2017年6月3日土曜日

松谷訴訟(長崎地裁)判決文

原爆被爆者医療給付認定申請却下処分取消請求事件
長崎地裁昭六三(行ウ)第三号
平5・5・26民事部判決
原告 松谷英子
右訴訟代理人弁護士 横山茂樹
同 石井精二
同 小野正章
同 片山昭彦
同 金子寛道
同 國弘達夫
同 熊谷悟郎
同 小林清隆
同 小林正博
同 塩塚節夫
同 龍田紘一朗
同 中原重記
同 中村照美
同 中村尚達
同 原章夫
同 福崎博孝
同 松永保彦
同 水上正博
同 森永正
同 山下俊夫
同 山田富康
同 吉田良尚
同 安原幸彦
同 永田雅英
同 椎名麻紗枝
同 池田眞規
同 内藤雅義
被告 厚生大臣 丹羽雄哉
右指定代理人 増田保夫 外一一名


主 文

一 被告が昭和六二年九月二四日付で原告に対してした原子爆弾被爆者の医療等に関する法律八条一項に基づく認定申請の却下処分は、これを取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一 請求
主文一項と同旨
第二 事案の概要
本件は、長崎市内において被爆し、頭部外傷を負い、現在右半身不全麻痺の症状を有する原告が、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)八条一項に基づき、右片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を申請したところ、被告は、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付してこれを却下したため、右却下処分の同法七条一項、八条一項の解釈適用の誤りの違法を理由にその取消しを求める訴訟である。
一 争いのない事実及び前提となる事実
1 昭和二〇年八月九日午前一一時二分長崎市に原子爆弾が投下され、原告(当時三歳)は、長崎市稲佐町一丁目一五番地の当時の自宅で被爆し(争いがない。)、その際爆風で飛ばされた瓦により頭部に外傷を負った(証人松谷シマ)。
2 原告は、次項記載の認定申請時において、右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷と診断され、右半身不全麻痺、右肘関節屈曲拘縮(伸展位四五度までで、右肘が伸びない。)、右手指伸展位をとる(他動は可)(右手指は他動的には曲げることができるが、自らは屈曲できない。)、右尖足(右足首が伸展位をとったままの状態で固定している。)、右半身知覚低下(痛覚、触覚、振動覚ともに)、右半身の腱反射亢進、右バビンスキー反射(+)、右上下肢筋萎縮(痙性)、右上肢廃用手、右下肢に著しい障害を有するという症状を有し、治療を要する状態であった(〈書証番号略〉、証人山下兼彦、原告本人)。
3 原告は、原爆医療法八条一項に基づき、右片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けるため、昭和六二年二月一〇日付の認定申請書を長崎市長に提出し(争いがない。)、被告は同市長からの同月一二日付の進達により、これを収受した(〈書証番号略〉)。被告は、右申請に対する処分を行うに当たり、原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞いた(〈書証番号略〉)上、同年九月二四日、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付してこれを却下した(争いがない。)。原告は、右処分に対して同年一二月一五日、被告に対し行政不服審査法に基づく異議申立てをなしたが、被告は、昭和六三年六月二一日付で右申立てを棄却した(争いがない。)。
二 争点及び争点についての当事者の主張
原告の右疾病は,原子爆弾の放射線に起因するか若しくは原子爆弾の爆風等に起因しかつ放射線の影響により治癒能力が低下したことに起因するか。(なお、原爆医療法七条一項には、「放射能」とあるが、放射能とは放射性物質が放射線を出す現象又は性質をいい、原子爆弾によりもたらされる放射性元素の崩壊に伴って放出されるα線、β線、γ線、中性子線等の粒子線は放射線というのが正確であるから、以下、放射線と読み換えて判断することにする。)
(原告の主張)
1 原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との関係についての基本的考え方
長崎に投下された原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との関係については、医学的にも物理学的にも現代科学は因果的に明確な回答が得られない未解明の分野を多く残していて、右の関係を数値的・数理的に説明することは本来不可能であるが、原爆症の認定行政においては、被爆地点の距離・被曝線量の数量化といった数値的・数理的議論のみが先行し、被爆者の様々な傷病事例中に数量化理論では説明できない障害事例が存在することに目をつぶり、これまでの科学理論が用意した不十分な数値的尺度で被害状況を測定するのみで、被害実態の方向から原爆症認定が必要かどうかの方向から接近することがなかった。原爆症の認定行政の当否は、むしろ前提として前記未解明要因が存在することを十分考慮に入れたうえで現実の被害態様を把握することが不可欠であって、これを踏まえて考察されるべきものであって、原爆症を測定する尺度としては不十分な数量的科学論をもってこれを論ずることは「科学的でありそうで、その実は科学ではあり得ない。」というべきである。もとより、ここでいう未解明要因とは、科学的研究の目的となり得ない非科学的事象とは異なり、研究の目的たる科学事象ではあるが「未だ定説になっていない事象」「これまでの定説では説明できない事象」あるいは「定説における不確定要素」等を意味し、現時点においては科学的に解き明かされていないものである。このような段階において、原爆症認定のための「起因性」に関する要証事実をどのように考えるべきか、あるいは、立証責任をいかに構成するかは重要な課題であり、特別な考察を必要とする。行政の運用における「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との申請却下理由の表現は、まさに以上のような視点から理解されなければならず、「起因可能性で足りる」としている根拠はそこにあるというべきである。
2 いわゆる「起因性」の証明について
起因性とは、原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との条件関係的因果関係を意味するところ、前記のように長崎に投下された原子爆弾による放射線と被爆による身体障害発生のメカニズムは未だ科学的に未解明の部分が非常に多く、線量評価システムに基づく被曝線量(それは距離的要素を最も重要視する。)をもって、同障害発生の有無が決せられるようなものではないこと、統計的手法(疫学的手法に類するもの)(最判昭和四四年二月六日民集二三巻二号一九五頁は統計的因果関係という。)による被爆障害の発生の可能性を検討するに必要とされる被告保有の右原爆被爆距離と被爆障害との関係等に係わる豊富な基礎データに原告が接近できないこと等から原告に対し確実な立証を求めることは不可能ないし困難を強いるもので公平でないし、また、原爆医療法の目的、性格等に照らせば、立証責任を転換するか、あるいは相当程度の蓋然性の立証で足りる(最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁は、一般的に訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、事実と結果との間に高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる、という。)として起因性の立証の負担を軽減すべきであって、被告も原爆症認定申請却下の理由を前記「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射線に起因する可能性は否定できる。」という定型的文言で表現することによって、はからずも原爆症認定の要件としての起因性証明に関して以上と同じような認識を有していることを示しているのであって、原告の疾病が原子爆弾の放射線に起因する可能性を否定できないことが証明されれば、原爆医療法八条一項の認定がなされるべきである。
3 非電離放射線の影響
従来、原子爆弾による放射線の人体に対する影響についてはγ線、中性子線等の電離放射線のみが問題とされてきたが、原子爆弾が爆発する際には非電離放射線も放出され、また、電磁パルスが発生し強力な電磁波が放出されるから、争点についての判断にあたっては、これらが人体に与える影響をも考慮する必要がある。
4 神経系への直接的な放射線の影響
原告は、長崎に投下された原子爆弾被爆当時三歳で近距離からの被爆であったが、幼若なほど放射線感受性は高く、特に神経組織においてその影響を受けやすいこと、原告の被爆後の状況から明らかなように長崎市内の自宅での生活中や疎開途中に爆心地の直近を通過した際に残留放射線を受けたり、未分裂プルトニウムや誘導放射線に汚染された大気を呼吸し、飲料水や食物を通じてこれを体内に摂取して放射線の影響を受けたこと、頭蓋骨骨折により脳細胞を外界から保護する頭皮、頭蓋骨、硬膜等が破壊され、大脳実質も一部破損した状況であったことを考慮すると、神経細胞への影響の可能性は否定できない。
5 原告の脳孔症に与えた放射線の影響
脳孔症は頭部外傷の合併症ないし後遺症としても発症するものではあるが、原告の脳実質の欠損の範囲は外傷に比して広大であり、このように広汎な脳実質の欠損が生じるのは特異なことであって、放射線の影響を考慮すべきである。
6 免疫能の低下による治癒の遷延
被爆者には、電離放射線、非電離放射線等の影響により免疫能の低下がみられるが、原告の頭部外傷の治癒が遷延したことはまさに放射線による免疫能の低下によるものであり、外傷部の治癒の遷延により脳実質等の炎症が長期化し、その欠損が深化したことが容易に推測される。
7 複合的影響
頭部外傷による脳挫傷、外傷による炎症、放射線の直接的な影響、放射線による免疫能の低下による治癒の遷延のそれぞれが、脳孔症を引き起こし、深刻化させているが、これらが同時に作用することによって、互いに相乗的な効果を派生させることにより、その重度化は一層深まったものというべきである。
(被告の主張)
1 放射線被曝の人体に及ぼす影響については、一八九〇年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されているところであるから、原爆医療法七条一項所定の起因性の有無を判断する際にも、判断時に形成されている一般的な科学的・医学的知見をふまえて判断すべきである。そして、右一般的知見によれば、放射線被曝の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響(確定的影響)とがあり、確定的影響の範ちゅうでは、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値(なお、この閾値は、生体に個体差があることを前提として幅をもって設定されている。)
があり、また、確定的影響に属する範ちゅうの人体影響については、放射線が人体に科学的変化を及ぼしたり、一定の損傷を与えても、当該組織全体としては影響を受けなかったり、影響として検出される前に回復されたりして、障害として検出されないことから、当該被爆者の被曝線量が重要な要素となるところ、原告の右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷は、いずれも確定的影響の範ちゅうに属するものであるから、原告の被曝線量を解明した上で、その線量が原告主張の傷害や治癒能力の関係で影響を与えるような線量であったか、換言すれば、当該傷害や治癒能力との関係で閾値を超えた線量に達していたか否かを検討すべきこととなる。
2 被曝線量の解明について
線量推定方式であるT六五DやDS八六は、被爆直後から行われた線量測定の結果、アメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれの時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合した最良のものであるから、原告の被曝線量を推定する場合も、これらの線量推定方式に基づくのが合理的である。
3 原告の被曝線量について
原告の被爆距離は約二・四五キロメートルであって、この被爆距離をもとに、原告の被曝線量を推定するに、本件処分当時適用されていたT六五Dによれば、原告の被爆距離での初期放射線の空気中線量は約四・一ないし二・九ラドであり、DS八六によれば三ないし二・一ラドである。一方、残留放射線による被曝線量については、被爆距離と経過時間に応じて急激に減少することが知られており、DS八六によれば被爆距離二・四キロメートルでは、〇・〇〇〇〇一ラド以下にすぎないことが明らかである。
4 原告の傷害、治癒能力と放射線起因性の有無について
(一) 原告の頭部の傷害の発生経緯に照らすと、頭部外傷は原子爆弾の爆風によって飛来した屋根瓦によるものであって、放射線によるものでないことが明らかである。
(二) 右片麻痺(脳萎縮)について検討するに、原告の推定最大被曝線量は、T六五Dによれば約四・一ないし二・九ラドであり、DS八六によれば三ないし二・一ラドと認められるところ、脳の神経細胞を損傷する放射線の閾値は、一〇〇〇ラドと考えられているから、原告の右被曝線量は神経傷害等の確定的影響を起こす閾値よりもはるかに低く、原告が被爆した放射線量を最大に見積もっても、傷害作用をもたらさないうえ、原告の右片麻痺(脳萎縮)は、前記頭部外傷によって脳実質が損傷し、それに伴い脳萎縮、脳室拡大により運動神経の麻痺に至ったものとして傷害内容、発症経過等を合理的に説明できるから、放射線によるものとは認められない。
(三) 放射線被曝の治癒能力に与える影響を検討するに、原告の被曝線量では免疫能低下を引き起こす線量にも達していないことが明らかである。

