○池田委員長 次に、河井克行君。
○河井委員 おはようございます。自由民主党、河井克行です。
きょうは、黒い雨について質疑を行います。
昨年の福島第一原子力発電所の事故以来、六十七年前に広島、長崎に降った黒い雨が再び注目されるようになっております。
この福島原発事故の及ぼす影響と広島、長崎黒い雨の関連は、大臣、何でしょうか。特に人体に及ぼす影響についてお答えをいただきたい。簡潔にお願いをいたします。
○小宮山国務大臣 関連とおっしゃいますのがどういうことを意味しているのか、ちょっと難しいかと思いますけれども、放射能による人体への影響が、どのように影響があるかということかというふうに思います。
○河井委員 ですから、その放射能の人体に及ぼす影響について、特に、広島、長崎に六十七年前に降った黒い雨の何が最も問題かということをお尋ねしている。お答えください。
○小宮山国務大臣 私も野党の議員のときからこの広島、長崎のことは取り組んでまいりましたが、今委員がおっしゃっている意味がちょっとよくわからないのですが、もう少し詳しくお尋ねいただけるでしょうか。
○河井委員 わからないという答弁がわからない、私は。通告していますよ、これはちゃんと。黒い雨についてきょうは質疑に立つとちゃんと言っている。
大臣、黒い雨が人体に及ぼす影響、放射能の影響と今自分でおっしゃった、それと昨年起こった福島第一原発事故、この関連について聞いているわけですよ。
住民が何を一番不安に感じているか。野党時代から取り組んでこられたのならわかると思うけれども、黒い雨を浴びたという広島、長崎の方々は何を一番心配に思っているのか。お答えください。
○小宮山国務大臣 それは、放射能によります健康へのさまざまな被害ということかと思いますが。
○河井委員 放射能は放射能でも、大臣、直接被爆じゃなくて間接被爆、その深刻さを、広島、長崎の黒い雨に遭った方々は、直接の被爆は経験はないけれども、黒い雨を浴びたことによって、あるいは、それがつかった水を飲んだり、川の水を飲んだり、土壌から生えていた野菜や果物、稲を食べて、お米を食べて、それが健康被害になっているんじゃないかということを心配している。まさに福島と同じ状況だということを、こんな、大臣、入り口の話で時間を使ってほしくない。
そういう認識はありますね。どうぞお答えください。
○小宮山国務大臣 質問の意味がよくわからなかったのは申しわけないと思いますが、ただ、福島の方に伺うと、広島、長崎と同じようにという表現をかえって心配なさるという向きもございますので、そのあたりの物の言い方は慎重にしたいかと思います。
○河井委員 間接的な被曝ということについて、では、福島の方々は、住民は今心配していないという意味の答弁ですか、今。お答えください。
○小宮山国務大臣 私が言っている真意を私がうまくお伝えしていなかったのだったら申しわけありませんが、そんなことを全く言っているわけではありません。
ただ、原爆が落ちて、その後の黒い雨とか、どの範囲までとか、いろいろございますけれども、そのことと、今ずっと低線量の被曝のことが心配されているかと思いますけれども、原子力発電所の事故の場合とはケースが違うということを福島の方などはおっしゃっているということを申し上げているので、福島についてしっかりと、お子さんを含めて、ずっとウオッチをしなければいけないということ、なるべくその皆様方の心配を取り除くためにどうするか、どうしたらいいかということは、地元の自治体とも協議をしながら、政府としても全力を挙げて今やっているところでございます。
○河井委員 認識が違う。
実際に、私の地元の広島の上安・相田地区の黒い雨の多くの被害者の会の皆さん方が一番心配しているし、私は、大臣、これで民主党政権なって厚生労働省の政務三役にこの件で質疑を行うのは五回目であります。繰り返し、私は、その黒い雨に実際六十七年前に遭った方々が今一番心配していることは、福島の地で自分たちと同じような間接的な被曝ということが行われていないかということを一番心配していらっしゃる、そういう土台があるから、きょうはこの質疑をさせていただいているわけであります。
前回、私がこの件について行った最後の質疑が、去年の八月九日の科学技術特別委員会。きょうは、その後の動きを大臣にお尋ねしたいんです。
放影研というのは御存じですね。広島市南区にある放射線影響研究所。昨年の十一月二十二日に、前身である原爆傷害調査委員会、いわゆるABCC、ここが一九五〇年から五六年の間におよそ十二万人を対象に行った面接調査の中で、約一万三千人が原爆投下直後に降った黒い雨を浴びたと回答していたことを明らかにいたしました。これはずっと、なぜかはわかりませんが、放影研の中に眠り続けていた。五十年以上にわたってずっと眠り続けていた大変貴重な一線級の資料、データが発見されたということであります。
大臣、この放影研、運営経費は日米両国政府どちらが多く負担しているか、そして、日本政府においてはどの役所が予算措置をしているか、お答えをください。
○小宮山国務大臣 放射線影響研究所、これは、御指摘のように日米政府の共同出資ですが、日本の方が多く出資をしておりまして、厚生労働省が所管をしております。
○河井委員 平成二十二年度の放影研の決算書によると、支出総額が三十四億九千万、うち、日本国政府が厚労省から二十一億四千万、米国は、エネルギー省、DOEから十三億二千万。
もう一つ、この放影研、常勤役員あるいは非常勤役員のうち、厚生労働省からのいわゆる天下り、その人数についてはつかんでいらっしゃいますか、お答えください。
○小宮山国務大臣 済みません、詳細な通告をいただいておりませんので、厚労省の方から元厚労省の職員が行っているということは承知をしておりますが、人数は把握をしていません。
○河井委員 私の調べによると、常勤役員四名中一人、非常勤役員六人中二名が厚労省からのいわゆる天下りになっている。
大臣、つまり、運営費の半分以上を厚生労働省が予算措置をし、人をも送り込んでいる大変密接なかかわりのあるのがこの放射線影響研究所、放影研。今回、そこから大変貴重な資料、データが数十年ぶりに発掘をされた。当然、厚生労働省として、これまでの間、公共の利益になるためのデータの活用に向けて、研究所に対して働きかけることができる立場にあるわけですが、どういった働きかけを行ってきたか、あるいは働きかけをしていなかったのかもしれませんが、それらを含めてお答えください。
○小宮山国務大臣 働きかけというのは、ちょっと具体的に今なかなか申し上げられるところがございませんが、今委員が御指摘ありました、データが発表されたということについては、これは非常に貴重なデータだということで、細川大臣のときからずっとやってまいりました「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会、この検討会をつくりまして、七回検討会を行いまして、今、次回の検討会で取りまとめ案をまとめるというふうに聞いていますが、その第六回のときに、この放射線影響研究所の理事長からこの検討会で今の結果を御報告をいただきましたので、次回取りまとめるときには、この報告も踏まえた上での報告が出るというふうに考えているところです。
○河井委員 今の答弁をもう一度確認します。
次回の取りまとめの際に、この放影研が持っていた一万三千人分のデータも踏まえた報告書をこれから取りまとめていくということですね。もう一度お願いします。
○小宮山国務大臣 この検討会で、放射線影響研究所からの報告も踏まえて、科学的な検討を行った上で報告を取りまとめる。ですから、報告の中にこれを踏まえたものも入るというふうに考えています。
○河井委員 私が何でこんなことを大臣に聞いているかといいますと、公開されていないんですよ、放影研が。全てを公開するように、さまざまな団体あるいは長崎市長などから文書で要請が放影研に行っているんですけれども、公開を全てしていない。そのことは御存じだったでしょうか。
○小宮山国務大臣 この報告書は公開しているというふうに聞いていますが、今全体の公開状況がどうなっているかというのは、チェックをさせていただきたいと思います。
○河井委員 大至急確認をとっていただきたいと存じます。
きょう、お手元に理事会のお許しをいただいて配った資料、これは、大臣、実は、地図上にこのデータを落としたもの、出典は地元の新聞社の記事でありますけれども、これが放影研の中で眠っていた。
一番真ん中の実線が、大雨地域だとこれまで国が認定していたところであります。その外側の点線部分がいわゆる小雨地域。
しかしながら、広島市が二〇〇八年六月から十一月までアンケート調査をおよそ三万七千人を対象に行った結果、従来言われていた範囲よりも数倍あるいは十数倍の広さで雨が降ったことが推定されております。それが一番外の実線であります。
今回の発掘されたデータ、これを一つ一つドットで落としたものが、その真ん中あたりに、少し色がかかっているところなんですね。つまり、国が大雨地域あるいは小雨地域とすら認定していなかったところで、ABCCが行った具体的な設問はこういうことでした、原爆直後の雨に遭いましたか、そういう設問。それに対して、はいと答えた人を地図上に落とすと、こういう状態になっている。
ですから、大臣、もっとこのデータが研究者の間で公開されるべきだと私は思うんです。現状では、放影研の中だけでさまざまな検討が積み重ねられているようでありますけれども、やはり、私は、放影研だけでなくて、例えば地元でいえば、広島大学の原爆放射線医科学研究所などのいわゆる副次的な意見というものも聞く必要があるし、これはもう絶対、被爆直後の住民の実態をあらわしている貴重な資料でありますから、これを一放影研の中だけでとどめておくべきではない、公開をするべきだと、重ねてそのように申し上げます。
重ねて、大臣の認識を伺いたいと存じます。
○小宮山国務大臣 昨年十二月にその放射線影響研究所が発表したところでは、今委員が御紹介いただいたように、黒い雨に、雨に遭ったという答えが、十二万人のうち、およそ一万三千人あったというふうに聞いています。
今、この結果は公開をしていると聞いていますが、全てを公開しているのかどうかを含めてチェックをさせていただきたいと思いますが、おっしゃるように、いろいろなところのその貴重なデータは、今回まとめる報告書に、しっかりと科学的に検討をした上で、ちゃんと必要なものは盛り込まれるべきだと思っておりますので、そこは委員のおっしゃるとおりだと思います。
○河井委員 この一万三千人の質問事項の中で、放射線による急性症状である発熱や嘔吐の有無も尋ねてあるんです。つまり、大臣、はいと、黒い雨に遭いましたと言っている人とその急性症状との一人一人の関連性も、これは統計学的な手法を用いて積み重ねることができるし、同じ被曝線量でも、黒い雨を浴びたと答えた人のその後のお亡くなりになった原因ですとか寿命と、浴びていないと答えた人のそれらを比べることによって、この雨の影響の手がかりをつかめる可能性がある。
繰り返しますが、これは貴重なデータでありまして、ぜひ、一日も早く私は全面的な公開をしていただきたい。
先ほど大臣がおっしゃった次回の有識者検討会、これは大体いつぐらいで、最終報告書をもうお取りまとめになる時期が近づいていると考えますが、そのめどなどもお聞かせをください。
○小宮山国務大臣 次回の検討会は五月中にというふうに思っています。
○河井委員 ですから、そろそろ最終報告をまとめる時期ではないかと考えますが、その見通しなどもお示しをいただきたいと思います。
○小宮山国務大臣 その次回の検討会で報告書を取りまとめる予定でございますので、それが、ですから、五月中には取りまとめる予定というふうに考えているところです。
○河井委員 大臣、問題は、大事なことは、その報告書の中身なんです、当たり前のことですけれども。
全国でこれまで提起をされてきました原爆症認定集団訴訟で国が敗訴を重ねた中で、さまざまな判決が指摘してきたのは、内部被曝や低線量被曝の影響を国も学者も考慮してこなかったということなんです。国が司法判断を受け入れる形で原爆症認定基準を見直したからには、この低線量被曝や内部被曝の代表的な要因である黒い雨の指定区域も拡大しないことには論理的な整合性がとれないんです。
大雨地域を設定した、もう四十年前、一九七六年当時の科学的知見をいまだに適用し続けている。私は、この、国が依拠する科学的知見こそが問われているというふうにこれまでもさまざまな委員会で指摘をしてまいりました。今の点につき、大臣の御見解をお聞かせください。
○小宮山国務大臣 私も、被爆者の方々ともお会いをしておりますし、皆様方、大変御高齢になられていて、そしてやはり、司法との乖離を何とかしなければいけないという強い思いは持っております。
ただ、今回のこの放影研の発表の中で、原爆直後に雨に遭った場合と、それから、あと、一カ月後に遭った場合とかいろいろ時間差があるということですとか、いろいろなことがやはり科学的にちゃんとチェックをしなければいけない点もあるというふうに聞いておりますので、こうしたデータの中でしっかりと活用できるものは活用しながら、私も、少しでも早くその司法との乖離を埋めたいという思いは持っておりますので、そういう意味ではしっかりと取り組ませていただきたいと思っています。
○河井委員 大臣、今大変大事なことをおっしゃいました、司法との乖離を埋めたいと。まさにそのとおりでありまして、その司法の判断を受け入れたということは、要するに、低線量被曝や内部被曝について国や学者がこれまで考慮していなかったという考え方を改めたからこそ受け入れたわけでありまして、今度、その具体的な適用が、この広島の黒い雨の地域の拡大ということとこれは一緒な話ですから、ぜひしっかりと取り組んでいただきたいと存じます。
私が地元でいろいろな当時の経験者の方と話をしていますと、この報告書の中身に大変大きな不安、心配を抱えていらっしゃる。つまり、六十七年前に起こったことを証明するというのはなかなか難しいことなんです。でも、その人たちの多くが、このような、さまざまな聞き取り調査などで、雨に遭ったという答えをしている。降ったか降らなかったかわからないということと降っていないということは違うんですね、大臣。わからないということと降っていないということは違う。
私は、この失われた六十七年という月日を今から取り戻すことはできませんので、次の最終報告書におきまして、放影研でずっと眠っていたデータも含めた形で、しっかりとした方向性を示してもらいたい。それは雨の地域の拡大しかない。大臣のお考えを伺いたいと存じます。
○小宮山国務大臣 繰り返しになりますけれども、そうした貴重なデータは、しっかりと今回の報告書の中にも取り込みたい。
ただ、そのときに、科学的にそれが妥当であるかというチェックも当然必要になってまいりますので、そうした経緯を経た上で、必要なものを取り込み、さっき申し上げた、司法との乖離を何とか埋めたいという思いは、本当にそういう形で思っておりますので、可能な限りの対応をさせていただきたいと思っています。
○河井委員 その可能な限りの対応の中に、科学的な知見のチェックとおっしゃいました。この放影研のずっと眠っていたデータが、なぜ眠り続けていたかということも謎でありますけれども、やはり、日本のさまざまな研究機関、十分に科学的な知見を調べることができるところにも公開をして、そして、この貴重なデータをぜひとも有効活用してもらうためにも、大臣、繰り返し、これからチェックする、チェックするとおっしゃっていますけれども、チェックしてみて公開しなかったということではなくて、まず、私は、公開という方向性を、大臣、おっしゃっていただきたいんです。いかがでしょうか。
○小宮山国務大臣 公開できるものは公開をしたいというふうに思います。
○河井委員 もう一つ。
大臣、内部被曝の影響について、ずっと有識者検討会の中で、精神的な影響というものの文言がたくさん使われているんです。当たり前のことですけれども、内部被曝そのものが引き起こすのはあくまでもがんとか心臓病などの疾患であって、黒い雨を浴びたということによる精神的な影響に限定するのはおかしいと、これも実際に、上安・相田地区黒い雨の会の方々、異口同音に言っておりますし、現に、自費で、交通費を自分で払って、宿泊費を払って、今までの有識者検討会も傍聴してきている人たちが、そのような発言をしている。
大臣、精神に内部被曝の影響は限定できないはずだと思うんですが、お考えを伺いたいと存じます。
○小宮山国務大臣 確かに、おっしゃるとおり、精神的な健康状態ということも一つのポイントにしていますが、それに限らないということは、おっしゃるとおりだと思います。
○河井委員 質疑の持ち時間が終わりましたので、終わらせていただきます。
どうか大臣、しっかりと指導性を発揮していただいて、最終報告書、必ずや住民の方々の思いが通じる中身に、また、その後の厚生労働省としての行政判断も、その方向でつくっていただきたい。心から期待をさせていただきます。
終わります。
2016年10月21日金曜日
(原爆症認定・小池晃)第186回国会 厚生労働委員会 第6号(平成26年4月1日)
○小池晃君 日本共産党の小池晃です。
原爆症の認定訴訟について最初に聞きます。
三月二十日に大阪地裁、二十八日には熊本地裁で判決が出ました。いずれも、昨年十二月に国が定めた新基準で却下された被爆者を原爆症と認定したわけであります。
しかし、厚労省は昨日、大阪地裁で原爆症と認定された原告四人のうち一人について控訴いたしました。高齢の原告に更に苦しみを強いる非人道的な控訴にまず断固抗議をしたいというふうに思います。同時に、今回新しい基準に基づく再審査でも却下されていた残りの三人については控訴しなかったわけであります。これは、結果としてやはり新基準の不十分さを政府も認めたことになるのではないかというふうに思います。
大臣に伺いたい。
まず、熊本地裁判決については、これは控訴は断念すべきであるということが一点。それからもう一点は、司法判断と行政の乖離はもう明確になったというふうに思います。原爆症の認定基準の再改定、そして認定行政の抜本的な改善を求めたいと思います。いかがでしょうか。
○国務大臣(田村憲久君) 今般の裁判でありますけれども、旧方針、つまり認定基準に合わせて結審をされたものでございますから、新方針、新しい基準は、昨年の十二月に関係者の方々の話合いの中において新たな方針というものが決められたわけであります。いろんな御意見があったことは私も承知いたしております。
でありますから、新しい方針、これは特に科学的な観点から、例えば距離基準に関しても明確化したわけでありますけれども、こういう新しい方針にのっとってやはり司法の判断を仰ぐというのが基本的な考え方の中において、一番初めの大阪に関しましては、これは更に上級審での判断を仰ぐということにさせていただいたわけであります。
熊本に関しましては、これから今申し上げたようなところをひとついろいろと勘案しながら、どうすべきか判断をさせていただきたい、このように考えております。
○小池晃君 いや、それは、新基準は結審後にできたわけですから、新基準そのものを司法判断できないのは当然でしょう。でも、結果として、新基準に基づいて再認定求めたら却下したわけですよ。その人たちが原爆症と認定されるという判断が、司法判断が下ったわけでしょう。そのうち三人についてはそれを受け入れたわけじゃないですか。
ということは、これは新たな基準自体に問題があるということですよ。少なくともその三人についてこれは控訴しなかったということは、やはりその新基準に基づく認定を却下したことは間違っていたということでしょう。だとすれば、認定行政はやはり改めなければいけないじゃないですか、いかがですか。
○国務大臣(田村憲久君) 以前の基準は基準としてあったわけでありますが、非常に不明確な部分があるという御指摘もいただいておったわけであります。
それを一つ勘案しながら司法の方で判断をされた結果があったわけでありますが、そういうことも踏まえて新しい基準、方針を十二月に作ったわけでありますから、それをもってして司法がどのような御判断をいただくか、そこは科学的な観点も含まれておるわけでございますので、その判断を仰ぎたいということであります。
○小池晃君 私の言ったことに答えていないと思いますね。
今回の大阪地裁の裁判で、私、ひどいなと思ったのは、例えば骨髄異形成症候群の原告について要医療性を争った人については、これは放射線起因性は認められるけれども、高齢で輸血などができないということで、単なる経過観察だから要医療性はないという、こういう主張をしているわけですよ。
今回、厚労省は、この主張を否定した判決を受け入れたわけですね。私、当然だと思います。こういう非人道的な許されない主張はきっぱりやめるべきだというふうに思いますし、大臣、幾ら言っても、結局、新しい基準作りましたと、それに基づいて再申請したら却下された人が裁判では認定されているわけですから、それを受け入れたわけだから、厚労省も。やっぱり、これは認定行政見直すの当然だし、認定行政見直すのであれば、その中にある基準についてもこれは当然見直すべきだということを改めて申し上げたいというふうに思います。
原爆症の認定訴訟について最初に聞きます。
三月二十日に大阪地裁、二十八日には熊本地裁で判決が出ました。いずれも、昨年十二月に国が定めた新基準で却下された被爆者を原爆症と認定したわけであります。
しかし、厚労省は昨日、大阪地裁で原爆症と認定された原告四人のうち一人について控訴いたしました。高齢の原告に更に苦しみを強いる非人道的な控訴にまず断固抗議をしたいというふうに思います。同時に、今回新しい基準に基づく再審査でも却下されていた残りの三人については控訴しなかったわけであります。これは、結果としてやはり新基準の不十分さを政府も認めたことになるのではないかというふうに思います。
大臣に伺いたい。
まず、熊本地裁判決については、これは控訴は断念すべきであるということが一点。それからもう一点は、司法判断と行政の乖離はもう明確になったというふうに思います。原爆症の認定基準の再改定、そして認定行政の抜本的な改善を求めたいと思います。いかがでしょうか。
○国務大臣(田村憲久君) 今般の裁判でありますけれども、旧方針、つまり認定基準に合わせて結審をされたものでございますから、新方針、新しい基準は、昨年の十二月に関係者の方々の話合いの中において新たな方針というものが決められたわけであります。いろんな御意見があったことは私も承知いたしております。
でありますから、新しい方針、これは特に科学的な観点から、例えば距離基準に関しても明確化したわけでありますけれども、こういう新しい方針にのっとってやはり司法の判断を仰ぐというのが基本的な考え方の中において、一番初めの大阪に関しましては、これは更に上級審での判断を仰ぐということにさせていただいたわけであります。
熊本に関しましては、これから今申し上げたようなところをひとついろいろと勘案しながら、どうすべきか判断をさせていただきたい、このように考えております。
