2017年11月2日木曜日

ルーズベルト夫人、ABCCに「憤慨」 治療棟新設の経緯判明



2017/8/4(中国新聞)
【ロサンゼルス共同】


広島への原爆投下から約8年後の1953年6月、米国が広島に設けた原爆傷害調査委員会(ABCC)を視察したエレノア・ルーズベルト元大統領夫人が、被爆者が研究対象にされるだけで治療されていないことを批判、それを受けてABCCに治療棟が新設された経緯が分かった。

 米作家ジェシカ・レンショーさん(73)が、父親でABCCの研究員だった人類学者アール・レイノルズ博士(故人)の証言として、3日までに明らかにした。「研究すれども治療せず」と批判されたABCCの治療棟設置に、元大統領夫人が大きな役割を果たしたことをうかがわせている。

 夫人の視察に同行したレイノルズ博士によると、被爆者が治療も受けられないまま研究対象にされている実態を目にした夫人は「非常に憤慨」し「被爆者はモルモットのように感じているのに、拒否するすべも知らない」と語った。夫人の批判を受けてABCC内で話し合いが持たれ、半年後に治療棟が設けられることになったという。

 ABCCを前身とし、被爆者の健康調査に日米共同で取り組む放射線影響研究所(放影研)によると、治療棟は53年12月~72年5月に設置、最大で13床だった。

 放影研に残る日本人医師や看護師の証言記録によると、日本の医師免許がなかった米国人医師は法的には治療ができなかったが、日本人医師と相談しながら治療方針を決めた。日本では手に入らなかった医薬品を使い、24時間体制で治療に当たることもあったという。







2017年11月1日水曜日

米、日本への核配備狙う 50年代、公文書に明記

 
2011年8月4日(共同通信)

米政府が、日本への原子力技術協力に乗り出した1950年代半ば、原子力の平和利用促進によって日本国民の反核感情を和らげた上で最終的には日本本土への核兵器配備にこぎ着ける政策を立案していたことが4日、米公文書から分かった。

 米公文書は、当面は核兵器配備に触れずに「平和利用」を強調することで、米核戦略に対する被爆国の「心理的な障壁」を打破できると指摘。米国の原子力協力は54年3月の第五福竜丸事件を機に本格化したが、米側に「日本への核配備」という隠れた思惑があった実態が浮かび上がった。

 日米史研究家の新原昭治氏が米国立公文書館で関連文書を入手した。

 フーバー国務長官代行は55年11月18日付のロバートソン国防副長官宛て極秘書簡で、米統合参謀本部が核兵器を日本に配備する必要があると判断した経緯を記載。

 「平和利用」への理解が深まれば「軍事的な原子力計画」への理解も進み、日本人の「心理的な障壁」を弱められるとの国防副長官の指摘を受け、米核政策への「好意的な理解」を日本の指導層に広めるため国務省と国防総省が「共同研究」を進めることに賛同した。

 またスミス国務長官特別補佐官は、56年12月3日付のグレイ国防次官補への極秘書簡で「日本での核兵器貯蔵に対する政治的障害を減らす方策」が、アリソン駐日大使とレムニッツアー極東軍司令官の間で議論される見通しを説明。この問題で対日交渉を急ぐのは「危険」とした上で、当面は日米間の原子力協力に専念することで「米国にとって最善の結果」が得られるとの見方を示した。

 他の公文書によると、米軍内では54年から日本への核配備を求める声が強まるが、国務省が第五福竜丸事件後の日本の対米感情悪化を踏まえ反対。米軍部は核分裂物質を含む核兵器の中核部分「核コンポーネント」の配備を目指すが、核分裂物質を含まない「非核コンポーネント」が54年末ごろに日本に搬入された。軍部は以降も日本への核配備を模索したが、最終的に実現しなかった。



2017年10月22日日曜日

畑元司令官らA級戦犯の色紙


中国新聞(2010年4月24日)

戦犯10人から広島の被爆者へ色紙 巣鴨慰問後に贈られる 


原爆投下から7年後の1952年、広島で被爆した女性9人が巣鴨プリズン(東京)を慰問した後、A級戦犯10人から寄せ書きの色紙を贈られ、うち1枚が笹森恵子さん(77)=米国在住=の広島市内の実家に残されていたことが24日、分かった。

笹森さんは戦犯について「組織の中で行動した人たちで、わたしたちと同じ戦争の犠牲者。恨むつもりはない。戦争さえなかったら、と思う。ただ戦争が起こらない方法をもっと考えてほしかった」と話している。


色紙は上に「容敬(ようけい)」、両脇に「巣鴨御来訪記念」「新本(にいもと)(笹森さんの旧姓)恵子様」と書かれ、下に「木戸幸一」「賀屋興宣」「荒木貞夫」など10人の氏名が並ぶ。


広島大の富永一登教授(中国文学)によると「容敬」は「態度をうやうやしくする」「身を慎む」という意味。


広島市の原爆資料館に保存されている、慰問の半年後に発行された記念誌によると、笹森さんらはケロイドなどの治療のため東京を訪れていた52年6月11日、巣鴨プリズンに行き約2時間面会。寄せ書きは後日、手紙と共に届いた。


A級戦犯との面会で、広島市出身の賀屋元蔵相は「皆さんに心からお許しを願います」と話し、陸軍第2総軍(広島市)の司令官だった畑俊六元大将も「当時最高指揮官として広島におりましたが、そのためにこんな迷惑を掛けてすみません」と語り掛けた。


被爆者側は「わたしたちは、そんなに謝っていただくためにうかがったのではないのです。今後、戦争の起こらないよう平和に向かって努めましょう」と答えた。


当時、巣鴨へは演劇、歌手、スポーツなど各界の関係者が頻繁に慰問に訪れていた。
笹森さんは55年、ケロイド治療のため訪米。帰国後、看護師になるため再び米国に渡り、現在はロサンゼルス近郊に在住。このほど一時帰国し、額に入っていた色紙を持ち帰った。





中国新聞夕刊(3面) 2010年4月24日 

被爆女性戦犯慰問 
「なぜ計画」疑問の声 演奏・花束で迎えられる

顔や手にケロイドが残る被爆者の女性たちが巣鴨プリズンを訪れたのは、サンフランシスコ条約発効(1952年4月)で、日本が独立を回復してから1カ月半後。国民の間には同情感もあり、戦犯の釈放を求める声が高まっていた時期だった。

戦犯側は慰問を歓迎したが、「どんな意図で計画されたのか」と疑問の声も出ていた。(1面関連)

慰問の半年後に発行された記念誌によると、面会は楠瀬常猪元広島県知事が提案。笹森恵子(しげこ)さんらは、楽団の演奏や花束、手作りの記念品で迎えられた。BC級戦犯も含め約40人が手記を寄せ「この日の感激を一生の思い出として、平和日本建設にまい進する」などの言葉が並ぶ。


一方、被爆の悲惨さを訴えるため、「原爆1号」と名乗ったことで知られ、慰問にも同行した吉川清氏は著書に「どこかで、戦争と国民とを和解させ、原爆と被爆者とを仲直りさせようという工作がひそかに行われているように感じた」と記した。


上京に協力した小説家芹沢光治良氏も、直後の月刊誌への寄稿で「乙女の純情をこんな風に利用していいものか、怖ろしい気がした」「治療に必要でない場所に引張りまわすのは、残酷で無神経」と指摘した。





2017年10月2日月曜日

(答申書)原爆被爆者対策基本問題懇談会議事録の一部開示決定に関する件

諮問庁:厚生労働大臣
諮問日:平成24年 9月 6日(平成24年(行情)諮問第359号)
答申日:平成25年10月 3日(平成25年度(行情)答申第211号)
事件名:原爆被爆者対策基本問題懇談会議事録の一部開示決定に関する件

答 申 書

第1審査会の結論
原爆被爆者対策基本問題懇談会議事録(第1回ないし第10回,第12回及び第13回)(以下「本件対象文書」という。)につき,その一部を不開示とした決定については,諮問庁がなお不開示とすべきとしている部分のうち,別紙2,別紙3及び別紙4に掲げる部分を開示すべきである。

第2異議申立人の主張の要旨
1異議申立ての趣旨
本件異議申立ての趣旨は,行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「法」という。)3条の規定に基づく本件開示請求に対し,平成23年10月26日付け厚生労働省発健1026第3号により厚生労働大臣(以下「処分庁」又は「諮問庁」という。)が行った本件対象文書の一部開示決定(以下「原処分」という。)について,取消しを求めるというものである。

2異議申立ての理由
異議申立人の主張する異議申立ての理由の要旨は,以下のとおりである。
(1)異議申立書の記載
原処分は,次の理由により違法である。
政府は,平成17年8月3日,各府省の担当者で構成された情報公開に関する連絡会議において,「懇談会等行政運営上の会合における発言者の氏名について」と題する申し合わせを行い,これらの会合の議事録等における発言者の氏名は,特段の理由がない限り,公務員か否かを問わず公開することとされた。
実際に,例えば財務省所管の国有財産中央審議会議事録(第1回ないし第67回)においては,発言者氏名も含めて開示されている。
本件において処分庁が述べる不開示理由は,抽象的一般論にすぎず,特段の理由には当たらない。

(2)意見書の記載
諮問までの経過について
諮問庁が,諮問まで9か月近くを要したことは異常である。理由説明の内容に照らして,長期間の検討が必要であったとは到底思われない。故意に日時を費やした可能性さえ疑われる。

諮問庁の理由説明の不当性について
(ア)現在の施策への影響等について
諮問庁の理由説明は,結局,懇談会がいかに問題のある審議内容であったかを,当の諮問庁が,るる指摘することに終始している。
諮問庁は,発言者氏名が明らかになった場合,現在の被爆者援護施策への誤解や不信感を招く可能性がある,その審議内容が問題視される可能性が大きい,氏名の開示を機に更なる追及が考えられるといった事態が懸念されるとする。
しかし,これは,本末転倒の懸念と言うべきである。そうしたことは,国民がその内容を逐一吟味した後であり得るかもしれないことであって,発言者と発言内容を唯一知っている諮問庁が,そうした可能性にわざわざ言及するということは,問題視され,追及され,誤解や不信感を招いてもやむを得ない内容であることを,自ら告白しているに等しい。
仮に諮問庁が説明するとおり,相当の問題がある審議内容であったとすれば,現在も被爆者対策の基本と諮問庁が位置付ける重要な懇談会報告書が,瑕疵ある審議を積み重ねて作られたこととなり,そういうことが放置されている現状は,著しく公益に反する事態であると言わなければならない。
また,当時,そうした誤った審議を,諮問庁は,事務方として少なくとも補佐又は主導したのかもしれず,発言者氏名を含む本件対象文書を精査することは,行政が適正に執行されていたかを検証するため必要であり,公益にかなうものである。