第三 争点に対する判断
一 原告の被爆の状況
証拠(〈書証番号略〉、証人松谷シマ、K、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、昭和二〇年八月九日の被爆当時三歳五か月であったが、爆心地方向が空き地でこれといった遮蔽物のない西側庭に向いた自宅の縁側ないしその付近で鶏を見て一人で遊んでおり、母シマは味噌の配給を取りに出掛けており、父甚太郎は、昼食の用意のため台所で七輪で火を起こしていた。長崎の爆心地に投下された原子爆弾が爆発した際、その爆風により吹き飛ばされた屋根瓦が原告の左頭頂部を直撃し、その部位に頭蓋骨が陥没骨折し一部欠損する重篤な外傷を負ったが、父が駆けつけた時には、既に意識不明に陥っており、上下股の運動機能喪失・麻痺の状態でぐったりし、頭に当てたタオルが血で真っ赤に染まっている原告を父が臨時の野外救護所に連れていったものの、医師に軽度の頭部外傷と間違えられ他の重症者の治療が先であるとして治療を拒否され、父はやむなく防空壕に連れて行った。母が防空壕に駆けつけた際にも原告は意識不明の状態で痛いといって泣くこともなく、頭部からの出血も止まらなかったため、同日の夕方再度右救護所に行き、医師に診察を受けたところ、漸く左頭頂部の傷口は直径一ないし二センチメートルの円形で相当深部に達するものであることが判明し、致命的である旨診断されたが、設備や薬品も不十分であって、傷口にマーキュロクロムを塗布されるに止まった。
2 救護所から帰宅する途中原告は全身硬直性の痙攣発作を起こし、ゆきのしたの汁を口・鼻付近から吹き込まれ約一五分後に痙攣が治まった。
3 原子爆弾の爆風により、原告の自宅付近は建物が崩れ落ちるなどし、自宅は瓦が落ち、戸板等も吹き飛ばされ、畳がめくれ上がった。
4 原告の右自宅は、爆心地から約二・四五キロメートルの箇所に位置していた。
二 原告の被爆後及び現在の状況
証拠(〈書証番号略〉、証人松谷シマ、K、山下兼彦、安齋育郎、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、放射線感受性の強い幼時に被爆後しばらく両親とともにそのまま自宅で生活し、当時稲佐小学校の二階に設置された臨時の診療所でマーキュロクロムを塗布するという程度の治療を受けたに止まった。また、原告には、被爆後数日間にわたり、下痢症状が見られた。
2 原告は、昭和二〇年八月一六日、両親及び隣家のK一家とともに、自宅から徒歩で稲佐橋(爆心より約一・九キロメートル)を渡り、宝町(爆心より約一・七キロメートル)を経て長崎駅に至り、同駅から列車で爆心地の直近を通過して長崎県南高来郡愛野町に避難し、同町では被爆者として厚遇を受けて一〇日間ほど過ごした後帰宅した。避難先においても、原告は寝たきりであったが、治療を受けることはなかった。
3 原告は、昭和二〇年一〇月上旬ころ、両親とともに長崎県南松浦郡富江町にある父の実家に疎開のため転居した。
(一) 原告は、転居後も寝た切りであって、自分の力で寝返りを打つこともできなかった。
(二) 転居前から、原告の頭部の傷口は化膿し、膿が出ていたが、転居後も傷口がふさがらず、水が吹き出すように腐臭の強い膿ないし分泌物が流れ出し続け、医師からいったん短期間で直る旨の診断を受け、医師の治療を受けたものの、傷口の一部がふさがりかけると別の部分から膿等が出始めるという状態の繰り返しで治療は効を奏せず、医師の診断では免疫能の低下を考えなければ説明が付かない程に治癒が遷延し、原告の頭部外傷部が一応の治癒を見たのは被爆後二年ないし二年半ほどたってからである。
(三) 転居前から、原告の頭髪が少しずつ抜け、転居した後かなり薄くなった。
(四) 原告は、昭和二〇年一二月三一日から昭和二一年一月一日にかけて、失神を伴う継続的な重度の痙攣発作に襲われ、心マッサージにより息を吹き返したことがあった。
4 原告は、昭和二二年末ころ、両親とともに長崎市内に再度転居し、昭和二四年四月、一年遅れて小学校に入学し、中学校、高校と進学し、昭和三六年三月高校卒業後、事務員として就職し、今日に至っている。
(一) 原告は、次第に失神を伴う痙攣発作の回数は減じてはいったが、学校時代を通じて年に一ないし二回くらい一時的に意識不明の状態に陥ることがあり、最後の発作は昭和四二年ころであった。
(二) 原告は、昭和三四年ころ、約三九度の高熱が一週間ほど継続する症状を呈したが、当時の診断としては明確に感染症とは判定できず、原因は明らかにならなかった。
(三) 原告は、現在においても、前記第二、一2記載の症状を有しており、右足は、かかと、第一指、第二指は着地せず、残りの指及びその付近の足の裏しか着地しないため、歩行が著しく不自由・不正常であり、また、その部分が硬くなり、針で刺すような痛みがある。右手は、物をつかみ上げることもできない。
(四) 原告の左頭頂部の頭蓋骨には陥没骨折があり、また、右骨折部分に対応する部分の脳実質が欠損しており、さらに、右欠損と側脳室が交通しており、脳孔症と診断される上、側脳室自体も拡大している。原告は、頭部外傷部分の周囲がひどく痛むことがある。
(五) 原告に対する治療としては、根本的な治療は困難であるが、症状を緩和するために、薬物療法あるいは理学療法、機能回復訓練等が必要である。