○小池晃君 いや、それは、新基準は結審後にできたわけですから、新基準そのものを司法判断できないのは当然でしょう。でも、結果として、新基準に基づいて再認定求めたら却下したわけですよ。その人たちが原爆症と認定されるという判断が、司法判断が下ったわけでしょう。そのうち三人についてはそれを受け入れたわけじゃないですか。
ということは、これは新たな基準自体に問題があるということですよ。少なくともその三人についてこれは控訴しなかったということは、やはりその新基準に基づく認定を却下したことは間違っていたということでしょう。だとすれば、認定行政はやはり改めなければいけないじゃないですか、いかがですか。
○国務大臣(田村憲久君) 以前の基準は基準としてあったわけでありますが、非常に不明確な部分があるという御指摘もいただいておったわけであります。
それを一つ勘案しながら司法の方で判断をされた結果があったわけでありますが、そういうことも踏まえて新しい基準、方針を十二月に作ったわけでありますから、それをもってして司法がどのような御判断をいただくか、そこは科学的な観点も含まれておるわけでございますので、その判断を仰ぎたいということであります。
○小池晃君 私の言ったことに答えていないと思いますね。
今回の大阪地裁の裁判で、私、ひどいなと思ったのは、例えば骨髄異形成症候群の原告について要医療性を争った人については、これは放射線起因性は認められるけれども、高齢で輸血などができないということで、単なる経過観察だから要医療性はないという、こういう主張をしているわけですよ。
今回、厚労省は、この主張を否定した判決を受け入れたわけですね。私、当然だと思います。こういう非人道的な許されない主張はきっぱりやめるべきだというふうに思いますし、大臣、幾ら言っても、結局、新しい基準作りましたと、それに基づいて再申請したら却下された人が裁判では認定されているわけですから、それを受け入れたわけだから、厚労省も。やっぱり、これは認定行政見直すの当然だし、認定行政見直すのであれば、その中にある基準についてもこれは当然見直すべきだということを改めて申し上げたいというふうに思います。
(原爆症認定・小池晃)第186回国会 厚生労働委員会 第12号(平成26年5月13日)
○小池晃君 日本共産党の小池晃です。
質疑順序の変更を認めていただいてありがとうございます。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟の大阪地裁で五月九日、また原告勝訴の判決が出されました。原告の原爆症認定申請を却下した処分を取り消すことを命じたものであります。
この二人の原告は、昨年十二月の新しい審査方針の積極認定に関する基準には該当しない。つまり、今回の判決もまた新しい認定基準、認定審査方針が極めて不十分であることを示したものだと思います。二人の原告は判決を待たずして亡くなっております。厚生労働省及び大臣の責任は重い。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟のこれまでの判決を見ますと、二十八名の原告のうち二十一名が勝訴、四名は裁判の経過の中で厚労大臣が却下を自ら取り消して認定されています。原告敗訴は三名だけ、八九・三%が勝訴しています。それ以前の原爆症の集団訴訟でも、原告三百六名中二百七十九名が認定されて、九一・一%が勝訴。司法判断は本当に揺るぎのないものになりつつあるんですが、行政とこれほど乖離しているという事例は私はほかに知りません。
大臣、厚労省はいたずらに争うことなく、控訴せずに判決に従うべきではないですか。
○国務大臣(田村憲久君) 今般の判決におきまして、国の主張を一部認められなかったということは、我々もこれに対していろいろと協議をこれからしていかなければならぬことがあるわけであります。関係省庁と協議した上でどうするか決めたいというふうに思っておりますが、今般の判決は、昨年十二月の新しい審査の方針、これが決まる前に結審をしておるものでありますから、新しい方針の下で行われた裁判ではないということでございます。そういうことも含めて、関係省庁と協議しながら最終的に判断してまいりたいと考えております。
○小池晃君 しかし、厚労省は、新しい審査方針に照らして認められなかったということをわざわざ結審後に裁判所にそういう意見書を出しているんですよ。情報を伝えているんですよ。それを踏まえて裁判所に判断することを求めてそういう結果が出たんですから、これはそういう言い分は私、通用しないというふうに思います。
何の罪もない広島、長崎の住民が、原爆投下によって一瞬にして家族も本当に暮らしも奪われて、その後六十九年間苦しみ続けているわけですね。原爆症認定すら切り捨てるというのは、私は本当にあってはならないことだというふうに思うし、これだけ裁判で結論が出続けているにもかかわらず、いたずらに争い続けるというのは、本当に人道に反することだというふうに私は思います。しかも高齢化しているわけで、やっぱり一刻も早くこの苦しみから解放してさしあげるのが私は政治の責任だというふうに申し上げたいと思います。
今日はこの問題に絞って聞きたい。
先日取り上げた岡山地裁の判決ですが、申請者が提出した書類を認定審査でも異議申立てでも二回にわたって見落としたという事案です。厚労省も控訴を断念いたしました。前回この問題で厚労大臣は、その後、審査体制を強化して申請書類の様式も変えたので、そのようなことのないようにしたと言いましたが、しかし、今回の岡山判決の原告の認定が却下された第百四回医療分科会は、これは二〇一〇年一月に開かれていますから、これは厚労省がおっしゃる体制強化の後のことであります。その実態はどうだったか。
厚労省に聞きますが、第百四回医療分科会は何名の審査委員で何件の認定審査、異議申立て審査を行ったのか。そして、実質の審査時間はどれだけだったんですか。
○政府参考人(佐藤敏信君) お答えをいたします。
御質問のありました平成二十二年の一月十八日に開催されました第百四回の疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会でございますけれども、二十三名の委員に御出席をいただきまして、二百五十三件の原爆症認定審査、それから四件の異議申立て審査が行われております。
開催時間ですが、おおむね十時から十七時でございまして、場合によっては若干超過したりということがあるわけですけれども、休憩時間をおおむね合計で一時間程度取っておりますから、実質の審議時間は約六時間ということになります。
原爆症認定の審査でございますけれども……
○小池晃君 いいです、もう。
六時間で二百五十七件ですね。一人当たり一分半にも満たないわけですよ。こういう時間で審査しているということは、結局、医療分科会での審査は事務局が作成した一覧表で審査して、そのまま承認あるいは却下というふうにしているのではないか。
例えば、今回のケースで見落としたような、添付されていた入市証明書とか申請者の陳述書をやっぱり一人一人に当たって審査員がチェックしていたら、こんな時間でできるわけがないわけですよ。逆に言えば、そういう審査しているから見落としが起こったんじゃないですか。どうですか、局長。
○政府参考人(佐藤敏信君) 私も十六年前に直接の担当をしておりましたけれども、そのときの経験も踏まえ、またさらに、最近の訴訟の結果等々も踏まえて申しますと、原爆症認定の審査というのは医療分科会の審議だけではなくて、先生から御批判を浴びるかもしれませんけれども、事務的にも十分に審査をいたしまして、必要に応じて都道府県等に照会を掛けて、事務の不備がないかどうか不足資料等を整えますし、また、必要に応じて現在では法律を専門とする委員が審査案件の確認を行うということでございまして、その上で、医療分科会に設置されました六つの審査部会で審査を行う案件もあり、分科会での審議時間それのみならず、その前後に十分に時間を掛けているものと承知しております。
○小池晃君 その事務的な審査が大問題なんです。後でそのことは私、問題にしたいと思うんですが。
しかし、実際にこれだけの、六時間で二百五十七件の審査をする中で、私は、審査委員が一人一人の生の声をちゃんと聞いて審査をするということにならない、なるはずがないと、こんなやり方では。審査方針に何と書いてあるかというと、認定の判断を行うに当たっては、積極的に認定を行うために申請者から可能な限り客観的資料を求めることとする。審査に当たっては、被爆者援護法の精神にのっとり、より被爆者救済の立場に立ち、被爆実態に一層即したものとするとなっているわけですね。これが審査方針なんですよ。
局長、しかし実際には、岡山の事案でいえば見落としているわけでしょう。ということは、これは審査方針が求める審査になっていなかったということは、これは事実としてお認めになりますね。
○政府参考人(佐藤敏信君) 一般論でお答えをすることになりますけれども、多くの申請に対しましてできる限り早くお答えを返してあげる、つまり迅速に審査をするという視点、それのみならず、やっぱり多方面から御検討をいただくという観点から、できる限りの範囲で審査に十分な時間と手間を掛けて対応しているものと承知しております。
○小池晃君 早かったら間違っていいんですか。早かったら見落としていいんですか。それで人生変わるんですよ。そんな考え方でやっているから、やっぱり被爆者の実態に応える、この審査の方針で言っていることと全く違う審査になっているじゃないですか。これでいいのかと私、言っているんですよ。
そもそも、こんなことで対応できなくなるような審査に私は構造的な問題があると思います。先ほど事務が事前にチェックをしているとおっしゃいましたが、そのことをちょっと聞きたいんですが、大臣はこの間の答弁で、申請書類の書式を変えて入市の状況を含むという、申請書類の書式を変えたんだとおっしゃいました。確かに変わっています。入市の状況も含むということが申請書類の項目に入りました。今日お配りした資料の一枚目にあります。
これは、その新しい審査様式で認定申請した広島で被爆した川田義男さんのケースです。入市状況について、これ、別紙のとおりということで、川田さんは、右側に別紙に書いてありますが、八月七日に自転車で御幸橋を渡って日赤病院辺りまで行った記憶があるというふうに記載をされております。それから、その二枚目の被爆者手帳の認定の交付の申請書、これはそれ以前に提出されたものですが、よりリアルに、八月七日にどういうことがあったのかということを克明につづっておられるわけですね。
御幸橋というのは爆心地まで二・二キロです。日赤病院は一・五キロです。そして、川田さんは膀胱がんの治療をされていたわけです。原爆投下から百時間以内に爆心地から約二キロ以内に入市した悪性腫瘍については積極的に認定すると、これが新しい審査の方針ですよね。だとすれば、川田さんのケースというのは、これは御本人の言っていることに照らせば当然認定されるべきケース。ところが却下されているわけです。なぜ却下されたのか。事前の事務のチェックなんですよ。
三枚目に、実際に分科会に出されている一覧表があります。これ、ほかの方はちょっとプライバシーのことがあるので消しておりますが、川田さんのところだけ残していますが、川田さんのところは入市状況というところが空白になっているわけです。書かれていないわけですよ。本人の主張、全く記載されていないわけですよ。
局長、事務的なチェックによって事前に書類を見て、こういう一覧表を作って、入市状況のところに何も書かれていなかったらば、これは認定されるはずがないじゃないですか。こういうことをやっているから救うべき人が救われていないという実態があるんじゃないですか。これが、審査委員にきちんと客観的な資料を提供する厚労省の担当事務局としての役割を果たしたと言えるんですか。
○政府参考人(佐藤敏信君) 一般論で申し上げますと、この認定に当たりましては、被爆時の状況につきましては被爆者健康手帳がありますから、被爆者健康手帳の状況をまずよく見るということからスタートをいたしまして、更にその上で、今議員からお話のありましたように、入市に当たってとりわけ特別の状況があればそれも書いていただくというようなことで被爆の状況は判定をしているということになります。
それから、先ほど、余り詳しく申し上げませんでしたけれども、御提示いただいている岡山地裁判決の事案について具体的に申しますと、原告の被爆者健康手帳においては、直爆のみが、五キロというのみが記載されており、この健康手帳の方に入市の事実が一切書かれていなかったということがありますし、申請時から異議申立て時にも原告自身は、これは項目欄がなかったということなのかもしれませんけれども、入市についての御主張がなかったといった特殊な事情があったことも事実であるということを御理解いただきたいと思います。
○小池晃君 国家賠償請求認められて、控訴しなかった事案について、今更こんなところで弁解しちゃ駄目だよ。とんでもない答弁だよ、今のは。じゃ、あなた、おわび状を送ったと言ったけれども、おわびの気持ち全然ないじゃないですか。おかしいよ、これ。
大臣、担当部局がこんな態度だからやはりきちっとした認定なんかできないんじゃないんですか。しかも、この川田さんの場合は、いろいろ言うけれども、そういった事実が全く書かれていないわけですよ、入市状況のところに。わざわざ厚生労働省は東京都に問合せをしているわけです、この事案については。東京都は、交付申請書には入市の事実を記述しており、入市の事実を否定するものではないという回答を厚労省に出しているわけです。東京都が入市の事実を否定するものではないという回答をしているにもかかわらず、そして本人は入市を克明に書いたにもかかわらず、実際にこの申請書類の入市状況のところには書かれていなかったらば、これ何のための審査かということになるじゃないですか。
大臣、これが実態なんですよ。こんなことでいいんだろうかと私は思うんですよ。
川田義男さんは、却下処分に対する異議申立てを行いましたが、今年四月八日に、田村大臣、あなたの名前で異議申立ての棄却の処分をしています。川田さんはその翌日、四月九日に亡くなられているんです。本当にどんなに無念の思いだったろうかと思う。
今日の資料の四枚目に、これは新しい審査方針になる前の話ではありますが、審査委員を務めたことのある元広島県医師会長の碓井静照さんが語っておられます。こう言っているんです。「申請書には、家族を失ったことや、脱毛や下痢に苦しんだ当時の出来事、その後の生活や思いが細かく書かれている。申請というより訴え。字が書けない人は絵を描いたり、本当に読んでいて胸が詰まった。でも審査委員はそういうことに関係なく、被曝線量と疾病名だけを根拠に機械的に振り分ける。振り落とされた人を何とかしようと、一人で粘ったりしてはみましたが、早ければ一分、結果的に認定される人でも五分で審査せざるを得ない状態が非常につらかった。」と。
こういう訴えも受けて、その後いろんな運動もあって、議論もあって、政府もこの問題では新しい審査の方針作りました。この新しい審査の方針では、申請者に係る被曝線量、既往歴、環境因子、生活歴などを総合的に勘案して、個別にその起因性を総合的に判断するとしているわけです。
ところが、大臣、今私指摘をしてきましたけれども、現状の審査というのは、この新しい審査の方針に照らして、きちっと一人一人の実態を拾い上げるものになっているんだろうかと、私、大変疑問に思う。結局、やっぱり今の審査の状況も碓井先生が嘆かれた当時と基本的には変わっていない状況なんじゃないですか。大臣、このままでいいと思いますか。
大臣、大臣ですよ、大臣です。
○国務大臣(田村憲久君) 基本的には申請時の資料、こういうものをしっかりとチェックしなきゃいけないわけでありますが、足らないものに関しましては、地方自治体を通じていろいろな資料を整えて審議に提出をするということでありまして、これはちょうど今から七年前の新聞記事でありますが、先ほど来、話がありますとおり、平成二十年の四月に体制を変えたということでありまして、法律の専門家の方々に入市の有無、それから被爆の状況等の確認をしていただく、さらには医療分科会の下に審査部会というものをつくって、分科会の審議は審議でやりますが、審査会で審査もやってしっかりと対応していくということでございますから、この頃よりかは体制はしっかりと整備されてきておるというふうに考えます。
いずれにいたしましても、しっかりとした審査、審議ができるように、これからも努力してまいりたいと考えております。
○小池晃君 この頃よりはって、これは碓井先生の言っている頃とは審査の方針も違うわけですから、それは当然だと思います。
しかし、現実に今起こっている状態、変わっていないんではないかと。だって、大臣いろいろおっしゃるけれども、きちっと情報が提供されていないじゃないですか、審査委員に。しかも、それだけの時間が、審査の時間が保証されていないじゃないですか。こういうやり方で審査方針が言っているような客観的な情報をできるだけ集めて積極的に認定すると、そういう審査ができるような状況にあるんですかと私聞いているんです。
実際に、だって見てくださいよ、ブランクになっているわけです、入市状況というのは、一覧表では。これで判断したらば、入市したということを受け止めないまま審査するということになってしまうじゃないですか。これでいいんですかと私言っているんです。
○政府参考人(佐藤敏信君) 繰り返しになりますけれども、現在でも被爆時の状況については被爆者健康手帳で確認をしますし、また申請のときの交付申請書の中も確認をするということをやっております。また、申請の内容の不備についても事務局、事務局だけではとおっしゃいますけれども、都道府県等自治体にも問合せをして、そういう形で書類を整理をして、そして審査会に提出をするというスタイルを取っておりまして、こういう、間違いというふうに言えるかどうか分かりませんけれども、そういうものがないように、今後とも審査体制の充実に努めてまいりたいと考えます。
○小池晃君 間違いと言えるかどうか分からないって、まさか岡山地裁のことを間違いと言えるかどうか分からないと言ったんですか。あれは間違いでしょう、あれはそうでしょう。大臣うなずいているからもういいけれども。
きちっとやっていると言うけれども、実際に提供するべき情報が提供されていないということを私言っているわけですよ。これでいいんだろうかと。だから、事務方の事前のチェックでちゃんと審査委員に届くべき情報すら届いていないというのが実態じゃないですかと。それはそうでしょう、これだけの件数を短時間でやらなきゃいけないという仕組みにしておいたらこうなるでしょうと私言っているわけです。
一点確認しますが、新しい審査の方針では、被爆者救済及び審査の迅速化の見地から、現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定できる範囲に加え、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかではない範囲も含め積極的認定の範囲を設定するとしています。これ大事な考え方だと思いますが、確認しますが、イエスかノーかで答えてください。これは被爆者援護法に基づいた考え方ですね。
○政府参考人(佐藤敏信君) そのとおりでございます。
○小池晃君 大臣、被爆者、高齢化が進んでいるわけです。被爆当時の状況の証言というのは本当に困難になりつつあるわけです。それから、比較的若い被爆者でいうと、被爆した当時非常に小さい子供でしたから、やっぱり覚えていないという実態があるわけです。これも証明が困難になっている。ところが、今の原爆症の認定行政というのは、被爆時の克明な証明を求めるようなやり方で、少しでも条件を満たさないとどんどん切り捨てるということをやっている。これが司法の場では次から次へと覆されているわけですよ。いつまでこんなことを続けていいのか。
今日は、資料の最後に、被団協が提案している新しい原爆症の認定制度といいますか、被爆者支援の在り方についての提言まとめたものを、これ厚労省が会議に提出したものを、分かりやすくまとめられているのでこれをお示ししていますが、被団協は、現行の認定制度を廃止をして、被爆者手帳の所持者に現行の健康管理手当相当額の被爆者手当を支給して、放射線起因性が認められている疾患に限って段階的に区分を設けて手当を支給すると。今は認定されれば医療特別手当、満額出るわけですが、この制度では段階的支給になるわけですね。だから、結局、今の手当よりも減る人も出るわけです。でも、被団協は、今のような認定制度で切り捨てる、こういう事態を変えたいということで提言しているわけですよ。
私、政治の決断が求められている問題だと思う。これだけやっぱり切迫している、高齢化している、司法との乖離も進んでいる。やっぱり被団協の提案というのは、これは事態を打開する中身だと思います。党派を超えて、これは本当に政治のイニシアチブで、大臣、一歩前に進めるべきじゃないですか。新しい制度をつくるときじゃないですか。いかがですか。
○国務大臣(田村憲久君) この認定制度でありますけれども、いろんな御意見がある中で、平成二十二年から三年間掛けて検討会をお開きをいただいて、昨年の十二月に方向を出していただいたわけであります。
それが審査の新しい方針であるわけでありますけれども、十二月の検討会、昨年の……
○委員長(石井みどり君) 時間を過ぎておりますので、答弁は簡潔に願います。
○国務大臣(田村憲久君) 済みません。
この放射線の起因性の問題でありますが、これを、要は、個別の認定に当たってこれを要件とするということが、結果的に他の戦争被害とこの原爆の被害の違いなんだというところを、国民的な理解も含めて示す上ではやはり必要であるというような形の結論を得たわけでございまして、この方針という中においてここを外すというのはやはり難しいというふうに考えております。
○小池晃君 援護法の改正も含めて、私は、これは党派を超えて本当に解決すべき課題だということを全会派の皆さんに申し上げたいと思います。
終わります。
質疑順序の変更を認めていただいてありがとうございます。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟の大阪地裁で五月九日、また原告勝訴の判決が出されました。原告の原爆症認定申請を却下した処分を取り消すことを命じたものであります。
この二人の原告は、昨年十二月の新しい審査方針の積極認定に関する基準には該当しない。つまり、今回の判決もまた新しい認定基準、認定審査方針が極めて不十分であることを示したものだと思います。二人の原告は判決を待たずして亡くなっております。厚生労働省及び大臣の責任は重い。
ノーモア・ヒバクシャ訴訟のこれまでの判決を見ますと、二十八名の原告のうち二十一名が勝訴、四名は裁判の経過の中で厚労大臣が却下を自ら取り消して認定されています。原告敗訴は三名だけ、八九・三%が勝訴しています。それ以前の原爆症の集団訴訟でも、原告三百六名中二百七十九名が認定されて、九一・一%が勝訴。司法判断は本当に揺るぎのないものになりつつあるんですが、行政とこれほど乖離しているという事例は私はほかに知りません。