(イ)懇談会委員のプライバシーについて
結局,諮問庁は,氏名等の開示によるプライバシーの侵害に比べて,開示で得られる利益が上回るとは考え難いと主張しているようである。
言うまでもなく,委員は重い責任を負っている。当時,7人の委員は,原爆被爆者への援護策をどうするか,被爆者の健康,生活,ひいては喫緊の生死に直接関わってくる意見の取りまとめを求められていた。結果,その意見を取りまとめた報告書が,その後の原爆被爆者対策の基本として取り扱われてきた。
したがって,その重要性に鑑みれば,上記(ア)で指摘したとおり,諮問庁が言うところの審議内容に問題があったのだとすれば,発言者氏名を含む発言内容と審議経過を逐一検証することが,公益にかなうと言うべきである。むしろ,発言者氏名が明らかになることで,事実誤認や無用な誤解や不信感が減じると言うべきである。
また,諮問庁が,発言者が不明でも検討内容を検証できるとする説明は空論である。
当該発言を誰がしたかは,極めて重要な情報である。7人の委員の各発言は,それぞれの学識にとどまらず,人生体験はもとより,人生観,価値観といった全人格を背景にして発せられている。各発言内容は,委員個人の人格と密接不可分なのであるから,発言者が明示されることで,はじめて各発言がなされた背景,思想,真意も理解できるのである。
したがって,発言内容に対応する発言者氏名が明示されて,はじめて懇談会の検討内容を検証することが可能となる。そして,無用な誤解や事実誤認も避けられるのである。
以上のとおり,本件対象文書の不開示部分についての諮問庁の理由説明は失当であり,開示すべきである。

第3諮問庁の説明の要旨
1諮問庁の考え方
本件対象文書について,原処分においては,法5条1号及び5号に該当する情報を含むとして一部開示としたが,諮問庁としては,原処分の一部を変更し,不開示とした部分のうち,会議の冒頭及び終了時における発言者の氏名で,個人的見解や議論の内容に関連しない部分については開示することとし,その余の部分については,不開示を維持すべきと考える。

2理由
(1)原爆被爆者対策基本問題懇談会について
原爆被爆者対策基本問題懇談会(以下「懇談会」という。)は,昭和54年1月29日付けの社会保障制度審議会の答申の趣旨に則り,原爆被爆に関する問題についての基本理念を明らかにするとともに,被爆者対策における制度の基本的なあり方について検討することを目的とした厚生大臣の私的諮問機関である。

(2)本件対象文書について
懇談会議事録は,懇談会が,昭和54年6月に厚生大臣の依嘱を受け,昭和54年6月以降14回にわたり,非公開で慎重に審議を重ねた議論の経過が記載されているものである。

(3)不開示情報該当性について
原処分において不開示とした部分は,個人の氏名及び職歴,著者名並びに発言者の氏名である。
個人の氏名及び職歴並びに著者名については,個人に関する情報であって,特定の個人を識別することができる情報であり,法5条1号に該当し,同号ただし書イないしハのいずれにも該当しない。
氏名等の取扱について,まず,懇談会の議事が非公開であることを前提に,懇談会委員が個人的な見解を率直に発言した内容となっているところ,これは,原爆被爆者対策が政治的,社会的に大きな関心を呼んでおり,戦後処理を巡る様々な動向にも大きな影響を及ぼすことから,非公開としたものである。
特に,懇談会では,「国家補償」,「被爆地域拡大」など原爆被爆者対策における基本的政策に関わる内容を取り扱っており,影響が非常に大きいことから,そのような状況の中で,出来るだけ外部からの様々な影響(政治的も含む)を排除して,委員による自由闊達な議論を行い,国の政策判断を遂行する基礎として,適正な報告を出してもらうよう依頼した。その後,懇談会報告書の趣旨を元に被爆者援護施策の拡充を行い,原爆被爆者対策の基本として取り扱ってきたところであるが,現在においても原爆症の認定制度の見直しが求められるなど,被爆者援護施策に対する厳しい要望が続いており,30年を経過した現在においても,懇談会報告書の重要性が増している状況である。
特に,被爆地域拡大要望については,広島,長崎とも活発であるが,国側の対応の拠り所が懇談会報告書であり(「科学的・合理的な根拠のある地域に限定して行うべき」),今後とも一貫した対応を行う上で大変重要な内容となっている。
一方,被爆者団体などからは,国の審議会委員などが「被爆者対策の専門家」でないことをもって,被爆者の現状を反映していないとして,その内容を批判することがある。懇談会委員も,法律などの専門家で構成していたが,被爆者の現状については全ての委員が必ずしも熟知しておらず,懇談会の議論部分での氏名が公開されることで,発言者個人への批判を含めた具体的な指摘を通して,その審議内容が問題視される可能性が大きい。
また,政治的な内容を含む発言もあるため,発言者が明らかになることで,基本的施策の在り方に関する誤解や不信感が増幅する可能性がある(平成22年8月1日付け東京新聞朝刊では,懇談会での委員の発言内容が批判的に引用されており,氏名の開示を機に更なる追及が考えられる)。
さらに,発言者の意図した内容と異なる取り上げられ方をすることで,懇談会の審議や報告の内容が問題視される可能性があり,結果的に,現在の被爆者援護施策への誤解や不信感を招く可能性がある。
また,懇談会における各委員の発言には,誤解,偏見,差別等を含む内容が含まれており,開示することで委員(故人)及び遺族等への誹謗中傷につながり,弁明の機会もないことから,結果的にその名誉が傷つけられる可能性がある。
さらに,各委員の当時の職責から,一部を除いて他の機会で原爆被爆者対策に関する同様の意見を表明する場は皆無であり,原爆被爆者援護策という特別な性格をもつ内容での見解は,通常とは一線を画すべきである。
したがって,原爆被爆者対策に関係のない委員が,何らかの公職についていることをもって,慣行上氏名を開示すべきとするのは適当でなく,また,原爆被爆者施策に関わる委員のみの氏名を開示することも,委員間の公平の観点及び審議事項の重要性から,適当でない。
さらに,懇談会の議事内容自体は開示されており,情報公開の目的が,行政施策での検討内容の検証を行うものだとすれば,その趣旨は既に達成されており,氏名等の開示によるプライバシーの侵害に比べて,開示で得られる利益が上回るとは考え難く,比較考量の点からも開示すべきでない。
なお,議論部分での委員氏名を一部でも開示することは,その他の発言部分にも引用又は類推を通して確認される可能性は否定できず,結果的に,氏名を全面開示することと同様の結果を招来する可能性があり,開示すべきでない。
また,委員の発言中で引用されている他者の氏名等についても,当人の承諾なしに取り上げられており,当人の評価等につながる内容が含まれていることから,開示すべきでない。
また,懇談会では,外部の関係者からヒアリングを行っている(第5回及び第8回)ところ,ヒアリング参加者についても非公開を前提として実施しているものであり,発言者のほとんどが既に故人であり,氏名開示の了解を統一的に取れないことから,不開示とすべきである。
以上のように,仮に開示がされれば,懇談会への批判等を通して,今後の行政への影響は避けられず,かつ,発言者の評価をおとしめ,遺族の私的領域に係る利益(プライバシー)が侵害されるおそれがあることから,意思決定の中立性を不当に損ない,かつ,発言者等に不利益を及ぼし,特定の者に不当に利益を与え若しくは不利益を及ぼすおそれがある情報であり,法5条5号にも該当し,これらの情報が記録されている部分を不開示とすべきである。
なお,会議の冒頭及び終了時における,議事進行に関する発言者の氏名について,個人的見解や議論の内容に関連しない部分であれば,開示することに問題はないと考える。

3結論
以上のとおり,原処分で不開示とした部分のうち,会議の冒頭及び終了時における発言部分で,個人的見解や議論の内容に関連しない部分を除いて,不開示を維持すべきである。

第4調査審議の経過
当審査会は,本件諮問事件について,以下のとおり,調査審議を行った。
平成24年9月6日諮問の受理
同日諮問庁から理由説明書を収受
同年10月12日審議
同日異議申立人から意見書を収受
平成25年8月2日委員の交代に伴う所要の手続の実施及び審議
同年9月3日本件対象文書の見分及び審議
同年10月1日審議

第5審査会の判断の理由
1本件対象文書について
本件対象文書は,昭和54年6月から昭和55年12月まで開催された懇談会の議事録(以下「議事録」という。)のうち,第1回ないし第10回,第12回及び第13回に係るものであり,その記載内容は,上記第3の2において諮問庁が説明するとおりである。
諮問庁説明によれば,当時,懇談会は14回開催されたとのことであり,当審査会において事務局職員をして諮問庁に確認させたところによれば,第11回及び第14回に係る議事録については,厚生労働省内の書庫,事務室等を探索したものの,それらの存在を確認できなかったとのことである。
処分庁は,本件対象文書のうち,法5条1号に該当するとした特定個人の所属,姓,氏名及び敬称(以下「特定個人の氏名等」という。)並びに同条1号及び5号に該当するとした発言者の姓,氏名及び敬称(以下「発言者の氏名等」という。)を不開示として,発言内容を含むその余の部分は開示し,本件対象文書として特定していない議事録は,これを保有していないとする原処分を行った。
異議申立人は,第11回及び第14回に係る議事録の不存在を争わず,本件対象文書の全部開示を求めている。
諮問庁は,発言者の氏名等の一部を開示することとするが,その余の部分は,いずれも法5条1号及び5号に該当するとして,なお不開示とすべきとしているので,以下,本件対象文書の見分結果を踏まえ,諮問庁がなお不開示とすべきとしている部分(以下「本件不開示部分」という。)の不開示情報該当性について検討する。

2本件不開示部分の不開示情報該当性について
(1)別紙1及び別紙4に掲げる特定個人の氏名等
法5条1号該当性について
(ア)特定個人C,同O,同R,同S,同T,同U,同V,同Y及び同Zの氏名等
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,当該部分について,法令の規定により又は慣行として公にされ,又は公にすることが予定されている情報とは言えないことから,法5条1号ただし書イに該当せず,同号ただし書ロ及びハに該当する事情も認められない。
次に,法6条2項による部分開示の可否を検討すると,当該個人の姓及び氏名は,個人識別部分に該当し,部分開示の余地がなく,法5条5号について判断するまでもない。
しかしながら,別紙4に掲げる敬称については,開示したとしても,個人を特定する手掛かりとなるとは言えないことから,当該個人の権利利益を害するおそれがないと認められる。