三 原爆症の認定について
1 原爆医療法七条一項の「厚生大臣は原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者に対し必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときはその者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」、同法八条一項の「右医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」という各規定の趣旨からして、原爆症の認定の要件は、(一) 被爆者の負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること(起因性)、及び、(二) 現に医療を要する状態にあること、ただし、その負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものでないときは治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため現に医療を要する状態にあること(要医療性)であると解される。
2 国は、本件処分当時、原爆医療法に基づき、一般被爆者に対しては健康診断及び医療保険等の自己負担分の公費負担を行い、前記原爆症認定被爆者に対しては全額公費負担による医療の給付を行っており、その一方で、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「特別措置法」という。)に基づき、同認定被爆者に対しては、医療特別手当あるいは特別手当の支給、所定の障害により介護を要する場合には介護手当の支給、葬祭料の支給等の措置を行っていた。
以上のとおり、およそ被爆者とはいっても、一般の被爆者と前記原爆症認定被爆者とでは、現行法制度上は、被爆の状況、負傷又は疾病の内容等に応じて健康及び福祉に対する処置に差異を設けていて、原爆医療法八条一項に基づく原爆症認定処分は、同法七条による医療の給付及び特別措置法による特別手当の支給等の手厚い救済を受ける前提となっており、この認定処分によって一般被爆者は自己の権利、利益が拡張される効果があること及び原爆医療法八条一項の前記規定自体の形式を考慮すれば、前記各認定要件の該当事由の証明があった場合に、それによって原爆症の認定がされなければならないのである。
3 原告は、原爆医療法の目的、性格、放射線の人体に対する影響の未解明性等に照らし、右認定要件の証明について立証責任を転換するか、あるいは相当程度の蓋然性の立証で足りるとして、起因性の立証の負担を軽減すべきであって、原告の疾病が原子爆弾の放射線に起因する可能性を否定できないことが証明されれば、原爆医療法八条一項の認定がなされるべきである旨主張するので、この起因性の証明の点について検討する。
原爆症の認定に係わる原爆医療法七条一項、八条一項の規定内容及びその認定要件の理解、その認定のため要件具備の証明を必要とする根拠等については、前記1、2のとおりであり、以下はもとよりこれを前提とする。
証拠(〈書証番号略〉、証人安齋育郎、古賀佑彦)によれば、爆風、熱線等の破壊力をも有する放射線大量殺戮兵器としての原子爆弾は、現実に投下されて爆風、熱線、放射線等により人体、物体に広域にわたり多大かつ凄惨な被害を及ぼしたが、特に最も広くかつ深刻な影響を与えたのはその放射線による障害である。この放射線は、人体の細胞を破壊ないし損壊したために、悪心、嘔吐、食思不振、下痢、出血斑ないし点状出血、脱毛、口腔咽頭病巣、出血、発熱、白血球数の減少、貧血、精子減少、月経異常等の急性症状、白血病、多発性骨髄腫、再生不良性貧血等の血液の障害、白内障等の後障害、胎内被曝児における小頭症等の多種多様な症状を発生させたが、これらの人体傷害には放射線によることを明確に示すような特異性はなく、また、現代科学において、そのメカニズムに関する理論的ネットワークは必ずしも十全に確立されているものではないことが認められる。すなわち、今日に至るまで放射線の人体に対する影響については、科学的医学的研究が続けられ、原子爆弾の放射線による後障害の範囲、内容、これに対する治療方法等について本来解析が可能な分野につき合意的な結論に到達した部分もあるが、なお現在においても未解明の点が少なくなく、治療に関しても多分に体質面からの自然治癒に頼らざるを得ない状況にあることが認められる。そして、このことは、後に詳記する昭和三三年八月一三日付厚生省公衆衛生局長(〈書証番号略〉)の「原子爆弾後障害症治療指針」に「これらの後障害に関しては従来幾多の臨床的及び病理学的その他の研究が重ねられた結果、その成因についても次第に明瞭となり、治療面でも改善を加えられつつあるが、今日いまだ決して十分とはいい難い。従って、原子爆弾後障害症の範囲及びその適正な医療については、今後の研究を待つべきものが少なくないと考えられる。」と記述されている認識が依然として妥当することを意味している。
以上に関して、ここで、とくに留意して置きたいのは、投下された原子爆弾による人体に対する傷害作用や後障害についての科学的分析的な解明に当たって、この後障害等による苦しみを感じている一個の全体的な障害者という統合的視点は不可欠なものとしてきっとこれを確保し、その解析結果の規定性の射程領域については謙虚な態度で臨まなければならないということである。
そして、原爆医療法一条に「被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的」とすると規定されて、被爆者のみを対象として特に右立法がなされた背景には、原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみないほど特異かつ深刻なものであることと並んで、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者より不安定な状態に置かれているということがある。また、原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって、その点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格をもつものであるということができるが、他方、原子爆弾被爆という特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任においてその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができない(最高裁昭和五〇年行ツ第九八号、同五三年三月三〇日第一小法廷判決・民集第三二巻第二号四三五頁参照)。
さらに、行政の運用としても、前記争いのない事実のように、厚生大臣は、本件却下処分を「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」という文言を用いて行っており、また、証拠(〈書証番号略〉、証人W)によれば、後記のようなT六五DあるいはDS八六によっては放射線量が人体に確定的影響を及ぼさない程度のものであるとの説明が行われる帰結となるであろう地点における被爆者に対してもこれまで原爆医療法八条一項による認定処分をなす運用がなされた先例があったことが認められる。(なお、被告は、「可能性は否定できる。」との文言は、「認められない。」という意味以上のものを持たない旨反論し、確かに純粋科学上も医学上もこの文言による命題の妥当する余地は考えられない(証人肥田舜太郎、山下兼彦)が、行政庁が、法律を適用しておよそ重要な影響を及ぼすべき処分を行うに当たり、これに係わる言明の持つ意味を的確に規定し、区別しないまま用いることは到底考えられず、被告の右反論の趣旨は付会的な印象を受ける。)
4 以上のような投下された原子爆弾による傷害作用、その科学的解明度、後障害症の特殊性、原爆医療法の目的、性格、行政の運用等を総合考慮すると、原爆医療法八条一項にいういわゆる起因性とは、必ずしも原子爆弾の放射線等による傷害作用と現傷病との一対一の特定的因果関係につき医学的な一定の科学的理論の見地に立った一意的かつ厳密に確定された特殊な起因性に限定されるものではなく、そのほかに、現実に長崎の爆心地に投下された決定的な放射線大量殺戮兵器としての原子爆弾が放射線と共に爆風、熱線等の破壊力により広域にわたり同時的、共時的に傷害作用を及ぼしたこと、これによる被爆者側の被爆時の諸状況、その被爆者の諸素因、その後の諸病歴,諸現症状等をもその総合的、体質的視点から十分に参酌し、これらを現代の病理学的・臨床医学的知見の一般的水準に照らし、相互補完的に、現傷病が原子爆弾の放射線による傷害作用に起因する可能性が否定できない、という本来の様態に適合する意味に理解されなければならないものと考える。
以上の見地に立って、争点について検討することにする。

四 原告の現在の症状の原因について
右一及び二で認定した事実によれば、原子爆弾の爆風により飛んできた瓦が原告の左頭部を直撃し、その部分の頭蓋骨が陥没骨折したために、脳の挫傷及び周辺の脳組織の圧迫が起こり、頭蓋骨内に出血が発生し脳浮腫の状態になり、また、外傷による炎症により脳内にも出血が発生し、これらの結果脳実質が損傷を受け、壊死してなくなってしまい、脳孔症になり、あるいは脳が萎縮したものと考えられるが、右欠損部分は、身体の右半身の運動及び知覚を支配する神経領域にあたるため、原告の現在の症状である右片麻痺あるいは前記認定の各症状を呈するに至ったものと推認される。
したがって、原告の疾病は、少なくとも原子爆弾の爆風による傷害作用によるものと認めることができるから、原告の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているかどうかについて、次に検討する。

