
【公衆衛生局長】事務当局の気持ちとしまして、いかなる場面があっても援護法という名前については拒否をする。
●第12回会合(1980年11月20日)
【公衆衛生局長】(報告書に「国家補償」と書き入れる場合)相当なおもりと言いますか縛りを相当書いていただきませんと混乱を引き起こす恐れがあります。
●第13回会合(1980年12月3日)
【委員】(報告書案文について)厚生省がこれまでとってきた措置、対策をジャスティファイ(正当化)することに重点を置かれていて、積極的にこういう点をこういうふうに直したら、という点があまり見られない。この答申では、相当の反発を当然予想しなくてはいけない。


被爆者補償阻止、旧厚生省が議論誘導 30年前議事録

朝日新聞 2010年10月25日
被爆者援護のあり方を検討するため、1979~80年に非公開で開かれた厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)で、民間の戦争被害者全体に国家補償が拡大しないよう、厚生省側が議論を導いていたことが、議事録や関係者の証言からわかった。基本懇の報告書は被爆者への国家補償に歯止めをかける内容となり、この報告書をもとにできた現行の被爆者援護法に国家補償は明記されなかった。

基本懇の会合は計14回。厚生労働省によると、長年、議事録は保存されていないとしてきたが、昨年末、報道機関からの情報公開請求を機に同省の倉庫を探したところ、見つかった。朝日新聞が8月に入手。計829ページで、第11、14回分は欠落していた。
議事録によると、80年7月の第10回会合で、厚生省側が「報告書に盛り込む事項」を提出。その中に、戦争の被害は「国民が等しく受忍しなければならない」という「戦争被害受忍論」の一文が初めて記入されていた。
さらに、基本懇が意見集約に向かっていた80年11月の第12回会合で、国家補償として実施している旧軍人・軍属への援護策と、被爆者への援護策の間に、金額や対象者の範囲で大きな格差が生じているとの指摘が出ていたことを踏まえ、当時の厚生省公衆衛生局企画課長が「同一に論ずるわけにはいかないということだけは(報告書で)コメントしておいていただきたい」と発言。「補償が独り歩きしないようにいろいろ歯止めをしていただきたい」と求めた。
この発言をした、当時の企画課長・木戸脩(おさむ)氏(76)は朝日新聞の取材に、「財政がもたないと判断した」と述べた。
基本懇の委員からは、国家補償の拡大に歯止めをかけることにほとんど異論は出ず、「(被爆者は)ぴんぴんして何でもない人もずいぶん多いんでしょう」「我々は歯止めのために集まっているというふうに解釈してもいいのではないか」との発言があった。
基本懇が80年12月に園田直厚相(当時)に提出した報告書は、厚生省側の「要望」に沿った内容となった。原爆被爆を救済の必要がある「特別の犠牲」、それ以外の戦争被害は、受忍しなければならない「一般の犠牲」として線引きしつつ、被爆者援護については「国の完全な賠償責任を認める趣旨ではない」とし、対象を生存被爆者の放射線による健康被害に限定した。
94年、この報告書を土台に、原爆医療法と原爆特別措置法の「原爆二法」を一本化して制定された被爆者援護法でも、援護を国家補償に基づいて実施することは明記されなかった。(武田肇)
〈原爆被爆者対策基本問題懇談会〉
 1978年、韓国人被爆者の被爆者健康手帳交付を巡る訴訟の最高裁判決で「原爆医療法には、国家補償的配慮が根底にある」と判断されたことをきっかけに、被爆者対策の理念を明確にするために設置された。
委員(全員故人)は、
茅誠司・東京大名誉教授(座長)
▽大河内一男・東京大名誉教授
▽緒方彰・NHK解説委員室顧問
▽久保田きぬ子・東北学院大教授
▽田中二郎・元最高裁判事
▽西村熊雄・元フランス大使
▽御園生圭輔・原子力安全委員会委員
の7人。


戦争被害受忍論再考の時 基本懇意見書30年

10年12月20日(中国新聞)