(イ)特定個人H,同I及び同eの氏名等
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,当該個人は,いずれも,当時又は懇談会開催時の国家公務員であるものの,原処分において開示されている発言内容によれば,職務を遂行した国家公務員の姓ではなく,原爆投下地における自らの被爆等に関する体験を語り伝えた者の姓として,引用又は言及されていることが認められる。
そうすると,このような私的な体験を語り伝えた当該個人の姓が,法令の規定により又は慣行として公にされ,又は公にすることが予定されている情報とは言えないことから,法5条1号ただし書イに該当せず,同号ただし書ロ及びハに該当する事情も認められない。
次に,法6条2項による部分開示の可否を検討すると,当該個人の姓は,個人識別部分に該当し,部分開示の余地がなく,法5条5号について判断するまでもない。
しかしながら,別紙4に掲げる敬称については,開示したとしても,個人を特定する手掛かりとなるとは言えないことから,当該個人の権利利益を害するおそれがないと認められる。

(ウ)特定委員α及び同βの氏名等
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,当該個人は,後述する懇談会委員であるものの,原処分において開示されている発言内容によれば,健康上の理由で懇談会を欠席した委員として言及されていることが認められる。
そうすると,このような私的な事情を言及された当該個人の姓が,法令の規定により又は慣行として公にされ,又は公にすることが予定されている情報とは言えないことから,法5条1号ただし書イに該当せず,同号ただし書ロ及びハに該当する事情も認められない。
次に,法6条2項による部分開示の可否を検討すると,当該個人の姓は,個人識別部分に該当し,部分開示の余地がなく,法5条5号について判断するまでもない。
しかしながら,別紙4に掲げる敬称については,開示したとしても,個人を特定する手掛かりとなるとは言えないことから,当該個人の権利利益を害するおそれがないと認められる。

法5条5号該当性について
次に,別紙4に掲げる敬称の法5条5号該当性について検討すると,開示することによって,将来同種の懇談会等において,外部からの圧力や干渉等の影響を受けることなどにより,率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれがあるとは認められず,当該部分を開示すべきである。

(2)別紙2及び別紙4に掲げる特定個人の氏名等
法5条1号該当性について
(ア)特定個人A,同D,同E,同F,同J,同K,同L,同N,同a,同g,同h,同j及び同kの氏名等
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,原処分において開示されている発言内容には,当該個人の調査・研究活動又は言論・著作活動のあらましが述べられており,公に刊行されている当該個人の著作物及び公開されているインターネット・ホームページ上の当該個人の調査・研究成果を照合することにより,当該個人の所属,姓,氏名及び敬称は,慣行として公にされている情報であると認められ,法5条1号ただし書イに該当する。

(イ)特定個人b,同c及び同iの氏名等
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,原処分において開示されている発言内容及び公開されているインターネット・ホームページ情報において,発言内容中の当該個人の研究活動が,国の科学研究費補助により行われたことが確認できる。
国の科学研究費補助により行われた研究成果がその研究者名とともに慣行として公表されている現時点においては,当該個人の氏名等は,慣行として公にすることが予定されている情報であると言うべきであり,法5条1号ただし書イに該当する。

(ウ)特定個人B,同G,同M及び同Qの氏名等
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,当該個人は,原処分において開示されている発言内容及び公開されているインターネット・ホームページ情報において,当時又は懇談会開催時の国家公務員であることが確認できる。
平成17年8月3日情報公開に関する連絡会議申合せにより,職務遂行に係る情報に含まれる公務員の氏名は,原則として,公にするものとされていることから,当該個人の姓,氏名及び敬称は,法令の規定により又は慣行として公にされ,又は公にすることが予定されている情報であり,法5条1号ただし書イに該当する。

(エ)特定個人P,同f及び同lの氏名等
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,当該個人は,原処分において開示されている発言内容において,当時又は懇談会開催時の国会議員であることが確認できる。
職務を遂行した国会議員の姓,氏名及び敬称については,国会議員の地位が極めて公共性の高いものであることにかんがみると,法令の規定により又は慣行として公にされ,又は公にすることが予定されている情報であり,法5条1号ただし書イに該当する。

(オ)特定個人W,同X及び同dの姓及び氏名
当該部分は,法5条1号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,当該部分は,特定訴訟事件における原告の姓及び氏名であるところ,原処分において開示された部分に,当該訴訟の概要が,当該個人の姓及び氏名が冠された事件名とともに記載されていることが認められる。
よって,当該個人の姓及び氏名は,法5条1号ただし書イに該当する。

法5条5号該当性について
次に,別紙2に掲げる特定個人の所属,姓及び氏名並びに別紙4に掲げる敬称の法5条5号該当性について検討すると,開示することによって,将来同種の懇談会等において,外部からの圧力や干渉等の影響を受けることなどにより,率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれがあるとは認められず,当該部分を開示すべきである。

(3)別紙3及び別紙4に掲げる発言者の氏名等
本件不開示部分のうち,上記(1)及び(2)において判断した部分以外の別紙3及び別紙4に掲げる発言者の氏名等は,①発言者の氏名等,②発言内容中,発言者が呼びかけている相手である別の発言者の氏名等及び③発言内容中,発言者が引用又は言及している別の発言者の氏名等(別紙1の9の特定個人α及び同βの姓を除く。)である。
法5条1号該当性について
まず,当該部分の法5条1号該当性について検討すると,これらは,同号本文前段に規定する個人に関する情報であって,当該個人を識別することができるものに該当する。
そして,当該個人は,厚生大臣から委嘱され懇談会において発言した委員及び懇談会において委員に対し意見を陳述した関係者である。
これらの発言者の氏名については,「懇談会等行政運営上の会合における発言者の氏名について」(平成17年8月3日情報公開に関する連絡会議資料)において,各府省は,「懇談会等行政運営上の会合の議事録等における発言者の氏名については,特段の理由がない限り,当該発言者が公務員であるか否かを問わず公開するものであることに留意する」としている。
そうすると,別紙3に掲げる発言者の姓,氏名及び敬称は,いずれも,法令の規定により又は慣行として公にされ,又は公にすることが予定されている情報であり,法5条1号ただし書イに該当する。

法5条5号該当性について
次に,別紙3に掲げる発言者の姓及び氏名並びに別紙4に掲げる敬称の法5条5号該当性について検討すると,上記アの「懇談会等行政運営上の会合における発言者の氏名について」に基づき,現行の同種の懇談会等の議事録における発言者の氏名について,厚生労働省を含む各府省がインターネット・ホームページ上で公開することが慣行となっている現時点においては,作成及び保有から30年余を経た議事録における別紙3に掲げる発言者の姓及び氏名並びに別紙4に掲げる敬称を開示することによって,将来同種の懇談会等において,外部からの圧力や干渉等の影響を受けることなどにより,率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれがあるとは,もはや認めることができず,当該部分を開示すべきである。

3異議申立人のその他の主張について
異議申立人は,その他種々主張するが,いずれも当審査会の上記判断を左右するものではない。

4本件一部開示決定の妥当性について
以上のことから,本件対象文書につき,その一部を法5条1号及び5号に該当するとして不開示とした決定について,諮問庁がなお不開示とすべきとしている部分のうち,別紙1に掲げる部分は,同条1号に該当すると認められるので,同条5号について判断するまでもなく,不開示とすることが妥当であるが,別紙2,別紙3及び別紙4に掲げる部分は,同条1号及び5号のいずれにも該当せず,開示すべきであると判断した。

(第3部会)
委員 岡島敦子,委員 大久保規子,委員 加々美光子




別紙1
1特定個人Cの姓及び氏名
第2回議事録51頁19行目及び52頁1行目
2特定個人Hの姓
第3回議事録33頁14行目及び第8回議事録20頁左側15行目(敬称を除く。)
3特定個人Iの姓
第3回議事録37頁20行目,第8回議事録12頁右側19行目及び19頁右側8行目(敬称を除く。)
4特定個人Oの姓
第3回議事録54頁1行目
5特定個人R,同S,同T及び同Uの姓
第5回議事録29頁右側20行目
6特定個人Vの姓
第5回議事録65頁右側12行目
7特定個人Y及び同Zの姓
第6回議事録44頁右側8行目及び9行目(敬称を除く。)
8特定個人eの姓
第8回議事録19頁右側15行目
9特定個人α及び同βの姓
第8回議事録85頁左側15行目及び右側5行目(敬称を除く。)




別紙2
1特定個人Aの氏名
第2回議事録38頁5行目及び6行目
2特定個人Bの氏名
第2回議事録50頁14行目
3特定個人Dの姓
第2回議事録64頁8行目,第3回議事録39頁18行目,第9回議事録14頁右側1行目及び第10回議事録34頁右側1行目
4特定個人Eの姓
第3回議事録12頁2行目及び20頁16行目並びに第12回議事録27頁右側20行目及び33頁左側6行目2人目
5特定個人Fの姓
第3回議事録18頁3行目及び36頁4行目
6特定個人Gの姓
第3回議事録22頁10行目
7特定個人Jの所属及び姓
第3回議事録39頁18行目及び19行目
8特定個人Kの姓
第3回議事録41頁12行目,42頁1行目及び44頁13行目並びに第6回議事録6頁左側6行目
9特定個人Lの姓
第3回議事録41頁12行目及び44頁12行目
10特定個人Mの氏名
第3回議事録53頁6行目及び7行目
11特定個人Nの姓
第3回議事録53頁12行目
12特定個人Pの姓
第4回議事録52頁16行目並びに第13回議事録20頁左側18行目及び右側1行目
13特定個人Qの姓
第4回議事録72頁5行目
14特定個人Wの氏名
第6回議事録9頁右側10行目及び18頁右側3行目並びに第7回議事録18頁右側15行目
15特定個人Xの姓
第6回議事録18頁左側8行目
16特定個人aの姓
第6回議事録48頁右側1行目
17特定個人b及び同cの氏名
第8回議事録3頁右側6行目
18特定個人dの姓
第8回議事録15頁左側5行目
19特定個人fの氏名
第8回議事録25頁右側10行目及び11行目
20特定個人gの姓
第8回議事録80頁左側13行目
21特定個人hの姓
第9回議事録37頁左側10行目及び右側1行目
22特定個人iの姓
第10回議事録9頁左側11行目
23特定個人jの姓及び氏名
第10回議事録14頁左側1行目及び2行目
24特定個人kの姓
第12回議事録33頁左側6行目3人目
25特定個人lの氏名
第13回議事録3頁左側15行目及び13頁左側7行目




別紙3
1発言者の姓及び氏名
2発言内容中,発言者が呼びかけている相手である別の発言者の姓及び氏名
3発言内容中,発言者が引用又は言及している別の発言者の姓及び氏名(別紙1の9の特定個人α及び同βの姓を除く。)




別紙4
姓及び氏名に敬称が付記されている者の敬称の全て

2017年9月25日月曜日

黒い雨:放影研データ 11万3000人分保有判明  広島


◇公表し影響再検討を--長崎県保険医協会副会長・本田孝也さん(55)


