2017年9月25日月曜日
原爆被害の米調査カルテ開示、被爆者に請求呼びかけ
朝日新聞 2007年08月05日
広島県原爆被害者団体協議会と長崎原爆被災者協議会は今年秋にも、米国が原爆投下直後に広島と長崎に設立した「原爆傷害調査委員会」(ABCC)のカルテを含む受診記録の開示請求を被爆者に呼びかけることを決めた。受診記録はABCCが47〜75年に被爆者を調査・収集した資料で、少なくとも1万5000人分が保管されている。被爆時の状況の聞き取り結果をはじめ、各種の検査結果や全身写真などもある。個人の記憶に頼る部分の多かった被爆証言を裏付ける客観資料となるほか、未解明な部分の多い初期のABCCの活動実態解明にもつながるという。両団体は今後、全国組織の日本被団協にも同調を求める。
開示された資料の中にあった谷口稜曄さんの全身写真。背中のやけどの跡が痛々しい
国に原爆症と認められなかった全国の被爆者らが03年4月以降、不認定処分の取り消しを求めた集団訴訟をきっかけに、原告弁護団が「被爆から早い時期の健康状態や被爆状況がまとめられた受診記録は法的な証明力がある」と判断。開示が始まった80年から02年までの22年間で100件に満たなかった開示の動きは加速し、03〜06年は計約90件に増えた。
こうした流れの中、被爆者への行政支援がほとんどなく、原爆に関する記録や報道が規制されていた「空白の10年」(45〜55年)の生活実態について06年から調査を始めた広島県被団協も、大量に保管された受診記録の貴重さに着目。空白の10年で広島や長崎の医療機関の記録の多くが散逸してしまったことから、会員に開示請求の方法を伝えることにした。
受診記録は主に米国人医師によって作成され、広島分は47年、長崎分は48年から残されている。両市とその周辺に住む被爆者をABCCに集め、(1)被爆時の状況についての聞き取り(2)やけどなどを負った体の写真撮影(3)血液、レントゲン検査——を実施した。少なくとも計1万5000人が受診したとみられており、多くは英文で書かれている。
ABCCが収集した受診記録などの資料は一時期、軍事機密として扱われ、一部はワシントンDCの米軍病理学研究所の核シェルターに保管されていたとされる。75年、ABCCが日米共同研究機関の財団法人「放射線影響研究所」(放影研)に改組されたのを機に、資料は日本に移管され、広島、長崎両市の各研究所で保管されるようになった。
放影研で80年に始まった開示は、89年にはスムーズに開示できるよう内部規定も作られた。被爆者本人か遺族であれば開示請求できる仕組みは整ったが、記録が保管されていることや開示手続きの方法については周知されなかった。
広島県被団協は、開示によって、これまで知り得なかった自身の個人情報を会員に確認してもらうとともに、被爆62年を経て薄れる記憶を呼び覚ます材料にもしてもらいたい、と考えている。