国の被爆者対策を方向付けた「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の意見書の提出から今月で30年。公開された議事録からは、市民の戦争被害を補償せずに被爆者を区別、救済する理由付けに腐心した跡がうかがえる。一方で、原爆被害を正面から捉えた議論は見あたらない。被害の「受忍」を国民に求める国の戦後処理の在り方は、再考が求められる。

被爆者対策は国の責任に基づく国家補償か、弱者救済の立場にたった社会保障か―。1979年6月から1年半、14回に及ぶ会議の大きな論点だった。 

国はそれまで被爆者対策を「特別の社会保障」としてきた。第1回会議で橋本龍太郎厚相(当時)は「国家補償の対象にすると一般の戦災犠牲者にも広がりはしないかということを大変恐れていた」と警戒感を示した。

その橋本氏が「相当なショックだった」と打ち明けた前年の最高裁判決。原爆医療法(57年制定)を「国家補償的配慮が制度の根底にある」とした。

「国家補償という広い言葉の中には、特別の犠牲に相当の補償をする考え方がある」(第3回会議)「2発の爆弾で本土決戦が避けられたことと、放射線という特別の影響を持つという2点でほかの戦災と区別できる」(第9回) 

委員の議論では、判決も踏まえ、原爆は戦争終結の直接的契機▽放射線による健康障害―を理由に「広い意味での国家補償」として「相当の補償」をするという流れが早くに固まっていた。 

拡大に「歯止め」

一見、救済が進むかのように読めるが、委員は空襲や沖縄戦にたびたび触れ、対策の拡大に「歯止めをかける」「今までのような不合理を認めない」などと発言。第10回会議では、公衆衛生局長が日本被団協などが求める「援護法」を「絶対にのめない」と述べた。結局、意見書は「国家補償の見地」の対策を求める一方、国の完全な賠償責任を否定。他の戦災被害者との「著しい不均衡が生じてはならない」とも明記された。

結論の背景には、戦争時の国民の生命、身体、財産についての犠牲を「国民が等しく受忍しなければならない」という「受忍論」がある。意見書も基本理念に盛り込んだ。 



国の責任問わず

今月12日。日本被団協が東京都内で開いた基本懇を考えるシンポジウムは「受忍論」がテーマだった。被爆者問題に詳しい一橋大の浜谷正晴名誉教授は「委員がそもそも国の責任を問わない、国民は我慢すべきだとの立場だった」と指摘した。

基本懇の委員の発言からは、被爆者への理解の欠如も浮かぶ。被団協が原爆小頭症の患者の現状を訴えても「センチメンタルなものを長々と読み、時間を浪費した」。被爆地域の拡大要望を「極端な言葉で言えば、さもしい根性の一つ」…。 

同じシンポで「原爆被害に対する国家補償」を求める被団協の田中熙巳(てるみ)事務局長も「命、体、心、暮らし、すべてに被害をもたらしたのが原爆だ」と悔しさをにじませた。

厚労省は基本懇の意見書を今も被爆者対策の「源」とする。しかし、原爆症認定制度や「黒い雨」地域の問題などに向き合う上で、30年前の意見書の道理はもはや見えにくい。 




差別なき補償へ連携を

空襲被害者への国家補償の実現を求めて8月に結成した「全国空襲被害者連絡協議会」の共同代表の一人、ジャーナリストの前田哲男さん(72)は戦争被害者の連携の重要性を強調する。

―国の戦後補償の問題点は。
一般市民の戦争被害は受忍論で「等しく国民が受け持つべきだ」とされ、補償の対象になっていない。被爆者も放射線被害で例外、限定化され、真の意味の国家補償の援護法は今日まで実現していない。 第2次世界大戦は、空襲被害にみられるように兵士と市民、前線と銃後の境がない「皆殺し戦争」だ。特に原爆は都市を抹殺する。そういう戦争で、受忍は仕方ないという説明は成り立たない。 

―どういう補償をするべきですか。 
欧州各国の戦争被害の補償例をみると、国民であれば軍人だろうが民間人だろうが問わない。国内、国外も問わない。国は受忍論を改め、差別なき国家補償をすべきだ。 