長崎県保険医協会副会長の本田孝也医師(55)の調査で、黒い雨を浴びた人に急性症状が高率に見られたとする報告書「オークリッジレポート」の存在が明るみになった。放射線影響研究所(南区)が、黒い雨に遭ったと回答した約1万3000人のデータを保有していることも判明した。黒い雨を巡っては、広島市などが援護対象区域を現行の約6倍に拡大するよう要望し、国の有識者検討会が議論している。資料の意義について、本田医師に聞いた。【樋口岳大】
--放影研が保有している1万3000人のデータの価値は。
◆黒い雨による低線量被ばく、内部被ばくの影響を知る上で、極めて有用だ。長崎県保険医協会はこのうち、長崎の約800人がどこで黒い雨に遭遇したかを記した放影研の資料を入手し、分布図を作成した。これは長崎の黒い雨の雨域を塗り替えるものになった。広島の分布図も、放影研がデータを公開すれば作成できる。
基本標本質問票(MSQ)には、下痢や発熱など急性症状のデータもある。より詳細な遮蔽調査では、いつ、どこで、どんな種類の雨に、どのくらいの間遭遇したかを聞き取っている。現在、広島の黒い雨の影響について国が設置した有識者検討会で議論されている。放影研は一刻も早くデータを公表し、この会議を始めとする中立的な専門家が入った場できちんと検討すべきだ。
--なぜこれまで公表されなかったのか。
◆私も強い疑問を感じる。放影研は「03年頃からコンピューターに入力を始め、最近終わった」と説明するが、なぜ、それまで作業をしなかったのか。入力に7年もかかるのか。少なくとも遭遇場所の分布図の作成などは、非常に短時間でできただろう。
--オークリッジレポートについては。
◆黒い雨を浴びた群の急性症状として、発熱13・56%、下痢16・53%、血便5・51%などと報告されている。放影研は比較対照群のデータの集計方法などに問題があると説明した。しかし、比較対照群を考慮しなくても、これらの急性症状の発生率は社会的常識、医学的常識から見て十分高いと言える。
--オークリッジレポートは、放射線の人体影響の研究に活用されなかったのか。
◆レポートを作った山田氏は、原爆放射線の被ばく線量の推定方式「DS86」を作成した旧厚生省原爆放射線量研究チームの一員となった。DS86は、国が「放射性降下物などの残留放射線による人体影響はない」と主張する根拠になっている。なぜDS86の作成で、オークリッジレポートや放影研が持つ黒い雨のデータが生かされなかったのか。国は黒い雨の人体影響について再検討すべきだ。
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◇「高率で急性症状」 オークリッジレポート


本田医師は、住民が黒い雨の健康被害を訴えているのに、被爆地域外とされる長崎市・間の瀬地区(爆心地の北東約7.5キロ)の資料を集めていた今年9月、収集した文献の中から「オークリッジレポート」を見つけた。
米原爆傷害調査委員会(ABCC)の職員だった山田広明氏(86年死去)と、米オークリッジ国立研究所研究員のT.D.ジョーンズ氏が72年に作成したレポートで、これまで存在は知られていなかった。広島の爆心地から1.6キロ以遠で被爆し黒い雨を浴びた236人について、放射線の影響を分析。黒い雨を浴びた群では、発熱、下痢、脱毛などの急性症状が高率で認められたと結論付けている。
一方、ABCCは被爆者ら約12万人が対象の「寿命調査」のため、1950年代に基本標本質問票(MSQ)を作成。対象者に、放射性物質を含む雨に遭ったか▽遭遇場所▽下痢や脱毛など被ばくによる急性症状--を質問していた。
本田医師の照会に対し、ABCCの後継機関・放射線影響研究所は、MSQで「黒い雨に遭った」と回答した人が約1万3000人いると回答。長崎県保険医協会などは、放影研を所管する厚生労働相に、データの公開を求めている。


原爆被害の米調査カルテ開示、被爆者に請求呼びかけ



朝日新聞 2007年08月05日

広島県原爆被害者団体協議会と長崎原爆被災者協議会は今年秋にも、米国が原爆投下直後に広島と長崎に設立した「原爆傷害調査委員会」(ABCC)のカルテを含む受診記録の開示請求を被爆者に呼びかけることを決めた。受診記録はABCCが47〜75年に被爆者を調査・収集した資料で、少なくとも1万5000人分が保管されている。被爆時の状況の聞き取り結果をはじめ、各種の検査結果や全身写真などもある。個人の記憶に頼る部分の多かった被爆証言を裏付ける客観資料となるほか、未解明な部分の多い初期のABCCの活動実態解明にもつながるという。両団体は今後、全国組織の日本被団協にも同調を求める。

開示された資料の中にあった谷口稜曄さんの全身写真。背中のやけどの跡が痛々しい
国に原爆症と認められなかった全国の被爆者らが03年4月以降、不認定処分の取り消しを求めた集団訴訟をきっかけに、原告弁護団が「被爆から早い時期の健康状態や被爆状況がまとめられた受診記録は法的な証明力がある」と判断。開示が始まった80年から02年までの22年間で100件に満たなかった開示の動きは加速し、03〜06年は計約90件に増えた。

こうした流れの中、被爆者への行政支援がほとんどなく、原爆に関する記録や報道が規制されていた「空白の10年」(45〜55年)の生活実態について06年から調査を始めた広島県被団協も、大量に保管された受診記録の貴重さに着目。空白の10年で広島や長崎の医療機関の記録の多くが散逸してしまったことから、会員に開示請求の方法を伝えることにした。

受診記録は主に米国人医師によって作成され、広島分は47年、長崎分は48年から残されている。両市とその周辺に住む被爆者をABCCに集め、(1)被爆時の状況についての聞き取り(2)やけどなどを負った体の写真撮影(3)血液、レントゲン検査——を実施した。少なくとも計1万5000人が受診したとみられており、多くは英文で書かれている。

ABCCが収集した受診記録などの資料は一時期、軍事機密として扱われ、一部はワシントンDCの米軍病理学研究所の核シェルターに保管されていたとされる。75年、ABCCが日米共同研究機関の財団法人「放射線影響研究所」(放影研)に改組されたのを機に、資料は日本に移管され、広島、長崎両市の各研究所で保管されるようになった。

放影研で80年に始まった開示は、89年にはスムーズに開示できるよう内部規定も作られた。被爆者本人か遺族であれば開示請求できる仕組みは整ったが、記録が保管されていることや開示手続きの方法については周知されなかった。

広島県被団協は、開示によって、これまで知り得なかった自身の個人情報を会員に確認してもらうとともに、被爆62年を経て薄れる記憶を呼び覚ます材料にもしてもらいたい、と考えている。





2017年8月19日土曜日

下村盛長



○児玉委員 これは小泉大臣にもぜひ後からお答えいただきたいのですが、昨年の二月十三日未明、埼玉県のある病院で一人の被爆者が病院の関係者だけに見守られて寂しく息を引き取られました。お名前は下村盛長さん、お年は四十一歳でした。
この方は、広島市で胎齢三カ月に母親の胎内で爆心から五百メートルのところで被爆されて、被爆後両親は郷里の愛媛に帰られました。お父さんは急性の原爆症で九月に亡くなりました。
お母さんは盛長さんを翌年三月出産された後実家にお帰りになったので、盛長さんは父方の祖母に育てられました。
中学校は障害児学級を卒業された。その後上京されて、飲食店の手伝い、土木作業など転々とした生活をなさった。
二十八歳から二十九歳のときに右肩に腫瘤が出て、そしてそれが大きくなり、痛みも増して、一昨年の一月ついに右腕と右肩を切断する大手術をされました。
その後、この腫瘤は下腹部、頭部、腋下など全身各所に広がって、三月と六月と八月と十月、連続してこの腫瘍を切除するという大きな治療を受けられたわけです。その後は体力の衰えで手術もすることができず、薬も効かず、激痛に苦しまれながら昨年二月亡くなられました。死因は皮膚繊維肉腫、悪性新生物です。
この方に対して厚生省はどのような対応をなさったのか、伺いたいと思います。

○北川政府委員 下村盛長さんにつきましては、昭和六十一年の九月、原子爆弾被爆者に対する特別措置法に基づく医療特別手当の申請があり、昭和六十二年三月にこれが認められ、申請時の翌月である昭和六十一年十月から亡くなられた六十三年二月まで医療特別手当が支給されております。
また、同期間、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基づき、医療の給付が行われております。昭和六十二年四月には原子爆弾小頭症手当の申請があり、六十二年九月にこれが認められ、申請時の翌月である同年五月から亡くなられた昭和六十三年二月まで原子爆弾小頭症手当が支給をされております。
さらに、亡くなられた際には葬祭料が支給をされております。

○児玉委員 そのとおりだと思います。
下村さんは亡くなる前、入っていらっしゃった病院の近くにアパートの一室をお借りになって、そこにテレビをつけ、家具もきちんと整理をし、その部屋が非常に気に入っていらっしゃった。
激痛の中で下村さんを支えた一つの力は、病気を早く治して何とかあの部屋に帰りたい、こういうことだったようです。
その部屋には、今お話のあった昭和六十二年三月十七日付右肩皮下腫瘤に関する厚生大臣の認定書が額に入れて飾られていました。
そして、その隣に今お話のあった原爆小頭症についての認定書が同じように並べられておりました。
四十一年の生涯の中で原爆小頭症の認定を受けて暮らされたのは最後のわずか数カ月です。
厚生大臣の認定書が額に入れられて晩年の部屋に飾られていた、このことについて小泉厚生大臣はどのようにお感じか、私はぜひ大臣から伺いたいと思います。

○小泉国務大臣 原爆による被害であるということを国が正式に認めて、その医療を国の援助によって行うことができる、そういう自分の主張が認められたということに対する一つの喜びあるいは感謝の念もあったのじゃないか。
だからこそそういう額に入れてありがたく手当を受けていたのじゃないか。
同時に、希望を持って治療を受けることができたのじゃないか。しかし、現実を考えますと大変痛ましい限りだと思っております。

○児玉委員 この方のケースを聞かれたある相談員の方が、言下にそれは原爆小頭症だというアドバイスをされて、そのアドバイスが契機で認定に至りました。
私は最近その相談員の方ともお会いしましたが、大臣、額に入れられている二つの認定書は、恐らく国の援護に対する強い期待が込められていた、私はこう感ずるのでございます。
この原爆の悲惨さは、死の恐怖など人間の心理面に対して極めて深い傷跡を与えますが、同時に、昨年私の質問に対して厚生省がお答えになったこういう側面、すなわち「放射線の障害ということによって起こるがんあるいは造血臓器の障害等によって非常に慢性の経過をたどって亡くなられた、これが原爆の非常に重要な特徴である。そういう点に着目いたしまして、厚生省といたしましては、いわゆる原爆二法というものをもってこれらの被爆者の方々に対しての健康上からの対策を従来とってまいったわけでございます。」北川局長の私に対する答えです。
そうであれば、放射線の障害が非常に慢性の経過を経て死亡する、先ほどの下村さんはその最も痛ましい典型だと思います。
こういう死没者について国として何らかの補償が講じられるべきだと思いますが、いかがですか。