五 原告の治癒能力に対する原子爆弾の放射線の影響について
1 証拠(〈書証番号略〉、証人安齋育郎、藤田正一郎、古賀佑彦)によれば、原子爆弾による放射線、その被曝、その人体に及ぼす影響等について次のとおりの理解があることが認められる。
(一) 長崎に投下された原子爆弾はプルトニウム二三九を用いたもので、原子核に中性子を衝突させて爆発的な核分裂を起こし、それによって巨大なエネルギーを放出させるものであり、右エネルギーは、熱線、衝撃波とそれに伴う爆風、放射線という形で放出される。原子爆弾の爆発により生じる放射線は、爆発後直ちに放出される初期放射線と、それ以後の一定期間被爆地域に認められる残留放射線とに大別される。
(二) 初期放射線のうちα線とβ線は、空気中での透過力が弱いために地上まで到達することができないから、人体影響の点で検討すべきはγ線及び中性子線である。そして、T六五Dによれば、爆心地から二・四キロメートルの地点ではγ線四・一ラド、中性子線〇・〇ラド、総線量四・一ラドであり、爆心地から二・五キロメートルの地点ではγ線二・
九ラド、中性子線〇・〇ラド、総線量二・九ラドである。また、DS八六によれば、爆心地から二・四キロメートルの地点ではγ線二・九六ラド、中性子線〇・〇〇三五五ラド、であり、爆心地から二・五キロメートルの地点ではγ線二・〇九ラド、中性子線〇・〇〇二〇四ラドである。
(三) 残留放射線の被曝には、身体の外から主としてγ線をあびる外部照射と、放射性物質が体内にとり込まれてβ線やγ線を受ける内部照射とを考慮する必要がある。残留放射線のうち外部照射としては、まず、原子爆弾から放出された中性子を吸収した物質の多くは放射性アイソトープに変わり、β線やγ線をかなり長時間にわたって放射し続ける誘導放射能があるが、β線は前記のように空気中での透過性が弱いために人体に対する影響を考える上ではγ線の線量が問題となる。次に、プルトニウムの核分裂生成物、プルトニウムの未分裂のもの、原爆器材が中性子を受けて誘導放射能を帯びたもの等が微粒子の塵埃の形で空中高く吹き上げられて大気中に広くひろがって降下する放射性降下物がある。また、内部照射としては、呼吸による吸入、食物や飲料水とともにあるいは皮膚を通して体内に侵入した放射性物質がある。そして、土壌放射化による無限大時間までの放射線量は、DS八六によれば、爆心地からの地上距離二・四五キロメートルの地点においては、〇・〇〇〇〇一ラド以下である。また、前記のような被爆後の原告の行動を考慮しても残留放射線による被曝により、初期放射線と合わせた被曝線量が前記初期放射線量の二倍にまで達することはない。
(四) 放射線被曝の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響(確定的影響)とがあり、確定的影響の範ちゅうでは、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値があるが、癌の誘発と遺伝的影響が確率的影響の範ちゅうに属し、それら以外はすべて確定的影響に属するものとされている。そして、エックス線の発明等により放射線の人体に対する傷害作用が明らかになった以降の医療の分野や動物実験におけるデータ、更には広島及び長崎における原子爆弾の被爆によるデータ等により、確定的影響に属する各症状についてその閾値が求められ、現在においては、白血球減少は五〇ラド、吐気は一〇〇ラド、脱毛は三〇〇~五〇〇ラド、脳神経の障害は一〇〇〇ラドとされている。また、リンパ球の障害による免疫能の低下については、免疫能を持つ細胞を九〇パーセント殺す線量は約三五〇ラド、平均致死線量は八〇ないし一〇〇ラド、影響が検出されないという意味での閾値は一〇ラドより少し上程度とされている。
2 以上の見解を包括するT六五DあるいはDS八六によって推定される原告の被曝線量に基づく限りでは、脱毛、脳神経の障害、リンパ球の障害による免疫能の低下等についての一般的な閾値を下回ることになり、原告の現在の疾病は放射線の影響がないものと説明されることになる。
3 しかし、原告は、(これに関わる一般論的主張は前記のとおりであるが)T六五D、DS八六による被曝線量の推定には限界があるうえ、前記の閾値のような従来の放射線防護学における被曝線量と放射線障害との関係についての見解を原子爆弾の被爆者にそのまま適用することはできない旨主張するので、この点について検討する。
証拠(〈書証番号略〉、証人安齋育郎、藤田正一郎、肥田舜太郎、古賀佑彦、W、K)によれば、次のとおり認められる。
(一) T六五Dは、アメリカ合衆国のオークリッジ国立研究所の科学者によって発表された線量評価システムであるが、ネバダ核実験場で行われた各種の実験等から得られたデータ、一九五〇年代の前半から一九六〇年代の初めにかけて行われた広島及び長崎の被爆者との面接調査により集められた遮蔽等の被爆状況についてのデータ、日本の研究者により行われた、広島及び長崎における中性子により放射性物質となった鉄筋に含まれるコバルト六〇の残留放射能の計測結果等に基づいて、無遮蔽状態における原子爆弾の炸裂点からの距離の関数としての空気中線量及び被爆者の周囲の建造物等による放射線の遮蔽効果について記述したものとされ、DS八六が発表されるまでは最良のものとして使用された。
(二) その後、アメリカ合衆国のローレンス・リバモア国立研究所とオークリッジ国立研究所において推定線量の見直しが行われ、一九八六年アメリカ合衆国及び日本の共同グループにより、T六五D作成時の実験結果、被爆者から得られた情報、その後の実験等の結果等を入力してコンピューターでシミュレーションするという方法でDS八六が発表され、現在においては最良の線量評価方法とされている。
(三) T六五Dによれば、長崎に投下された原子爆弾による被曝総線量は、爆心地から一一五〇メートルの地点で四九四・五ラド、一三〇〇メートルの地点で二六七・九ラド、一五五〇メートルの地点で九九・二ラド、一七五〇メートルの地点で四五・八ラド、二二〇〇メートルの地点で八・六ラドであり、その誤差はプラス・マイナス一〇パーセント程度のものとされていた。また、DS八六によれば、長崎におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一二五〇メートルの地点で二五九・九四ラド、一五〇〇メートルの地点で八九・九三一ラド、一六五〇メートルの地点で四九・二五六ラド、二一〇〇メートルの地点で八・七七九ラドとされる。なお、広島におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一一〇〇メートルの地点で二六六・五ラド、一三五〇メートルの地点で九二ラド、一五〇〇メートルの地点で四九・五三八ラド、一九五〇メートルの地点で八・五七三ラドとされる。そして、このDS八六においては、原子爆弾の構造等が軍事秘密として公開されていないし、原子爆弾から出た放射線の線源、空中伝播の方式、被爆者からの情報等すべて誤差を含んでいる等から、プラスマイナス二〇ないし三〇パーセントの誤差を含んでいるとされる。
また、広島においては現実の被爆建物から推定される線量とDS八六による推定線量とにかなりの差があることも指摘されており、現在もなお改訂作業が行われている。
DS八六推定線量は、広島においては、T六五Dに比較してγ線は約一・五ないし二倍、中性子線は約一〇分の一であり、長崎においては、γ線はやや減少しており、中性子線は約二分の一ないし三分の一であって、T六五Dについて予想されていた誤差を大きく上回っている。
(四) T六五Dでは、その基礎データ収集のための被爆者との前記面接調査においては、被爆した場所、遮蔽物の有無、遮蔽物の構造、見取図等被爆状況及び後障害が主として調査され、急性症状については包括的な調査はされていない。
(五) その一方で、昭和二〇年九月から一二月にかけて行われた日米合同調査団による長崎における被爆者の調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約一八パーセント、二・〇キロメートルの地点で約一〇パーセント、皮膚出血斑は二・〇キロメートルの地点で約七・五パーセント、二・五キロメートルの地点で約二・五パーセント、口腔咽頭病巣は二・〇キロメートルの地点で約一七パーセント、二・五キロメートルの地点で約一四パーセント認められた。また、広島における調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約一九パーセント、二・〇キロメートルの地点で約七・五パーセント、皮膚出血斑は二・〇キロメートルの地点で約四パーセント、二・五キロメートルの地点で約二パーセント、口腔咽頭病巣は二・〇キロメートルの地点で約一六パーセント、二・五キロメートルの地点で約一六パーセント認められた。なお、嘔吐は広島及び長崎を合わせると、一・五キロメートルの地点で約一八パーセント、二・〇キロメートルの地点で約九パーセント、二・五キロメートルの地点で約七パーセント認められた。なお、これらの症状は、いずれも爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。
(六) 昭和二〇年一〇月から一一月にかけて行われた東京帝国大学の広島における被爆者の調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・六キロメートルから二・〇キロメートルの地点で九・〇パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で六・四パーセント、皮膚出血斑は二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で二・二パーセント、悪心嘔吐は一・六キロメートルから二・〇キロメートルの地点で四・二パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で二・六パーセント認められた。なお、この調査においても、各症状は、爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。
(七) 昭和六〇年に厚生省が行った原子爆弾被爆者実態調査報告によれば、長崎において爆心地から二ないし三キロメートルの地点で被爆した死亡者のうち急性障害によるものが三・二パーセント、広島においては五・四パーセント認められた。
(八) 昭和六〇年に日本原水爆被害者団体協議会が行った原爆被害者調査によれば、急性症状が現れた者は、爆心地から二キロメートルを超え三キロメートル以内の地点で被爆した者のうち五一・一パーセント、三キロメートルを超えた地点で被爆した者のうち三七・一パーセント認められた。
(九) 広島の太田川の上流の爆心地から約二・五キロメートルと思われる地点で被爆した少年ふたりは、いずれも熱線による火傷を負い、脱毛、下痢等の各症状を呈したが、兄は約六か月後に吐血して死亡し、弟はその約三ないし四か月後に下血して死亡し、両名とも放射線傷害による死亡と考えられる。
(一〇) Wは、長崎市内の爆心地から約二・九キロメートルで、かつ、原告の被爆場所とほぼ同一方向の地点で被爆したが、被爆直後から発熱が続き、しばらくして脱毛が起こり、被爆後約一年間無月経であった。なお、同人は、昭和三四年六月二九日付で低色素性貧血及び下半身不随症により、原爆医療法八条一項の認定を受けている。
(一一) Kは、長崎市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したが、被爆約一か月後に若干の脱毛があり、一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。また、原告の自宅近くの提灯屋の娘も全部脱毛した。
(一二) 広島市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したTは、被爆当日の夜から発熱し、約一〇日後には脱毛及び血便があった。
(一三) 長崎市内の爆心地から約二・五キロメートルの地点で被爆したBは、被爆時から発熱し、約一か月後に脱毛がみられ、約二か月後に鼻血、嘔吐、下痢があった。
(一四) 放射線による各症状の閾値については、広島及び長崎における被爆者のデータを基礎資料とするものもあるが、脱毛に関しては、被爆者のデータは基礎資料とされていない。
以上のとおりであって、右の認定を前提に以下検討する。