―戦後65年たった今、空襲被害者が連携する意義は。 
被爆者運動が国の受忍論を転換させるトップランナーだった。一方、各地の空襲被害者も残酷な被害を抱えながら大きな運動にならなかったのは、戦争時には全国どこにでもあったというあきらめがあったのではないか。21世紀に入ってようやく個人の尊厳の問題として被害を伝えたいと思い始めている。協議会は同じ被害者同士できちんとした運動に取り組むのが狙いだ。

原爆被爆者対策基本問題懇談会 
1979年6月、厚相(当時)の私的諮問機関として設置された。委員は座長の茅誠司・元東大学長ら7人(いずれも故人)。80年12月11日に意見書を提出した。厚生労働省で見つかり、昨年12月に公開された基本懇の資料は全14回の会議のうち、第11、14回分を除く12回分の議事録や資料など829ページ。政治家、官僚以外の名前は黒塗りになっている。




被爆者への国家補償、旧厚生省職員が拡大懸念のメモ


2017年10月2日(朝日新聞)

被爆者援護のあり方を議論するため、1980年に開かれた国の諮問機関の会合で、当時の厚生省職員が「国家補償という言葉が独り歩きして悪影響を及ぼすのではないか」などと懸念を表明していたことを示すメモがみつかった。この諮問機関は結局、戦争被害者に国家補償を認めず我慢を強いる「受忍論」を打ち出した。識者は「国の意向が結論に影響を与えた可能性は高い」と指摘する。


この会議は、厚生相(当時)が諮問して79~80年に14回にわたって開かれた「原爆被爆者対策基本問題懇談会」。情報公開請求を機に2009年、議事録の大半は開示されたが、懇談会の結論となる報告書の案が初めて示された80年8月の第11回会合の議事録は「不存在」とされていた。都内ではなく唯一、長野・軽井沢で開かれたこの会合は、研究者らの間では「報告書の方向性が固められた会合」とみられ、議論の内容が注目されてきた。

今回、新たにみつかったのは、この第11回会合のやりとりを示す13枚のメモ。発言者と発言内容が手書きされていた。厚生省職員が書いたとみられ、懇談会委員の親族宅にあった。同年7月の資料によれば、一連の会合では「事務当局が積極的に議論に参加することは許されておらず、現状説明しかできない」とされていたが、メモには厚生省職員の意見が記されていた。

メモによると、職員は報告書に国家補償が明記されると「国家補償という言葉のみが独り歩きして他の各方面に悪影響を及ぼすのではないか」と述べ、戦争被害者全体に国家補償が広がることに釘を刺していた。これを受け、座長の茅誠司・東大名誉教授(故人)が「国家補償という言葉のみが一人歩きをしないよう、意見書の中で十分歯止めをしておく必要がある」と発言していた。

議事録によると、厚生省側は同年11月の第12回会合でも、「国家補償をやれという考え方が強く出ますと、非常に政府全体として困る」「国家補償だというふうに書いていただくことを少し緩めていただいたら」と発言していた。

懇談会が翌12月にまとめた報告書では、原爆被害について「広い意味における国家補償の見地」から援護するものの、「国の完全な賠償責任を認める趣旨ではない」と説明。被爆者以外の戦争被害者には原則、我慢を強いる「受忍論」を打ち出した。95年に施行された被爆者援護法でもこの考え方は踏襲され、援護の対象は生存被爆者の放射線による健康被害のみで、国家補償は明記されなかった。

田村和之・広島大名誉教授(行政法)はみつかったメモについて「初期の会合では説明役に徹していた厚生省が、報告書の案に国家補償という言葉が入ったのを機に、国の立場を強力に主張し始めたことがよく分かる」と分析。「原爆で認めたら、ほかの戦争被害者にも広がりかねないと危機感を持ち、国家補償に歯止めをかけるよう促していたことを示すものだ」と指摘する。

