2017年7月6日木曜日

芝田 進午「被爆者援護法―もうひとつの法理」(要約)




広島・長崎への原爆投下の目的
(① 戦後世界でのアメリカの覇権確立、② 原爆の効果を知るための「人体実験」)
に従って米国が行ったことは、原爆報道の禁止、情報独占、

③ 被害者の治癒方法の発表・交流の禁止、資料没収、日本政府に国際赤十字からの医薬品支援申し出を拒否させること、
④ 被爆者の「観察」のためのABCC設置、であった。

他方、日本政府が行ったことは、
① 米軍の政策に協力し、広島・長崎の救護病院を2か月後に解散、
② 米軍命令で設置された厚生省の国立予防衛生研究所(予研)に731部隊に協力していた医学者多数を集め、ABCCと一体になって「追跡調査」に加担させた。

こうして獲得された情報は日本国民には公開されず、米国防総省、米原子力委員会(後にエネルギー省)だけに報告され、核兵器の改良に利用された。

予研の協力は占領後、ABCC改組の1975年まで28年間続いた。改組後の放射線影響研究所においても、その基本性格は変わっていない。

被爆者の身体的・精神的苦しみは、米軍と日本政府の戦後の被爆者放置政策と、ABCC=予研による被爆者の「人間の尊厳」感情の蹂躙によりさらに深刻化した。

こうした政府による被爆者の戦後の加害責任を想起するだけでも、「国家補償」に基づく被爆者援護法の必要は自明である。

芝田進午氏(社会学)による指摘(1994年当時)




小島三郎
戦時中は陸軍1644細菌戦実行部隊研究班(人体実験部隊)に所属。
1947年に国立予防衛生研究所、初代副所長。1954~58年、予研第二代所長に就任。


「(被爆者)調査の結果は、来るべき平和な原子力時代だけでなく、戦時においても人類の福祉の保護に大きな貢献をすると期待される。それ故われわれは全人類の利益のために、
この問題を解決する好機を逃すべきでないということは、等しく識者の考えたところである」 





加藤哲郎(講演記録)
「731部隊の隠蔽・免責・復権」



相良カヨ「被爆者とABCC」