2017/8/4(中国新聞)
【ロサンゼルス共同】
広島への原爆投下から約8年後の1953年6月、米国が広島に設けた原爆傷害調査委員会(ABCC)を視察したエレノア・ルーズベルト元大統領夫人が、被爆者が研究対象にされるだけで治療されていないことを批判、それを受けてABCCに治療棟が新設された経緯が分かった。
米作家ジェシカ・レンショーさん(73)が、父親でABCCの研究員だった人類学者アール・レイノルズ博士(故人)の証言として、3日までに明らかにした。「研究すれども治療せず」と批判されたABCCの治療棟設置に、元大統領夫人が大きな役割を果たしたことをうかがわせている。
夫人の視察に同行したレイノルズ博士によると、被爆者が治療も受けられないまま研究対象にされている実態を目にした夫人は「非常に憤慨」し「被爆者はモルモットのように感じているのに、拒否するすべも知らない」と語った。夫人の批判を受けてABCC内で話し合いが持たれ、半年後に治療棟が設けられることになったという。
ABCCを前身とし、被爆者の健康調査に日米共同で取り組む放射線影響研究所(放影研)によると、治療棟は53年12月~72年5月に設置、最大で13床だった。
放影研に残る日本人医師や看護師の証言記録によると、日本の医師免許がなかった米国人医師は法的には治療ができなかったが、日本人医師と相談しながら治療方針を決めた。日本では手に入らなかった医薬品を使い、24時間体制で治療に当たることもあったという。
米作家ジェシカ・レンショーさん(73)が、父親でABCCの研究員だった人類学者アール・レイノルズ博士(故人)の証言として、3日までに明らかにした。「研究すれども治療せず」と批判されたABCCの治療棟設置に、元大統領夫人が大きな役割を果たしたことをうかがわせている。
夫人の視察に同行したレイノルズ博士によると、被爆者が治療も受けられないまま研究対象にされている実態を目にした夫人は「非常に憤慨」し「被爆者はモルモットのように感じているのに、拒否するすべも知らない」と語った。夫人の批判を受けてABCC内で話し合いが持たれ、半年後に治療棟が設けられることになったという。
ABCCを前身とし、被爆者の健康調査に日米共同で取り組む放射線影響研究所(放影研)によると、治療棟は53年12月~72年5月に設置、最大で13床だった。
放影研に残る日本人医師や看護師の証言記録によると、日本の医師免許がなかった米国人医師は法的には治療ができなかったが、日本人医師と相談しながら治療方針を決めた。日本では手に入らなかった医薬品を使い、24時間体制で治療に当たることもあったという。