2017年9月25日月曜日

黒い雨:放影研データ 11万3000人分保有判明  広島


◇公表し影響再検討を--長崎県保険医協会副会長・本田孝也さん(55)


長崎県保険医協会副会長の本田孝也医師(55)の調査で、黒い雨を浴びた人に急性症状が高率に見られたとする報告書「オークリッジレポート」の存在が明るみになった。放射線影響研究所(南区)が、黒い雨に遭ったと回答した約1万3000人のデータを保有していることも判明した。黒い雨を巡っては、広島市などが援護対象区域を現行の約6倍に拡大するよう要望し、国の有識者検討会が議論している。資料の意義について、本田医師に聞いた。【樋口岳大】
--放影研が保有している1万3000人のデータの価値は。
◆黒い雨による低線量被ばく、内部被ばくの影響を知る上で、極めて有用だ。長崎県保険医協会はこのうち、長崎の約800人がどこで黒い雨に遭遇したかを記した放影研の資料を入手し、分布図を作成した。これは長崎の黒い雨の雨域を塗り替えるものになった。広島の分布図も、放影研がデータを公開すれば作成できる。
基本標本質問票(MSQ)には、下痢や発熱など急性症状のデータもある。より詳細な遮蔽調査では、いつ、どこで、どんな種類の雨に、どのくらいの間遭遇したかを聞き取っている。現在、広島の黒い雨の影響について国が設置した有識者検討会で議論されている。放影研は一刻も早くデータを公表し、この会議を始めとする中立的な専門家が入った場できちんと検討すべきだ。
--なぜこれまで公表されなかったのか。
◆私も強い疑問を感じる。放影研は「03年頃からコンピューターに入力を始め、最近終わった」と説明するが、なぜ、それまで作業をしなかったのか。入力に7年もかかるのか。少なくとも遭遇場所の分布図の作成などは、非常に短時間でできただろう。
--オークリッジレポートについては。
◆黒い雨を浴びた群の急性症状として、発熱13・56%、下痢16・53%、血便5・51%などと報告されている。放影研は比較対照群のデータの集計方法などに問題があると説明した。しかし、比較対照群を考慮しなくても、これらの急性症状の発生率は社会的常識、医学的常識から見て十分高いと言える。
--オークリッジレポートは、放射線の人体影響の研究に活用されなかったのか。
◆レポートを作った山田氏は、原爆放射線の被ばく線量の推定方式「DS86」を作成した旧厚生省原爆放射線量研究チームの一員となった。DS86は、国が「放射性降下物などの残留放射線による人体影響はない」と主張する根拠になっている。なぜDS86の作成で、オークリッジレポートや放影研が持つ黒い雨のデータが生かされなかったのか。国は黒い雨の人体影響について再検討すべきだ。
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◇「高率で急性症状」 オークリッジレポート


本田医師は、住民が黒い雨の健康被害を訴えているのに、被爆地域外とされる長崎市・間の瀬地区(爆心地の北東約7.5キロ)の資料を集めていた今年9月、収集した文献の中から「オークリッジレポート」を見つけた。
米原爆傷害調査委員会(ABCC)の職員だった山田広明氏(86年死去)と、米オークリッジ国立研究所研究員のT.D.ジョーンズ氏が72年に作成したレポートで、これまで存在は知られていなかった。広島の爆心地から1.6キロ以遠で被爆し黒い雨を浴びた236人について、放射線の影響を分析。黒い雨を浴びた群では、発熱、下痢、脱毛などの急性症状が高率で認められたと結論付けている。
一方、ABCCは被爆者ら約12万人が対象の「寿命調査」のため、1950年代に基本標本質問票(MSQ)を作成。対象者に、放射性物質を含む雨に遭ったか▽遭遇場所▽下痢や脱毛など被ばくによる急性症状--を質問していた。
本田医師の照会に対し、ABCCの後継機関・放射線影響研究所は、MSQで「黒い雨に遭った」と回答した人が約1万3000人いると回答。長崎県保険医協会などは、放影研を所管する厚生労働相に、データの公開を求めている。


原爆被害の米調査カルテ開示、被爆者に請求呼びかけ



朝日新聞 2007年08月05日

広島県原爆被害者団体協議会と長崎原爆被災者協議会は今年秋にも、米国が原爆投下直後に広島と長崎に設立した「原爆傷害調査委員会」(ABCC)のカルテを含む受診記録の開示請求を被爆者に呼びかけることを決めた。受診記録はABCCが47〜75年に被爆者を調査・収集した資料で、少なくとも1万5000人分が保管されている。被爆時の状況の聞き取り結果をはじめ、各種の検査結果や全身写真などもある。個人の記憶に頼る部分の多かった被爆証言を裏付ける客観資料となるほか、未解明な部分の多い初期のABCCの活動実態解明にもつながるという。両団体は今後、全国組織の日本被団協にも同調を求める。

開示された資料の中にあった谷口稜曄さんの全身写真。背中のやけどの跡が痛々しい
国に原爆症と認められなかった全国の被爆者らが03年4月以降、不認定処分の取り消しを求めた集団訴訟をきっかけに、原告弁護団が「被爆から早い時期の健康状態や被爆状況がまとめられた受診記録は法的な証明力がある」と判断。開示が始まった80年から02年までの22年間で100件に満たなかった開示の動きは加速し、03〜06年は計約90件に増えた。

こうした流れの中、被爆者への行政支援がほとんどなく、原爆に関する記録や報道が規制されていた「空白の10年」(45〜55年)の生活実態について06年から調査を始めた広島県被団協も、大量に保管された受診記録の貴重さに着目。空白の10年で広島や長崎の医療機関の記録の多くが散逸してしまったことから、会員に開示請求の方法を伝えることにした。

受診記録は主に米国人医師によって作成され、広島分は47年、長崎分は48年から残されている。両市とその周辺に住む被爆者をABCCに集め、(1)被爆時の状況についての聞き取り(2)やけどなどを負った体の写真撮影(3)血液、レントゲン検査——を実施した。少なくとも計1万5000人が受診したとみられており、多くは英文で書かれている。

ABCCが収集した受診記録などの資料は一時期、軍事機密として扱われ、一部はワシントンDCの米軍病理学研究所の核シェルターに保管されていたとされる。75年、ABCCが日米共同研究機関の財団法人「放射線影響研究所」(放影研)に改組されたのを機に、資料は日本に移管され、広島、長崎両市の各研究所で保管されるようになった。

放影研で80年に始まった開示は、89年にはスムーズに開示できるよう内部規定も作られた。被爆者本人か遺族であれば開示請求できる仕組みは整ったが、記録が保管されていることや開示手続きの方法については周知されなかった。

広島県被団協は、開示によって、これまで知り得なかった自身の個人情報を会員に確認してもらうとともに、被爆62年を経て薄れる記憶を呼び覚ます材料にもしてもらいたい、と考えている。