原爆被害への国家補償を求めてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(てるみ)・代表委員(85)は「国が戦争を始め、終結を引きのばしたから原爆被害がもたらされた。その責任を国が認めなければ、戦争の肯定につながりかねない」と批判している。(岡本玄)



〈原爆被爆者対策基本問題懇談会〉 厚生相だった橋本龍太郎氏(故人)の諮問機関として1979年6月に設置された。最高裁が78年3月、被爆者援護法の前身にあたる原爆医療法について「実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」と指摘したことを受け、大学教授や元最高裁判事ら7人の委員が、被爆者援護のあり方を議論。計14回の会合を経て80年12月にまとめた報告書は、原爆放射線被害による健康被害は「特別な犠牲」として援護するが、それ以外の戦争被害は「一般の犠牲」と位置づけ、「すべての国民がひとしく受忍しなければならない」とする「受忍論」を打ち出した。



■被爆者援護と国家補償をめぐる主な動き

1945年8月 米軍が広島、長崎に原爆を投下

56年8月 日本原水爆被害者団体協議会が発足。核兵器廃絶とともに、原爆被害への国家補償を求める運動を開始

57年4月 原爆医療法施行。健康診断、医療給付が開始

68年9月 原爆特別措置法施行。手当支給が開始

78年3月 最高裁判決が「原爆医療法は社会保障法だが、実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」と指摘

79年6月 原爆被爆者対策基本問題懇談会が発足

80年8月 懇談会の第11回会合で、厚生省側が「国家補償という言葉のみが独り歩き」することへの懸念を発言

80年12月 懇談会が報告書をまとめる。原爆被害について「国の完全な賠償責任を認める趣旨ではない」と説明

95年7月 原爆医療法、原爆特別措置法を一本化した被爆者援護法が施行。被爆者への国家補償は盛り込まれず




2017年7月13日木曜日

今泉論文についての指摘(千葉地裁判決文)




今泉美彩ほか「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」(平成17年,以下「今泉論文」という。)
には,次の記載がある。

 成人健康調査集団のうち,平成12年3月から平成15年2月までの間に,2年に1度の検診を受けた4552人のうち,協力依頼に同意した4091人について,遊離サイロキシンや甲状腺刺激ホルモンレベル等の測定検査,甲状腺超音波検査等を行い,胎内被爆者,市内 不在者及び放射線量不明者を除いた3185人について,各甲状腺疾患の線量反応を解析した。

その結果,甲状腺自己抗体陰性甲状腺機能低下症は線量に関連していなかった。

自己免疫性甲状腺疾患については,甲状腺自己抗体陽性率と甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症のいずれについても,有意な放射線量反応関係は認められなかった。

この結果は,ハンフォード原子力発電所からのヨウ素131に若年時に被曝した人々に関する最近の報告結果及び被爆者に関する以前の疫学調査報告と一致している。

しかしながら,昭和59年から昭和62年に長崎の成人健康調査対象者について実施された調査(長瀧論文)においては,甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症について凸状の線量反応関係が示され,有病率は,0.7 Sv の線量で最も高くなるとされている。

この違いは, 本調査では,調査集団が拡大され,広島及び長崎の被爆者の両方が対象とされたこと,甲状腺抗体と甲状腺刺激ホルモン(TSH)の測定に異なる診断技法が用いられたこと,時間の経過に伴い,対象者の線量分布が変化したこと(死亡及びがんリスクは,放射線量に依存するため)に起因するのかもしれない。

さらに,両調査においては,1回 の血清検査に基づき診断が行われたが,血清検査の結果は時間の経過 に伴い変化することが時折ある。 

本調査には,幾つかの限界があり,まず,以前に結節性甲状腺疾患の診断を受けた人は,それにより調査に参加する意向を持った可能性があり,調査における特定の偏りが生じた可能性がある。

第2に,本調査には,生存による偏りが明らかに存在する。すなわち,寿命の中央値は,放射線量に伴い,1Gy 当たり約1.3年の割合で減少するの で,昭和33年当初の集団に比べて,本調査では,高線量に被曝した 被爆者の割合が減少していること,死亡リスクだけでなく,がんリスクも放射線量に依存し,重度の甲状腺がん患者は,早期死亡により本調査から除外された可能性があることから,本調査集団,特に高線量に被曝した被爆者には,生存による偏りがあると考えられる。