○北川政府委員 個々の事例について考えますと、今先生が御指摘のように大変深刻な問題がある、非常にお気の毒であるというふうには考えます。
そういった意味から、現在の原爆二法は、その対象者、患者さんの置かれた実態に即して医療の確保を図る、あるいはその医療の周辺で必要な費用を負担をする、さらには不幸にして死の転帰をたどられた場合については葬祭料を支給するというような形で、人の健康あるいは医療ということに着目して施策を行っておるわけでございまして、それ以上の弔慰ということについて、厚生省としては、今後お金を支払うというようなことまでは現段階では考えられないというふうに思っておるわけでございます。

○児玉委員 何らかの原因で疾病障害を持つに至った場合、健康上の対策を当然国としては講ずることになる。不幸にして亡くなられた場合、弔慰金、一時金、年金。私は弔慰金というふうに限定しているのではないのです。
亡くなった方に対する何らかの補償、後ほど私たちが提出いたします修正案の中では遺族に対する一時金、年金のことを明確に述べておりますが、そういったものについて措置を講ず、日本に現存する諸制度ではそうなっています。
生前の段階における健康手当、健康上の諸対策、亡くなられた場合の弔慰金、一時金、年金、新しいことを言っているのじゃなくて、さまざまな制度で既にそうなっているのですから、当面そこに踏み切るべきではないか。
そして、厚生省が今まで何もなさらなかったとは私は決して言わない。例えば弔慰的なものとして、広島、長崎の式典に全国各都道府県の遺族が参加をする。
予算自身はそう多くはないと思いますが、昭和五十四年からそれは実施されている。そういういった中で、この際、竿頭一歩を進めるべきだと思うのですが、いかがですか。

○北川政府委員 従来から申し上げている点でございますが、被爆を受けられて、不幸にして病気を得られお亡くなりになられたその故人の方に対して必要な施策を行う、そのための費用を国が支弁するという考え方でございますので、その死後の最後の経費という点は、先ほどから申し上げております葬祭料という形で支弁をさせていただくというふうに考えておるわけでございます。

○児玉委員 こういった場合の国としての補償の問題は、当委員会が毎年採択しております附帯決議では、そこのところの表現が若干広いですが、国家補償的なという文言も使われている。
例えば医療特別手当、原爆小頭症の患者に対する手当、これらはきょう午前中議論がありました所得制限は行われていません。所得制限自身は極めて不当なものです。
今の下村さんや医療特別手当を受けておられる方々についていえば、私たちはまずそこから一歩を踏み出すべきだ。
しかも厚生省は、多くの国民、被爆者の意見を入れて死没者調査を実施するところまで踏み込まれた。
この際、今私が述べたことについては真剣に検討していただきたい。大臣、どうですか。

○北川政府委員 従来からも御答弁をしているわけでございますが、死没者調査の目的は、被爆後四十年余を経て関係者がだんだんと少なくなっていく、そういう最後といいますか、一つの段階において現在生存しておる関係者の皆様の記憶を何とか記録にとっておきたい、そういうことで死没者調査を行い、また、そうすることが亡くなられた方への弔慰を表することにもなるのではないかという考え方で調査をやっておるわけでございまして、その調査の結果、その方々に対する弔慰をお金で支払うというようなことについては現段階では考えていないわけでございまして、これはいつも申し上げております原爆基本問題懇談会の基本的な考え方にありますように、他の一般戦災者との対比において均衡を失しない範囲で施策を行っていく、この基本姿勢の範囲で今後とも施策を進めてまいりたい、このように考えているわけでございます。

○児玉委員 言葉を選んでお答えですが、今の段階ではと何回もおっしゃいますが、私はこの後、先ほどから述べた課題については国の被爆者援護の中心的な課題になると思いますから、さまざまな機会に要望してまいりますし、国としても真剣な検討をいただきたいということを強く述べておきます。






2017年7月26日水曜日

(参考人)池田眞規: 本来あるべき被爆者援護法とは「国家補償」の明記および理念



第131回国会 厚生委員会 第10号
平成六年十二月七日



○参考人(池田眞規君) 池田でございます。
私がこれから述べる被爆者援護法についての意見は、私の所属する日本弁護士連合会が発表した被爆者援護法に関する三度にわたる報告書の見解に基づくものであります。報告書は、昭和五十四年、昭和六十年、平成二年の三回にわたり発表いたしました。その都度内閣総理大臣及び厚生大臣に提出してあります。私も右の報告書の作成に参画いたしました。
私ども法律家が、原爆被害者の援護制度はいかにあるべきかについて調査研究する場合の基本的な立場は、まず被害の実態から出発いたします。原爆被害の実態を把握した上で、これに対し憲法は国家の救済制度として、どういう理念のもとに、あるいはどういう救済規定を設けているかを検討し、あるべき被爆者援護法の法的根拠を明確にしていくわけでございます。

そこで、まず原爆被害の特徴から話します。
原爆の被害は人類がかつて経験したことのない戦争被害の極限でございます。原爆被害の深刻な実態及び被害の全体像はいまだ解明すらされていないと言っても過言ではありません。私どもが長年被爆者問題の調査を続けてまいってきた上での実感でございます。
原爆は、従来の火薬の爆発エネルギーを使用した通常兵器とは質的に異なっております。原爆による攻撃とは、核分裂の連鎖反応から放出される巨大なエネルギーを利用する攻撃であります。それは、音速に近い速度で襲いかかる爆風、数千度という高温度の熱線、それに原爆特有の放射線、これらの巨大な力が同時に、瞬時に生きている人間を襲うのであります。原爆のキノコ雲の写真を見て、その下に繰り広げられる地獄を想像してください。我々の想像を絶するこの世の地獄がそこにあったのです。今生きている被爆者は、あのキノコ雲の下の地獄を体験した人々であります。このことを忘れてはならないのであります。
原爆被害は、従来の通常兵器の被害に見られない特別な残酷な被害であります。その被害の態様は極めて多様であり、総合的であります。熱線による傷害、爆風により吹き飛ばされ、また飛来した物体による打撃の傷害、放射線による障害などが同時に相乗効果を加えて受ける傷害であります。放射線による障害は、五十年を経た現在でもなお被爆者を緩慢に殺し続けております。いつ訪れるかわからない死の影におびえながら、被爆者は老境に達してきました。
このような被害をもたらす原爆、いわゆる核兵器の使用が、不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁止した国際法、いわゆるセント・ペテルスブルグ宣言あるいはハーグ陸戦法規などに違反する、あるいは無防守都市に対する攻撃の禁止、無差別攻撃の禁止を定めた国際法、ハーグ陸戦規則あるいはハーグ空戦規則案などに違反することは明らかであります。これは、東京地方裁判所の昭和三十八年十二月七日の判決でもはっきりと認めております。

次に、被爆者の要求について検討します。
このような被害を受けた被爆者は、地獄の体験の中から次のような基本的な要求を提起いたしました。一つは、このような残酷な非人間的な原爆被害をもたらした責任者は被爆者に対し謝罪をして償いをしてほしい、これが国家補償。
第二に、二度と原爆地獄を人類が繰り返さないために核兵器は絶対に使わないでほしい、核兵器の廃絶というものであります。これが被爆者の要求の端的な表現でございます。
この二つはその一つが欠けても意味がなく、不可分一体なのであります。被爆者たちが、従来の原爆二法があるのにあえて国家補償による被爆者援護法を要求し続けているのは、右の二つの要求を従来の原爆二法は充足していないからであります。

そこで、国家補償の法的検討に入ります。被爆者の要求する国家補償の法的根拠について次に検討してみます。
被害者救済の国家制度の憲法上の規定を見てみますと、国民の被害について国家の行為に被害の原因がある場合について、憲法は三つの規定を定めております。

第一は、憲法第十七条、御存じの公務員の不法行為によって損害を受けたときの損害賠償請求権です。これは国家賠償法によって立法化されておるものであります。

二番目、憲法第四十条、御存じの抑留、拘禁の後に無罪の判決を受けたときの刑事補償請求権でございます。これは、裁判という合法的手続の中で生じた誤判という事件でございます。誤判であるから違法な行為とは言いません。しかし、無実なのに拘禁されたという不法な被害であるために国家が補償する制度であります。

第三番目は、憲法二十九条三項であります。公共のために私有財産を提供させられたときの正当な補償を請求する権利でございます。これは、公共のための収用事業は法律に基づく適法な行為でありますが、収用される国民にとっては財産上の犠牲を強制されるのでありますから、これに対して国家が正当な補償をするという制度であります。

これら憲法上の三つの制度を見ますと、国家の違法な行為あるいは国家の適法な行為、いずれの場合でも、国家の行為によって国民に被害が生じた場合には国家はこれを補償するという基本的な思想が読み取れます。
この基本的な思想が、憲法の中では前文の中の理念として、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであってこ「その福利は国民がこれを享受する」という理念を前文で示しております。
この理念は憲法十三条によって具体的に規定されております。すなわち、この憲法十三条によりまして、国家は生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について最大限の尊重をすることが義務づけられております。

以上のような憲法の各規定から、次の法理論が導き出されます。
国家の行為が原因で国民に被害が生じたときは、その原因となった国家の行為が違法か合法がを問わず、それによって生じた国民の被害については、国家は結果責任として国民に対する国家補償の責任が生ずるという法理論でございます。これは、国家補償による援護法の制定の第一の法的根拠でございます。

この法理は、最高裁判所の判決でも、また東京地方裁判所の判決でも是認された論理でございます。東京地方裁判所の原爆判決は、国家はみずからの権限とみずからの責任において開始した戦争によって、国民の多くを死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのであるから、戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるであろうと述べております。この判決は確定しております。この判決はまた国際的にも著名な判決になっております。

以上の法理から、戦争災害については国家補償責任が生ずるということが明らかになります。そうすると国家は、原爆被爆者のみならず一般戦災者についても被害の程度に応じて国家補償をしなければなりません。日本国憲法とは違った憲法のもとにあるドイツあるいはフランスにおいても、戦争災害について国家は、軍人とか市民とかに差別などなく国家補償制度を確立しております。軍人という特別な権力関係にある者のみを特別に手厚く保護する日本の現在の制度とは大分違います。おくれております。

それでは、次に被爆者に特有の援護法制度の法的根拠について述べます。今のは、一般の戦災者と認識していただいて結構でございます。

第一は、原爆被害が前に述べましたように国際法に違反した核兵器による巨大な力による攻撃であり、通常兵器の被害とは質的にも量的にも全く異なる特別の戦争被害である。このことを認識した上で、国家としては戦争開始、遂行という国家行為によりもたらした被害の結果でありますから、この結果責任として前述の国家補償の基本的法理の各論である被爆者援護法については当然に手厚く補償するべきであります。これが第一点。