大臣、厚労省はいたずらに争うことなく、控訴せずに判決に従うべきではないですか。
○国務大臣(田村憲久君) 今般の判決におきまして、国の主張を一部認められなかったということは、我々もこれに対していろいろと協議をこれからしていかなければならぬことがあるわけであります。関係省庁と協議した上でどうするか決めたいというふうに思っておりますが、今般の判決は、昨年十二月の新しい審査の方針、これが決まる前に結審をしておるものでありますから、新しい方針の下で行われた裁判ではないということでございます。そういうことも含めて、関係省庁と協議しながら最終的に判断してまいりたいと考えております。
○小池晃君 しかし、厚労省は、新しい審査方針に照らして認められなかったということをわざわざ結審後に裁判所にそういう意見書を出しているんですよ。情報を伝えているんですよ。それを踏まえて裁判所に判断することを求めてそういう結果が出たんですから、これはそういう言い分は私、通用しないというふうに思います。
何の罪もない広島、長崎の住民が、原爆投下によって一瞬にして家族も本当に暮らしも奪われて、その後六十九年間苦しみ続けているわけですね。原爆症認定すら切り捨てるというのは、私は本当にあってはならないことだというふうに思うし、これだけ裁判で結論が出続けているにもかかわらず、いたずらに争い続けるというのは、本当に人道に反することだというふうに私は思います。しかも高齢化しているわけで、やっぱり一刻も早くこの苦しみから解放してさしあげるのが私は政治の責任だというふうに申し上げたいと思います。
今日はこの問題に絞って聞きたい。
先日取り上げた岡山地裁の判決ですが、申請者が提出した書類を認定審査でも異議申立てでも二回にわたって見落としたという事案です。厚労省も控訴を断念いたしました。前回この問題で厚労大臣は、その後、審査体制を強化して申請書類の様式も変えたので、そのようなことのないようにしたと言いましたが、しかし、今回の岡山判決の原告の認定が却下された第百四回医療分科会は、これは二〇一〇年一月に開かれていますから、これは厚労省がおっしゃる体制強化の後のことであります。その実態はどうだったか。
厚労省に聞きますが、第百四回医療分科会は何名の審査委員で何件の認定審査、異議申立て審査を行ったのか。そして、実質の審査時間はどれだけだったんですか。
○政府参考人(佐藤敏信君) お答えをいたします。
御質問のありました平成二十二年の一月十八日に開催されました第百四回の疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会でございますけれども、二十三名の委員に御出席をいただきまして、二百五十三件の原爆症認定審査、それから四件の異議申立て審査が行われております。
開催時間ですが、おおむね十時から十七時でございまして、場合によっては若干超過したりということがあるわけですけれども、休憩時間をおおむね合計で一時間程度取っておりますから、実質の審議時間は約六時間ということになります。
原爆症認定の審査でございますけれども……
○小池晃君 いいです、もう。
六時間で二百五十七件ですね。一人当たり一分半にも満たないわけですよ。こういう時間で審査しているということは、結局、医療分科会での審査は事務局が作成した一覧表で審査して、そのまま承認あるいは却下というふうにしているのではないか。
例えば、今回のケースで見落としたような、添付されていた入市証明書とか申請者の陳述書をやっぱり一人一人に当たって審査員がチェックしていたら、こんな時間でできるわけがないわけですよ。逆に言えば、そういう審査しているから見落としが起こったんじゃないですか。どうですか、局長。
○政府参考人(佐藤敏信君) 私も十六年前に直接の担当をしておりましたけれども、そのときの経験も踏まえ、またさらに、最近の訴訟の結果等々も踏まえて申しますと、原爆症認定の審査というのは医療分科会の審議だけではなくて、先生から御批判を浴びるかもしれませんけれども、事務的にも十分に審査をいたしまして、必要に応じて都道府県等に照会を掛けて、事務の不備がないかどうか不足資料等を整えますし、また、必要に応じて現在では法律を専門とする委員が審査案件の確認を行うということでございまして、その上で、医療分科会に設置されました六つの審査部会で審査を行う案件もあり、分科会での審議時間それのみならず、その前後に十分に時間を掛けているものと承知しております。
○小池晃君 その事務的な審査が大問題なんです。後でそのことは私、問題にしたいと思うんですが。
しかし、実際にこれだけの、六時間で二百五十七件の審査をする中で、私は、審査委員が一人一人の生の声をちゃんと聞いて審査をするということにならない、なるはずがないと、こんなやり方では。審査方針に何と書いてあるかというと、認定の判断を行うに当たっては、積極的に認定を行うために申請者から可能な限り客観的資料を求めることとする。審査に当たっては、被爆者援護法の精神にのっとり、より被爆者救済の立場に立ち、被爆実態に一層即したものとするとなっているわけですね。これが審査方針なんですよ。
局長、しかし実際には、岡山の事案でいえば見落としているわけでしょう。ということは、これは審査方針が求める審査になっていなかったということは、これは事実としてお認めになりますね。
○政府参考人(佐藤敏信君) 一般論でお答えをすることになりますけれども、多くの申請に対しましてできる限り早くお答えを返してあげる、つまり迅速に審査をするという視点、それのみならず、やっぱり多方面から御検討をいただくという観点から、できる限りの範囲で審査に十分な時間と手間を掛けて対応しているものと承知しております。
○小池晃君 早かったら間違っていいんですか。早かったら見落としていいんですか。それで人生変わるんですよ。そんな考え方でやっているから、やっぱり被爆者の実態に応える、この審査の方針で言っていることと全く違う審査になっているじゃないですか。これでいいのかと私、言っているんですよ。
そもそも、こんなことで対応できなくなるような審査に私は構造的な問題があると思います。先ほど事務が事前にチェックをしているとおっしゃいましたが、そのことをちょっと聞きたいんですが、大臣はこの間の答弁で、申請書類の書式を変えて入市の状況を含むという、申請書類の書式を変えたんだとおっしゃいました。確かに変わっています。入市の状況も含むということが申請書類の項目に入りました。今日お配りした資料の一枚目にあります。
これは、その新しい審査様式で認定申請した広島で被爆した川田義男さんのケースです。入市状況について、これ、別紙のとおりということで、川田さんは、右側に別紙に書いてありますが、八月七日に自転車で御幸橋を渡って日赤病院辺りまで行った記憶があるというふうに記載をされております。それから、その二枚目の被爆者手帳の認定の交付の申請書、これはそれ以前に提出されたものですが、よりリアルに、八月七日にどういうことがあったのかということを克明につづっておられるわけですね。
御幸橋というのは爆心地まで二・二キロです。日赤病院は一・五キロです。そして、川田さんは膀胱がんの治療をされていたわけです。原爆投下から百時間以内に爆心地から約二キロ以内に入市した悪性腫瘍については積極的に認定すると、これが新しい審査の方針ですよね。だとすれば、川田さんのケースというのは、これは御本人の言っていることに照らせば当然認定されるべきケース。ところが却下されているわけです。なぜ却下されたのか。事前の事務のチェックなんですよ。
三枚目に、実際に分科会に出されている一覧表があります。これ、ほかの方はちょっとプライバシーのことがあるので消しておりますが、川田さんのところだけ残していますが、川田さんのところは入市状況というところが空白になっているわけです。書かれていないわけですよ。本人の主張、全く記載されていないわけですよ。
局長、事務的なチェックによって事前に書類を見て、こういう一覧表を作って、入市状況のところに何も書かれていなかったらば、これは認定されるはずがないじゃないですか。こういうことをやっているから救うべき人が救われていないという実態があるんじゃないですか。これが、審査委員にきちんと客観的な資料を提供する厚労省の担当事務局としての役割を果たしたと言えるんですか。
○政府参考人(佐藤敏信君) 一般論で申し上げますと、この認定に当たりましては、被爆時の状況につきましては被爆者健康手帳がありますから、被爆者健康手帳の状況をまずよく見るということからスタートをいたしまして、更にその上で、今議員からお話のありましたように、入市に当たってとりわけ特別の状況があればそれも書いていただくというようなことで被爆の状況は判定をしているということになります。
それから、先ほど、余り詳しく申し上げませんでしたけれども、御提示いただいている岡山地裁判決の事案について具体的に申しますと、原告の被爆者健康手帳においては、直爆のみが、五キロというのみが記載されており、この健康手帳の方に入市の事実が一切書かれていなかったということがありますし、申請時から異議申立て時にも原告自身は、これは項目欄がなかったということなのかもしれませんけれども、入市についての御主張がなかったといった特殊な事情があったことも事実であるということを御理解いただきたいと思います。
○小池晃君 国家賠償請求認められて、控訴しなかった事案について、今更こんなところで弁解しちゃ駄目だよ。とんでもない答弁だよ、今のは。じゃ、あなた、おわび状を送ったと言ったけれども、おわびの気持ち全然ないじゃないですか。おかしいよ、これ。
大臣、担当部局がこんな態度だからやはりきちっとした認定なんかできないんじゃないんですか。しかも、この川田さんの場合は、いろいろ言うけれども、そういった事実が全く書かれていないわけですよ、入市状況のところに。わざわざ厚生労働省は東京都に問合せをしているわけです、この事案については。東京都は、交付申請書には入市の事実を記述しており、入市の事実を否定するものではないという回答を厚労省に出しているわけです。東京都が入市の事実を否定するものではないという回答をしているにもかかわらず、そして本人は入市を克明に書いたにもかかわらず、実際にこの申請書類の入市状況のところには書かれていなかったらば、これ何のための審査かということになるじゃないですか。
大臣、これが実態なんですよ。こんなことでいいんだろうかと私は思うんですよ。
川田義男さんは、却下処分に対する異議申立てを行いましたが、今年四月八日に、田村大臣、あなたの名前で異議申立ての棄却の処分をしています。川田さんはその翌日、四月九日に亡くなられているんです。本当にどんなに無念の思いだったろうかと思う。
今日の資料の四枚目に、これは新しい審査方針になる前の話ではありますが、審査委員を務めたことのある元広島県医師会長の碓井静照さんが語っておられます。こう言っているんです。「申請書には、家族を失ったことや、脱毛や下痢に苦しんだ当時の出来事、その後の生活や思いが細かく書かれている。申請というより訴え。字が書けない人は絵を描いたり、本当に読んでいて胸が詰まった。でも審査委員はそういうことに関係なく、被曝線量と疾病名だけを根拠に機械的に振り分ける。振り落とされた人を何とかしようと、一人で粘ったりしてはみましたが、早ければ一分、結果的に認定される人でも五分で審査せざるを得ない状態が非常につらかった。」と。
こういう訴えも受けて、その後いろんな運動もあって、議論もあって、政府もこの問題では新しい審査の方針作りました。この新しい審査の方針では、申請者に係る被曝線量、既往歴、環境因子、生活歴などを総合的に勘案して、個別にその起因性を総合的に判断するとしているわけです。
ところが、大臣、今私指摘をしてきましたけれども、現状の審査というのは、この新しい審査の方針に照らして、きちっと一人一人の実態を拾い上げるものになっているんだろうかと、私、大変疑問に思う。結局、やっぱり今の審査の状況も碓井先生が嘆かれた当時と基本的には変わっていない状況なんじゃないですか。大臣、このままでいいと思いますか。
大臣、大臣ですよ、大臣です。
○国務大臣(田村憲久君) 基本的には申請時の資料、こういうものをしっかりとチェックしなきゃいけないわけでありますが、足らないものに関しましては、地方自治体を通じていろいろな資料を整えて審議に提出をするということでありまして、これはちょうど今から七年前の新聞記事でありますが、先ほど来、話がありますとおり、平成二十年の四月に体制を変えたということでありまして、法律の専門家の方々に入市の有無、それから被爆の状況等の確認をしていただく、さらには医療分科会の下に審査部会というものをつくって、分科会の審議は審議でやりますが、審査会で審査もやってしっかりと対応していくということでございますから、この頃よりかは体制はしっかりと整備されてきておるというふうに考えます。
いずれにいたしましても、しっかりとした審査、審議ができるように、これからも努力してまいりたいと考えております。
○小池晃君 この頃よりはって、これは碓井先生の言っている頃とは審査の方針も違うわけですから、それは当然だと思います。
しかし、現実に今起こっている状態、変わっていないんではないかと。だって、大臣いろいろおっしゃるけれども、きちっと情報が提供されていないじゃないですか、審査委員に。しかも、それだけの時間が、審査の時間が保証されていないじゃないですか。こういうやり方で審査方針が言っているような客観的な情報をできるだけ集めて積極的に認定すると、そういう審査ができるような状況にあるんですかと私聞いているんです。
実際に、だって見てくださいよ、ブランクになっているわけです、入市状況というのは、一覧表では。これで判断したらば、入市したということを受け止めないまま審査するということになってしまうじゃないですか。これでいいんですかと私言っているんです。
○政府参考人(佐藤敏信君) 繰り返しになりますけれども、現在でも被爆時の状況については被爆者健康手帳で確認をしますし、また申請のときの交付申請書の中も確認をするということをやっております。また、申請の内容の不備についても事務局、事務局だけではとおっしゃいますけれども、都道府県等自治体にも問合せをして、そういう形で書類を整理をして、そして審査会に提出をするというスタイルを取っておりまして、こういう、間違いというふうに言えるかどうか分かりませんけれども、そういうものがないように、今後とも審査体制の充実に努めてまいりたいと考えます。
○小池晃君 間違いと言えるかどうか分からないって、まさか岡山地裁のことを間違いと言えるかどうか分からないと言ったんですか。あれは間違いでしょう、あれはそうでしょう。大臣うなずいているからもういいけれども。
きちっとやっていると言うけれども、実際に提供するべき情報が提供されていないということを私言っているわけですよ。これでいいんだろうかと。だから、事務方の事前のチェックでちゃんと審査委員に届くべき情報すら届いていないというのが実態じゃないですかと。それはそうでしょう、これだけの件数を短時間でやらなきゃいけないという仕組みにしておいたらこうなるでしょうと私言っているわけです。
一点確認しますが、新しい審査の方針では、被爆者救済及び審査の迅速化の見地から、現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定できる範囲に加え、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかではない範囲も含め積極的認定の範囲を設定するとしています。これ大事な考え方だと思いますが、確認しますが、イエスかノーかで答えてください。これは被爆者援護法に基づいた考え方ですね。
○政府参考人(佐藤敏信君) そのとおりでございます。
○小池晃君 大臣、被爆者、高齢化が進んでいるわけです。被爆当時の状況の証言というのは本当に困難になりつつあるわけです。それから、比較的若い被爆者でいうと、被爆した当時非常に小さい子供でしたから、やっぱり覚えていないという実態があるわけです。これも証明が困難になっている。ところが、今の原爆症の認定行政というのは、被爆時の克明な証明を求めるようなやり方で、少しでも条件を満たさないとどんどん切り捨てるということをやっている。これが司法の場では次から次へと覆されているわけですよ。いつまでこんなことを続けていいのか。
今日は、資料の最後に、被団協が提案している新しい原爆症の認定制度といいますか、被爆者支援の在り方についての提言まとめたものを、これ厚労省が会議に提出したものを、分かりやすくまとめられているのでこれをお示ししていますが、被団協は、現行の認定制度を廃止をして、被爆者手帳の所持者に現行の健康管理手当相当額の被爆者手当を支給して、放射線起因性が認められている疾患に限って段階的に区分を設けて手当を支給すると。今は認定されれば医療特別手当、満額出るわけですが、この制度では段階的支給になるわけですね。だから、結局、今の手当よりも減る人も出るわけです。でも、被団協は、今のような認定制度で切り捨てる、こういう事態を変えたいということで提言しているわけですよ。
私、政治の決断が求められている問題だと思う。これだけやっぱり切迫している、高齢化している、司法との乖離も進んでいる。やっぱり被団協の提案というのは、これは事態を打開する中身だと思います。党派を超えて、これは本当に政治のイニシアチブで、大臣、一歩前に進めるべきじゃないですか。新しい制度をつくるときじゃないですか。いかがですか。
○国務大臣(田村憲久君) この認定制度でありますけれども、いろんな御意見がある中で、平成二十二年から三年間掛けて検討会をお開きをいただいて、昨年の十二月に方向を出していただいたわけであります。
それが審査の新しい方針であるわけでありますけれども、十二月の検討会、昨年の……
○委員長(石井みどり君) 時間を過ぎておりますので、答弁は簡潔に願います。
○国務大臣(田村憲久君) 済みません。
この放射線の起因性の問題でありますが、これを、要は、個別の認定に当たってこれを要件とするということが、結果的に他の戦争被害とこの原爆の被害の違いなんだというところを、国民的な理解も含めて示す上ではやはり必要であるというような形の結論を得たわけでございまして、この方針という中においてここを外すというのはやはり難しいというふうに考えております。
○小池晃君 援護法の改正も含めて、私は、これは党派を超えて本当に解決すべき課題だということを全会派の皆さんに申し上げたいと思います。
終わります。
(原爆症・黒い雨・大平喜信)第189回国会 予算委員会 第14号(平成27年3月5日)
○大島委員長 次に、大平喜信君。
○大平委員 日本共産党の大平喜信です。
比例中国ブロックの選出で、広島の出身です。平和を願う広島の心を国会へ、このスローガンで活動してまいります。
ことしは被爆七十年という節目の年です。七十年前、二発の原子爆弾によって二十数万人の方の命が奪われるとともに、生き残った方たちは、さまざまな健康被害や差別に苦しみ続けながら、懸命に生きてこられました。
今被爆者の平均年齢は八十歳になろうとしており、被爆者援護事業の改善は時間との戦いとなっています。その一つに、被爆者手帳を持ち、さまざまな病気で苦しんでいるにもかかわらず原爆症と認められない、原爆症認定制度の問題があります。
三百名を超える被爆者の方たちが国の審査には納得がいかないと闘った原爆症認定集団訴訟では、九割以上の原告の方が勝訴となりました。そうした司法判断を受けて、厚生労働省は審査基準の変更を行い、二〇〇九年には、当時の麻生総理大臣と被爆者団体との間で、集団訴訟の終結に関する確認書、これを取り交わし、同日、当時の河村官房長官が記者発表を行っています。そこでは次のように述べています。
十九度にわたって国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としては、これを厳粛に受けとめ、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみに思いをいたして、これを陳謝する、政府としては、現在待っておられる被爆者の方々が一人でも多く迅速に認定されるよう努力すると述べています。
官房長官に確認ですが、この内容と精神はそのまま今の安倍政権にも引き継がれているということでよろしいでしょうか。
○菅国務大臣 原爆症認定に関する当時の姿勢については、現政権でも変わるところはなく引き継いでおります。
○大平委員 官房長官、ありがとうございました。御退席いただいて結構です。
政府との確認書を交わし、この陳謝も受けて、これで被爆者は納得のいく審査基準になると期待をしていましたが、今なお抜本的な解決には結びついていません。
資料に、厚労省の数字をもとに、過去十年の原爆症の処分件数と認定却下件数をグラフにしたものをお配りいたしました。
二〇一〇年には、六千四百三十五件のうち五千件、七七・七%が却下、二〇一一年には、三千九百八十一件のうち千九百三十七件、四八・七%が却下され、その後、若干割合が減っているとはいえ、二〇〇九年以降も依然多くの方が却下されています。そして、確認書でももう争わないと決めたはずなのに、再び被爆者の皆さんはやむにやまれず訴訟を起こすことになりました。
塩崎大臣の御認識をお伺いしますが、被爆から七十年もたち、平均年齢八十歳にもなろうとしているにもかかわらず、なぜ被爆者の皆さんは今でも原爆症の申請をし、却下されれば訴訟まで行っているんだと思われますか。
○塩崎国務大臣 先生御指摘のように、ことしは被爆七十年、そしてまた、こういった方々が八十歳を超えるということは厳然とした事実だということは厳粛に認めなければいけないと思います。
今申し上げたように被爆者が高齢化していることを踏まえて、原爆症の審査について、今お話がありましたが、平成二十年にこの認定の基準でございます審査の方針を定めて以来、甲状腺機能低下症などの非がん疾病の病名を追加し、その拡大を行ってまいりました。
これによって、認定対象者の範囲は拡大をしておりまして、却下割合、今、図示をしていただきましたけれども、平成二十二年に七八%であったものが、平成二十五年度には三七%まで低下をしているということでございます。
さらに、一昨年十二月には、非がん疾病についての審査の方針の拡大も図ったところでございまして、その結果、昨年の非がん疾病の認定数は百六十九件と、前年の二十七件から約六・三倍へと大幅にふえているわけでございまして、認定状況は大きく改善を見ているというふうに考えているわけでございます。
いずれにしても、厚生労働省としては、高齢化をしていらっしゃる被爆者の皆様方に対して、一日も早く新しい審査の方針に基づいて認定がなされるように、原爆症の認定審査に鋭意取り組んでまいりたいというふうに考えているところでございます。
○大平委員 なぜ、平均年齢八十歳になろうとしているにもかかわらず被爆者は訴えるのか。それは、被爆者が、体が悪くて思うように働けない、怠け者と思われてつらい、そうした原因が、自分の責任ではなく、さかのぼれば被爆したことにある、このことを国に認めてほしいからです。そのことをわかってほしいと切実に願っているわけです。