第3に, 本調査は,被爆後55年ないし58年経過した後に実施された横断調査であるため,甲状腺結節形成に対する放射線の早期の影響や,被爆後に影響が持続した期間を明らかにすることができなかった。

(中略)



(被告は)今泉論文は,甲状腺自己抗体陽性率、及び甲状腺自己抗体陽性の甲状腺機能低下症について有意な線量反応関係が認められなかったことを明らかにし,それ以前に甲状腺機能低下症と原爆放射線との関連性があることをうかがわせる調査結果を否定している,

また,山下論文は,今泉論文の正確性を是認し,長瀧論文を否定したものであると結論づけている。

しかしながら,今泉論文は,調査対象が長瀧論文の昭和59年10月から昭和62年4月までのものとは異なり,平成12年10月から平成15年2月までのものであり,今泉論文自体が,

① 以前に結節性甲状腺疾患の診断を受けた人はそれにより調査に参加する意向をもったかもしれず,調査における特定の偏りが生じた可能性がある,

② 本調査には生存による偏りが明らかに存在する,すなわち,寿命の中央値 は放射線量に伴い1Gy 当たり約1.3年の割合で減少するので,昭和33年当初の集団に比べて本調査では高線量に被曝した被爆者の割合が減少している,

③この調査は原爆被爆後55年から58年を経過した後に実施した横断調査であるため,甲状腺結節形成への放射線の早期の影響や被爆後どれくらいの期間影響が持続したのかを明らかにすることができなかった

と述べており,長瀧論文の結果を明示的に否定していない。
 したがって,今泉論文においても,甲状腺機能低下症(これを含む甲状腺疾患)の放射線との関連性を肯定する知見をすべて否定するものではないというべきである。

また,山下論文は,上記の今泉論文を根拠に,甲状腺機能低下症について甲状腺被曝線量との関連性は認められていないとするものに過ぎない。

以上からすれば,自己免疫性甲状腺機能低下症と原爆放射線との間には関連性があるとする科学的知見は,現在においても否定しきれるものではなく,関連性を有するものと解するのが相当である。






「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」(1985) 伊藤千賀子





伊藤らは,広島の原爆で爆心地から1.5㎞以内の直接被爆者6112名と,
3㎞以遠の直接被爆者3047名のTSH値を検討した結果,

甲状腺機能低下症の頻度は,

男性では,1.5㎞以内群1.22%, 対照群0.35%,
女性では,1.5㎞以内群7.08%, 対照群1.18%

であったと報告している。



また,被曝線量別にみた甲状腺機能低下症の頻度は,

男性の
1ないし99rad 群で1.03%,
200rad 以上で3.67%

であり,女性では,それぞれ

1ないし99rad 群で6.23%,
200rad 以上で7.26%

となり,被曝線量の増加とともに機能低下症が高率となった。

さらに,機能低下症の症例のマイクロゾーム抗体陽性率は,1.5㎞以内群においては,対照群に比して,男女ともいずれも著明に低率であった。






原爆症認定訴訟 2015年1月30日 大阪地裁判決(一部)甲状腺機能低下症4名、認定





イ 甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性について

(ア)原告X3の申請疾病は,前記前提となる事実のとおり,「甲状腺機能低下症」であるところ,甲状腺機能低下症は,甲状腺ホルモンの欠乏又は作用不足により易疲労感や無気力等の症状を示す病態であり,その95%は甲状腺自体の障害による原発性のものであって(血中甲状腺ホルモン(FT4,FT3)低値及び甲状腺刺激ホルモン(TSH)高値によって診断される。なお,FT4及びFT3が正常値でTSHのみ高値の場合は,潜在性甲状腺機能低下症と診断される。),その大部分は,慢性甲状腺炎を原因とする(乙A601~603)。
慢性甲状腺炎は,甲状腺における慢性炎症性の疾患であり,自己免疫性疾患の一つであって,甲状腺自己抗体(抗マイクロゾーム抗体,抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体,抗サイログロブリン抗体)陽性により診断される(乙A601~603)。