まず、科学に関する一般通念では、専門的科学者間に最も権威があり最良のものとされる、ある一定の、ことに先端的な科学的理論であっても、それはその科学者らの一時的・暫定的な合意であり、これに対する同意の契機は、本質的に諸々の期待による選択の問題であって、観測装置や基礎的データの客観的確実性への信頼、自己の研究実践の基本的準拠枠、科学的教育の影響、政策的な立脚点等がそれとして指摘されているが、いずれにしてもその定式化された化学理論が対象としている事象に対する認識力、理論的帰結に関して完全な規定性を有することはなく、本来解明可能とされるいわゆる科学的事象はなお将来における研究目標として維持されていても、必ず未解明の分野や反証の余地は残しているものであるとされているし、その一方で、解明された部分については、これを精確かつ簡潔にそして整合的に予測を導き応用の説明をするために、通常、数値的・数理的表現が行われるが、この数量化は具体的事象を言語等による説明以上に抽象化するものではなく、所詮は目的事象の一つの描写に過ぎないとはいえ、むしろ言語等によっては表現が困難な事柄を質的にも量的にも細密に、より具体的・多面的に説明するものとされているのであって、以上のような点に係わる原告主張は、そのうち、現実に投下された原子爆弾による被害の実態や障害事例の個性的細部に対しては未解明の側面があるのに、これらを定式化された特定の科学理論の概念的基礎を用いることのみによって一律かつ線形的に規定し尽くすことが容認されるとするかのような態度がかえって科学的合理性の見地からは適切ではない、というものである限りにおいて理由があるものといえる。
ところで、被曝線量推定方式であるT六五D及びDS八六については、前記のとおり、被告は、これを最良の理論であることを前提にその適用関係について詳細に主張するが、その最良とする根拠については、被爆直後から行われた線量測定の結果、アメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれその時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合したからというのである。しかし、その最良性の議論は、本件においては、その理論自体が具体的な障害事例の個性的細部に対する適用に係わって問題視され、その正当性が問われている事案であるから、その主張の次元では十分ではなく、さらに具体化された臨床レベルで行わなければならない。ところが、その基礎資料のうち、まず、その核心的前提となるべき投下された原子爆弾の構造、能力等自体が明らかにされておらず、また、広島及び長崎における被爆者のデータが使用されているといいながらその具体的個別的な内容あるいは使用状況等が必ずしも明確でないのみならず、少なくとも被爆者の放射線による急性症状に関する調査については十分なものとはいえないし、結局のところ、現実に投下された原子爆弾による放射線による人体及び物体に対する影響から放射線量が推定されたものというよりは、他の立証がない限り、主としてアメリカ合衆国ネバダ砂漠における実験の観測結果を中心的資料として放射線量を推定したものと推認せざるを得ず、そうだとすれば次に科学的実験のもつ後記のような一般的限界が問われなければならないことにもなる。しかも、T六五DとDS八六のそれぞれの誤差とか、現在かなり精確なものと評価されているDS八六についても実測値と異なるとかの前記指摘があることからすると、たとえ現在の専門的知見において精確なものと評価されているにしても、現実に投下された原子爆弾の被爆放射線による被曝線量との比較においてどれほど精確かという観点からは、その精確性の限界に疑問を入れる余地がまったくないわけではない。
また、T六五DあるいはDS八六による推定線量と前記1の(四)で認定した放射線の人体に対する影響についての閾値については、被告は、その積極的な根拠として、前記のとおり、放射線被曝の人体に及ぼす影響については、一八九〇年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されている等の主張をしているが、本来的な性格からいって純粋科学上の説明概念である「閾値」自体もその基礎的観察データの吟味が厳密になるに連れてその有効性の度合いが限定されるという関係にあるもので(証人肥田舜太郎)、これは理論的説明を細密化するだけでは到底支えきれる事柄ではないといえるほか、本件においては現実の原爆被爆の障害事例の個性的細部についての議論が提起されているにもかかわらず、この閾値の考え方の成り立ちを一般的に基礎付けるべき観察データの実例、範囲等について右の議論の個性的な細分化レベルにまで下降した客観的確実性の立証や、またその適用の帰結を原爆被爆における現実に観察可能な諸障害事例と比較して、これらが一致することを示す枚挙的な立証もなく、前記のとおり、現実に投下された原子爆弾の被爆者中には、閾値以下の被曝線量しか被曝しておらず、閾値の形式的適用の帰結としては、脱毛、吐き気、出血等の急性症状が発生しないはずの者にも、右のような急性症状が発生していることが、統計的にも、個別の事例としても認められ、これにいわゆる反証の非対称性の原則をも考慮に入れると、被曝線量が閾値に達していないからといって、放射線の影響を直ちに否定してしまうことには問題が残らないとはいえない。これを逆に見てみると、脱毛のみならず、閾値と現実の急性症状が矛盾している右のような症状については、閾値の基礎資料として、広島及び長崎における前記(五)(六)の調査結果は中立かつ所与の観察データとしてそのままには使用されず、閾値は、主として実験結果あるいは医療の現場におけるデータを基礎資料としているのではないかという推測も妥当しかねないし、もしそうであれば、実験系においては、およそ、これに係わる先行理論に依存する定量的規則性獲得目的のための手続、解法、規則その他の実験装置の設計に従い、放射線以外の他の要素は無視できるように動物など被験対象等の初期条件を設定して行われるのが通常であるし、医療の現場におけるデータも、放射線を使用すること自体はあらかじめ計画され、治療等のために他の条件を限定的に整えるなどした上で医師等の監視の下に行われ、あるいは事故の場合であっても被曝者の症状に他の要素が意味をもって関係することは通常考えられない。これに比較して、現実に投下された原子爆弾による被爆の場合には、そもそもこれが決定的な放射線大量殺戮兵器として実戦に使用され、放射線と共に有する爆風、熱線等の強大な被壊力による全体的な傷害作用を同時的、共時的に加えられ、被爆者によっては爆風による瀕死の重傷とともにあるいは熱線による大火傷とともに毒性のある放射線を浴びせ掛けられたもので、しかも被爆者は条件設定はおろかそれぞれなんの防備もなくその場で不意を打たれたという個々独自かつ複雑微妙なあるがままの状態で被爆し、受けた精神的衝撃は大きく、また、戦時中であってみな食料不足による栄養状態も悪い上、空襲等により精神的・肉体的に疲弊しているなど、実験や医療の現場とは大きく異なる条件下において被曝したのであるから、これら被爆者の置かれた諸状況を捨象して、一般化された閾値(誤差の範囲を含めて)を一律に当てはめることで果たしておおかたの納得が得られるであろうかどうか疑問である。
なお、被告は、閾値以上の被曝線量がなければ脱毛が起こらないことは組織学的にも明らかであり、また、小児の中枢神経系白血病の予防治療における放射線治療で五〇ないし一五〇ラドを反復して頭部に合計一五〇〇ないし二四〇〇ラドを照射した場合においても、その副作用として神経症状である嗜眠傾向が一部に見られても、特別な治療をすることなく回復するとされていることなどをあげて、DS八六による放射線量に推定及び閾値を正当なものと主張し、これに矛盾する右のような急性症状については、栄養障害、肉体的衰弱、精神的ストレス等放射線以外の理由による説明が可能であるという。証拠(〈書証番号略〉)によれば、これに沿うかのような研究結果として藤本孟男ほかの「小児の中枢神経系白血病の予防治療に関する研究」(〈書証番号略〉)、白井寛の「広島市に於ける原子爆弾放射線病患者の毛髪変形象に就いて」(〈書証番号略〉)があることが認められるが、前者の研究における脱毛は、直接には、中枢神経系白血病予防治療事例について治療として患者の状態等に配慮した上で行われた頭蓋放射線照射による副作用の結果として捉えられたものであり、また、後者の研究は,原爆放射線患者の病勢標準による軽重と毛髪の形象変化との関連を狙いとしたものであって、必ずしも閾値との関係は明確でなく、前記のような状況下での原子爆弾による被爆と同一には考えられないから、これらにより前記判断が左右されるものではない。さらに、栄養障害等による説明は、その根拠自体が臆断の域を出ず、曖昧である上、閾値に及ばない被曝線量とされる地点においても各症状を呈した被爆者の割合は、爆心地からの距離が遠くなるに従って減少するという一定の傾向を示しているのに、距離との関係が明確な放射線による影響を排除して、距離とは無関係な栄養障害等で説明しようとするのは無理があるといわなければならない。
以上のとおりであって、DS八六による推定線量及び閾値により、被曝線量が閾値に及ばないことを唯一の理由として、あらゆる被爆者の諸症状に対して放射線の影響を直ちに否定することはどうしても相当とは考えられない。 

4 ところで、前記の「原子爆弾後障害症治療指針について」によれば、治療上の一般的注意として、
「原子爆弾被爆者に関しては、いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え、その経過及び予防について特別の考慮が払われなければならず、原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上、被爆者の受けた放射能特にγ線及び中性子線の量によってその影響の異なることは当然想像されるが、被爆者の受けた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり、また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが、治療を行うに当っては、特に次の諸点について考慮する必要がある。
イ 被爆距離 この場合、被爆地が爆心地からおおむね二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。
ロ 被爆後における急性症状の有無及びその症状、被爆後における脱毛、発熱、粘膜出血、その他の症状を把握することにより、その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある。」
とされている。
また、昭和三三年八月一三日付厚生省公衆衛生局長の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」(〈書証番号略〉)によれば、
「被爆者の健康診断を行うに当って特に考慮すべき点は、次のとおりである。(一)被爆者の受けたと思われる放射能の量 原子爆弾の放射能に基づく疾病である限り、被爆者の個々の発症素因、生活条件等は別として、被爆者の受けた放射能の量が問題になることはいうまでもない。しかし、現在において被爆当時に受けた放射能の量を把握することはもとより困難であるが、おおむね次の事項は当時受けた放射能の量の多寡を推定するうえにきわめて参考となりうる。
1 被爆距離 被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えてさしつかえない。
2 被爆場所の状況 原子爆弾後障害症に関し、問題となる放射能は、主としてγ線及び中性子線であるので、被爆当時におけるしゃへい物の関係はかなり重大な問題である。このうち特に問題となるのは、開放被爆としゃへい被爆の別、後者の場合には、しゃへい物等の構造並びにしゃへい状況等に関し、十分詳細に調査する必要がある。
3 被爆後の行動 原子爆弾後障害症に影響したと思われる放射能の作用は、主として体外照射であるが、これ以外に、じんあい、食品、飲料水等を通じて放射能物質が体内に入った場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。従って、直ちに他に移動したか等、被爆後の行動及びその期間が照射量を推定するうえに参考となる場合が多い。
(二) 被爆後における健康状況 前述の被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて、被爆後数日ないし、数週に現れた被爆者の健康状態の異常が、被爆者の身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。すなわち、この期間における健康状態の異常のうちで脱毛、発熱、口内出血、下痢等の諸症状は原子爆弾による障害の急性症状を意味する場合が多く、特にこのような症状の顕著であった例では、当時受けた放射能の量が比較的多く、従って原子爆弾後障害症が割合容易に発現しうると考えることができる。」
とされている。