そして、前回の集団訴訟に続いて今度の訴訟でも、原告の皆さんが連続して勝訴を重ねています。一月三十日には、大阪地裁の判決が出ました。厚労省の新しい基準のもとで申請を却下された四人の方が原爆症と認められました。
先ほど大臣は、非がん疾病が改善に向かっている、認定件数が六・三倍にふえたとおっしゃいましたが、それは、その前年の認定件数がわずか二十七件だったから六・三倍にふえた。そして、百六十九件が認定されているというその一方で、二〇一四年の非がん疾病申請件数は五百七十件ですから、依然多くの方が認定されていないではありませんか。決して改善とは言えません。
そして、大阪は何より、大阪地裁で勝訴した原告の方たちの疾病は、甲状腺機能低下症という、まさに非がん疾病でした。それが厚労省に却下された方々だったわけです。大阪地裁の判決では、現在の厚労省の基準について、地理的範囲や線量評価において過小評価の疑いがあると指摘をし、あくまで一応の目安にとどめるのが相当だと述べて、四人の却下処分を取り消すように命じているんです。
五月二十日には広島地裁の判決も予定されていますが、私はその原告の一人の女性に直接お話を伺いました。
その方は、生後十一カ月のときに爆心地から二・四キロの地点で被爆をし、小さなころから現在まで、白血球増加、脳動脈瘤など、さまざまな病気にかかり、苦しみ続けてきました。今から七年前に白内障で原爆症認定訴訟の原告に加わり、訴えを行っていますが、放射線白内障は爆心地から一・五キロ以内にいた者に限るという厚生労働省の基準に縛られて、いまだに認められずにいます。
その方は、国は解決を引き延ばし、高齢となった被爆者が死に絶えるのを待っているのではないでしょうかとおっしゃっていました。
大臣、被爆者は、もう少し待てと言われても、待てません。被爆から七十年がたち、いまだに裁判に訴えないと認められないという現状は、余りにも冷たいのではないでしょうか。いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆認定制度の見直しにつきましては、三年間にわたる原爆症認定制度の在り方に関する検討会におきまして、抜本的改革が必要だという考え方と、現行制度のもとで見直しを行うという考え方の両方の観点から検討が行われてまいりました。
この検討の中で、放射線の被曝の状況にかかわらず一律に支給をいたします手当を創設するなど、原爆症認定制度を抜本的に見直すべきとの指摘に関しては、他の戦争被害との関係をどう考えるのか、そして制度設計上の難しさをどう考えるのかなどの理由から、なかなかこれは容易ではないというような判断が示されたというふうに考えております。
この検討会での結果を踏まえて、先ほど申し上げたように、現行の認定基準については、非がん疾病に関して拡大を図り、そしてまた、今申し上げたような認定実績そのものは増加をしているということでありまして、厚労省としては、現行の被爆者援護法のもとで、できる限りの対応を行うことが重要だというふうに考えて、被爆者の皆様方が高齢化をしていることなども踏まえつつ、できる限り多くの被爆者の方々に対して迅速に認定を行えるように努めてまいりたいと考えているところでございます。
○大平委員 厚労省が新しい審査基準にしてもなお、司法判断と行政認定の大きな乖離が埋まらないわけです。高齢になった被爆者の皆さんに本当に寄り添って、七十年という節目の年でこの問題の決着がつけられるように、重ねて認定制度の抜本的見直しを求めたいと思います。
一方で、被爆しているにもかかわらず、被爆者として認められず、被爆者手帳すら持つことができない黒い雨の問題があります。
黒い雨とは、原爆投下後に放射性物質とすすなどがまじって降った黒い色の雨のことですが、政府は、一九七六年に黒い雨の大雨地域と言われる範囲を健康診断特例区域に指定し、その区域にいた方は無料で健康診断が受けられ、そこで指定された病気と診断されれば被爆者手帳が交付されるという制度をつくりました。
しかし、この地域指定に対して、降雨図は正確でないと不満の声が上がり、そうした声も受けて、広島市と県は実態調査を行ってきました。
三度目となる二〇〇八年から行った調査では、約二万七千人からアンケートを集め、そのうち九百人の方からは一人一人個別面談も行いました。その調査結果として、黒い雨の降雨地域は従来言われていた範囲よりも広い、未指定地域で黒い雨を体験した者は心身健康面が被爆者に匹敵するほど不良であり、放射線による健康不安がその重要な要因の一つであると結論づけました。
そして、広島県と県内三市五町の首長が連名で、二〇一〇年七月に、国に対して、黒い雨指定地域の拡大を求める要望書を提出しました。
資料の二枚目につけたのは、広島市とその周辺地図ですけれども、一番内側の点線の楕円形が七六年に国が確定した大雨地域、現在の健康診断特例区域です。その次の長い点線が小雨地域と呼ばれる雨域。そして、一番外側の実線が、広島市と県が行った調査で黒い雨が降ったと結論づけた、現在の指定地域の約六倍の新降雨域です。
大変な御苦労をされて調べられたこの広島市と県の調査とその結果は、私は、生の声を聞き取った大変貴重で重いものだと思います。塩崎大臣、厚生労働省は、この調査結果とそれに基づく地域指定の要望に対して、どういう検討を行ったのでしょうか。
○塩崎国務大臣 原子爆弾の被爆者援護法に基づく被爆地域の指定、これに当たりましては、科学的、合理的な根拠が必要でございますので、御指摘の広島市等からの要望を受けまして、平成二十二年、二〇一〇年に、厚生労働省におきまして、放射線の健康影響等に関する専門家から構成をされます検討会、「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会という検討会を設置いたしまして、広島市などからの実態調査の結果を科学的に検証させていただきました。
その結果でございますけれども、平成二十四年七月の検討会の報告におきまして、まず、拡大要望がございました地域においては、広島原爆由来の放射性降下物は確認をされておらず、当該地域におきまして、健康影響の観点から問題となる放射線被曝があったとは考えられない、そして、黒い雨を体験した方におけます精神的健康状態の悪化は、放射線被曝を直接の原因とするものではなく、黒い雨によります放射線被曝への不安や心配を原因としている可能性があるというふうにされておりまして、被爆地域の拡大を行う科学的、合理的な根拠は得られないというふうに判断をされたところでございます。
他方で、報告書においては、黒い雨を体験したと訴えられる方々に対して、不安軽減のための相談などの取り組みが有用であるという可能性も指摘をされておりまして、これを踏まえて、平成二十五年度より、広島市、広島県の御協力をいただいて、黒い雨体験者に対しまして個別面談を通じた健康上の相談等を行う相談支援事業を実施してまいっているところでございまして、厚生労働省としては、今後とも、このような事業を通じて、黒い雨を体験された方の御不安や御心配の軽減に努めてまいりたいというふうに思っているところでございます。
○大平委員 大雨地域については、被爆者援護法の中でも明確に、「放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」としているのに、この地図にもあります一本のきれいな楕円形の線を境界にしてその外は存在しないというのは、余りにも非科学的であり、全く納得のいくものではありません。
私は、この間、広島市佐伯区の五日市や湯来町を訪ね、現在の指定区域の外で黒い雨を浴びたという方々からお話を伺いました。
当時四歳だったある女性は、真っ黒い空を見上げていると、雨が降り出し、雨粒が口の中に入り込んだ、五歳のころから下痢や発熱、嘔吐を繰り返し、その後も、胃けいれん、肝炎、高血圧、不整脈、心臓肥大、白内障など、病気し続けの人生、私がうそを言っているとでも言うのかとおっしゃっていました。
また、別の方は、八月六日当日、みんなで集団下校をし、みんなが雨を浴びた、それなのに、この川一本を隔てて、あっちとこっちで降った、降っていないとされるのは全く納得がいかないとお話しされていました。
大臣、この方たちがうそを言っていると言うのですか。この方たちを前に、あなたたちは黒い雨に遭っていませんよ、気持ちの問題ですよと言えますか。いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 現在の広島の健康診断特例区域というのは、同区域の一部において放射能が検出された例の報告などを踏まえて、昭和五十一年に、気象関係の広島原子爆弾被爆調査報告、いわゆる宇田博士によります昭和二十八年の報告書がございますけれども、この調査に基づいて指定されたものでございます。
健康診断特例区域に指定されていない地域、つまり当該地域の外側の周辺地域につきましては、昭和五十一年及び昭和五十三年に行われました残留放射能に関する調査において、特にこの地域において原爆からの核生成物が残留しているとは言えないとされていることに加えて、平成二十二年に広島市等の要望を受けて設置した先ほどの検討会におきまして、近年行われた残留放射能に関するさまざまな調査を改めて検討した結果として、広島原爆由来の放射性降下物が存在したとする明確な痕跡は見出せないとされてきたことから、放射能の影響があった地域として指定をしていないところであるわけでございます。
○大平委員 この問題でも、原爆症認定集団訴訟の判決は明確なんです。
二〇〇六年八月の広島地裁では、その判決で、少なくとも、増田雨域、これは増田善信さんという気象学者が発表した、宇田雨域の四倍の地域を示した降雨地域ですが、増田雨域で雨が降ったとされる範囲について、雨が放射性降下物を含んでおり、その雨にぬれた者が放射性降下物による被曝を受けた可能性は高いと述べていますし、二〇〇七年七月の熊本地裁でも、放射性降下物は、少なくとも爆心地から増田雨域周辺に至る範囲で相当量降下した、こうした判決が下されるなど、繰り返し、大雨地域の外でも放射性物質が降ったことを認めています。
先ほど大臣は厚労省の検討会が科学的検証をしたとおっしゃられましたけれども、こうした判決や研究者の知見、何より被害者の証言にきちんと向き合って審議、科学的検証をしたのでしょうか。検討会の構成員の中には、御紹介した増田さんなど、問題の科学的検討に欠かせないはずの物理学者も気象学者もいませんでした。大臣、この政府の姿勢こそ、そして今の線引きこそ、科学的、合理的根拠がないではありませんか。いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 平成二十二年に広島市などの要望を受けて設置をいたしました先ほどの検討会は、放射能の健康影響等に関する専門家によって構成をされております。こうした専門家による知見に加えて、黒い雨地域の線量推計を行った物理学者からのヒアリングや、広島市が行った黒い雨に関します住民アンケート、この住民アンケートをもとに黒い雨の降雨地域の時間変化の推計を行った研究者などからのヒアリングを行うなど、多角的な検討を行ったものだと思っております。
さらに、検討会のもとに、広島や長崎の疫学や放射線の専門家を含めたワーキンググループを設置いたしまして、黒い雨の降雨時間の地理分布等について掘り下げた検討を行ったところでございます。
今申し上げた検討会、これ自体は合計で九回開催をされました。そして、今申し上げたこの検討会のもとに、専門家によって、疫学や放射線の専門家によるワーキンググループ、この会合も四回開催をいたしまして、議論を深めていただいたところでございます。
このように、さまざまな研究者の知見を集める努力をしてまいっておりまして、その結果として、要望地域における放射線の健康影響に関して科学的な検証が行われたものというふうに考えているところでございます。
○大平委員 厚労省の検討会の議事録を私も読みました。ある委員の方から、こうした発言がありました。こういう赤字国債の条件下でいわゆるバブルのころまでのようにばんばん何でも認めて、健康局の予算の半分ぐらいは原爆の問題だということを初めて聞いてびっくりした、こういうことを踏まえながら検討を続けて、因果関係を学術的にきっちり決めていく必要があると。
私は唖然としました。ここに本音が出ているんじゃないでしょうか。つまり、財政が大変で、これ以上ふやせられないというのが頭にあって、そのことを踏まえて検討すると。到底、科学的検討とは言えません。今も苦しみ、一日も早い地域拡大を望んで調査に協力をした人たち、関係者の努力を踏みにじる姿勢であり、断じて許せません。
毎年八月六日の平和記念式典で行われる平和宣言でも毎回黒い雨の指定地域の拡大を求めており、この問題は党派も地域も超えたオール広島の声です。つまり、体験者の実態も、司法判断も、広島市民、県民の思いも全てが黒い雨の指定地域の拡大を求めており、それに目を向けようともせず、ひたすら反対しているのは政府だけです。再検討されることを含めて、この問題でも七十年の節目の年に何としても解決するよう重ねて求めて、最後の問題に移ります。
被爆七十年における、日本政府の核兵器廃絶に向けた姿勢について伺います。
ことしは五年ぶりの核不拡散条約再検討会議が開催される年で、開催まで二カ月を切りました。
日本は、被爆国として、また憲法九条を持つ国として、国際社会の中で核兵器廃絶に向けた具体的行動の先頭に立つことが求められています。しかし、国連加盟国の三分の二を超える賛成で採択されている核兵器禁止条約の国際交渉開始を求める国連総会決議に対して、日本政府は一貫して棄権するという恥ずかしい態度をとり続けています。
こうした中、昨年十二月には、第三回核兵器の人道的影響に関する会議において、日本の佐野利男軍縮代表部大使は、核兵器の爆発時には対応できないほどの悲惨な結果を招くとの見方について、悲観的過ぎる、少し前向きに見てほしいと発言しました。
岸田外務大臣にお尋ねしますが、私は被爆国の大使として絶対に許されない発言だと思いますが、大臣の御認識を伺います。
○岸田国務大臣 まず、核兵器の使用は、国際法の思想的基盤であります人道主義の精神に合致しないと認識をいたします。そして、我が国は、唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界を目指さなければなりません。
ただ、核兵器のない世界というのは、核兵器国と非核兵器国が、ともに努力をし、そして協力をすることなくして実現することはありません。こうした考えに基づいて、現実的かつ実践的な取り組みを着実に積み重ねていくことこそ、遠回りのようで、実は核兵器のない世界に向けた近道であるという認識に立って、我が国は軍縮・不拡散の問題に取り組んでいます。
こうした観点から、いわゆる核兵器禁止条約の交渉を即時に開始する、こうした決議については我が国として棄権を行っているわけですが、今御指摘のありました佐野大使の発言につきましては、まず、我が国としまして、核兵器は二度と使用されてはならない、これが基本的な考え方です。この考え方との比較において、佐野大使の発言、これは、誤解を生じたということはまことに遺憾なことであり、発言に万全を期すよう注意を行いました。
発言に万全を期す、そして、我が国として被爆七十年という大切な年にあって、改めて我が国の取り組み、立場をしっかり確認し、今後のさまざまな会議に臨んでいかなければならないと考えています。
御指摘のように、四月には五年ぶりにNPT運用検討会議が開催されます。そして、先月ですが、CTBTの発効促進会議の共同議長として我が国は指名をされました。八月には広島で、国連軍縮会議あるいはCTBT賢人会議も開催されます。十一月には長崎でパグウォッシュ会議が予定されています。こういった会議において、改めて我が国の立場をしっかり明らかにしなければならないと思いますし、NPT運用検討会議においても、NPDIの枠組みで十八本の基本文書を我が国として提出しています。
ぜひこの貢献等を通じて、具体的な、現実的な結果を出せるように、我が国としてしっかり臨んでいきたいと考えております。
○大島委員長 時間がそろそろ来ておりますので、短目に。
○大平委員 はい。
この佐野大使の発言に対し、国内外から批判が集中しています。そして、日本政府は依然、アメリカの核の傘のもとで、その使用を言及する発言すら飛び出していることに、国民の大きな不安と怒りが広がっています。
原爆は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許しません。人間として認めることのできない、絶対悪の兵器です。再び被爆者をつくらぬという声は、被爆者の命をかけた訴えであり、日本国民と世界の人々の願い。
日本共産党は、被爆者の皆さん、市民の皆さんと力を合わせて、被爆七十年のことしを核兵器廃絶に向けて決定的な転機の年とするためにあらゆる努力を尽くす決意を表明して、質問を終わります。
○大島委員長 これにて大平君の質疑は終了いたしました。
○大平委員 日本共産党の大平喜信です。
比例中国ブロックの選出で、広島の出身です。平和を願う広島の心を国会へ、このスローガンで活動してまいります。
ことしは被爆七十年という節目の年です。七十年前、二発の原子爆弾によって二十数万人の方の命が奪われるとともに、生き残った方たちは、さまざまな健康被害や差別に苦しみ続けながら、懸命に生きてこられました。
今被爆者の平均年齢は八十歳になろうとしており、被爆者援護事業の改善は時間との戦いとなっています。その一つに、被爆者手帳を持ち、さまざまな病気で苦しんでいるにもかかわらず原爆症と認められない、原爆症認定制度の問題があります。
三百名を超える被爆者の方たちが国の審査には納得がいかないと闘った原爆症認定集団訴訟では、九割以上の原告の方が勝訴となりました。そうした司法判断を受けて、厚生労働省は審査基準の変更を行い、二〇〇九年には、当時の麻生総理大臣と被爆者団体との間で、集団訴訟の終結に関する確認書、これを取り交わし、同日、当時の河村官房長官が記者発表を行っています。そこでは次のように述べています。
十九度にわたって国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としては、これを厳粛に受けとめ、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみに思いをいたして、これを陳謝する、政府としては、現在待っておられる被爆者の方々が一人でも多く迅速に認定されるよう努力すると述べています。
官房長官に確認ですが、この内容と精神はそのまま今の安倍政権にも引き継がれているということでよろしいでしょうか。
○菅国務大臣 原爆症認定に関する当時の姿勢については、現政権でも変わるところはなく引き継いでおります。
○大平委員 官房長官、ありがとうございました。御退席いただいて結構です。
政府との確認書を交わし、この陳謝も受けて、これで被爆者は納得のいく審査基準になると期待をしていましたが、今なお抜本的な解決には結びついていません。
資料に、厚労省の数字をもとに、過去十年の原爆症の処分件数と認定却下件数をグラフにしたものをお配りいたしました。
二〇一〇年には、六千四百三十五件のうち五千件、七七・七%が却下、二〇一一年には、三千九百八十一件のうち千九百三十七件、四八・七%が却下され、その後、若干割合が減っているとはいえ、二〇〇九年以降も依然多くの方が却下されています。そして、確認書でももう争わないと決めたはずなのに、再び被爆者の皆さんはやむにやまれず訴訟を起こすことになりました。
塩崎大臣の御認識をお伺いしますが、被爆から七十年もたち、平均年齢八十歳にもなろうとしているにもかかわらず、なぜ被爆者の皆さんは今でも原爆症の申請をし、却下されれば訴訟まで行っているんだと思われますか。
○塩崎国務大臣 先生御指摘のように、ことしは被爆七十年、そしてまた、こういった方々が八十歳を超えるということは厳然とした事実だということは厳粛に認めなければいけないと思います。
今申し上げたように被爆者が高齢化していることを踏まえて、原爆症の審査について、今お話がありましたが、平成二十年にこの認定の基準でございます審査の方針を定めて以来、甲状腺機能低下症などの非がん疾病の病名を追加し、その拡大を行ってまいりました。
これによって、認定対象者の範囲は拡大をしておりまして、却下割合、今、図示をしていただきましたけれども、平成二十二年に七八%であったものが、平成二十五年度には三七%まで低下をしているということでございます。
さらに、一昨年十二月には、非がん疾病についての審査の方針の拡大も図ったところでございまして、その結果、昨年の非がん疾病の認定数は百六十九件と、前年の二十七件から約六・三倍へと大幅にふえているわけでございまして、認定状況は大きく改善を見ているというふうに考えているわけでございます。
いずれにしても、厚生労働省としては、高齢化をしていらっしゃる被爆者の皆様方に対して、一日も早く新しい審査の方針に基づいて認定がなされるように、原爆症の認定審査に鋭意取り組んでまいりたいというふうに考えているところでございます。
○大平委員 なぜ、平均年齢八十歳になろうとしているにもかかわらず被爆者は訴えるのか。それは、被爆者が、体が悪くて思うように働けない、怠け者と思われてつらい、そうした原因が、自分の責任ではなく、さかのぼれば被爆したことにある、このことを国に認めてほしいからです。そのことをわかってほしいと切実に願っているわけです。
そして、前回の集団訴訟に続いて今度の訴訟でも、原告の皆さんが連続して勝訴を重ねています。一月三十日には、大阪地裁の判決が出ました。厚労省の新しい基準のもとで申請を却下された四人の方が原爆症と認められました。
先ほど大臣は、非がん疾病が改善に向かっている、認定件数が六・三倍にふえたとおっしゃいましたが、それは、その前年の認定件数がわずか二十七件だったから六・三倍にふえた。そして、百六十九件が認定されているというその一方で、二〇一四年の非がん疾病申請件数は五百七十件ですから、依然多くの方が認定されていないではありませんか。決して改善とは言えません。
そして、大阪は何より、大阪地裁で勝訴した原告の方たちの疾病は、甲状腺機能低下症という、まさに非がん疾病でした。それが厚労省に却下された方々だったわけです。大阪地裁の判決では、現在の厚労省の基準について、地理的範囲や線量評価において過小評価の疑いがあると指摘をし、あくまで一応の目安にとどめるのが相当だと述べて、四人の却下処分を取り消すように命じているんです。
五月二十日には広島地裁の判決も予定されていますが、私はその原告の一人の女性に直接お話を伺いました。
その方は、生後十一カ月のときに爆心地から二・四キロの地点で被爆をし、小さなころから現在まで、白血球増加、脳動脈瘤など、さまざまな病気にかかり、苦しみ続けてきました。今から七年前に白内障で原爆症認定訴訟の原告に加わり、訴えを行っていますが、放射線白内障は爆心地から一・五キロ以内にいた者に限るという厚生労働省の基準に縛られて、いまだに認められずにいます。
