2016年10月21日金曜日

(原爆症認定・堀内照文)第190回国会 厚生労働委員会 第8号(平成28年3月23日)

○渡辺委員長 次に、堀内照文君。
○堀内(照)委員 日本共産党の堀内照文です。
本日議題となっております戦傷病者の妻に対する特別給付金支給法等の改正は、三十万円の十年償還国債の交付から、十五万、五年償還の国債を二回に分けて交付するなどの内容となっております。受給者の高齢化に伴い、国として特別の慰藉を行うために配慮をするという改正で、賛成できるものだと考えております。
この法案の対象である戦傷病者の妻、また戦没者の妻や遺族に対する給付金、弔慰金、こういう制度は幾つかあるわけですが、その審議で問題になってきたのが、今もありました時効失権の問題です。
この間、これらについて、総務省の協力も得ながら、個別に郵送するですとか、あらかじめわかっている事項は印字の上で請求書を同封して郵送するなど、対策がとられているものと認識をしております。
現状と課題についてちょっとお聞きしようと思ったんですけれども、もう質疑で出されておりますので、私からは、失効することがないよう引き続き努力をいただくとともに、万が一にも失効した際の救済がやはり必要だと思います。それから、給付のあり方も課題があるというのは、今も浮き彫りになったと思います。
そういう点でも、制度の趣旨が貫かれるような対策がやはり必要だということを指摘しておきたいと思っております。
きょうは、原爆症認定行政について、被爆者援護について質問したいと思っております。
被爆者の平均年齢は八十歳を超えました。戦後七十年以上、大変な苦難の道を歩まされてきた被爆者の方々が、国の原爆症認定行政によって大変苦しめられております。
この認定行政が被爆の実態に見合ったものではないと、二〇〇三年以降、全国十七カ所、三百六人の被爆者が原告となって、原爆症認定集団訴訟が闘われました。被爆者が、九〇%を超える勝訴判決をかち取り、二〇〇九年八月六日に、当時の麻生総理大臣が、日本原水爆被害者団体協議会、被団協と、「今後、訴訟の場で争う必要のないよう、」とする確認書を締結しました。きょう、資料でお配りをさせていただきました。同時に、内閣官房長官の談話も、司法判断を厳粛に受けとめるという内容で出されております。
厚生労働大臣は、この定期協議が課されているわけですが、その場にまさに当事者として出席をする立場であります。この八・六合意は守るべきものだという認識があるのか、それから、内閣官房長官のこの談話と同じ立場であるのか、この二点、お伺いしたいと思います。
○塩崎国務大臣 御指摘の確認書におきまして、当時の集団訴訟の早期解決、そして、今後、訴訟の場で争う必要のないように、定期協議の場を通じて解決を図るということを確認しておりまして、これを守るべく努力をする姿勢には、私も変わりはございません。
○堀内(照)委員 ところが、この後も裁判所の判断基準を無視した原爆症認定却下が相次いで、今、ノーモア・ヒバクシャ訴訟というのが闘われております。
提訴者が百二十人、現在の原告は七十四人で、地裁判決での原告勝訴は、自庁取り消しの二十二人を含む四十七人、八九・六%の勝訴率です。その多くが判決として確定をしております。
二〇一三年末に、国は、原爆症認定基準を新しい基準に見直しました。これは資料二枚目につけておきました。それでもなお、司法では、国の申請却下を覆し、認定すべしという判断が下されております。司法と行政との乖離は一向に埋まりません。
大臣にお伺いしたいんですが、この新しい基準、機能しているとお考えでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆症認定制度につきましては、原爆症認定制度の在り方に関する検討会、ここで、三年間、合計二十六回にわたって議論を行っていただきました。その結果、平成二十五年十二月に基準の見直しを行ったところでございます。
この検討会の報告書において、「裁判では個別の事情に基づいて判断が行われるのに対し、行政認定においては同様の状況なら同様の結論といった公平な判断が求められることから、」「乖離を完全に解消することは難しい」とされておるわけでございます。