被告は、これらの通知は、未だT六五Dも発表されておらず、正確な被曝線量の評価方法がなく、閾値の存在も明らかになっていない時代に発せられたものであり、また、あくまで原子爆弾後障害症の治療あるいは原爆被爆者の健康診断の実施に当たって留意すべき点を述べたものに過ぎない旨主張する。しかし、現在においても右通知は効力を失っていないことはもとより、前記のように、現在においても、現実に投下された原子爆弾の被爆者についてDS八六による推定被曝線量及び閾値のみによって放射線の影響の有無を一律かつ終局的に判断することは必ずしも相当ではないし、原子爆弾被爆者の被曝線量の正確な算出には困難があるため、被爆者の諸病歴、諸現症状については、被爆との関係を考え、被爆者の諸素因、被爆時の諸状況、特に、被爆距離、被爆場所、被爆後の行動等あるいは被爆直後の急性症状等の健康異常から、その被曝線量及びこれによる原爆障害症の発現等を推定するなどして放射線の影響の有無を総合的、体質的視点から判断する必要性がある、という点では、原爆医療法八条一項に基づく認定も原子爆弾後障害症の治療あるいは原爆被爆者の健康診断の実施と共通しているのであるから、原告の現在の症状に対する放射線の影響の有無を判断するうえで、右各通知の考え方は相当なものとしてなお十分に参酌しなければならないものと考える。

5 このように見てくると、現実に長崎に投下された原子爆弾により爆心地から二ないし三キロメートルの地点でかつ爆心地方向にこれといった遮蔽物のない箇所において被爆するなどし、その傷害作用により負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者が、たとえDS八六による推定線量及び閾値によれば、被曝線量が閾値に及ばないため、被爆者の症状に対して放射線の影響を疑われる場合であっても、被爆当時幼若であったなど放射線感受性が強かったほか、原子爆弾の爆風等により瀕死ともいうべき重篤な外傷を負うのと同時的、共時的に放射線に被曝し、しかも被爆後に放射線被曝以外の原因では説明できない急性症状を示し、かつ、被爆直後から通常の治療を受けておりながらなおその傷害部位の治癒が免疫能の低下を疑わざるを得ないように異例に遷延し長期間を要した結果、損傷が著しくなり現在の諸障害症状に至った等という事実関係のもとでは、その症状の原因として治癒能力に放射線が影響した可能性を否定することができないものとするのが相当である。
これを原告についてみると、原告は約二・四五キロメートルの被爆距離で被爆し、このことそれ自体ではDS八六による被曝線量が前記閾値に及ばない帰結となるものであるが、前記認定の原告の被爆状況及び被爆後の状況等、特に、原告には、三歳五か月時に屋根瓦の直撃による意識不明を伴う頭蓋骨陥没骨折の致命的重傷を負うと共に放射線に被曝したうえ、そのまま被爆箇所に留まってその余燼の中で生活し、避難のため被爆約一週間後に爆心地近くを通過したりもしていて、被爆後下痢及び脱毛があり、これらは放射線による急性症状と説明するほかはないものであり、かつ、右の外傷は医師の通常の経験例に比較して治療が困難であったもので、しかも、少なくとも富江町に疎開した後は栄養状態も悪くなく、医師の治療も受けていたにもかかわらず、結局、その治癒に被爆後二年ないし二年半という免疫能の低下を考えなければ説明が付かない程に異例の長期間を必要としたなどという諸事情があること、そして前記認定の頭部外傷から現在の疾病に至る諸経過等を総合考究すると、原告の頭部外傷は、通常の外傷に比較して治癒が遷延し、その結果脳の損傷が著しくなり、右片麻痺に至ったものと推認され、また、その原因として治癒能力に放射線が影響した可能性は否定できないものというべきこととなる。

第三 結論
以上によれば、原告の現在の疾病は、原子爆弾の爆風の傷害作用によるものであり、かつ、原告の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているために現に医療を要する状態にあることを認めることができるから、原告の本件請求は理由がある。

裁判長裁判官 江口寛志 
裁判官 井上秀雄
同、森純子

2017年5月20日土曜日

「原子爆弾後障害症治療指針」の重要性




厚生省(当時)は、原爆医療法施行後1年余を経過した 昭和33年8月13日付で、各都道府県知事・広島・長崎市長あて厚生省公衆衛生局長通知
「原子爆弾後遺障害治療指針について」
及び
「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」
 を通達した。

注目すべきは、これら厚生労働省による通知に、「慢性原爆症」と密接に関係する記載が見られることである。
これらは被爆後の日米合同調査団に参加した医療関係者らが中心となる調査班の委員により起草され、後に原対協の地元医師らの意見も一部加わり増補改定(昭和30年)された。
実態を反映した臨床医学を基礎に置いて策定されたことに特に留意すべきである。

上記の厚労省衛生局長による治療指針通知は、原爆症調査研究協議会(原調協)が昭和29年2月に最初に定めた 「原子爆弾後障害症治療指針」 に基づくものであることがうかがわれ、このことは、
「被爆者に関する限り、如何なる疾患又は症候についても一応被爆との関連を考え、その経過及び予後について特別な配慮を以て当る 」
とあり、両者に同趣旨の記載があることからも分かる。

 また、これらの通知はいずれも被爆距離を一応の目安をしながらも、2キロメー トルまでで切り捨てるようなことをせず、「実施要領」の通知には、

「被爆当時の状況、被爆後の行動等をできるだけ詳細に把握して、当時受けた放射能の多寡を推定するとともに、被爆後における急性症状の有無及び、その程度等から、間接的に当該疾病又は症状が原爆に基づくか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない」

と記載され、厚生省通知と原調協の同治療指針で、ほぼ同様の記載がなされている。

 この通知にみられる原爆放射線の影響についての知見は、原爆医療法(案)策定の際、被爆者の定義等、内容を定めるうえで行政判断の土台となった。

また、被爆者疾病の放射線起因性を推認する場合でも、一連の原爆症認定訴訟判決においても同指針ならびに医療法制定時の厚生省の認識の重要性を司法が度々指摘している。
現代でも、正鵠を得た判断指針として評価できるものである。




2017年5月15日月曜日

具体的な法案の策定過程(原爆医療法)




厚生省の,昭和31年12月12日付け第一次原案は,直接被爆者を,広島市及び長崎市のうちの一部区域で被爆した者に限定し, それ以外の定義については政令に委任するという内容であり,過度に救済範囲を狭めたものであった。 そのため,第一次原案は訂正され,直接被爆者の範囲は,広島市 及び長崎市の全域並びに両市に隣接する区域において被爆した者に まで拡大されるとともに,原爆投下後に爆心地付近に入った者も, 被爆者として定義された(もっとも,厚生省は,被爆者の定義について試行錯誤をしていたようであり,第7次案では,再び,入市被 爆者の定義を全面的に政令に委任するような文案が作成された 。)

その後,厚生省における検討結果を集大成したともいえる 「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(途中整理案) 」が策定された。この段階では,直接被爆者(1号)及び入市被爆者(2号) の定義は,実際に制定された原爆医療法の定めと同様の形となっていたが,3号については 「前2号に掲げる者のほか,これに準ずる状態であった者で,原子爆弾による放射能の影響を受けたお それがあるとして政令に定めるもの」という表現が用いられていた。

上記途中整理案について,厚生省内部において審議が行われたところ,その場では,原爆被爆者に限って国の責任において健康診断等を行う理由として,

①被爆者の医学上特異な傷害が休火山 のような状態で法案策定当時まで続いていること
②上記の傷害 が戦争によって惹起されたこと

が指摘された。さらに,1号の定 義には胎児被爆者が含まれていたにもかかわらず,2号及び3号の定義には胎児被爆者が含まれないことや,被爆後に胎児となった者が「被爆者」に含まれないことについて,健康管理を主目的の一つとするという観点からは疑問もあるという指摘がされた。
  こうした審議経過からは,原爆医療法の主目的の一つが健康管理にある以上,医学的知見に拘泥せずに,放射能の影響を受けた おそれがあると考えられる者をできる限り広く被爆者として取り扱い,将来にわたって健康を管理するべきであるという考えがあったことがうかがわれる。