その方は、国は解決を引き延ばし、高齢となった被爆者が死に絶えるのを待っているのではないでしょうかとおっしゃっていました。
大臣、被爆者は、もう少し待てと言われても、待てません。被爆から七十年がたち、いまだに裁判に訴えないと認められないという現状は、余りにも冷たいのではないでしょうか。いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆認定制度の見直しにつきましては、三年間にわたる原爆症認定制度の在り方に関する検討会におきまして、抜本的改革が必要だという考え方と、現行制度のもとで見直しを行うという考え方の両方の観点から検討が行われてまいりました。
この検討の中で、放射線の被曝の状況にかかわらず一律に支給をいたします手当を創設するなど、原爆症認定制度を抜本的に見直すべきとの指摘に関しては、他の戦争被害との関係をどう考えるのか、そして制度設計上の難しさをどう考えるのかなどの理由から、なかなかこれは容易ではないというような判断が示されたというふうに考えております。
この検討会での結果を踏まえて、先ほど申し上げたように、現行の認定基準については、非がん疾病に関して拡大を図り、そしてまた、今申し上げたような認定実績そのものは増加をしているということでありまして、厚労省としては、現行の被爆者援護法のもとで、できる限りの対応を行うことが重要だというふうに考えて、被爆者の皆様方が高齢化をしていることなども踏まえつつ、できる限り多くの被爆者の方々に対して迅速に認定を行えるように努めてまいりたいと考えているところでございます。
○大平委員 厚労省が新しい審査基準にしてもなお、司法判断と行政認定の大きな乖離が埋まらないわけです。高齢になった被爆者の皆さんに本当に寄り添って、七十年という節目の年でこの問題の決着がつけられるように、重ねて認定制度の抜本的見直しを求めたいと思います。
一方で、被爆しているにもかかわらず、被爆者として認められず、被爆者手帳すら持つことができない黒い雨の問題があります。
黒い雨とは、原爆投下後に放射性物質とすすなどがまじって降った黒い色の雨のことですが、政府は、一九七六年に黒い雨の大雨地域と言われる範囲を健康診断特例区域に指定し、その区域にいた方は無料で健康診断が受けられ、そこで指定された病気と診断されれば被爆者手帳が交付されるという制度をつくりました。
しかし、この地域指定に対して、降雨図は正確でないと不満の声が上がり、そうした声も受けて、広島市と県は実態調査を行ってきました。
三度目となる二〇〇八年から行った調査では、約二万七千人からアンケートを集め、そのうち九百人の方からは一人一人個別面談も行いました。その調査結果として、黒い雨の降雨地域は従来言われていた範囲よりも広い、未指定地域で黒い雨を体験した者は心身健康面が被爆者に匹敵するほど不良であり、放射線による健康不安がその重要な要因の一つであると結論づけました。
そして、広島県と県内三市五町の首長が連名で、二〇一〇年七月に、国に対して、黒い雨指定地域の拡大を求める要望書を提出しました。
資料の二枚目につけたのは、広島市とその周辺地図ですけれども、一番内側の点線の楕円形が七六年に国が確定した大雨地域、現在の健康診断特例区域です。その次の長い点線が小雨地域と呼ばれる雨域。そして、一番外側の実線が、広島市と県が行った調査で黒い雨が降ったと結論づけた、現在の指定地域の約六倍の新降雨域です。
大変な御苦労をされて調べられたこの広島市と県の調査とその結果は、私は、生の声を聞き取った大変貴重で重いものだと思います。塩崎大臣、厚生労働省は、この調査結果とそれに基づく地域指定の要望に対して、どういう検討を行ったのでしょうか。
○塩崎国務大臣 原子爆弾の被爆者援護法に基づく被爆地域の指定、これに当たりましては、科学的、合理的な根拠が必要でございますので、御指摘の広島市等からの要望を受けまして、平成二十二年、二〇一〇年に、厚生労働省におきまして、放射線の健康影響等に関する専門家から構成をされます検討会、「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会という検討会を設置いたしまして、広島市などからの実態調査の結果を科学的に検証させていただきました。
その結果でございますけれども、平成二十四年七月の検討会の報告におきまして、まず、拡大要望がございました地域においては、広島原爆由来の放射性降下物は確認をされておらず、当該地域におきまして、健康影響の観点から問題となる放射線被曝があったとは考えられない、そして、黒い雨を体験した方におけます精神的健康状態の悪化は、放射線被曝を直接の原因とするものではなく、黒い雨によります放射線被曝への不安や心配を原因としている可能性があるというふうにされておりまして、被爆地域の拡大を行う科学的、合理的な根拠は得られないというふうに判断をされたところでございます。
他方で、報告書においては、黒い雨を体験したと訴えられる方々に対して、不安軽減のための相談などの取り組みが有用であるという可能性も指摘をされておりまして、これを踏まえて、平成二十五年度より、広島市、広島県の御協力をいただいて、黒い雨体験者に対しまして個別面談を通じた健康上の相談等を行う相談支援事業を実施してまいっているところでございまして、厚生労働省としては、今後とも、このような事業を通じて、黒い雨を体験された方の御不安や御心配の軽減に努めてまいりたいというふうに思っているところでございます。
○大平委員 大雨地域については、被爆者援護法の中でも明確に、「放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」としているのに、この地図にもあります一本のきれいな楕円形の線を境界にしてその外は存在しないというのは、余りにも非科学的であり、全く納得のいくものではありません。
私は、この間、広島市佐伯区の五日市や湯来町を訪ね、現在の指定区域の外で黒い雨を浴びたという方々からお話を伺いました。
当時四歳だったある女性は、真っ黒い空を見上げていると、雨が降り出し、雨粒が口の中に入り込んだ、五歳のころから下痢や発熱、嘔吐を繰り返し、その後も、胃けいれん、肝炎、高血圧、不整脈、心臓肥大、白内障など、病気し続けの人生、私がうそを言っているとでも言うのかとおっしゃっていました。
また、別の方は、八月六日当日、みんなで集団下校をし、みんなが雨を浴びた、それなのに、この川一本を隔てて、あっちとこっちで降った、降っていないとされるのは全く納得がいかないとお話しされていました。
大臣、この方たちがうそを言っていると言うのですか。この方たちを前に、あなたたちは黒い雨に遭っていませんよ、気持ちの問題ですよと言えますか。いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 現在の広島の健康診断特例区域というのは、同区域の一部において放射能が検出された例の報告などを踏まえて、昭和五十一年に、気象関係の広島原子爆弾被爆調査報告、いわゆる宇田博士によります昭和二十八年の報告書がございますけれども、この調査に基づいて指定されたものでございます。
健康診断特例区域に指定されていない地域、つまり当該地域の外側の周辺地域につきましては、昭和五十一年及び昭和五十三年に行われました残留放射能に関する調査において、特にこの地域において原爆からの核生成物が残留しているとは言えないとされていることに加えて、平成二十二年に広島市等の要望を受けて設置した先ほどの検討会におきまして、近年行われた残留放射能に関するさまざまな調査を改めて検討した結果として、広島原爆由来の放射性降下物が存在したとする明確な痕跡は見出せないとされてきたことから、放射能の影響があった地域として指定をしていないところであるわけでございます。
○大平委員 この問題でも、原爆症認定集団訴訟の判決は明確なんです。
二〇〇六年八月の広島地裁では、その判決で、少なくとも、増田雨域、これは増田善信さんという気象学者が発表した、宇田雨域の四倍の地域を示した降雨地域ですが、増田雨域で雨が降ったとされる範囲について、雨が放射性降下物を含んでおり、その雨にぬれた者が放射性降下物による被曝を受けた可能性は高いと述べていますし、二〇〇七年七月の熊本地裁でも、放射性降下物は、少なくとも爆心地から増田雨域周辺に至る範囲で相当量降下した、こうした判決が下されるなど、繰り返し、大雨地域の外でも放射性物質が降ったことを認めています。
先ほど大臣は厚労省の検討会が科学的検証をしたとおっしゃられましたけれども、こうした判決や研究者の知見、何より被害者の証言にきちんと向き合って審議、科学的検証をしたのでしょうか。検討会の構成員の中には、御紹介した増田さんなど、問題の科学的検討に欠かせないはずの物理学者も気象学者もいませんでした。大臣、この政府の姿勢こそ、そして今の線引きこそ、科学的、合理的根拠がないではありませんか。いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 平成二十二年に広島市などの要望を受けて設置をいたしました先ほどの検討会は、放射能の健康影響等に関する専門家によって構成をされております。こうした専門家による知見に加えて、黒い雨地域の線量推計を行った物理学者からのヒアリングや、広島市が行った黒い雨に関します住民アンケート、この住民アンケートをもとに黒い雨の降雨地域の時間変化の推計を行った研究者などからのヒアリングを行うなど、多角的な検討を行ったものだと思っております。
さらに、検討会のもとに、広島や長崎の疫学や放射線の専門家を含めたワーキンググループを設置いたしまして、黒い雨の降雨時間の地理分布等について掘り下げた検討を行ったところでございます。
今申し上げた検討会、これ自体は合計で九回開催をされました。そして、今申し上げたこの検討会のもとに、専門家によって、疫学や放射線の専門家によるワーキンググループ、この会合も四回開催をいたしまして、議論を深めていただいたところでございます。
このように、さまざまな研究者の知見を集める努力をしてまいっておりまして、その結果として、要望地域における放射線の健康影響に関して科学的な検証が行われたものというふうに考えているところでございます。
○大平委員 厚労省の検討会の議事録を私も読みました。ある委員の方から、こうした発言がありました。こういう赤字国債の条件下でいわゆるバブルのころまでのようにばんばん何でも認めて、健康局の予算の半分ぐらいは原爆の問題だということを初めて聞いてびっくりした、こういうことを踏まえながら検討を続けて、因果関係を学術的にきっちり決めていく必要があると。
私は唖然としました。ここに本音が出ているんじゃないでしょうか。つまり、財政が大変で、これ以上ふやせられないというのが頭にあって、そのことを踏まえて検討すると。到底、科学的検討とは言えません。今も苦しみ、一日も早い地域拡大を望んで調査に協力をした人たち、関係者の努力を踏みにじる姿勢であり、断じて許せません。
毎年八月六日の平和記念式典で行われる平和宣言でも毎回黒い雨の指定地域の拡大を求めており、この問題は党派も地域も超えたオール広島の声です。つまり、体験者の実態も、司法判断も、広島市民、県民の思いも全てが黒い雨の指定地域の拡大を求めており、それに目を向けようともせず、ひたすら反対しているのは政府だけです。再検討されることを含めて、この問題でも七十年の節目の年に何としても解決するよう重ねて求めて、最後の問題に移ります。
被爆七十年における、日本政府の核兵器廃絶に向けた姿勢について伺います。
ことしは五年ぶりの核不拡散条約再検討会議が開催される年で、開催まで二カ月を切りました。
日本は、被爆国として、また憲法九条を持つ国として、国際社会の中で核兵器廃絶に向けた具体的行動の先頭に立つことが求められています。しかし、国連加盟国の三分の二を超える賛成で採択されている核兵器禁止条約の国際交渉開始を求める国連総会決議に対して、日本政府は一貫して棄権するという恥ずかしい態度をとり続けています。
こうした中、昨年十二月には、第三回核兵器の人道的影響に関する会議において、日本の佐野利男軍縮代表部大使は、核兵器の爆発時には対応できないほどの悲惨な結果を招くとの見方について、悲観的過ぎる、少し前向きに見てほしいと発言しました。
岸田外務大臣にお尋ねしますが、私は被爆国の大使として絶対に許されない発言だと思いますが、大臣の御認識を伺います。
○岸田国務大臣 まず、核兵器の使用は、国際法の思想的基盤であります人道主義の精神に合致しないと認識をいたします。そして、我が国は、唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界を目指さなければなりません。
ただ、核兵器のない世界というのは、核兵器国と非核兵器国が、ともに努力をし、そして協力をすることなくして実現することはありません。こうした考えに基づいて、現実的かつ実践的な取り組みを着実に積み重ねていくことこそ、遠回りのようで、実は核兵器のない世界に向けた近道であるという認識に立って、我が国は軍縮・不拡散の問題に取り組んでいます。
こうした観点から、いわゆる核兵器禁止条約の交渉を即時に開始する、こうした決議については我が国として棄権を行っているわけですが、今御指摘のありました佐野大使の発言につきましては、まず、我が国としまして、核兵器は二度と使用されてはならない、これが基本的な考え方です。この考え方との比較において、佐野大使の発言、これは、誤解を生じたということはまことに遺憾なことであり、発言に万全を期すよう注意を行いました。
発言に万全を期す、そして、我が国として被爆七十年という大切な年にあって、改めて我が国の取り組み、立場をしっかり確認し、今後のさまざまな会議に臨んでいかなければならないと考えています。
御指摘のように、四月には五年ぶりにNPT運用検討会議が開催されます。そして、先月ですが、CTBTの発効促進会議の共同議長として我が国は指名をされました。八月には広島で、国連軍縮会議あるいはCTBT賢人会議も開催されます。十一月には長崎でパグウォッシュ会議が予定されています。こういった会議において、改めて我が国の立場をしっかり明らかにしなければならないと思いますし、NPT運用検討会議においても、NPDIの枠組みで十八本の基本文書を我が国として提出しています。
ぜひこの貢献等を通じて、具体的な、現実的な結果を出せるように、我が国としてしっかり臨んでいきたいと考えております。
○大島委員長 時間がそろそろ来ておりますので、短目に。
○大平委員 はい。
この佐野大使の発言に対し、国内外から批判が集中しています。そして、日本政府は依然、アメリカの核の傘のもとで、その使用を言及する発言すら飛び出していることに、国民の大きな不安と怒りが広がっています。
原爆は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許しません。人間として認めることのできない、絶対悪の兵器です。再び被爆者をつくらぬという声は、被爆者の命をかけた訴えであり、日本国民と世界の人々の願い。
日本共産党は、被爆者の皆さん、市民の皆さんと力を合わせて、被爆七十年のことしを核兵器廃絶に向けて決定的な転機の年とするためにあらゆる努力を尽くす決意を表明して、質問を終わります。
○大島委員長 これにて大平君の質疑は終了いたしました。
(原爆症認定・井上哲士)第180回国会 予算委員会 第12号(平成24年3月21日)
○委員長(石井一君) 次に、井上哲士君の質疑を行います。井上君。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士であります。
今日は、原爆症認定問題についてお聞きをいたします。
私は、広島に育った被爆二世でもありますし、母校の広島国泰寺高校は平和公園のすぐそば、広島一中の先輩たちは多くが亡くなりました。そういう点で、核兵器廃絶と被爆者援護というのは私の原点でもあります。
そこで、まず厚労大臣、お聞きいたしますが、原爆症認定の近畿訴訟で、三月九日に大阪地裁での判決が下りました。新しい審査方針の下での心筋梗塞による原爆症認定申請への却下処分を取り消しただけではなくて、原爆症の認定をせよと初めて踏み込んだ判決でありますけれども、どのように受け止めていらっしゃるでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 三月九日の大阪地裁の判決は、今委員がおっしゃいましたように、原告が原爆症認定申請却下処分の取消しに加えて原爆症認定の義務付けを求めたため、この点についても判断が示されたものだと考えています。
国の主張が認められませんでしたので、大変厳しい判決だったという認識を持っています。
○井上哲士君 これは自公政権時代からの流れがあるわけですね。麻生総理と被団協代表の間で集団訴訟の終結のための確認書が取り交わされました。その際に当時の河村官房長官が談話を出しておりますけれども、これはどういう内容か。そしてまた、この確認書と談話を民主党政権も受け継いでいるということでよろしいでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 平成二十一年八月六日に、当時の麻生総理と被爆者団体代表との間で原爆症認定集団訴訟に関する基本方針に関する確認書が署名をされました。これを受けまして当時の河村官房長官が、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くし難い苦しみや集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします、この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図ることとしたものでありますという談話を示されました。
この内容につきましては、当然、現在の厚労大臣である私も基本的な認識を共有するところです。
○井上哲士君 この大阪地裁判決というのは、この集団訴訟の流れに沿うものであるわけですね。確認書とこの談話を受け継ぐということであるならば、私は、控訴は断念をして、高齢で重い病気に苦しむ原告に対する救済を図るべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 現在、判決の内容を詳細に検討し、関係省庁と詰めの今調整をしているところです。
控訴期限があさって三月二十三日ですので、最終的な結論を出していきたいというふうに考えています。
○井上哲士君 この問題は、民主党政権の姿勢が問われております。民主党の〇九年のマニフェストでは、高齢化している被爆者を早急に救済するために被爆実態を反映した新しい原爆症認定制度を創設するとしております。つまり、現状は被爆実態を十分に反映をしていないということだと思いますが、具体的にどういうことなのか。また、この新しい認定制度の創設はどのように進んでいるのでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) それは、被爆者の方が高齢化をされているし、先ほどの談話にもありましたように、長い間苦しまれてきているので、何とかその認定を広げたいということで、私も普通大臣が会われる回数より多く被爆者の皆さんと会わせていただいたりしています。
それで、今私の下で、原爆症認定の見直しについて、原爆症認定制度の在り方に関する検討会、これを開催いたしまして、既に現在まで九回議論をしていただいています。この検討会で、原爆症認定制度の在り方について、原爆放射線の健康影響に関する科学的な論議について、また行政の認定と司法の判断の乖離を踏まえた対応の在り方、そして財政負担の問題、こうした幅広い観点から総合的に御議論をいただいていますので、この議論をなるべく早くに取りまとめていただいて、一定の結論を出していきたいというふうに考えています。
○井上哲士君 確認書に基づいて開かれた第一回目の厚労大臣と被団協との定期協議の場で、当時の長妻大臣が、皆様が認定が緩和された、認定が変わったという実感を持つためには法律の改正が必要であると発言をされました。これを受けてその後のこの検討会の設置になったわけでありますが、つまり法改正も視野に入れて検討をしていると、こういうことでよろしいでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) それは委員がおっしゃるとおりです。
○井上哲士君 そうなりますと、この検討の核心というのは、司法とこの認定行政の乖離を正すというところにあるわけであります。
原爆症認定の集団訴訟では、三百六人の原告のうち九割以上が勝訴をいたしました。その過程で厚労省は認定基準を緩和をして新しい審査の方針へ改定をしたわけですが、この新しい審査の方針の概要を、当局で結構ですので、お述べください。
○政府参考人(外山千也君) 原爆症認定につきましては、平成二十年四月以降、新しい審査の方針により審査を行っているところであります。
新しい審査の方針では、放射線起因性の判断につきまして、被爆地点が爆心地より三・五キロメートル以内である者、それから原爆投下より約百時間以内に爆心地から約二キロメートル以内に入市した者などの被爆要件を満たし、さらに悪性腫瘍や白血病など七つの疾病に罹患している場合、積極的に認定することとしております。
また、積極的に認定する範囲に該当しない方については、申請者の被曝線量、既往歴、環境因子、生活歴などを総合的に勘案して判断していただくこととなっております。
また、要医療性の判断につきましては、疾病の状況に基づき個別に判断しているところでございます。
なお、この新しい審査の方針に基づき、平成二十年四月から平成二十三年十二月までに八千八百二十五件を認定しております。
○井上哲士君 放射線起因性が認められるという文言はありますけれども、七つの疾病については積極認定をし、それ以外も被爆状況などを総合的に勘案をして認定をするというものです。
司法判断に沿って積極的に運用をすれば、被爆者の救済につながるものであります。しかし、やはり厚労省は消極的な認定を、態度を変更していないんですね。
資料一を見ていただきたいんですが、政権交代のあった二〇〇九年九月以降、この認定の大量却下が急増をしております。結果として、二〇〇八年度は認定二千九百十九、却下六十二でしたけれども、二〇一〇年度は認定千四百三十五、却下は五千と、こういう数になっているわけですね。
司法と認定行政の乖離がむしろ増していると私は思いますが、これ、マニフェストと逆行しているんじゃないでしょうか。大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 今の新しい審査の方針につきましては、これは被爆者援護法に基づいて科学的に許容できる限度まで疾病等の範囲を拡大して策定されたもので、被爆者の立場に立って認定を行うということになっております。