一方で、「こうした限界を踏まえつつも、司法判断と行政認定の乖離をできる限り縮めていく努力が重要」ともされておりまして、非がん疾病の認定基準を明確化するように提言されたことも踏まえて、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかではない範囲まで基準を拡大したところでございます。
この基準見直し前後の認定件数を見ますと、非がん疾病の認定件数は、見直し前、平成二十四年度と平成二十五年度の認定件数が四十三件であったのに対して、見直し後の二年弱で二百六十件と、四十三件から二百六十件へと大幅に増加をしたところでございます。
○堀内(照)委員 いろいろ検討会のことも言われましたが、今大臣も言われたように、検討会の中でも、乖離を縮める努力が重要だと言われているわけでありますし、それから、今ありましたけれども、この間の被爆者の運動の中で要件が拡大したわけですから、ある程度ふえるのは当然なんです。
しかし、新基準以降、昨年九月までの認定件数と却下件数の割合を見ますと、がん疾病では、認定が四分の三、却下が四分の一であるのに対して、非がん疾病では、認定は三分の一にしかすぎず、却下は依然三分の二に上っております。
新基準があたかも何か成果が出ているかのように今言われましたけれども、それをはかる物差しは、単にふえたかどうかではなくて、本来認定されるべき人が認定されているかどうか、ここをやはりしっかり見るべきだと思うんです。
新たな基準は、積極的に認定する範囲として、がんなどについては爆心地から三・五キロメートルでの被爆を認めているのに対し、心筋梗塞や甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変は二キロ、白内障は一・五キロと格段に厳しくなっています。そして、それらに該当しない場合は総合的に判断するというんですが、被爆の克明な証明を求め、少しでも条件を満たさないとされると却下されてしまう、これが今のやり方だと言わなければなりません。
ですから、異議申し立ても後を絶ちません。
新基準前の二〇一三年と、その後の一四年、一五年、一五年は九月までだと思うんですが、異議申し立ての件数はどうなっているでしょうか。
○福島政府参考人 お答えいたします。
お尋ねの、原爆症認定を申請されたけれども却下となりまして、その決定を不服として異議申し立てをされた件数でございますが、平成二十五年度、二〇一三年度が六十三件、平成二十六年度が六十九件、平成二十七年度が九月末までで五十八件となっております。
○堀内(照)委員 前が六十三件、その後、六十九件と。ことしは半年で五十八件ですから、ふえているんですね。積極認定というけれども、実際には線引き、事実上の切り捨てになっているからではないでしょうか。
二〇一四年三月の熊本地裁で原告勝訴の判決となった方は、爆心地から二キロの自宅で、生後八カ月のときに被爆をされました。法廷では、被爆当時の様子を語ろうにも、多くを語らなかった父母のかわりにいろいろ教えてくれた六歳上の姉の記憶が頼りだったと。
四十歳を過ぎたころから、肝機能障害や脳梗塞などを発症する。その後も、心筋梗塞、糖尿病、バセドー病、甲状腺機能低下症など、次々発症する。たばこも酒もやらない。病気は被爆したからだ、こう思って申請をしましたが、却下をされました。新基準でもこれが認められませんでした。司法判断でやっと認定されました。なのに、国は控訴したんです。
国は、当時八カ月だった人に、これ以上被爆の因果関係を証明せよというんでしょうか。この間、国は十人を超える原告を控訴しております。
大臣に伺いたいんです。こうまでしてなぜ控訴を続けるんでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆症認定に関する訴訟につきましては、被爆者の方々が高齢化をしているというこの現状は、これはもう揺るぎない事実でございます。これは踏まえなければいけない。できる限り救済するという観点もそのとおりであって、私どももその観点に立って、それぞれの判決内容を慎重に検討して、新しい審査の方針と矛盾しないという判断ができるものについては控訴をせずに地裁判決を受け入れるというふうな基本スタンスでまいっておるわけでございます。