(イ)甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,

①昭和59年に受診した広島原爆の被爆者9159人における甲状腺機能低下症の頻度は,男女とも近距離被爆者群(1.5㎞以内群)が対照群(3㎞以遠群)よりも有意に高く,また,被曝線量の増加とともに高率となり,さらに,甲状腺機能低下症症例のマイクロゾーム抗体陽性率は近距離被爆者群では対照群に比して男女いずれも著明に低率であったとし,甲状腺機能低下症が被曝線量と統計上有意に相関していることを示すとともに,自己免疫性のもの以外のものも含めた甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連の可能性について指摘した伊藤千賀子らの報告(甲A161の2文献5,6),
「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」(1985)伊藤千賀子

②同年から長崎のAHS集団1745人を対象に行った甲状腺機能低下症の調査において,被爆者全体の甲状腺機能低下症の発生頻度は0ラド群と比して有意な増加が認められ,被曝線量別に見ると1~49ラド群についてのみ0ラド群に比して有意な発生頻度の増加が認められたなどとする長瀧重信・井上修二らの報告(甲A161の2文献7),

③同年から昭和62年に長崎のAHS集団1978人を対象に行った甲状腺疾患の調査において,抗体陽性特発性甲状腺機能低下症(自己免疫性甲状腺機能低下症)の有病率が0.7±0.2シーベルトで最大レベルに達する,上に凸の線量反応を示したとする長瀧論文(甲161の2文献3。
「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」長瀧重信、柴田義貞、井上修二

なお,長瀧論文は,マーシャル諸島の核実験で被爆した子どもに10年以内に甲状腺機能低下症が認められたこと,マーシャル諸島の住民の甲状腺被曝は主として内部放射線によるものであったこと,その甲状腺機能低下症の多くは自己免疫性甲状腺機能低下症ではなかったことも指摘している。),

④甲状腺疾患(非中毒性甲状腺腫結節,び慢性甲状腺腫,甲状腺中毒症,慢性リンパ球性甲状腺炎,甲状腺機能低下症のうち一つ以上が存在する疾患)と被曝線量との関係を解析すると有意な正の線量反応が見られ(1グレイ当たりの相対リスク1.30,P値<0.0001,95%信頼区間1.16~1.47),特に若年で被爆した人でリスクの増加が見られるとするAHS第7報(甲A161の2文献9),

⑤甲状腺疾患における1シーベルト当たりの相対リスクは1.33(P値<0.0001,95%信頼区間1.19~1.49)であり,リスクは20歳未満で被爆した者で顕著に増大したとするAHS第8報(甲A161の2文献12)のほか,

⑥甲状腺炎自然発症マウス NOD-H2h4 において,0.5グレイ単独放射線全身照射により甲状腺自己免疫(甲状腺炎と抗サイログロブリン抗体価)が有意に増悪したとする永山雄二らの報告(甲A272)等の知見があることが認められる。

(ウ)以上のとおり,甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と低線量を含めた放射線被曝との関連性を肯定する疫学的知見が存在していること等に照らすと,甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるというべきである。

(エ)この点,被告は,
①長瀧論文は,自己免疫性甲状腺機能低下症について,上に凸の線量反応関係を示したとしており,これは線量と有病率との正の相関関係を示す一般的な統計学的モデル(直線線形モデル,二次曲線モデル)とはいえないところ,このような線量反応関係が示されたことについて何ら理論的な説明がされていない,

②AHS第7報及び第8報は,いずれも,甲状腺疾患全体を対象としたものであり,特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響について評価したものではないから,これらに依拠して甲状腺機能低下症と放射線との関連があるということはできない,

③長瀧論文の結論については,その再現性を検証するために平成12年から平成15年にかけて広島及び長崎のAHS集団3185人を対象に行われた甲状腺疾患の調査の結果,甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症も同抗体陰性甲状腺機能低下症も線量に関連していなかったとする今泉美彩らの論文
「被爆55-58年後の広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺結節と自己免疫性甲状腺疾患の放射線量反応関係」(2006)今泉美彩