ただ、御指摘のような状況もございますので、私もそこのところは、もう少し司法との乖離もしっかりと埋めていくためにどういう形ができるかということを、今被爆者の代表の方にも入っていただいている検討会で議論をいただいているので、それをなるべく速やかに結論を出していただきまして、前向きに検討させていただきたいと私は思っています。
○井上哲士君 今後の検討をしていく、これは早くやる必要がありますが、しかし、現にこれは行われている問題なんですね。そして、それが不服でまた訴訟を起こさなくてはならないという人が出ている問題であります。被爆者には時間がありません。これ、直ちに改善することが必要なんですが。
表二を見ていただきたいんですが、この新しい審査方針で積極認定とされている中で、この白内障以下のがん以外の疾病に対する認定率が極度に低いんです。
更に見ますと、表三を見ていただきたいんですが、これは裁判の結果を原告ごとにまとめたものであります。マルやバツが付いたものは勝訴、敗訴という結果でありますけれども、表三、白内障の場合は、裁判ではこの三・一キロ爆心地から離れた地点で被爆した方でも認定された場合があります。では、この新しい審査の方針が実施されて以降、白内障で一・四キロを超えた場所で被爆して認定されたケースはあるでしょうか。
○政府参考人(外山千也君) 原爆症認定申請に係る処分状況につきましては、平成二十二年四月から平成二十三年十二月までの審査の状況を厚生労働省ホームページに公表しているところでございます。公表している審査結果の中で、一・四キロメートルを含めますと二件ございますけれども、一・四キロメートルを超えてということではございません。ただ、御指摘の白内障は加齢や糖尿病などの持病による発症も多く、分科会におきまして申請者の被爆状況や既往歴、環境因子、生活歴などを総合的に勘案しまして一件一件個別に審査しているところでございます。
なお、新しい審査の方針が始まりました二十年四月から二十二年三月までにつきましては一・四キロを超えてというものもたしか若干あったと思いますけれども、今手元にデータを持っておりません。
○井上哲士君 裁判も、総合的に判断したけれども、こういう距離も含めて認定をしているわけですね。
では、次に表四を見ていただきますが、これは心筋梗塞の場合であります。裁判の場合は三・八キロを超えた場所で被爆された方も認定をされておりますが、では、新しい審査方針で爆心地から一・五キロを超えた場所で被爆して認定をされたケースはあるでしょうか。
○政府参考人(外山千也君) 先ほどの白内障と同じく、ホームページに公表しております時期の平成二十二年四月から二十三年十二月までの間の審査の状況でございますけれども、公表している審査結果の中で、一・五キロメートルを超えてということではございませんけれども、一・五キロメートル以遠ということで一・五キロを含むのでございますれば四件ございます。なお、先ほどの白内障と同時に、御指摘の心筋梗塞は喫煙や高血圧症、糖尿病などの持病により発症する場合も多く、分科会におきましては申請者の状況を個別個別に審査を行っているところでございます。
○井上哲士君 一・五キロを超えた場合はないということであります。
では、表四と五を併せて見ていただきますと、この白内障、心筋梗塞、いずれも裁判では入市被爆者も認定をされております、被爆後に広島市内や長崎に入った人。では、新しい審査方針で、この白内障、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変、こういう患者で入市被爆をして原爆症に認定をされた被爆者はいるでしょうか。
○政府参考人(外山千也君) 平成二十年四月から平成二十三年十二月までの審査結果の中で入市被爆だけで被爆者健康手帳を取得されている方のうち、白内障、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変を認定された方はいらっしゃいませんが、先生の資料のその五ページにあります、四日後に〇・七キロメートルに入市、一・三キロメートルで直爆というふうに書いてあるような、原爆投下時に三・五キロメートル以内で被爆し、投下後四日以内に入市した方を数えるのであれば八名の方が認定されております。
以上でございます。
○井上哲士君 つまり、それはほかの基準でありますから、入市被爆の場合には結局これは認定をされていないんです。ですから、私はこれは明らかに司法の判断と乖離をしていると思うんですね。個々のケースを総合的判断と言われましたけれども、それをやった結果、裁判ではいろんなケースが出ているんです。
しかし、今の厚労省の認定行政では、明らかに一・五キロとか一・四キロメートルという距離で線引きをして切り捨てています。そして、入市被爆の場合は一切認めないと、こういうふうにしているから大量の却下になっているんじゃないでしょうか。この点、厚労大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 今いろいろと具体的に御指摘をいただきましたけれども、司法と今の認定が乖離をしていることには、冒頭申し上げたように私も強い問題意識を持っています。
この問題は私自身も野党のときから取り組ませていただいていますので、先ほど申し上げた有識者の検討会、被爆当事者も入っていただいていますが、これの結論を今急がせています。なるべく早くに結論を出してその乖離を埋められるように最大限の努力をしたいというふうに思っています。
○井上哲士君 明らかに司法判断に反する機械的線引きをしているわけですね。ですから、今、新しい審査方針の下での判決でも八割以上国側が敗訴しておりまして、集団訴訟の敗訴が九割でありますから、同じような傾向になっているわけですね。
なぜこんなことになっているのかと。結局、初期放射線量の被害だけを問題にして残留放射線の影響を無視するという姿勢が続いているということ、そして、この数字で示されたいわゆる科学的知見にしがみついて被害者救済の立場に立っていないということにあると思うんですね。
科学的な知見というのは未解明な部分が多いということを前提にして、科学的知見がないからといって切り捨てるのではなくて、いろんな社会的、経済的、そういう状況を勘案をして救済するという立場で被害者、被爆者に寄り添っていくと、こういう方向への見直し、これが求められていると思いますが、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 私も日ごろから委員がおっしゃる趣旨で事務方に指示をしております。
そういう意味で、今、かといって私が独断で何かをするわけにはいきませんので、今行っている検討会を急がせておりますので、なるべく早くその結果を得て、私もおっしゃる趣旨で、もう本当に、御高齢で長い間そういう苦しみを抱えていらした方は本当にできるだけのことをしなければいけないと私自身も思っていますので、可能な限りのことをさせていただきたいと思っています。
○井上哲士君 その検討会で、被団協などはもう原爆症認定制度そのものの見直しも提案をされておりますし、医療分科会の委員からも、放射能起因性に固執せずに、被爆者手帳を持っているということは被爆者として国が認めたんだから、原爆起因性という考え方もあるじゃないかと、こういうふうな発言もされておりますし、現行の月額十三万七千円の医療特別手当と三万四千円の健康管理手当のこの間のものもあるんじゃないか、様々な提案がされております。
こういう認定制度そのものの見直しまで踏み込むべきではないかと思いますが、この点はいかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 今委員御指摘のその被団協の方からの御提言についても、これは真摯にしっかりと検討させていただきたいと思います。
○井上哲士君 ところが、第九回の検討会に当面の議論のポイントというものが出されました。これを見ますと、原爆症認定制度を前提とした場合の認定基準についてと、こういう項目になっておりまして、認定制度そのものを見直そうという、こういう様々な被団協の提案も含めたものはポイントから外れているんですよ。何でこんなことになっているんですか。
○政府参考人(外山千也君) 第九回はまだ論点のポイントを示しただけでございまして、先生御案内のように、被爆者援護制度というのは放射性の起因性というのを重要視しておりまして、これが他の戦争被害との違いであるということでございます。
ただ、今大臣が答弁しましたように、被団協の御要望もあるということでございまして、第十回に向けまして様々な論点から深くまた検討してまいりたいというふうに考えております。
○井上哲士君 第九回目のポイントでその問題は外れていたということは、大臣は御存じだったんでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 事実関係から申し上げますと、その被団協の委員から資料が提示されて説明をされたのがこの第九回なので、第九回に当初、その説明を伺う前に事務方が用意したペーパーが先ほど御指摘のものだったというふうに思っています。
御説明を受けて、私もこの御提言をしっかりと真摯に受け止めて、そうしたことも含めて検討するように言っておりますので、そういう方向でやっていきたいと思っています。
○井上哲士君 同趣旨の発言はそれまでもいろんな委員から出ているんですね。ですから、そういう議論を意図的に外したというのが私は九回目の役人が作ったポイントだと思うんですね。ですから、裁判でどんなに連敗しても消極的な態度を変えない、そして検討会でいろんな議論があっても、もう法改正はせずに現行制度の微調整に終わらせようという、こういう私は一貫した厚労省のずっとこの行政の問題が今出ていると思うんです。
これを突破するのが本当に私は政治主導と言われたことのやることだと思うんですね。それ、よろしいですか。
○国務大臣(小宮山洋子君) それは財政的な問題もございますけれども、そこを乗り越えて、今回、被団協の皆様などからの御要望も踏まえて、事務方だけではなくて、政務の中でも藤田政務官を担当に充てて窓口にしておりますので、そこはしっかりと政治主導でやっていきたいというふうに思います。
○井上哲士君 政権交代後に全会一致で成立した基金法の附則には、認定制度の在り方について検討し、必要な措置を講ずると、こうしているわけでありまして、これは見直しができないのはねじれのせいだと、こういうことではないんですね。まさに消極認定にしがみつくこれまでの厚生行政を変えないのなら、政権の本当に在り方が問われると思います。
最後に、もう一度、本当に被爆者の願いに寄り添って、大臣自身も十一月に被団協との定期協議会でお話聞かれていると思います。それに寄り添ってやるということで最後御決意をいただきたいと思います。
○国務大臣(小宮山洋子君) 少しでも御高齢な被爆者の皆様に寄り添ってできるように最大限努力をしていきたいと思います。
○井上哲士君 終わります。
○委員長(石井一君) 以上で井上哲士君の質疑は終了いたしました。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士であります。
今日は、原爆症認定問題についてお聞きをいたします。
私は、広島に育った被爆二世でもありますし、母校の広島国泰寺高校は平和公園のすぐそば、広島一中の先輩たちは多くが亡くなりました。そういう点で、核兵器廃絶と被爆者援護というのは私の原点でもあります。
そこで、まず厚労大臣、お聞きいたしますが、原爆症認定の近畿訴訟で、三月九日に大阪地裁での判決が下りました。新しい審査方針の下での心筋梗塞による原爆症認定申請への却下処分を取り消しただけではなくて、原爆症の認定をせよと初めて踏み込んだ判決でありますけれども、どのように受け止めていらっしゃるでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 三月九日の大阪地裁の判決は、今委員がおっしゃいましたように、原告が原爆症認定申請却下処分の取消しに加えて原爆症認定の義務付けを求めたため、この点についても判断が示されたものだと考えています。
国の主張が認められませんでしたので、大変厳しい判決だったという認識を持っています。
○井上哲士君 これは自公政権時代からの流れがあるわけですね。麻生総理と被団協代表の間で集団訴訟の終結のための確認書が取り交わされました。その際に当時の河村官房長官が談話を出しておりますけれども、これはどういう内容か。そしてまた、この確認書と談話を民主党政権も受け継いでいるということでよろしいでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 平成二十一年八月六日に、当時の麻生総理と被爆者団体代表との間で原爆症認定集団訴訟に関する基本方針に関する確認書が署名をされました。これを受けまして当時の河村官房長官が、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くし難い苦しみや集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします、この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図ることとしたものでありますという談話を示されました。
この内容につきましては、当然、現在の厚労大臣である私も基本的な認識を共有するところです。
○井上哲士君 この大阪地裁判決というのは、この集団訴訟の流れに沿うものであるわけですね。確認書とこの談話を受け継ぐということであるならば、私は、控訴は断念をして、高齢で重い病気に苦しむ原告に対する救済を図るべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 現在、判決の内容を詳細に検討し、関係省庁と詰めの今調整をしているところです。
控訴期限があさって三月二十三日ですので、最終的な結論を出していきたいというふうに考えています。
○井上哲士君 この問題は、民主党政権の姿勢が問われております。民主党の〇九年のマニフェストでは、高齢化している被爆者を早急に救済するために被爆実態を反映した新しい原爆症認定制度を創設するとしております。つまり、現状は被爆実態を十分に反映をしていないということだと思いますが、具体的にどういうことなのか。また、この新しい認定制度の創設はどのように進んでいるのでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) それは、被爆者の方が高齢化をされているし、先ほどの談話にもありましたように、長い間苦しまれてきているので、何とかその認定を広げたいということで、私も普通大臣が会われる回数より多く被爆者の皆さんと会わせていただいたりしています。
それで、今私の下で、原爆症認定の見直しについて、原爆症認定制度の在り方に関する検討会、これを開催いたしまして、既に現在まで九回議論をしていただいています。この検討会で、原爆症認定制度の在り方について、原爆放射線の健康影響に関する科学的な論議について、また行政の認定と司法の判断の乖離を踏まえた対応の在り方、そして財政負担の問題、こうした幅広い観点から総合的に御議論をいただいていますので、この議論をなるべく早くに取りまとめていただいて、一定の結論を出していきたいというふうに考えています。
○井上哲士君 確認書に基づいて開かれた第一回目の厚労大臣と被団協との定期協議の場で、当時の長妻大臣が、皆様が認定が緩和された、認定が変わったという実感を持つためには法律の改正が必要であると発言をされました。これを受けてその後のこの検討会の設置になったわけでありますが、つまり法改正も視野に入れて検討をしていると、こういうことでよろしいでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) それは委員がおっしゃるとおりです。
○井上哲士君 そうなりますと、この検討の核心というのは、司法とこの認定行政の乖離を正すというところにあるわけであります。
原爆症認定の集団訴訟では、三百六人の原告のうち九割以上が勝訴をいたしました。その過程で厚労省は認定基準を緩和をして新しい審査の方針へ改定をしたわけですが、この新しい審査の方針の概要を、当局で結構ですので、お述べください。
○政府参考人(外山千也君) 原爆症認定につきましては、平成二十年四月以降、新しい審査の方針により審査を行っているところであります。
新しい審査の方針では、放射線起因性の判断につきまして、被爆地点が爆心地より三・五キロメートル以内である者、それから原爆投下より約百時間以内に爆心地から約二キロメートル以内に入市した者などの被爆要件を満たし、さらに悪性腫瘍や白血病など七つの疾病に罹患している場合、積極的に認定することとしております。
また、積極的に認定する範囲に該当しない方については、申請者の被曝線量、既往歴、環境因子、生活歴などを総合的に勘案して判断していただくこととなっております。
また、要医療性の判断につきましては、疾病の状況に基づき個別に判断しているところでございます。
なお、この新しい審査の方針に基づき、平成二十年四月から平成二十三年十二月までに八千八百二十五件を認定しております。
○井上哲士君 放射線起因性が認められるという文言はありますけれども、七つの疾病については積極認定をし、それ以外も被爆状況などを総合的に勘案をして認定をするというものです。
司法判断に沿って積極的に運用をすれば、被爆者の救済につながるものであります。しかし、やはり厚労省は消極的な認定を、態度を変更していないんですね。
資料一を見ていただきたいんですが、政権交代のあった二〇〇九年九月以降、この認定の大量却下が急増をしております。結果として、二〇〇八年度は認定二千九百十九、却下六十二でしたけれども、二〇一〇年度は認定千四百三十五、却下は五千と、こういう数になっているわけですね。
司法と認定行政の乖離がむしろ増していると私は思いますが、これ、マニフェストと逆行しているんじゃないでしょうか。大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 今の新しい審査の方針につきましては、これは被爆者援護法に基づいて科学的に許容できる限度まで疾病等の範囲を拡大して策定されたもので、被爆者の立場に立って認定を行うということになっております。
ただ、御指摘のような状況もございますので、私もそこのところは、もう少し司法との乖離もしっかりと埋めていくためにどういう形ができるかということを、今被爆者の代表の方にも入っていただいている検討会で議論をいただいているので、それをなるべく速やかに結論を出していただきまして、前向きに検討させていただきたいと私は思っています。
○井上哲士君 今後の検討をしていく、これは早くやる必要がありますが、しかし、現にこれは行われている問題なんですね。そして、それが不服でまた訴訟を起こさなくてはならないという人が出ている問題であります。被爆者には時間がありません。これ、直ちに改善することが必要なんですが。
表二を見ていただきたいんですが、この新しい審査方針で積極認定とされている中で、この白内障以下のがん以外の疾病に対する認定率が極度に低いんです。
更に見ますと、表三を見ていただきたいんですが、これは裁判の結果を原告ごとにまとめたものであります。マルやバツが付いたものは勝訴、敗訴という結果でありますけれども、表三、白内障の場合は、裁判ではこの三・一キロ爆心地から離れた地点で被爆した方でも認定された場合があります。では、この新しい審査の方針が実施されて以降、白内障で一・四キロを超えた場所で被爆して認定されたケースはあるでしょうか。
○政府参考人(外山千也君) 原爆症認定申請に係る処分状況につきましては、平成二十二年四月から平成二十三年十二月までの審査の状況を厚生労働省ホームページに公表しているところでございます。公表している審査結果の中で、一・四キロメートルを含めますと二件ございますけれども、一・四キロメートルを超えてということではございません。ただ、御指摘の白内障は加齢や糖尿病などの持病による発症も多く、分科会におきまして申請者の被爆状況や既往歴、環境因子、生活歴などを総合的に勘案しまして一件一件個別に審査しているところでございます。
なお、新しい審査の方針が始まりました二十年四月から二十二年三月までにつきましては一・四キロを超えてというものもたしか若干あったと思いますけれども、今手元にデータを持っておりません。
○井上哲士君 裁判も、総合的に判断したけれども、こういう距離も含めて認定をしているわけですね。
では、次に表四を見ていただきますが、これは心筋梗塞の場合であります。裁判の場合は三・八キロを超えた場所で被爆された方も認定をされておりますが、では、新しい審査方針で爆心地から一・五キロを超えた場所で被爆して認定をされたケースはあるでしょうか。
○政府参考人(外山千也君) 先ほどの白内障と同じく、ホームページに公表しております時期の平成二十二年四月から二十三年十二月までの間の審査の状況でございますけれども、公表している審査結果の中で、一・五キロメートルを超えてということではございませんけれども、一・五キロメートル以遠ということで一・五キロを含むのでございますれば四件ございます。なお、先ほどの白内障と同時に、御指摘の心筋梗塞は喫煙や高血圧症、糖尿病などの持病により発症する場合も多く、分科会におきましては申請者の状況を個別個別に審査を行っているところでございます。
○井上哲士君 一・五キロを超えた場合はないということであります。
では、表四と五を併せて見ていただきますと、この白内障、心筋梗塞、いずれも裁判では入市被爆者も認定をされております、被爆後に広島市内や長崎に入った人。では、新しい審査方針で、この白内障、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変、こういう患者で入市被爆をして原爆症に認定をされた被爆者はいるでしょうか。
○政府参考人(外山千也君) 平成二十年四月から平成二十三年十二月までの審査結果の中で入市被爆だけで被爆者健康手帳を取得されている方のうち、白内障、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変を認定された方はいらっしゃいませんが、先生の資料のその五ページにあります、四日後に〇・七キロメートルに入市、一・三キロメートルで直爆というふうに書いてあるような、原爆投下時に三・五キロメートル以内で被爆し、投下後四日以内に入市した方を数えるのであれば八名の方が認定されております。
以上でございます。
○井上哲士君 つまり、それはほかの基準でありますから、入市被爆の場合には結局これは認定をされていないんです。ですから、私はこれは明らかに司法の判断と乖離をしていると思うんですね。個々のケースを総合的判断と言われましたけれども、それをやった結果、裁判ではいろんなケースが出ているんです。