前記途中整理案に続いて策定された昭和32年2月7日付け法律案では,3号の文言は 「前2号に掲げる者のほか,これらに準ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあった者」というものに改められ,3号に関しては政令への委任を行わないものとされた。
また,上記法律案においては,2号及び3号所定の者が当該各号に 規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者も 「被爆者」 に含まれることとなった。
3号被爆者に関して政令への委任を行わないものとされたことは,法所管庁である厚生省が,原子爆弾の放射線の影響を受けた おそれがあると考えられるような外部的事情について,被爆者ごとに個別具体的に判断することを念頭においていたことを意味する。
このような方針が採用されたのは,原爆医療法の主たる目的は,当時の医学では原爆放射線の影響が解明されていなかったことにかんがみ,原爆の影響を受けたおそれのある者について健康を管理し,いつ原爆症を発症するか分からないという被爆者の不安を和らげることであったため,不十分な当時の科学的知見に基づいて原爆の影響を受けたおそれがある者を政令において具体的に列挙するのではなく,抽象的な条項を設け,将来,新しい医学的知見をも踏まえた上で原子爆弾の影響を受けたおそれがあるか否かの個別具体的な判断を行うことを可能にする方が,原爆医療法の趣旨・目的に適合すると判断されたためであろうと思われる。
3号の文言は,内閣法制局における予備審査の過程を経て 「前記  1、2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下に あった者」と改められた。
これは,熱線や爆風による被害者は基本的には1号,2号によ って網羅されると考えられたことによるものであろうと思われる。
なお 「受けたおそれがあると考えられる状態」という表現が「受けるような事情」という表現に変わったのは,前者が法文として 不適切な表現であると判断されたためにすぎず,上記の変更は, 何ら,3号の内容の実質的な変更(あるいは3号によって救済される範囲の狭小化)を意味しない。
 以上において検討した法案の策定過程からは,

①原爆医療法によ って救済するべき被爆者として,典型的には1号の直接被爆者及び 2号の入市被爆者が想定されていたこと
②その他の者についても 被爆者の健康を管理し被爆者の不安を和らげるという観点からの救 済を広く行うべく,3号が規定され,しかも,原爆医療法の趣旨・ 目的をより達成しやすいように,3号の対象となる者の範囲について政令で具体的な規定を設けることがあえてされなかったこと

が分かる。
(オ) 原爆医療法案に関する国会での審議国会での審議においては,原爆医療法案の2条3号について,同号を設けたきっかけは,原爆投下時に爆心地から5km以上離れた海上で,輻射を受けたというような人や,爆心地から5km以上離れたところで死体の処理に当たった看護婦あるいは作業員らが,原子病を起 こしてきた例があるため,それらの者をも救済する必要があると考えられたことにあるという説明がされた。
この説明からは,3号が,1号や2号に含まれない被爆者を救う補 完的規定であること,3号が設けられたきっかけは,1号や2号の要件に当てはまらないが,その後「原子病」を起こした人がいることにあったことが分かる。





 原爆医療法制定当時の放射線の人体影響に関する科学的知見等
a 都築正男(以下「都築」という )による報告

都築は,昭和29年2月に発表した論文において 「慢性原子爆弾症の人々のうちには,第一次放射能のほかに中性子の作用に基づく誘導放射能,特に体外誘導放射能の影響と,原子核分裂破片 の作用とを蒙っているものと考えなければならないものも少なくないと思うが,これらの第二次的ともいうべき放射能の作用はその強さは極めて微弱ではあるが,その生物学的作用は或る場合には無視することが出来ないと思う 」と述べた。また,都築は,原爆投下時に初期放射線の影響をまったく受けなかった者が,その後爆心地に入った場合に,急性症状や慢性原子爆弾症の症状を訴える例は少ないが,原爆投下時に初期放射線の影響を少しでも受 けた者の中には,その後爆心地に入り,残留放射線の影響によって急性症状を発症した者が多数おり,そうした者は,慢性原子爆 弾症になる可能性があるとも述べた。そして,都築は,上記の点を踏まえて,個々の被爆者が相当の放射線の影響を受けたか否か は,①初期放射線による傷害の程度,②急性放射線病の発現の有無,③残留放射線の影響の3点を基準として判断するべきであると結論付けた。
上記のような報告内容からは,原爆医療法が制定された段階 おいて,既に,初期放射線のみならず,残留放射線もまた,人体 に何らかの影響を与えるものと考えられていたことがうかがわれる。
都築は 「原子爆弾の傷害とは直接関連性のないもののあるかも知れないが,明らかに多数の人々を殺傷した傷害威力による影響であるから,幸いにして死を免れ得た人々にもある程度の傷害を 与えたことは疑う余地はあるまい。その意味において後障害症の 問題はますます重大なこととなるべきものといわなければなるまい 」と述べた。
これは,原爆放射能の影響による傷害,すなわち 原爆症の範囲が,その後の科学的知見の進展によって広がること を示唆したものであったといえる。
 都築は 「庇護的の手段によって平穏な生活を続けるように」するためには 「狭義の医的 , 庇護だけでなく,社会保障的の養護もまた甚だ肝要である」として,国費による医療給付の必要性のみな らず,生活援助の必要性にも言及した。
また,都築は 「原子爆弾 , 傷害の後障害症として現在最も注目せられている血液疾患,たと えば白血病や再生不能性貧血等,或はリンパ組織系等の腫瘍性増 殖状態等のことが慢性原子爆弾症を土台として発生するか否かの問題は,医学的になお未解明であるが,これらの後障害症は何れ も慢性原子爆弾症の発生と同一条件におかれた人々の間から見出されている」から「臨床医学の立場からするならば慢性原子爆弾 症の人々には常に注意を与え,その生活に破綻を来して悪性後障害症発生の誘因を作らないように努めさせるべきである」として  健康診断の必要性を訴えた。

こうした考え方は 「いかなる疾患又は症候についても一応被曝との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮が払われなければならない」という考え方をうたった,厚生省による「原子爆弾後障害症治療指針」にも反映されたものである。


上記においてみたように,原爆医療法制定当時,既に初期放射線 や残留放射線が人体に影響を及ぼすであろうと考えられていたことは明らかである。ただ,当時の科学的知見では,放射線の人体に対する影響は未だ十分に解明されていなかったため,科学者によって も,後障害の予防の観点から,健康診断や生活保護の必要性が訴えられていたものである。

2017年5月10日水曜日

「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」厚生省公衆衛生局長通達



原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について



(昭和三三年八月一三日)
(衛発第七二七号)
(各都道府県知事、広島・長崎市長あて厚生省公衆衛生局長通達)


標記の要領を別紙のとおり定めたので、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律による健康診断については、今後この要領を参考として実施されたい。

原子爆弾被爆者健康診断実施要領
この要領は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基き、被爆者の健康診断を行うに当つて考慮すべき事項を定めたものである。

一 総論
昭和二○年広島及び長崎の両市に投下された原子爆弾は、もとより、世界最初の例であり、従つて核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点がきわめて多い。
しかしながら被爆者のうちには、原子爆弾による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又は悪急性の造血機能障害等を出現した者の外に、被爆後一○年以上を経過した今日、いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者がある状態である。
特に、この種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと、一見良好な健康状態にあるかにみえながら、被爆による影響が潜在し、突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり、被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものもみられる。
従つて、被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方、障害を有するものについてはすみやかに適当な治療を行い、その健康回復につとめることがきわめて必要であることは論をまたない。
しかしながら、いうまでもなく放射能による障害の有無を決定することは、はなはだ困難であるため、ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆距離、被爆当時の状況、被爆後の行動等をできるだけ精細には握して、当時受けた放射能の多寡を推定するとともに、被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基くか否かを決定せざるを得ない場合が少くない。
従つて、健康診断に際してはこの基準を参考として影響の有無を多面的に検討し、慎重に診断を下すことが望ましい。

二 各論
原子爆弾後障害症のうち、熱傷瘢痕異常等外科領域における傷害又は疾病に関しては、健康診断にあたり、これが原子爆弾の熱線又は爆風に起因するものであるか否かを判断することは比較的容易であり、また、かかる傷害又は疾病が放射能の影響のため治癒能力を阻害され、医療を要するか否かについても、一般の傷害又は疾病に照し合せて考慮すれば足りるものであるので、ここでは、主として原子爆弾の放射能による内科的疾病に関して記載することとする。

被爆者の健康診断を行うに当つて特に考慮すべき点は、次のとおりである。

(一) 被爆者の受けたと思われる放射能の量
原子爆弾の放射能に基く疾病である限り、被爆者の個々の発症素因、生活条件等は別として、被爆者の受けた放射能の量が問題になることはいうまでもない。
しかし、現在において被爆当時にうけた放射能の量をは握することはもとより困難であるが、おおむね次の事項は当時受けた放射能の量の多寡を推定するうえにきわめて参考となりうる。
1 被爆距離
被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルのときは中等度の、四キロメートル以上のときは軽度の放射能を受けたと考えてさしつかえない。
2 被爆場所の状況
原子爆弾後障害症に関し、問題になる放射能は、主としてγ線及び中性子線であるので、被爆当時におけるしやへい物の関係はかなり重大な問題である。このうち特に問題となるのは、開放被爆としやへい被爆の別、後者の場合には、しやへい物等の構造並びにしやへい状況等に関し、十分詳細に調査する必要がある。
3 被爆後の行動
原子爆弾後障害症に影響したと思われる放射能の作用は、主として対外照射であるが、これ以外に、じんあい、食品、飲料水等を通じて放射性物質が体内に入つた場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。従つて、被爆後も比較的爆心地の近くにとどまつていたか、直ちに他に移動したか等、被爆後の行動及びその期間が照射量を推定するうえに参考となる場合が多い。