次に、被爆者援護法についての法的根拠の第二は、アメリカの原爆投下行為は国際法に違反するということは明らかであります。これは国際的にも認めております。これに対して被爆者は米国に対する賠償請求権を持っております。ところが、日本政府は米国との平和条約第十九条(a)項において対米賠償請求権を放棄いたしました。これは、さきに述べた憲法二十九条三項、国家、公共のために犠牲を強制された場合、つまり請求権を奪われてしまった場合の正当な補償すべき場合に該当いたします。ここで憲法二十九条三項の国家補償義務が生じます。

次に、被爆者援護法の国家補償についての法的根拠の第三は、原爆被爆者は、先ほどのお二人の参考人の御意見にありましたが、被爆後の半年間はやけど、傷害、急性障害で苦しみました。その後は晩発性障害あるいは後遺症に苦しみ続けました。
この最も救援を必要とする時期において、アメリカの占領政策に基づいて国際赤十字への救援さえも妨害され、原爆被害の報道は禁止され、被害の救済を受けることを放置されてしまいました。この間、死ななくてもよかった多くの被爆者たちが死亡していきました。そして、財産をすべて失い、生き残った被爆者らも働くこともできず、治療も満足に受けられず苦しみ続け、原爆医療法が制定されたのは被爆後実に十二年後でございます。
憲法十三条による生命、自由、幸福追求を最大限に尊重すべき国家の義務がある、その義務に日本政府が違反した責任は極めて大きいものと言うべきであります。

結びに入ります。
東京地方裁判所の原爆判決は次のように言っています。
「終戦後十数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上」、
この被爆者援護でございますが、「これが不可能であるとはとうてい考えられない。われわれは本訴訟」、これは原爆訴訟のことを言っていますが、
「本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。」と嘆いております。

振り返って今回の法案を見ますと、被爆者の要求する国家補償の立場は法的に正当かつ妥当な根拠があるにもかかわらず、これが記載されておりません。
これは「国の責任」という言葉にすりかえられてしまっております。
「国の責任」という場合、憲法二十五条に規定する生存権に基づく社会保障の立場と同じでございます。被爆者の援護制度の基本理念である国家補償とは異なる法理でございます。

また、被爆者の求める核兵器の廃絶については「究極的廃絶」にすりかえられております。「究極的」という場合、そのときまでの核兵器の使用は認めることになってしまいます。廃絶される日までその使用を認めるということになり、論理的には核兵器の使用を認めるということになります。この点からも、「究極的」という言葉を法案から削除してもらいたい。

以上、若干時間を経過いたしましたけれども、法的根拠について述べさせていただきました。


これはかなり法律問題のように見えまして、被爆者の皆さんには大変難しい問題だと思いますが、法律家から見れば非常に簡単明瞭なことでございます。

「国家補償」という場合は、これは国家の戦争責任の問題にかかわってきます。


「国の責任」という場合は、国の戦争責任は全然排除されます、なくてもいいんです。例えば社会保障、これは国家の責任なんです。生存権、憲法二十五条でございますね、これでいいんです。

だから、国の行為によって戦争を開始した結果、戦争被害で原爆を受けたじゃないか、だから当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるというのは東京地方裁判所の原爆判決の中に書いてあるんです。これはもう法律家なら常識なんです。だから、そういう趣旨で国家補償という場合は、国が戦争を開始、遂行した責任の問題が正面からとらえてあるんです。

ところが、「国の責任」といいますと、戦争を開始した国家の責任問題はもうなくていいんです、問わないんです。そういう意味でもう大変な違いがございます。

そういった意味で、被爆者援護法は「国家補償」でなければならないというのは我々法律家の、日弁連のと言っても結構ですが、日弁連の公式見解でございます。





第131回国会 厚生委員会 第8号
平成六年十二月五日

○横尾和伸君 
昭和二十年八月、広島市、次いで長崎市に投下された原子爆弾は、一閃両市を焦土と化し、実に三十万人余のとうとい生命を奪ったのであります。
核爆弾の爆発時に放射される強烈な放射線、熱線及び爆風は、その複合的効果によって、大量かつ無差別に市民を殺傷し、あらゆるものを破壊し尽くしました。また、爆発時に空中で生成された強い放射能を持つ核分裂生成物、いわゆる死の灰は、地上にちりや黒い雨となって降り注ぎ、奇跡的に一命を取りとめた人たちにさらなる放射線被曝を与えたのみならず、体内に入り込んで深刻な放射線体内被曝をもたらしたのであります。
この原爆による被害は、通常の爆弾等、他のいかなる兵器による被害とも比べることのできない特異な質的損害及びはかりがたい量的損害をもたらすことを如実に示したのであります。いかなる理由があるにせよ、絶対に二度とあってはならないのであります。
したがって、原爆等の核爆弾は、人間の生存の権利を根本的に脅かすものであり、かつ、あらゆる生物の生存や繁栄を脅かす悪魔の兵器であり、許すべからざる絶対悪と断じなければなりません。
人類史上初の原子爆弾被爆国となった我が国は、このような非人道的な悪魔の兵器とも言うべき核爆弾の惨禍を、地球上のいかなる地点においても再び繰り返させないとの強い決意と真摯な祈りを込めて、核兵器の究極的廃絶と恒久平和の確立を全世界に訴え続けるべきであります。


被爆後満五十年を迎えようとしている現在、最も大切なことは、このような考えをより強い社会的決意とすることであり、そのための手がかりとなり、かつ、象徴ともなる具体的措置を制度化することであります。
既に御承知のとおり、良識の府たる参議院では、既にこのような趣旨を踏まえ、国家補償の精神に基づく措置として、平成元年と同四年の二回にわたり原子爆弾被爆者等援護法案を可決しているのであります。
また、現行の原爆二法、すなわち原爆医療法及び原爆特別措置法が、広い意味における国家補償の見地に立つという基本的考え方によるものであり、従来から延々と続けられてきた関係者の並み並みならぬ努力の成果であることを忘れてはならないのであります。
しかるに、今回衆議院から送付されてきた政府提案による法案は、これらの重要なポイントを十分踏まえたものとは到底言いがたいものとなっているのであります。すなわち政府案は、生存被爆者を対象とした援護対策をいわゆる事後処理として国が行うことを基本としており、国家補償的配慮によるものではないのであります。
今回私たちが提案しました法案の主眼は国家補償的配慮に基づくものとしたことでありますが、次にこの件について申し上げます。
被爆者の健康上の障害がかつて例を見ない特異かつ深刻なものであることを考えれば、国は社会保障の観点から被爆者対策を講じなければならないことは当然でありますが、昭和五十三年の最高裁判決が判示するように、かかる特殊な戦争被害の原因をさかのぼれば、戦争の遂行主体であった国の行為に起因する被爆によって、健康が損なわれ生活上の危険ないし損失が生じたものであるという観点に目を閉じることは許されません。

つまり、原爆医療法及び原爆特別措置法のいわゆる現行二法も、社会保障と国家補償の二つの側面を有する複合的性格を持っているということであります。このことは、前述の最高裁判決では、「国家補償的配慮」という言葉で表現されております。また、昭和五十五年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の報告書では、広い意味での国家補償という表現になっております。
したがって、原爆被爆者対策が国家補償的配慮に基づいて行われるべきということの国民的合意は既に形成されていると言わなければなりません。
私たちは、かかる事実を直視して、国家補償的配慮を制度の根底に厳然と据えて、葬祭料制度発足前に亡くなられた原子爆弾死没者の遺族に対する特別給付金の支給を含め万全の援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者のとうとい犠牲を銘記するための事業を行うこととしたものであります。以上がこの法案を提案した理由であります。





2017年7月24日月曜日

原爆基本懇の議事録開示 「援護法」 回避へ誘導



2010年8月1日 東京新聞 

大平内閣から鈴木善幸内閣にかけて国が被爆者に補償する被爆者援護法制定の可否を検討した厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の非公開の議事録が厚生労働省内で見つかった。

民間委員の議論に官僚が介入。財政難などを理由に当初から法律制定に難色を示していたことが浮かび上がった。
基本懇の結論を受け援護法成立は自社さ連立政権下の一九九四年まで見送られた。 

見つかったのは全十四回の会合のうち第十一、十四回会合を除く、十二回分の議事録や資料など八百二十九ページ。

厚労省は当初、本紙の取材に「議事録は残っていない」と回答したが、情報公開請求で、昨年十二月に開示され、本紙で補足取材などを進めていた。
政治家と公務員以外の人名は黒塗りになっていた。 

基本懇は橋本龍太郎元首相が厚相だった一九七九年六月、茅誠司・元東大学長を座長に発足。行政や医学の専門家ら六人が委員を務めた。 

議事録によると、第一回会合で委員の一人が「スモン訴訟や水害訴訟で国家賠償の要求が拡張されている。歯止めをかけないと国家財政が破綻(はたん)する」と発言。

別の委員も「被爆者は三十七万人もおられ、ぴんぴんして何でもない人も多いんでしょう」などと述べていた。 

厚生省も援護法の制定に反対の立場から、会合で積極的に発言。恩給法など国家補償がある軍人・軍属との格差に批判が出ていたため、基本懇の事務方を務めた当時の厚生省公衆衛生局企画課長(76)は第十二回会合で「同一に論ずるわけにはいかないことだけは(答申で)コメントしていただきたい」と発言。

委員が作成した意見書の草案に修正を加えたと説明した。 

また、被爆者援護法という名称について、当時の公衆衛生局長(86)は第十回会合で「事務当局としては、いかなる場面でも援護法という名前は受け入れられない」と強く注文を付けていた。 

野党や被爆者団体は、日本政府が戦争を遂行した責任を認めた上で、被爆死した人への弔慰金や遺族年金の創設を求めていたが、基本懇は八〇年十二月、国の完全な賠償責任は認めず、弔慰金や遺族年金の創設を否定する意見書を園田直厚相(当時)に提出した。 

☆ 

三十年ぶりに明るみに出た原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)の議事録。民間の戦争被害者に我慢を強いる「受忍論」が初めて行政の方針として示されたが、民間委員の間では賛否をめぐり論戦が交わされた様子はない。