しかし、今の厚労省の認定行政では、明らかに一・五キロとか一・四キロメートルという距離で線引きをして切り捨てています。そして、入市被爆の場合は一切認めないと、こういうふうにしているから大量の却下になっているんじゃないでしょうか。この点、厚労大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 今いろいろと具体的に御指摘をいただきましたけれども、司法と今の認定が乖離をしていることには、冒頭申し上げたように私も強い問題意識を持っています。
この問題は私自身も野党のときから取り組ませていただいていますので、先ほど申し上げた有識者の検討会、被爆当事者も入っていただいていますが、これの結論を今急がせています。なるべく早くに結論を出してその乖離を埋められるように最大限の努力をしたいというふうに思っています。
○井上哲士君 明らかに司法判断に反する機械的線引きをしているわけですね。ですから、今、新しい審査方針の下での判決でも八割以上国側が敗訴しておりまして、集団訴訟の敗訴が九割でありますから、同じような傾向になっているわけですね。
なぜこんなことになっているのかと。結局、初期放射線量の被害だけを問題にして残留放射線の影響を無視するという姿勢が続いているということ、そして、この数字で示されたいわゆる科学的知見にしがみついて被害者救済の立場に立っていないということにあると思うんですね。
科学的な知見というのは未解明な部分が多いということを前提にして、科学的知見がないからといって切り捨てるのではなくて、いろんな社会的、経済的、そういう状況を勘案をして救済するという立場で被害者、被爆者に寄り添っていくと、こういう方向への見直し、これが求められていると思いますが、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 私も日ごろから委員がおっしゃる趣旨で事務方に指示をしております。
そういう意味で、今、かといって私が独断で何かをするわけにはいきませんので、今行っている検討会を急がせておりますので、なるべく早くその結果を得て、私もおっしゃる趣旨で、もう本当に、御高齢で長い間そういう苦しみを抱えていらした方は本当にできるだけのことをしなければいけないと私自身も思っていますので、可能な限りのことをさせていただきたいと思っています。
○井上哲士君 その検討会で、被団協などはもう原爆症認定制度そのものの見直しも提案をされておりますし、医療分科会の委員からも、放射能起因性に固執せずに、被爆者手帳を持っているということは被爆者として国が認めたんだから、原爆起因性という考え方もあるじゃないかと、こういうふうな発言もされておりますし、現行の月額十三万七千円の医療特別手当と三万四千円の健康管理手当のこの間のものもあるんじゃないか、様々な提案がされております。
こういう認定制度そのものの見直しまで踏み込むべきではないかと思いますが、この点はいかがでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 今委員御指摘のその被団協の方からの御提言についても、これは真摯にしっかりと検討させていただきたいと思います。
○井上哲士君 ところが、第九回の検討会に当面の議論のポイントというものが出されました。これを見ますと、原爆症認定制度を前提とした場合の認定基準についてと、こういう項目になっておりまして、認定制度そのものを見直そうという、こういう様々な被団協の提案も含めたものはポイントから外れているんですよ。何でこんなことになっているんですか。
○政府参考人(外山千也君) 第九回はまだ論点のポイントを示しただけでございまして、先生御案内のように、被爆者援護制度というのは放射性の起因性というのを重要視しておりまして、これが他の戦争被害との違いであるということでございます。
ただ、今大臣が答弁しましたように、被団協の御要望もあるということでございまして、第十回に向けまして様々な論点から深くまた検討してまいりたいというふうに考えております。
○井上哲士君 第九回目のポイントでその問題は外れていたということは、大臣は御存じだったんでしょうか。
○国務大臣(小宮山洋子君) 事実関係から申し上げますと、その被団協の委員から資料が提示されて説明をされたのがこの第九回なので、第九回に当初、その説明を伺う前に事務方が用意したペーパーが先ほど御指摘のものだったというふうに思っています。
御説明を受けて、私もこの御提言をしっかりと真摯に受け止めて、そうしたことも含めて検討するように言っておりますので、そういう方向でやっていきたいと思っています。
○井上哲士君 同趣旨の発言はそれまでもいろんな委員から出ているんですね。ですから、そういう議論を意図的に外したというのが私は九回目の役人が作ったポイントだと思うんですね。ですから、裁判でどんなに連敗しても消極的な態度を変えない、そして検討会でいろんな議論があっても、もう法改正はせずに現行制度の微調整に終わらせようという、こういう私は一貫した厚労省のずっとこの行政の問題が今出ていると思うんです。
これを突破するのが本当に私は政治主導と言われたことのやることだと思うんですね。それ、よろしいですか。
○国務大臣(小宮山洋子君) それは財政的な問題もございますけれども、そこを乗り越えて、今回、被団協の皆様などからの御要望も踏まえて、事務方だけではなくて、政務の中でも藤田政務官を担当に充てて窓口にしておりますので、そこはしっかりと政治主導でやっていきたいというふうに思います。
○井上哲士君 政権交代後に全会一致で成立した基金法の附則には、認定制度の在り方について検討し、必要な措置を講ずると、こうしているわけでありまして、これは見直しができないのはねじれのせいだと、こういうことではないんですね。まさに消極認定にしがみつくこれまでの厚生行政を変えないのなら、政権の本当に在り方が問われると思います。
最後に、もう一度、本当に被爆者の願いに寄り添って、大臣自身も十一月に被団協との定期協議会でお話聞かれていると思います。それに寄り添ってやるということで最後御決意をいただきたいと思います。
○国務大臣(小宮山洋子君) 少しでも御高齢な被爆者の皆様に寄り添ってできるように最大限努力をしていきたいと思います。
○井上哲士君 終わります。
○委員長(石井一君) 以上で井上哲士君の質疑は終了いたしました。
(原爆症認定・堀内照文)第190回国会 厚生労働委員会 第8号(平成28年3月23日)
○渡辺委員長 次に、堀内照文君。
○堀内(照)委員 日本共産党の堀内照文です。
本日議題となっております戦傷病者の妻に対する特別給付金支給法等の改正は、三十万円の十年償還国債の交付から、十五万、五年償還の国債を二回に分けて交付するなどの内容となっております。受給者の高齢化に伴い、国として特別の慰藉を行うために配慮をするという改正で、賛成できるものだと考えております。
この法案の対象である戦傷病者の妻、また戦没者の妻や遺族に対する給付金、弔慰金、こういう制度は幾つかあるわけですが、その審議で問題になってきたのが、今もありました時効失権の問題です。
この間、これらについて、総務省の協力も得ながら、個別に郵送するですとか、あらかじめわかっている事項は印字の上で請求書を同封して郵送するなど、対策がとられているものと認識をしております。
現状と課題についてちょっとお聞きしようと思ったんですけれども、もう質疑で出されておりますので、私からは、失効することがないよう引き続き努力をいただくとともに、万が一にも失効した際の救済がやはり必要だと思います。それから、給付のあり方も課題があるというのは、今も浮き彫りになったと思います。
そういう点でも、制度の趣旨が貫かれるような対策がやはり必要だということを指摘しておきたいと思っております。
きょうは、原爆症認定行政について、被爆者援護について質問したいと思っております。
被爆者の平均年齢は八十歳を超えました。戦後七十年以上、大変な苦難の道を歩まされてきた被爆者の方々が、国の原爆症認定行政によって大変苦しめられております。
この認定行政が被爆の実態に見合ったものではないと、二〇〇三年以降、全国十七カ所、三百六人の被爆者が原告となって、原爆症認定集団訴訟が闘われました。被爆者が、九〇%を超える勝訴判決をかち取り、二〇〇九年八月六日に、当時の麻生総理大臣が、日本原水爆被害者団体協議会、被団協と、「今後、訴訟の場で争う必要のないよう、」とする確認書を締結しました。きょう、資料でお配りをさせていただきました。同時に、内閣官房長官の談話も、司法判断を厳粛に受けとめるという内容で出されております。
厚生労働大臣は、この定期協議が課されているわけですが、その場にまさに当事者として出席をする立場であります。この八・六合意は守るべきものだという認識があるのか、それから、内閣官房長官のこの談話と同じ立場であるのか、この二点、お伺いしたいと思います。
○塩崎国務大臣 御指摘の確認書におきまして、当時の集団訴訟の早期解決、そして、今後、訴訟の場で争う必要のないように、定期協議の場を通じて解決を図るということを確認しておりまして、これを守るべく努力をする姿勢には、私も変わりはございません。
○堀内(照)委員 ところが、この後も裁判所の判断基準を無視した原爆症認定却下が相次いで、今、ノーモア・ヒバクシャ訴訟というのが闘われております。
提訴者が百二十人、現在の原告は七十四人で、地裁判決での原告勝訴は、自庁取り消しの二十二人を含む四十七人、八九・六%の勝訴率です。その多くが判決として確定をしております。
二〇一三年末に、国は、原爆症認定基準を新しい基準に見直しました。これは資料二枚目につけておきました。それでもなお、司法では、国の申請却下を覆し、認定すべしという判断が下されております。司法と行政との乖離は一向に埋まりません。
大臣にお伺いしたいんですが、この新しい基準、機能しているとお考えでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆症認定制度につきましては、原爆症認定制度の在り方に関する検討会、ここで、三年間、合計二十六回にわたって議論を行っていただきました。その結果、平成二十五年十二月に基準の見直しを行ったところでございます。
この検討会の報告書において、「裁判では個別の事情に基づいて判断が行われるのに対し、行政認定においては同様の状況なら同様の結論といった公平な判断が求められることから、」「乖離を完全に解消することは難しい」とされておるわけでございます。
一方で、「こうした限界を踏まえつつも、司法判断と行政認定の乖離をできる限り縮めていく努力が重要」ともされておりまして、非がん疾病の認定基準を明確化するように提言されたことも踏まえて、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかではない範囲まで基準を拡大したところでございます。
この基準見直し前後の認定件数を見ますと、非がん疾病の認定件数は、見直し前、平成二十四年度と平成二十五年度の認定件数が四十三件であったのに対して、見直し後の二年弱で二百六十件と、四十三件から二百六十件へと大幅に増加をしたところでございます。
○堀内(照)委員 いろいろ検討会のことも言われましたが、今大臣も言われたように、検討会の中でも、乖離を縮める努力が重要だと言われているわけでありますし、それから、今ありましたけれども、この間の被爆者の運動の中で要件が拡大したわけですから、ある程度ふえるのは当然なんです。
しかし、新基準以降、昨年九月までの認定件数と却下件数の割合を見ますと、がん疾病では、認定が四分の三、却下が四分の一であるのに対して、非がん疾病では、認定は三分の一にしかすぎず、却下は依然三分の二に上っております。
新基準があたかも何か成果が出ているかのように今言われましたけれども、それをはかる物差しは、単にふえたかどうかではなくて、本来認定されるべき人が認定されているかどうか、ここをやはりしっかり見るべきだと思うんです。
新たな基準は、積極的に認定する範囲として、がんなどについては爆心地から三・五キロメートルでの被爆を認めているのに対し、心筋梗塞や甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変は二キロ、白内障は一・五キロと格段に厳しくなっています。そして、それらに該当しない場合は総合的に判断するというんですが、被爆の克明な証明を求め、少しでも条件を満たさないとされると却下されてしまう、これが今のやり方だと言わなければなりません。
ですから、異議申し立ても後を絶ちません。
新基準前の二〇一三年と、その後の一四年、一五年、一五年は九月までだと思うんですが、異議申し立ての件数はどうなっているでしょうか。
○福島政府参考人 お答えいたします。
お尋ねの、原爆症認定を申請されたけれども却下となりまして、その決定を不服として異議申し立てをされた件数でございますが、平成二十五年度、二〇一三年度が六十三件、平成二十六年度が六十九件、平成二十七年度が九月末までで五十八件となっております。
○堀内(照)委員 前が六十三件、その後、六十九件と。ことしは半年で五十八件ですから、ふえているんですね。積極認定というけれども、実際には線引き、事実上の切り捨てになっているからではないでしょうか。
二〇一四年三月の熊本地裁で原告勝訴の判決となった方は、爆心地から二キロの自宅で、生後八カ月のときに被爆をされました。法廷では、被爆当時の様子を語ろうにも、多くを語らなかった父母のかわりにいろいろ教えてくれた六歳上の姉の記憶が頼りだったと。
四十歳を過ぎたころから、肝機能障害や脳梗塞などを発症する。その後も、心筋梗塞、糖尿病、バセドー病、甲状腺機能低下症など、次々発症する。たばこも酒もやらない。病気は被爆したからだ、こう思って申請をしましたが、却下をされました。新基準でもこれが認められませんでした。司法判断でやっと認定されました。なのに、国は控訴したんです。
国は、当時八カ月だった人に、これ以上被爆の因果関係を証明せよというんでしょうか。この間、国は十人を超える原告を控訴しております。
大臣に伺いたいんです。こうまでしてなぜ控訴を続けるんでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆症認定に関する訴訟につきましては、被爆者の方々が高齢化をしているというこの現状は、これはもう揺るぎない事実でございます。これは踏まえなければいけない。できる限り救済するという観点もそのとおりであって、私どももその観点に立って、それぞれの判決内容を慎重に検討して、新しい審査の方針と矛盾しないという判断ができるものについては控訴をせずに地裁判決を受け入れるというふうな基本スタンスでまいっておるわけでございます。
他方で、健康被害が放射線によってもたらされたと判断できるかの基準である放射線起因性、あるいは、現に医療を必要とするかの基準であります要医療性に関して、例えばこの認定基準に比べて被爆距離が遠い場合など、現在の科学的知見等に照らして、認めることが困難な事案については控訴をすることとしております。直近の二件の高裁判決では、放射線起因性に関して、いずれも国が逆転勝訴をしているわけでございます。
いずれにしても、厚生労働省としては、被爆者の平均年齢が八十歳を超えて高齢化をしている現状を踏まえれば、現在の認定基準において一日でも早く認定がなされるように審査の迅速化を図ることとしておりまして、原則六カ月以内で審査を行うように努めてまいりたいというふうに思っているところでございます。
○堀内(照)委員 結局、距離で線引きをして控訴しているということになるじゃありませんか。七十年も前の幼少期の記憶を頼りに、病気が放射線起因であるということを立証せよと迫ること自体、私はひどい話だと思うんですね。
多くの被爆者にとって、放射能の影響を証明することは、加齢による記憶の減退、証人も含めた証拠の散逸など、ますます困難になっているわけであります。そういう被爆者に訴訟を強い、立証責任を負わすことは、非人道的だと私は言わなければならないと思うんです。
地裁で勝訴しながら国から控訴された方は、十四歳のとき、爆心地付近で四日間瓦れきの撤去の作業に従事をし、帰宅後猛烈な下痢が二カ月余り続いた後、髪や眉毛が抜け落ちた。後に肝臓がんなども患いましたが、それでも認定申請は却下だったと。却下の理由は示されませんでしたが、恐らくということで、この方は、投下後約百時間以内の入市でなかったからだろう、官僚の勝手な線引きは許せない、こう語っていたわけであります。以来六年もの歳月を費やしてやっと地裁で勝訴したのに、国が控訴をしたことで認定を受けられませんでした。
今、大臣、逆転もあるんだとおっしゃいましたけれども、この方も本当に不当な判決だと私は思うんですね。この方は、地裁で勝訴をかち取って喜んだ後、国が控訴した中で、落胆する中、間もなく入院し、帰らぬ人となりました。
私もこの問題でいろいろ相談を受ける中で、国は被爆者が死ぬのを待っているのか、そういう声があるわけです。私は国の責任は本当に重大だと思うんです。
八・六合意では、訴訟を終結させ、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図ると。官房長官の談話では、「国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてこれを厳粛に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします。この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図ることとしたものであります。」こう述べているんですね。
しかし、これはやはり全くやっていることが逆じゃないかと私は言わなければならないと思うんです。高齢の被爆者を訴訟に追い込むことはあってはなりません。
十三歳のときに長崎で入市被爆をした神戸の方、裁判当時は八十一歳の女性なんですが、裁判で国側代理人から、入市した日付が被爆者手帳の記載と違うということを指摘される中で、出発する日付をカレンダーで確認したのかとか、長崎の町へどの交通機関を使うつもりだったのかとか、爆心地の状況をわかって向かったのかとか、罹災証明をとっていなかったのかと。子供だった私にわかるはずありません、こう答えるしかなかったというんですが、被爆直後の混乱した状況を考えればおよそ発することができないような執拗な尋問に、この女性は、こんな性悪な質問はない、もう帰りたい、ここまで口にしたというんです。
裁判となったら、国側代理人からの尋問が、被爆者の証言には虚偽はないのかと、戦後七十年以上、被爆によるさまざまな苦難を強いられてきた高齢の被爆者を一層傷つけるものになっているわけです。
そうした被爆者の、今、放射線起因性と言われました、それを立証させる国のやり方、被爆者に立証させるやり方を司法は何度も断罪をしているわけです。今後、高齢化で、一層立証は困難になります。だからこそ私は、政治の決断が必要なんだと思うんです。
今の認定行政では、基準を設けることで、どうしても切り捨てが生まれてしまう。司法と行政の乖離も解決しない。現行の認定行政では私は解決できないと思います。だから、被団協は、現行の認定行政をやめようと提言を発表しております。全ての被爆者に現行の健康管理手当相当の被爆者手当を支給し、疾患について、段階的に手当の加算を行うことを提案している。段階的支給により、現行の手当より減る人も生まれるかもしれませんけれども、今の認定行政のこのような切り捨ては変えようという思い切った提案なんです。
認定行政を見直す必要があると私は思うわけですが、大臣、いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 平成二十五年十二月の原爆症認定制度の基準の見直しは、先ほど申し上げたとおり、幅広い分野の専門家あるいは被団協の代表の方々にも御参画をいただいて、原爆症認定制度の在り方に関する検討会において、三年間、二十六回にわたって議論をしていただいた上で結論をいただいた、こういうことで、大変重たいものだと理解をしております。
現行の基準は、検討会の報告にございますように、司法判断と行政の乖離を埋める努力として、そしてまた、放射線と健康被害に関して科学には不確かな部分があることを踏まえて、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含めて設定をされたものでございます。また、見直しの結果、認定疾病における非がん疾病の割合も増加をしているところでございます。
先ほど申し上げたように、裁判で逆転勝訴を国がするというようなこともまだございまして、基本は今申し上げたとおりでございますので、引き続き、この認定行政の公正公平な、そしてスピードを上げた対応をしてまいりたいというふうに思います。
○堀内(照)委員 確定した判決は、国が負けたものしかないわけですよ。それは余り理由として言わない方がいいと思いますよ。
私、被団協の提言の中にある一節、これをぜひ聞いていただきたい。「被爆者は原爆の地獄を体験し、全ての被爆者が何らかの放射線被害を受けています。そのために心と身体に深い傷を負って生き抜いてきました。子どもを産み育てるという人として自然なことにさえ恐れおののき、就職、結婚など人生の節目での差別など計り知れない苦しみと不安から解放されることなく生きてこざるをえなかったのです。そして今もなお、子や孫に健康問題が生じると「被爆のせいではないか」と、わが身を責めているのです。」
何らかの放射線被害を受けているわけです。それを、どこまでどう放射線量を受けたのかと、幼少期の、七十年以上前の記憶を呼び起こして立証させる、こんなことは、私はやはり間違っていると思うんです。
少なくとも、真摯にこの司法の判断と向き合って、定期協議の場で被爆者団体と話し合う。今、定期協議をやるということになっているんですけれども、被団協と原告団、弁護団の統一要求書の中では、定期協議、原則概算要求前の毎年七月に行うということと、この認定制度の抜本的な改善のために、事務レベルでだと思うんですが、事務方あるいは政務官ないし副大臣との定期協議の場を要望されていると思うんですが、これはぜひ具体化すべきじゃありませんか。
○渡辺委員長 既に持ち時間が経過しております。質疑は終了してください。
簡潔に答弁をお願いいたします。
○塩崎国務大臣 被団協の皆様方との協議につきましては、これまでも国会用務等の動向も見ながら行ってきておりまして、昨年一月十五日に開催したところでございます。
その後も、毎年春と秋に厚生労働省の事務方が被団協と定期的に面会をしております。各種要望をお伺いしているところでございますけれども、いずれにしても、国会の状況、それから前回の大臣協議からの状況の変化なども見て、次回の開催時期としていつが適当か、事務方に被団協の皆様方と相談をさせたいというふうに思います。
○堀内(照)委員 被爆者はもう待てない、この一言だけ言って終わります。
ありがとうございました。
○渡辺委員長 以上で本案に対する質疑は終局いたしました。
○堀内(照)委員 日本共産党の堀内照文です。