他方で、健康被害が放射線によってもたらされたと判断できるかの基準である放射線起因性、あるいは、現に医療を必要とするかの基準であります要医療性に関して、例えばこの認定基準に比べて被爆距離が遠い場合など、現在の科学的知見等に照らして、認めることが困難な事案については控訴をすることとしております。直近の二件の高裁判決では、放射線起因性に関して、いずれも国が逆転勝訴をしているわけでございます。
いずれにしても、厚生労働省としては、被爆者の平均年齢が八十歳を超えて高齢化をしている現状を踏まえれば、現在の認定基準において一日でも早く認定がなされるように審査の迅速化を図ることとしておりまして、原則六カ月以内で審査を行うように努めてまいりたいというふうに思っているところでございます。
○堀内(照)委員 結局、距離で線引きをして控訴しているということになるじゃありませんか。七十年も前の幼少期の記憶を頼りに、病気が放射線起因であるということを立証せよと迫ること自体、私はひどい話だと思うんですね。
多くの被爆者にとって、放射能の影響を証明することは、加齢による記憶の減退、証人も含めた証拠の散逸など、ますます困難になっているわけであります。そういう被爆者に訴訟を強い、立証責任を負わすことは、非人道的だと私は言わなければならないと思うんです。
地裁で勝訴しながら国から控訴された方は、十四歳のとき、爆心地付近で四日間瓦れきの撤去の作業に従事をし、帰宅後猛烈な下痢が二カ月余り続いた後、髪や眉毛が抜け落ちた。後に肝臓がんなども患いましたが、それでも認定申請は却下だったと。却下の理由は示されませんでしたが、恐らくということで、この方は、投下後約百時間以内の入市でなかったからだろう、官僚の勝手な線引きは許せない、こう語っていたわけであります。以来六年もの歳月を費やしてやっと地裁で勝訴したのに、国が控訴をしたことで認定を受けられませんでした。
今、大臣、逆転もあるんだとおっしゃいましたけれども、この方も本当に不当な判決だと私は思うんですね。この方は、地裁で勝訴をかち取って喜んだ後、国が控訴した中で、落胆する中、間もなく入院し、帰らぬ人となりました。
私もこの問題でいろいろ相談を受ける中で、国は被爆者が死ぬのを待っているのか、そういう声があるわけです。私は国の責任は本当に重大だと思うんです。
八・六合意では、訴訟を終結させ、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図ると。官房長官の談話では、「国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてこれを厳粛に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします。この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図ることとしたものであります。」こう述べているんですね。
しかし、これはやはり全くやっていることが逆じゃないかと私は言わなければならないと思うんです。高齢の被爆者を訴訟に追い込むことはあってはなりません。
十三歳のときに長崎で入市被爆をした神戸の方、裁判当時は八十一歳の女性なんですが、裁判で国側代理人から、入市した日付が被爆者手帳の記載と違うということを指摘される中で、出発する日付をカレンダーで確認したのかとか、長崎の町へどの交通機関を使うつもりだったのかとか、爆心地の状況をわかって向かったのかとか、罹災証明をとっていなかったのかと。子供だった私にわかるはずありません、こう答えるしかなかったというんですが、被爆直後の混乱した状況を考えればおよそ発することができないような執拗な尋問に、この女性は、こんな性悪な質問はない、もう帰りたい、ここまで口にしたというんです。
裁判となったら、国側代理人からの尋問が、被爆者の証言には虚偽はないのかと、戦後七十年以上、被爆によるさまざまな苦難を強いられてきた高齢の被爆者を一層傷つけるものになっているわけです。
そうした被爆者の、今、放射線起因性と言われました、それを立証させる国のやり方、被爆者に立証させるやり方を司法は何度も断罪をしているわけです。今後、高齢化で、一層立証は困難になります。だからこそ私は、政治の決断が必要なんだと思うんです。