被爆者が期待をかけた各界の権威からも補償拡大に消極的な発言が相次いでいた。 

「原爆放射能による健康上の被害は、国民が等しく受忍しなければならない戦争による『一般の犠牲』を超えた『特別の犠牲』…」 

一九八〇年七月、厚生省の会議室で開かれた第十回会合。事務局が朗読する「たたき台」の中で「受忍論」は姿を現した。 

一見、被爆者を救済する表現だが、東京大空襲など「一般の犠牲」の受忍を強要。

それとのバランスを盾に、被爆者の救済も生存者の放射線障害に限定した。
しかし、委員は誰も反応しなかった。 

しばらくして「こういうのもあります」と事務局は別の資料を出した。

基本懇設置のきっかけになった韓国人被爆者の最高裁判決(七八年)に対抗するように、カナダで財産を接収された引き揚げ者が起こした訴訟の最高裁判決(六八年)を読んだ。
「戦争犠牲または戦争災害として国民が等しく受忍しなければならなかった…」 

当時は知られていなかった同判決を基本懇に持ち込んだのは、元最高裁判事の田中二郎委員とする見方が強い。

しかし、賛否を問わず、受忍論に触れる委員はいなかった。 

意見聴取では、母親の胎内で被爆した原爆小頭症の女性の人生を語った被爆者が帰った後、「センチメンタルなものを長々と読み、時間を浪費した」と酷評。

半面、橋本龍太郎厚相(当時)を招いて議論の方向性を確かめるなど、政府への配慮は手厚かった。 

意見書がまとまった後の第十三回会合で、ある委員は「被爆者対策の改善と言いながら内容は何もない。これでいいのか」とつぶやいた。

「相当の反発を予想しなくては」と気にする声も出たが、結論が変わることはなかった。

 

◆憤る被爆者ら 『官僚筋道』『言いなり』

 
「ひどい」「政府の言いなりだ」。基本懇の内幕に、被爆者は憤りを隠さない。 

長崎で被爆し、基本懇当時に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局次長だった吉田一人さん(78)はあきれる。

被爆体験を「センチメンタル」と評された部分を「あれだけの被害を受け、感情的になるのは当たり前。被害の実態や本質を受け止める姿勢がない」と批判する。 

被団協の田中熙巳事務局長(78)も「官僚が筋道を作る審議会政治は変わっていなかった」。

被団協は今年六月の総会で国家補償を求める運動強化を再確認し、改正案作りに向け学習会を始めている。 

原爆症認定集団訴訟の山本英典原告団長(77)は「委員には日本の良心を代表する人もいたが、他の戦争被害者にも広がると脅され、厚生省と一体になっていたことが裏付けられた。

国の方針を『すべて受忍せよ』から『すべて補償せよ』に変えたい」。

担当する内藤雅義弁護士は「専門家に任せたと言いながら行政が作った典型例。文書公開の意味は大きい」と話す。 

一方、焼夷(しょうい)弾による空襲被害者にも波紋は広がる。


東京大空襲訴訟の星野弘原告団長(79)は「受忍論の議論は委員に心の準備がないまま、事務局により進められたのでは。
正当と言えるのか、あらためて議論すべきだ」と話している。

 

<基本懇の意見書>


 原爆被害には放射線障害という特殊性があり「広い意味で国家補償の見地に立つべきだ」としつつも、国の完全な賠償責任は認めず、被爆者が求めた国家補償に基づく被爆者援護法の制定を事実上退けた。

近距離被爆者の手当や原爆放射線の研究体制、被爆者の相談事業の充実を挙げるにとどまり、被爆者は激しく反発した。

1994年の自社さ連立政権下で成立した現行の援護法も基本懇の意見書を踏襲。
「国家補償」は盛り込まれず、救済は生存者の放射線被害に限定、死没者補償は含まれなかった。




被爆者補償、歯止めありきの議論「財政破綻恐れた」

朝日新聞2010年10月25日
被爆者援護の理念が話し合われたはずの原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)は、厚生省(当時)の誘導で、戦争被害者に対する国家補償の拡大に、いかにして歯止めをかけるかが主題となっていた――。基本懇の報告書はその後の被爆者援護法の土台となり、被爆者への国家補償は実施されなかった。被爆者らから「議論のやり直しを」の声も上がっている。
「被爆者対策を国家補償でやるとなると、額が大きくなるだけでなく、シベリア抑留者や一般戦災者の要求が強まり、甘くできないという考えだった」
基本懇で、国家補償拡大への歯止めを求める発言をした厚生省公衆衛生局企画課長だった木戸脩氏(76)は、朝日新聞の取材に、こう語った。
木戸氏によると、基本懇設置当時の厚相だった故・橋本龍太郎氏に相談しながら、議論を調整していった。橋本氏は厚相を退いた後も基本懇の議論の内容を把握し、国家補償を回避させる方向で指示を続けたという。
1980年7月の第10回会合に提出する「報告書に盛り込むべき事項」に「(戦争による一般の犠牲は)国民が等しく受忍しなければならない」との文言を加えたのは、そんな橋本氏の意を受けた木戸氏ら厚生官僚の判断だったという。
木戸氏は「一般戦災者らの補償要求が高まる中、受忍論をうちたてないと国家財政の破綻(はたん)につながりかねないというのが当時の認識だった。ただ、戦後65年たって時代も変わり、当時の結論のまま要求を拒み続けていいかどうかは正直わからない」と話した。
被爆者団体の関係者や空襲被害者からは、報告書の見直しや議論のやり直しを求める声があがった。
国家補償に基づく被爆者援護法の実現を求めている日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の、田中熙巳事務局長は「官僚があからさまに口をはさみ、自らの思惑を押し込んでいる姿に驚いた。基本懇は、民間有識者を隠れみのに、官僚側に都合のいい方針を導き出した審議会行政の典型と疑っていたが、それが外れていないことが裏付けられた。日本が本当に『核なき世界』の先頭に立つと言うなら、現在も被爆者援護の方針である(基本懇の)報告書を見直すべきだ」と話した。
大阪空襲訴訟原告団の安野輝子代表世話人は、空襲被害者への援護策をとらないことを正当化する「受忍論」が盛り込まれた過程などが明らかになったことについて「受忍論は、民間人の戦争犠牲は切り捨ててもよいという棄民の発想。官僚の意向が働いていたにせよ、有識者と呼ばれていた人たちがやすやすと受け入れ、通してしまったことが悲しい。議論をやり直してほしい」と話した。

被爆者補償議事録「一種のたかり」「何でもない人多い」

朝日新聞2010年10月25日
厚生省(当時)の誘導があった原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)。議事録に記録された会合での発言からは、被爆者を含めた戦争被害者への国家補償をなんとしても食い止めようとする厚生省側の強い意向が浮かび上がった。
■議事録に記されていた発言の一部(※委員名は非公開)
●第1回会合(1979年6月8日)
【橋本厚相】(昨年に)現行の原爆医療法そのものがすでに国家補償の範疇(はんちゅう)に入るんだという判例が出されまして、これは私どもとしても相当なショックでございました。
【委員】厚生省もスモン事件で窮地に追い込まれて(中略)何とかそういう動きに対して歯止めをしないことには、国はいくらお金を出してもとどまるところを知らない。
【委員】(被爆者は)いま37万人もおられ、これでぴんぴんして何でもない人もずいぶん多いんでしょう。
●第4回会合(1979年10月11日)
【橋本厚相】非常に厄介なのが(空襲被害者への補償を求めている)名古屋を中心としたグループ、及び東京の下町を中心としたグループ(中略)率直に申しまして、国家補償という言葉をできるだけ使いたくない。
●第5回会合(1979年12月6日)
【委員】(被爆手記を朗読した被爆者団体代表が帰った後)センチメンタルなものを長々と読みまして、せっかくの時間を浪費してしまった恐れがある。
●第6回会合(1980年1月30日)
【委員】我々は歯止めのために集まっているというふうに解釈してもいいのではないか。つまり便乗組をどういうふうに納得させるか。
●第7回会合(1980年2月27日)
【委員】(被爆地域拡大の要求に関して)何か一種のたかりの構造の具体的なあらわれのような感じがいたしまして。
●第9回会合(1980年6月17日)
【委員】(配布された旧軍人・軍属の援護額の表を見て)恐らくこの表を出したら原爆被爆者というのは食いついてくるのではないか。
●第10回会合(1980年7月22日)
【企画課長】援護法を作るか、作らないかというのは、あるいは非常にげすな議論なのかもしれないのですが、(報告書の中に)そんなことまで触れていただかなくてもいいと思います。
【公衆衛生局長】事務当局の気持ちとしまして、いかなる場面があっても援護法という名前については拒否をする。
●第12回会合(1980年11月20日)
【公衆衛生局長】(報告書に「国家補償」と書き入れる場合)相当なおもりと言いますか縛りを相当書いていただきませんと混乱を引き起こす恐れがあります。
●第13回会合(1980年12月3日)
【委員】(報告書案文について)厚生省がこれまでとってきた措置、対策をジャスティファイ(正当化)することに重点を置かれていて、積極的にこういう点をこういうふうに直したら、という点があまり見られない。この答申では、相当の反発を当然予想しなくてはいけない。


被爆者補償阻止、旧厚生省が議論誘導 30年前議事録

朝日新聞 2010年10月25日
被爆者援護のあり方を検討するため、1979~80年に非公開で開かれた厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)で、民間の戦争被害者全体に国家補償が拡大しないよう、厚生省側が議論を導いていたことが、議事録や関係者の証言からわかった。基本懇の報告書は被爆者への国家補償に歯止めをかける内容となり、この報告書をもとにできた現行の被爆者援護法に国家補償は明記されなかった。

基本懇の会合は計14回。厚生労働省によると、長年、議事録は保存されていないとしてきたが、昨年末、報道機関からの情報公開請求を機に同省の倉庫を探したところ、見つかった。朝日新聞が8月に入手。計829ページで、第11、14回分は欠落していた。
議事録によると、80年7月の第10回会合で、厚生省側が「報告書に盛り込む事項」を提出。その中に、戦争の被害は「国民が等しく受忍しなければならない」という「戦争被害受忍論」の一文が初めて記入されていた。
さらに、基本懇が意見集約に向かっていた80年11月の第12回会合で、国家補償として実施している旧軍人・軍属への援護策と、被爆者への援護策の間に、金額や対象者の範囲で大きな格差が生じているとの指摘が出ていたことを踏まえ、当時の厚生省公衆衛生局企画課長が「同一に論ずるわけにはいかないということだけは(報告書で)コメントしておいていただきたい」と発言。「補償が独り歩きしないようにいろいろ歯止めをしていただきたい」と求めた。
この発言をした、当時の企画課長・木戸脩(おさむ)氏(76)は朝日新聞の取材に、「財政がもたないと判断した」と述べた。
基本懇の委員からは、国家補償の拡大に歯止めをかけることにほとんど異論は出ず、「(被爆者は)ぴんぴんして何でもない人もずいぶん多いんでしょう」「我々は歯止めのために集まっているというふうに解釈してもいいのではないか」との発言があった。
基本懇が80年12月に園田直厚相(当時)に提出した報告書は、厚生省側の「要望」に沿った内容となった。原爆被爆を救済の必要がある「特別の犠牲」、それ以外の戦争被害は、受忍しなければならない「一般の犠牲」として線引きしつつ、被爆者援護については「国の完全な賠償責任を認める趣旨ではない」とし、対象を生存被爆者の放射線による健康被害に限定した。
94年、この報告書を土台に、原爆医療法と原爆特別措置法の「原爆二法」を一本化して制定された被爆者援護法でも、援護を国家補償に基づいて実施することは明記されなかった。(武田肇)
〈原爆被爆者対策基本問題懇談会〉
 1978年、韓国人被爆者の被爆者健康手帳交付を巡る訴訟の最高裁判決で「原爆医療法には、国家補償的配慮が根底にある」と判断されたことをきっかけに、被爆者対策の理念を明確にするために設置された。
委員(全員故人)は、
茅誠司・東京大名誉教授(座長)
▽大河内一男・東京大名誉教授
▽緒方彰・NHK解説委員室顧問
▽久保田きぬ子・東北学院大教授
▽田中二郎・元最高裁判事
▽西村熊雄・元フランス大使
▽御園生圭輔・原子力安全委員会委員
の7人。