本日議題となっております戦傷病者の妻に対する特別給付金支給法等の改正は、三十万円の十年償還国債の交付から、十五万、五年償還の国債を二回に分けて交付するなどの内容となっております。受給者の高齢化に伴い、国として特別の慰藉を行うために配慮をするという改正で、賛成できるものだと考えております。
この法案の対象である戦傷病者の妻、また戦没者の妻や遺族に対する給付金、弔慰金、こういう制度は幾つかあるわけですが、その審議で問題になってきたのが、今もありました時効失権の問題です。
この間、これらについて、総務省の協力も得ながら、個別に郵送するですとか、あらかじめわかっている事項は印字の上で請求書を同封して郵送するなど、対策がとられているものと認識をしております。
現状と課題についてちょっとお聞きしようと思ったんですけれども、もう質疑で出されておりますので、私からは、失効することがないよう引き続き努力をいただくとともに、万が一にも失効した際の救済がやはり必要だと思います。それから、給付のあり方も課題があるというのは、今も浮き彫りになったと思います。
そういう点でも、制度の趣旨が貫かれるような対策がやはり必要だということを指摘しておきたいと思っております。
きょうは、原爆症認定行政について、被爆者援護について質問したいと思っております。
被爆者の平均年齢は八十歳を超えました。戦後七十年以上、大変な苦難の道を歩まされてきた被爆者の方々が、国の原爆症認定行政によって大変苦しめられております。
この認定行政が被爆の実態に見合ったものではないと、二〇〇三年以降、全国十七カ所、三百六人の被爆者が原告となって、原爆症認定集団訴訟が闘われました。被爆者が、九〇%を超える勝訴判決をかち取り、二〇〇九年八月六日に、当時の麻生総理大臣が、日本原水爆被害者団体協議会、被団協と、「今後、訴訟の場で争う必要のないよう、」とする確認書を締結しました。きょう、資料でお配りをさせていただきました。同時に、内閣官房長官の談話も、司法判断を厳粛に受けとめるという内容で出されております。
厚生労働大臣は、この定期協議が課されているわけですが、その場にまさに当事者として出席をする立場であります。この八・六合意は守るべきものだという認識があるのか、それから、内閣官房長官のこの談話と同じ立場であるのか、この二点、お伺いしたいと思います。
○塩崎国務大臣 御指摘の確認書におきまして、当時の集団訴訟の早期解決、そして、今後、訴訟の場で争う必要のないように、定期協議の場を通じて解決を図るということを確認しておりまして、これを守るべく努力をする姿勢には、私も変わりはございません。
○堀内(照)委員 ところが、この後も裁判所の判断基準を無視した原爆症認定却下が相次いで、今、ノーモア・ヒバクシャ訴訟というのが闘われております。
提訴者が百二十人、現在の原告は七十四人で、地裁判決での原告勝訴は、自庁取り消しの二十二人を含む四十七人、八九・六%の勝訴率です。その多くが判決として確定をしております。
二〇一三年末に、国は、原爆症認定基準を新しい基準に見直しました。これは資料二枚目につけておきました。それでもなお、司法では、国の申請却下を覆し、認定すべしという判断が下されております。司法と行政との乖離は一向に埋まりません。
大臣にお伺いしたいんですが、この新しい基準、機能しているとお考えでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆症認定制度につきましては、原爆症認定制度の在り方に関する検討会、ここで、三年間、合計二十六回にわたって議論を行っていただきました。その結果、平成二十五年十二月に基準の見直しを行ったところでございます。
この検討会の報告書において、「裁判では個別の事情に基づいて判断が行われるのに対し、行政認定においては同様の状況なら同様の結論といった公平な判断が求められることから、」「乖離を完全に解消することは難しい」とされておるわけでございます。
一方で、「こうした限界を踏まえつつも、司法判断と行政認定の乖離をできる限り縮めていく努力が重要」ともされておりまして、非がん疾病の認定基準を明確化するように提言されたことも踏まえて、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかではない範囲まで基準を拡大したところでございます。
この基準見直し前後の認定件数を見ますと、非がん疾病の認定件数は、見直し前、平成二十四年度と平成二十五年度の認定件数が四十三件であったのに対して、見直し後の二年弱で二百六十件と、四十三件から二百六十件へと大幅に増加をしたところでございます。
○堀内(照)委員 いろいろ検討会のことも言われましたが、今大臣も言われたように、検討会の中でも、乖離を縮める努力が重要だと言われているわけでありますし、それから、今ありましたけれども、この間の被爆者の運動の中で要件が拡大したわけですから、ある程度ふえるのは当然なんです。
しかし、新基準以降、昨年九月までの認定件数と却下件数の割合を見ますと、がん疾病では、認定が四分の三、却下が四分の一であるのに対して、非がん疾病では、認定は三分の一にしかすぎず、却下は依然三分の二に上っております。
新基準があたかも何か成果が出ているかのように今言われましたけれども、それをはかる物差しは、単にふえたかどうかではなくて、本来認定されるべき人が認定されているかどうか、ここをやはりしっかり見るべきだと思うんです。
新たな基準は、積極的に認定する範囲として、がんなどについては爆心地から三・五キロメートルでの被爆を認めているのに対し、心筋梗塞や甲状腺機能低下症、慢性肝炎、肝硬変は二キロ、白内障は一・五キロと格段に厳しくなっています。そして、それらに該当しない場合は総合的に判断するというんですが、被爆の克明な証明を求め、少しでも条件を満たさないとされると却下されてしまう、これが今のやり方だと言わなければなりません。
ですから、異議申し立ても後を絶ちません。
新基準前の二〇一三年と、その後の一四年、一五年、一五年は九月までだと思うんですが、異議申し立ての件数はどうなっているでしょうか。
○福島政府参考人 お答えいたします。
お尋ねの、原爆症認定を申請されたけれども却下となりまして、その決定を不服として異議申し立てをされた件数でございますが、平成二十五年度、二〇一三年度が六十三件、平成二十六年度が六十九件、平成二十七年度が九月末までで五十八件となっております。
○堀内(照)委員 前が六十三件、その後、六十九件と。ことしは半年で五十八件ですから、ふえているんですね。積極認定というけれども、実際には線引き、事実上の切り捨てになっているからではないでしょうか。
二〇一四年三月の熊本地裁で原告勝訴の判決となった方は、爆心地から二キロの自宅で、生後八カ月のときに被爆をされました。法廷では、被爆当時の様子を語ろうにも、多くを語らなかった父母のかわりにいろいろ教えてくれた六歳上の姉の記憶が頼りだったと。
四十歳を過ぎたころから、肝機能障害や脳梗塞などを発症する。その後も、心筋梗塞、糖尿病、バセドー病、甲状腺機能低下症など、次々発症する。たばこも酒もやらない。病気は被爆したからだ、こう思って申請をしましたが、却下をされました。新基準でもこれが認められませんでした。司法判断でやっと認定されました。なのに、国は控訴したんです。
国は、当時八カ月だった人に、これ以上被爆の因果関係を証明せよというんでしょうか。この間、国は十人を超える原告を控訴しております。
大臣に伺いたいんです。こうまでしてなぜ控訴を続けるんでしょうか。
○塩崎国務大臣 原爆症認定に関する訴訟につきましては、被爆者の方々が高齢化をしているというこの現状は、これはもう揺るぎない事実でございます。これは踏まえなければいけない。できる限り救済するという観点もそのとおりであって、私どももその観点に立って、それぞれの判決内容を慎重に検討して、新しい審査の方針と矛盾しないという判断ができるものについては控訴をせずに地裁判決を受け入れるというふうな基本スタンスでまいっておるわけでございます。
他方で、健康被害が放射線によってもたらされたと判断できるかの基準である放射線起因性、あるいは、現に医療を必要とするかの基準であります要医療性に関して、例えばこの認定基準に比べて被爆距離が遠い場合など、現在の科学的知見等に照らして、認めることが困難な事案については控訴をすることとしております。直近の二件の高裁判決では、放射線起因性に関して、いずれも国が逆転勝訴をしているわけでございます。
いずれにしても、厚生労働省としては、被爆者の平均年齢が八十歳を超えて高齢化をしている現状を踏まえれば、現在の認定基準において一日でも早く認定がなされるように審査の迅速化を図ることとしておりまして、原則六カ月以内で審査を行うように努めてまいりたいというふうに思っているところでございます。
○堀内(照)委員 結局、距離で線引きをして控訴しているということになるじゃありませんか。七十年も前の幼少期の記憶を頼りに、病気が放射線起因であるということを立証せよと迫ること自体、私はひどい話だと思うんですね。
多くの被爆者にとって、放射能の影響を証明することは、加齢による記憶の減退、証人も含めた証拠の散逸など、ますます困難になっているわけであります。そういう被爆者に訴訟を強い、立証責任を負わすことは、非人道的だと私は言わなければならないと思うんです。
地裁で勝訴しながら国から控訴された方は、十四歳のとき、爆心地付近で四日間瓦れきの撤去の作業に従事をし、帰宅後猛烈な下痢が二カ月余り続いた後、髪や眉毛が抜け落ちた。後に肝臓がんなども患いましたが、それでも認定申請は却下だったと。却下の理由は示されませんでしたが、恐らくということで、この方は、投下後約百時間以内の入市でなかったからだろう、官僚の勝手な線引きは許せない、こう語っていたわけであります。以来六年もの歳月を費やしてやっと地裁で勝訴したのに、国が控訴をしたことで認定を受けられませんでした。
今、大臣、逆転もあるんだとおっしゃいましたけれども、この方も本当に不当な判決だと私は思うんですね。この方は、地裁で勝訴をかち取って喜んだ後、国が控訴した中で、落胆する中、間もなく入院し、帰らぬ人となりました。
私もこの問題でいろいろ相談を受ける中で、国は被爆者が死ぬのを待っているのか、そういう声があるわけです。私は国の責任は本当に重大だと思うんです。
八・六合意では、訴訟を終結させ、今後、訴訟の場で争う必要のないよう、定期協議の場を通じて解決を図ると。官房長官の談話では、「国の原爆症認定行政について厳しい司法判断が示されたことについて、国としてこれを厳粛に受け止め、この間、裁判が長期化し、被爆者の高齢化、病気の深刻化などによる被爆者の方々の筆舌に尽くしがたい苦しみや、集団訴訟に込められた原告の皆さんの心情に思いを致し、これを陳謝いたします。この視点を踏まえ、この度、集団訴訟の早期解決を図ることとしたものであります。」こう述べているんですね。
しかし、これはやはり全くやっていることが逆じゃないかと私は言わなければならないと思うんです。高齢の被爆者を訴訟に追い込むことはあってはなりません。
十三歳のときに長崎で入市被爆をした神戸の方、裁判当時は八十一歳の女性なんですが、裁判で国側代理人から、入市した日付が被爆者手帳の記載と違うということを指摘される中で、出発する日付をカレンダーで確認したのかとか、長崎の町へどの交通機関を使うつもりだったのかとか、爆心地の状況をわかって向かったのかとか、罹災証明をとっていなかったのかと。子供だった私にわかるはずありません、こう答えるしかなかったというんですが、被爆直後の混乱した状況を考えればおよそ発することができないような執拗な尋問に、この女性は、こんな性悪な質問はない、もう帰りたい、ここまで口にしたというんです。
裁判となったら、国側代理人からの尋問が、被爆者の証言には虚偽はないのかと、戦後七十年以上、被爆によるさまざまな苦難を強いられてきた高齢の被爆者を一層傷つけるものになっているわけです。
そうした被爆者の、今、放射線起因性と言われました、それを立証させる国のやり方、被爆者に立証させるやり方を司法は何度も断罪をしているわけです。今後、高齢化で、一層立証は困難になります。だからこそ私は、政治の決断が必要なんだと思うんです。
今の認定行政では、基準を設けることで、どうしても切り捨てが生まれてしまう。司法と行政の乖離も解決しない。現行の認定行政では私は解決できないと思います。だから、被団協は、現行の認定行政をやめようと提言を発表しております。全ての被爆者に現行の健康管理手当相当の被爆者手当を支給し、疾患について、段階的に手当の加算を行うことを提案している。段階的支給により、現行の手当より減る人も生まれるかもしれませんけれども、今の認定行政のこのような切り捨ては変えようという思い切った提案なんです。
認定行政を見直す必要があると私は思うわけですが、大臣、いかがでしょうか。
○塩崎国務大臣 平成二十五年十二月の原爆症認定制度の基準の見直しは、先ほど申し上げたとおり、幅広い分野の専門家あるいは被団協の代表の方々にも御参画をいただいて、原爆症認定制度の在り方に関する検討会において、三年間、二十六回にわたって議論をしていただいた上で結論をいただいた、こういうことで、大変重たいものだと理解をしております。
現行の基準は、検討会の報告にございますように、司法判断と行政の乖離を埋める努力として、そしてまた、放射線と健康被害に関して科学には不確かな部分があることを踏まえて、放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲を含めて設定をされたものでございます。また、見直しの結果、認定疾病における非がん疾病の割合も増加をしているところでございます。
先ほど申し上げたように、裁判で逆転勝訴を国がするというようなこともまだございまして、基本は今申し上げたとおりでございますので、引き続き、この認定行政の公正公平な、そしてスピードを上げた対応をしてまいりたいというふうに思います。
○堀内(照)委員 確定した判決は、国が負けたものしかないわけですよ。それは余り理由として言わない方がいいと思いますよ。
私、被団協の提言の中にある一節、これをぜひ聞いていただきたい。「被爆者は原爆の地獄を体験し、全ての被爆者が何らかの放射線被害を受けています。そのために心と身体に深い傷を負って生き抜いてきました。子どもを産み育てるという人として自然なことにさえ恐れおののき、就職、結婚など人生の節目での差別など計り知れない苦しみと不安から解放されることなく生きてこざるをえなかったのです。そして今もなお、子や孫に健康問題が生じると「被爆のせいではないか」と、わが身を責めているのです。」
何らかの放射線被害を受けているわけです。それを、どこまでどう放射線量を受けたのかと、幼少期の、七十年以上前の記憶を呼び起こして立証させる、こんなことは、私はやはり間違っていると思うんです。
少なくとも、真摯にこの司法の判断と向き合って、定期協議の場で被爆者団体と話し合う。今、定期協議をやるということになっているんですけれども、被団協と原告団、弁護団の統一要求書の中では、定期協議、原則概算要求前の毎年七月に行うということと、この認定制度の抜本的な改善のために、事務レベルでだと思うんですが、事務方あるいは政務官ないし副大臣との定期協議の場を要望されていると思うんですが、これはぜひ具体化すべきじゃありませんか。
○渡辺委員長 既に持ち時間が経過しております。質疑は終了してください。
簡潔に答弁をお願いいたします。
○塩崎国務大臣 被団協の皆様方との協議につきましては、これまでも国会用務等の動向も見ながら行ってきておりまして、昨年一月十五日に開催したところでございます。
その後も、毎年春と秋に厚生労働省の事務方が被団協と定期的に面会をしております。各種要望をお伺いしているところでございますけれども、いずれにしても、国会の状況、それから前回の大臣協議からの状況の変化なども見て、次回の開催時期としていつが適当か、事務方に被団協の皆様方と相談をさせたいというふうに思います。
○堀内(照)委員 被爆者はもう待てない、この一言だけ言って終わります。
ありがとうございました。
○渡辺委員長 以上で本案に対する質疑は終局いたしました。
2016年10月8日土曜日
愛知県の原告の甲斐昭です。
私は、甲状腺リンパ腫の切除手術のため声が出にくくなっております。
お聞き苦しい点があるかもわかりませんが、よろしくお願いします。
それからもう一つ、発言の間に当時のことを思い出しまして涙が出るかもわかりませんから、その点もひとつよろしくお願いします。
昭和20年8月6目、私は海軍潜水学校電機練習生として広島県の大野浦におりました。
当時、18歳でした。
朝8時15分過ぎ、ものすごい光と爆発音を広島から20キロも離れた大野浦でも感じることができました。
その後、直ちに上官から、広島が爆撃されたため救護に向かうという命令が下りました。
トラックで己斐駅まで、己斐駅からは市電沿いに歩いて、6目の午後には広島市中心部に入りました。
それから8月7日の夕刻まで2日間、私は広島市内でがれきなどの片付け、銀行の警備、そしてたくさんの死体の運搬などの救護につきました。
火事の地熱に耐え、活動した広島の中心部ではだれも生きている者がおりませんでした。
たくさんの黒焦げになった遺体、皮が垂れ下がった人、目が飛び出しているけが人、その情景は言葉にできません。
今でも、思い出すと涙が出ます。
8月7日の晩に大野浦に戻り、8月8日から8月14日までの間、大野浦国民学校で潜水学校の同期生たちと一緒に、広島からトラックで運ばれてきた原爆の負傷者の救護を行いました。
火傷やけがのため動けなくなった方々の包帯の交換、傷口からわいてきたウジの掃除、下のものの処理などを行いました。
また、広島から大野浦の港に流れ着いた多くの死体を引き上げ、田んぼで焼きました。
100体や200体ではきかない、大量の死体でした。
このころから、私の体にも異変が生じました。
広島に入った6日の夜には下痢が始まりました。
広島に入ってからは、のどの渇きを癒すため、死体が浮く汚い川の水を飲むことはありましたが、食事は一切とっておりません。
水のようなものが出る下痢が1時間に2回から3回も襲ってきました。
夜遅くになってからは、下痢の中に血が混じっていることに気がつきました。
下痢は翌日からも続き、除隊してからも下痢が続きました。
大野浦に帰ってからは、歯ぐきからの出血、丸坊主になっている短い頭髪が抜け落ちました。
このような体調の変化は、私だけに起こったわけではありません。
国民学校ではトイレが設けられていましたから、下痢を催してトイレに行く度に同期生と頻繁に顔を合わせます。
そのうちに、みんなが下痢をしているということがわかりました。
救護活動に従事している50名ほどの同期生のうち、私と同様、広島に救援に赴いた25名も、広島に入ったことのない者にも下痢が発生していました。
近隣地域から救護に来ていた一般人の方にも下痢が発生していました。
私たち同期生は、集団で下痢に罹患している旨を上官に申告しました。
上官は、自分も下痢をしているのだと言われました。
それから、体のだるさが起こりました。
もちろん、当時は疲労のせいだと思っていましたし、命令がありましたから一生懸命働きました。
しかし、この疲れは除隊してからも続き、一生つきまとわれることになりました。
除隊して、郷里の福井に帰ってから、さまざまな病気にかかりました。
昭和24年からは頸部リンパ腫で13回にもわたる手術を受けました。
だるさ、発熱、耳鳴りなどの体調不良も続きました。
そのような中で、甲状腺の悪性リンパ腫にかかったのです。
私は、戦後60年以上、いつも体調不良に苦しめられてきました。
そのため、せっかく仕事についても長く働くことができないという侮しい思いを経験しております。
このようなことから家族にかけた迷惑は計り知れません。
私は潜水学校時代、風邪一つ引いたことがなく、腰回りは100センチ、体重も100キロありました。
柔道などをしており、体を鍛え上げ、厳しい訓練に耐え抜いてきて体力もありました。
その私が昭和20年8月6日、7日の2日間の広島の救援活動を境に、まともに働くこともできないような体になってしまったのです。
これが、原爆のせいでなくて何だったんでしょうか。
このように、私は広島に原爆が投下されたときには広島市内にいなかった、いわゆる入市被爆者です。
厚生労働省の方々は、裁判などを通して入市被爆者はほとんど放射線に被爆していない、被爆していてもごくわずかな量なので、体に大きな被害が発生するはずがないなどと言っておられます。
しかし、私や私と同じような入市被爆者に生じた体の変調がうそだったと言うのでしょうか。
厚生労働省の方は、下痢や衛生状態が悪かったから脱毛やストレスのせいだと述べておられますが、このような発言ほど私たちの気持ちを踏みにじる話はありません。
除隊後、帰郷した福井も空襲によって焼け野原となっていました。
衛生状態は悪く、被災者はさまざまなストレスを抱えていました。
しかし、福井では下痢や脱毛が広島や長崎のように発生したということはありません。
私は、自分の病気が原爆のためであるということ何とかして認めてほしいと思い続けておりました。
ところが、私が被爆をしたということを証言してくれる証人を2名そろえろと言われ、被爆者手帳ももらえませんでした。
厚生省には、海軍潜水学校の同期生を調べてほしいと何度も頼みましたが、厚生省は海軍潜水学校などはないと取り合ってくれませんでした。
私が2人の証人を得ることができたのは、偶然、手にした新聞記事がきっかけでした。
被爆者手帳をもらえたのは、被爆から実に50年もたった後のことでした。
手帳をもらってすぐに原爆症認定を申請しましたが、5年も待たされた上で却下になりました。
それで、私は集団訴訟の最初の原告として裁判を起こすことになりました。
この度、安倍前首相が原爆症認定申請の基準を見直そうとを指示され、厚生労働省で検討会が発足することになりました。
長年にわたり被爆者と認めらず、原爆症とも認められてこなかった私としては、検討会が発足する日を迎えたことは感無量であり、大いに期待しております。
先生方には、今後検討を進められるに当たって、被爆者に現に起こったことをしっかりとよく理解していただきたいと思います。
私のように、原爆が落ちたときに広島にいなかった入市被爆者でも、被爆の影響で大変な苦しみを受けてきたということを是非わかってください。
国は、入所被爆者にそんな被害が起こるはずがないなどと言っておられますが、集団訴訟の6つの判決で、いずれも国の主張が間違っていると認めています。
国が今まで言ってきたよりも、ずっと大きな影響が被爆者に起こっているのです。
ですから、被爆の影響と考えられる病気になった被爆者がすぐに原爆症と認められるように、認定制度を改めていただきたいと願っております。
私は、原爆を通じて、本当に国は冷たいという思いを何度もしてきました。
どうか被爆者が国を恨んだまま死んでいくようなことをさせないでください。
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