今の認定行政では、基準を設けることで、どうしても切り捨てが生まれてしまう。司法と行政の乖離も解決しない。現行の認定行政では私は解決できないと思います。だから、被団協は、現行の認定行政をやめようと提言を発表しております。全ての被爆者に現行の健康管理手当相当の被爆者手当を支給し、疾患について、段階的に手当の加算を行うことを提案している。段階的支給により、現行の手当より減る人も生まれるかもしれませんけれども、今の認定行政のこのような切り捨ては変えようという思い切った提案なんです。
認定行政を見直す必要があると私は思うわけですが、大臣、いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 平成二十五年十二月の原爆症認定制度の基準の見直しは、先ほど申し上げたとおり、幅広い分野の専門家あるいは被団協の代表の方々にも御参画をいただいて、原爆症認定制度の在り方に関する検討会において、三年間、二十六回にわたって議論をしていただいた上で結論をいただいた、こういうことで、大変重たいものだと理解をしております。
現行の基準は、検討会の報告にございますように、司法判断と行政の乖離を埋める努力として、そしてまた、放射線と健康被害に関して科学には不確かな部分があることを踏まえて、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含めて設定をされたものでございます。また、見直しの結果、認定疾病における非がん疾病の割合も増加をしているところでございます。
先ほど申し上げたように、裁判で逆転勝訴を国がするというようなこともまだございまして、基本は今申し上げたとおりでございますので、引き続き、この認定行政の公正公平な、そしてスピードを上げた対応をしてまいりたいというふうに思います。
○堀内(照)委員 確定した判決は、国が負けたものしかないわけですよ。それは余り理由として言わない方がいいと思いますよ。
私、被団協の提言の中にある一節、これをぜひ聞いていただきたい。「被爆者は原爆の地獄を体験し、全ての被爆者が何らかの放射線被害を受けています。そのために心と身体に深い傷を負って生き抜いてきました。子どもを産み育てるという人として自然なことにさえ恐れおののき、就職、結婚など人生の節目での差別など計り知れない苦しみと不安から解放されることなく生きてこざるをえなかったのです。そして今もなお、子や孫に健康問題が生じると「被爆のせいではないか」と、わが身を責めているのです。」
何らかの放射線被害を受けているわけです。それを、どこまでどう放射線量を受けたのかと、幼少期の、七十年以上前の記憶を呼び起こして立証させる、こんなことは、私はやはり間違っていると思うんです。
少なくとも、真摯にこの司法の判断と向き合って、定期協議の場で被爆者団体と話し合う。今、定期協議をやるということになっているんですけれども、被団協と原告団、弁護団の統一要求書の中では、定期協議、原則概算要求前の毎年七月に行うということと、この認定制度の抜本的な改善のために、事務レベルでだと思うんですが、事務方あるいは政務官ないし副大臣との定期協議の場を要望されていると思うんですが、これはぜひ具体化すべきじゃありませんか。
○渡辺委員長 既に持ち時間が経過しております。質疑は終了してください。
簡潔に答弁をお願いいたします。
○塩崎国務大臣 被団協の皆様方との協議につきましては、これまでも国会用務等の動向も見ながら行ってきておりまして、昨年一月十五日に開催したところでございます。
その後も、毎年春と秋に厚生労働省の事務方が被団協と定期的に面会をしております。各種要望をお伺いしているところでございますけれども、いずれにしても、国会の状況、それから前回の大臣協議からの状況の変化なども見て、次回の開催時期としていつが適当か、事務方に被団協の皆様方と相談をさせたいというふうに思います。
○堀内(照)委員 被爆者はもう待てない、この一言だけ言って終わります。
ありがとうございました。
○渡辺委員長 以上で本案に対する質疑は終局いたしました。