戦争被害受忍論再考の時 基本懇意見書30年

10年12月20日(中国新聞)

国の被爆者対策を方向付けた「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の意見書の提出から今月で30年。公開された議事録からは、市民の戦争被害を補償せずに被爆者を区別、救済する理由付けに腐心した跡がうかがえる。一方で、原爆被害を正面から捉えた議論は見あたらない。被害の「受忍」を国民に求める国の戦後処理の在り方は、再考が求められる。

被爆者対策は国の責任に基づく国家補償か、弱者救済の立場にたった社会保障か―。1979年6月から1年半、14回に及ぶ会議の大きな論点だった。 

国はそれまで被爆者対策を「特別の社会保障」としてきた。第1回会議で橋本龍太郎厚相(当時)は「国家補償の対象にすると一般の戦災犠牲者にも広がりはしないかということを大変恐れていた」と警戒感を示した。

その橋本氏が「相当なショックだった」と打ち明けた前年の最高裁判決。原爆医療法(57年制定)を「国家補償的配慮が制度の根底にある」とした。

「国家補償という広い言葉の中には、特別の犠牲に相当の補償をする考え方がある」(第3回会議)「2発の爆弾で本土決戦が避けられたことと、放射線という特別の影響を持つという2点でほかの戦災と区別できる」(第9回) 

委員の議論では、判決も踏まえ、原爆は戦争終結の直接的契機▽放射線による健康障害―を理由に「広い意味での国家補償」として「相当の補償」をするという流れが早くに固まっていた。 

拡大に「歯止め」

一見、救済が進むかのように読めるが、委員は空襲や沖縄戦にたびたび触れ、対策の拡大に「歯止めをかける」「今までのような不合理を認めない」などと発言。第10回会議では、公衆衛生局長が日本被団協などが求める「援護法」を「絶対にのめない」と述べた。結局、意見書は「国家補償の見地」の対策を求める一方、国の完全な賠償責任を否定。他の戦災被害者との「著しい不均衡が生じてはならない」とも明記された。

結論の背景には、戦争時の国民の生命、身体、財産についての犠牲を「国民が等しく受忍しなければならない」という「受忍論」がある。意見書も基本理念に盛り込んだ。 



国の責任問わず

今月12日。日本被団協が東京都内で開いた基本懇を考えるシンポジウムは「受忍論」がテーマだった。被爆者問題に詳しい一橋大の浜谷正晴名誉教授は「委員がそもそも国の責任を問わない、国民は我慢すべきだとの立場だった」と指摘した。

基本懇の委員の発言からは、被爆者への理解の欠如も浮かぶ。被団協が原爆小頭症の患者の現状を訴えても「センチメンタルなものを長々と読み、時間を浪費した」。被爆地域の拡大要望を「極端な言葉で言えば、さもしい根性の一つ」…。 

同じシンポで「原爆被害に対する国家補償」を求める被団協の田中熙巳(てるみ)事務局長も「命、体、心、暮らし、すべてに被害をもたらしたのが原爆だ」と悔しさをにじませた。

厚労省は基本懇の意見書を今も被爆者対策の「源」とする。しかし、原爆症認定制度や「黒い雨」地域の問題などに向き合う上で、30年前の意見書の道理はもはや見えにくい。 




差別なき補償へ連携を

空襲被害者への国家補償の実現を求めて8月に結成した「全国空襲被害者連絡協議会」の共同代表の一人、ジャーナリストの前田哲男さん(72)は戦争被害者の連携の重要性を強調する。

―国の戦後補償の問題点は。
一般市民の戦争被害は受忍論で「等しく国民が受け持つべきだ」とされ、補償の対象になっていない。被爆者も放射線被害で例外、限定化され、真の意味の国家補償の援護法は今日まで実現していない。 第2次世界大戦は、空襲被害にみられるように兵士と市民、前線と銃後の境がない「皆殺し戦争」だ。特に原爆は都市を抹殺する。そういう戦争で、受忍は仕方ないという説明は成り立たない。 

―どういう補償をするべきですか。 
欧州各国の戦争被害の補償例をみると、国民であれば軍人だろうが民間人だろうが問わない。国内、国外も問わない。国は受忍論を改め、差別なき国家補償をすべきだ。 

―戦後65年たった今、空襲被害者が連携する意義は。 
被爆者運動が国の受忍論を転換させるトップランナーだった。一方、各地の空襲被害者も残酷な被害を抱えながら大きな運動にならなかったのは、戦争時には全国どこにでもあったというあきらめがあったのではないか。21世紀に入ってようやく個人の尊厳の問題として被害を伝えたいと思い始めている。協議会は同じ被害者同士できちんとした運動に取り組むのが狙いだ。

原爆被爆者対策基本問題懇談会 
1979年6月、厚相(当時)の私的諮問機関として設置された。委員は座長の茅誠司・元東大学長ら7人(いずれも故人)。80年12月11日に意見書を提出した。厚生労働省で見つかり、昨年12月に公開された基本懇の資料は全14回の会議のうち、第11、14回分を除く12回分の議事録や資料など829ページ。政治家、官僚以外の名前は黒塗りになっている。




被爆者への国家補償、旧厚生省職員が拡大懸念のメモ


2017年10月2日(朝日新聞)

被爆者援護のあり方を議論するため、1980年に開かれた国の諮問機関の会合で、当時の厚生省職員が「国家補償という言葉が独り歩きして悪影響を及ぼすのではないか」などと懸念を表明していたことを示すメモがみつかった。この諮問機関は結局、戦争被害者に国家補償を認めず我慢を強いる「受忍論」を打ち出した。識者は「国の意向が結論に影響を与えた可能性は高い」と指摘する。


この会議は、厚生相(当時)が諮問して79~80年に14回にわたって開かれた「原爆被爆者対策基本問題懇談会」。情報公開請求を機に2009年、議事録の大半は開示されたが、懇談会の結論となる報告書の案が初めて示された80年8月の第11回会合の議事録は「不存在」とされていた。都内ではなく唯一、長野・軽井沢で開かれたこの会合は、研究者らの間では「報告書の方向性が固められた会合」とみられ、議論の内容が注目されてきた。

今回、新たにみつかったのは、この第11回会合のやりとりを示す13枚のメモ。発言者と発言内容が手書きされていた。厚生省職員が書いたとみられ、懇談会委員の親族宅にあった。同年7月の資料によれば、一連の会合では「事務当局が積極的に議論に参加することは許されておらず、現状説明しかできない」とされていたが、メモには厚生省職員の意見が記されていた。

メモによると、職員は報告書に国家補償が明記されると「国家補償という言葉のみが独り歩きして他の各方面に悪影響を及ぼすのではないか」と述べ、戦争被害者全体に国家補償が広がることに釘を刺していた。これを受け、座長の茅誠司・東大名誉教授(故人)が「国家補償という言葉のみが一人歩きをしないよう、意見書の中で十分歯止めをしておく必要がある」と発言していた。

議事録によると、厚生省側は同年11月の第12回会合でも、「国家補償をやれという考え方が強く出ますと、非常に政府全体として困る」「国家補償だというふうに書いていただくことを少し緩めていただいたら」と発言していた。

懇談会が翌12月にまとめた報告書では、原爆被害について「広い意味における国家補償の見地」から援護するものの、「国の完全な賠償責任を認める趣旨ではない」と説明。被爆者以外の戦争被害者には原則、我慢を強いる「受忍論」を打ち出した。95年に施行された被爆者援護法でもこの考え方は踏襲され、援護の対象は生存被爆者の放射線による健康被害のみで、国家補償は明記されなかった。

田村和之・広島大名誉教授(行政法)はみつかったメモについて「初期の会合では説明役に徹していた厚生省が、報告書の案に国家補償という言葉が入ったのを機に、国の立場を強力に主張し始めたことがよく分かる」と分析。「原爆で認めたら、ほかの戦争被害者にも広がりかねないと危機感を持ち、国家補償に歯止めをかけるよう促していたことを示すものだ」と指摘する。

原爆被害への国家補償を求めてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳(てるみ)・代表委員(85)は「国が戦争を始め、終結を引きのばしたから原爆被害がもたらされた。その責任を国が認めなければ、戦争の肯定につながりかねない」と批判している。(岡本玄)



〈原爆被爆者対策基本問題懇談会〉 厚生相だった橋本龍太郎氏(故人)の諮問機関として1979年6月に設置された。最高裁が78年3月、被爆者援護法の前身にあたる原爆医療法について「実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」と指摘したことを受け、大学教授や元最高裁判事ら7人の委員が、被爆者援護のあり方を議論。計14回の会合を経て80年12月にまとめた報告書は、原爆放射線被害による健康被害は「特別な犠牲」として援護するが、それ以外の戦争被害は「一般の犠牲」と位置づけ、「すべての国民がひとしく受忍しなければならない」とする「受忍論」を打ち出した。



■被爆者援護と国家補償をめぐる主な動き

1945年8月 米軍が広島、長崎に原爆を投下

56年8月 日本原水爆被害者団体協議会が発足。核兵器廃絶とともに、原爆被害への国家補償を求める運動を開始

57年4月 原爆医療法施行。健康診断、医療給付が開始

68年9月 原爆特別措置法施行。手当支給が開始

78年3月 最高裁判決が「原爆医療法は社会保障法だが、実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」と指摘

79年6月 原爆被爆者対策基本問題懇談会が発足

80年8月 懇談会の第11回会合で、厚生省側が「国家補償という言葉のみが独り歩き」することへの懸念を発言

80年12月 懇談会が報告書をまとめる。原爆被害について「国の完全な賠償責任を認める趣旨ではない」と説明

95年7月 原爆医療法、原爆特別措置法を一本化した被爆者援護法が施行。被爆者への国家補償は盛り込まれず