によって再現性が認められておらず,今泉論文等を踏まえて,甲状腺自己抗体陽性率及び甲状腺機能低下症一般について被曝線量との関連性は認められていないとする山下俊一論文(乙A610)や,原爆被爆者のこれまでの研究では甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎のいずれについても甲状腺被曝線量との有意な関係は認められていないなどとする「原爆放射線の人体影響改訂第2版」の「要約」(乙A614)等もある上,放射線の影響に関する世界的権威であるUNSCEARの報告書(乙A616)も,原爆被爆者の調査結果を含め,放射線被曝と自己免疫性甲状腺炎(慢性甲状腺炎)の間に関係は見いだせないと結論付けているのであって,長瀧論文等のみから,低線量の放射線被曝により甲状腺機能低下症が発症するという結論を導くことは,明らかに科学的経験則に反するものであり,許されないと主張する。

しかしながら,上記①の点については,高線量の被曝をして甲状腺機能低下症を発症すべき者が早期に死亡するなどしたために調査対象に含まれなかった可能性を否定できない上,具体的な機序が未解明であるからといって,このような線量反応関係が直ちに不自然であり,低線量域における線量反応関係を認めた調査結果が不合理であると断ずることもできない。

また,上記②の点については,AHS第7報及びAHS第8報が甲状腺疾患全体の線量反応関係を検討したものであり,甲状腺機能低下症のみについて解析をした場合に異なる結果が出る余地があることは否定できないが,これらの報告は,低線量の放射線被曝が甲状腺に対して一定の傷害作用を有することを示唆するものということができ,その限りにおいては,甲状腺機能低下症と低線量の放射線被曝との関連性を検討する上でも意味を持つというべきである。

さらに,上記③の点については,今泉論文は,それ自体,長瀧論文の調査結果との違いについて,「時間の経過に伴い対象者の線量分布が変化したこと(死亡およびがんのリスクは放射線量に依存するため)」等に起因するかもしれないとしており,上記調査結果を積極的に否定するものではないのであって,甲状腺機能低下症及び慢性甲状腺炎と低線量の放射線被曝との関係を認める長瀧論文等の知見が,今泉論文によって科学的に完全に否定されたとまではいうことができない。
【参照】今泉論文についての指摘(千葉地裁判決文)

そして,このことは,今泉論文を引用する山下論文及び「原爆放射線の人体影響改訂第2版」や,UNSCEARの報告書についても同様である。
そうすると,今泉論文等があるからといって,訴訟上,上記(ウ)のような結論を導くことが直ちに許されなくなるものではないというべきである。

よって,被告の上記各主張は,いずれも採用することができない。





 エ まとめ

 以上のとおり,原告X3は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X3が,被爆当時12歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X3が,甲状腺機能低下症を発症した当時,相当に高齢であったことを考慮しても,原告X3の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X3申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。


以上のとおり,原告X4は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X4が,被爆当時6歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X4が,女性であり,甲状腺機能低下症を発症した当時,比較的高齢であったことを考慮しても,原告X4の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X4申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。


以上のとおり,原告X5は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,自己免疫性でないものを含む甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X5が,被爆当時5歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X5が,女性であり,甲状腺機能低下症を発症した当時,比較的高齢であったことを考慮しても,原告X5の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X5申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。


以上のとおり,原告X7は健康に影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したものと認められるところ,自己免疫性でないものを含む甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,低線量域も含めて,一般的に肯定することができるのであって,原告X7が,被爆当時2歳と若年であり,放射線に対する感受性が比較的高かったといえること等をも考慮すれば,原告X7が,女性であり,甲状腺機能低下症を発症した当時,比較的高齢であったことを考慮しても,原告X7の甲状腺機能低下症は,原爆放射線に被曝したことによって発症したものと見るのが合理的であるといえる。
よって,本件X7申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性が認められる。