(二) 被爆後における健康状況
前述の被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて、被爆後数日ないし、数週に現われた被爆者の健康状態の異常が、被爆者の身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。すなわち、この期間における健康状態の異状のうちで脱毛、発熱、口内出血、下痢等の諸症状は原子爆弾による障害の急性症状を意味する場合が多く、特にこのような症状の顕著であつた例では、当時受けた放射能の量が比較的多く、従つて原子爆弾後障害症が割合容易に発現しうると考えることができる。

(三) 臨床医学的探索
臨床医学的探索にあたつては、原子爆弾後障害症として最も発現率の高い造血機能障害の検査の主体をおくほか、肝機能検査、内分泌機能検査等をもあわせて行う必要のある場合がある。
また、異常については、この異常が放射能以外の原因に基くものであるか否かについては、詳細に検討を加えたうえ、一応考えられる他の原因を除外して後においてはじめて放射能に基くものと認めるべきであり、従つて、この鑑別診断を行うにあたつては、尿検査、糞便検査、X線検査その他必要ある検査はもちろん十分に行わなければならない。

(四) 経過の観察
原子爆弾後障害症の一部、例えば、軽度の貧血や白血球減少症のようなものでは、所見が一進一退する場合が往々にしてみられるので、被爆者の健康について十分に経過を観察する必要がある。




小西訴訟・京都地裁判決要旨






昭和63()2248号損害賠償請求事件
平成2(行ウ)17号原子爆弾被爆者認定却下処分取消請求事件

判 決


一 主文

  1. 被告厚生大臣が原告に対し昭和601128日付けでした原子爆弾被爆者医療認定申請却下処分を取り消す。
  2. 被告国は原告に対し472800円及びこれに対する昭和631013日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二  事案の概要
原告の被告厚生大臣に対する訴えは、同被告が昭和601128日付けで原告に対してした原爆被爆者医療認定申請却下処分(本件処分)には原爆医療法八条一項の解釈適用の誤りの違法があるとして本件処分の取消しを求めたものであり、原告の被告国に対する訴えは、国家公務員である被告厚生大臣が故意又は過失により違法に本件処分を行い損害を与えたとして、被告国に対し医療特別手当相当額等の損害賠償を求めたものである。

三  主な争点
1 本件処分の違法性
(原告の肝機能障害及び白血球減少症は本件処分の申請時において原爆医療法八条一項にいう「原子爆弾の傷害作用に起因する」ものであったか。
(1)「起因性」の立証責任の所在等
(2)原告の被爆と肝機能障害及び白血球減少症の発症の機序との関連
(原告は本件処分の申請時において原爆医療法七条一項にいう「現に医療を要する状態」にあったか。
2 被告厚生大臣は故意又は過失により本件処分を行ったものか。
3 原告の損害額如何。

四  当裁判所の判断

1 原爆医療法八条一項の「起因性」の立証責任の所在等について

(広島及び長崎における原爆の投下は空前のものであり、絶後のものでなければならない。原爆の投下により瞬時に多数の生命が奪われ、多数者に死亡にも比すべき障害をもたらし、その苦しみが今日なお継続している。原爆投下後10年余りが経過した昭和32年に原爆医療法が制定された。原爆医療法は、「原子爆弾の被爆による健康上の傷害がかつて例を見ない特異かつ深刻なものであることと並んで、かかる傷害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり、しかも、被爆者が今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態におかれている」という「特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかる一面を有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」ものであった。

(国は、昭和32425日に内閣において原爆医療法施行令を施行し、同年430日に厚生省において原爆医療法施行規則を施行し、厚生省公衆衛生局長において、昭和33813日に、「原子爆弾後障害治療指針について」との通知(「治療指針」)及び「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」との通知(「実施要領」)を都道府県各知事、広島市及び長崎市長に宛て発した。

(厚生省公衆衛生局長は「実施要項」において「昭和20年広島及び長崎市に投下された原爆は、もとより、世界初めての例であり、従って核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点が極めて多い。しかしながら、被爆者のうちには、原爆により急性又は亜急性の造血機能障害等を出現したものの外に、被爆後10年以上を経過した今日、いまだに原爆後障害症というべき症状を呈するものがある状態である。特に、この種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと、一見良好な健康状態にあるかにみえながら、被爆による影響が潜在し、突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり、被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものがみられる。従って、被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方、障害を有するものについてはすみやかに適当な治療を行い、その健康回復につとめることがきわめて必要であることは論をまたない。しかしながら、いうまでもなく放射能による障害の有無を決定することは、はなはだ困難であるため、ただ単に医学的検査の結果のみならず、被爆距離、被爆当時の状況、被爆後の行動等をできるだけ精細には握して、当時受けた放射能の多寡を推定するとともに、被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は原爆に基づくか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。」ことを明らかにした。

(原爆の投下による被爆自体、被爆による被害等の特殊性(一回性)、国家補償法的配慮を根底とする原爆医療法の性格、立法当時における医学等の水準及びこれについての国(内閣・厚生省)の認識等にかんがみると、原爆医療法八条一項の「当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定」を受けようとする被爆者は、被爆者は、被爆した事実を明らかにする事実説明書等、被爆時受傷から申請時に至る間の発傷病の推移等を明らかにする諸検査結果、診断結果資料のほか、申請当時公刊された学術研究書等、一般人が通常利用可能な医学、化学、物理学等の科学関係資料や医師らの鑑定的意見書等によって、申請者の罹患した負傷又は疾病は原爆の放射線を原因とするものとの可能性が原爆の放射線以外のものを原因とするものとの可能性より相対的に高いことを証明すれば足り、その場合には厚生大臣は原爆医療法八条一項の「認定」をしなければならないものと考えるのが正当である。そして、厚生大臣において、申請に対する処分を行う当時、特別に利用可能な資料等に基づいて申請者において相対的に放射線によるものとした申請にかかる負傷又は疾病が放射線によるものではなく、原因が他にあると確定判断できるときには、その旨及び内容を明示して原爆医療法八条一項の認定申請を却下することができるものと考えるべきである。



2 原告の被爆と肝機能障害及び白血球減少症の発症の機序との関連について

() 主として医学上の観点からする検討
原告は広島原爆の投下時に爆心から1.8km離れた広島市皆実町の船舶通信補充隊の通信講堂内において原爆に被爆し、身体に放射線の照射を受けた後、同日(昭和2086日)放射線降下物である黒い灰を身体に被ったほか、呼吸時にこれを吸入し、通信講堂内において受けた顔面の傷害部位からも放射性物質を体内に取り込み、さらに同日から同月13日まで同町内の通信講堂付近、比治山付近、宇品の陸軍船舶練習部付近において救護作業に関与しつつ生活を続けた間に、残留放射線による照射を受けたほか、土砂、瓦礫等の埃、塵芥とともに放射性物質を吸入し、また食物、水等とともにこれらを摂取し、顔面の傷害部位からこれらを体内に取り入れた事実等からして、原告は、初期放射線の照射を受けたうえ、残留放射線による照射とともに放射性物質の相当量を体内に取り込み、体内において長期間にわたって放射線による照射を受けてきたものと認められる。
一般に肝機能障害の原因として放射線の被曝のほかに、アルコール、ウイルス、細菌、肥満、薬剤、腫瘍等が挙げられるが、原告についてはアルコールの多量摂取、白血球及び赤血球の増加剤以外の薬剤の使用、肥満、腫瘍などがあったとは認められず、本件処分までにウイルス等の感染があったとの資料もない。
また、昭和605月の診察検査の結果等からして、原告の白血球減少は白血球を構成する好中球の減少によるものと認められる。そして、一般に好中球の減少の原因として挙げられる放射線、脾腫を伴う疾患(脾機能亢進症及び肝硬変症等)以外の感染症(ウイルス感染症、腸チフス等)、骨髄抑制因子の作用(抗癌剤等)、血液疾患、全身性エリテマトーデス、悪液質、アナフィラキシー様ショック、遺伝性疾患に原告が罹患したことを窺わせるに足りる経過又は資料等はない。
脾腫と白血球減少症との因果関係については、肥大した脾では赤色髄の増大に伴い、血球捕捉、破壊能力が増し、その結果骨髄での造血は正常ないし亢進しているにもかかわらず、末梢血中では血球が減少するという経過を辿るものと理解されるが、原告には二度にわたる骨髄検査によって骨髄の低形成が見られる点などからして、原告の白血球減少症が慢性肝炎又は肝硬変を原発性疾患とする脾機能亢進症によるものとの見方は採用しえない。
以上の検討の結果、主として医学的な観点から考えると原告が昭和20年秋ごろから本件処分時に至るまでほぼ継続して自覚してきた脱力感、易疲労感、食欲不振等は白血球の減少によるもの、肝機能障害によるもの、その双方を原因とするものとの可能性が、その他の事由を原因とするとの可能性より相対的に高いと認められるし、昭和20年秋以降の脱毛、歯茎からの出血も被爆時の放射線の影響によるものと見るほかなく、これらの点等に加えて昭和40年から昭和60年までの白血球数、肝機能検査の結果等からして昭和6011月当時には原告には白血球減少症と肝機能障害があってこれらが前記の各態様による広島原爆の放射線被爆(照射)により発症したものと見ることが相対的に最も可能性の高いものであると認められる。

() 物理学等上の知見と因果関係の存否の検討
一般に、物理学等において特定の原因と特定の結果の間における因果法則の存在を主張する命題を、有意の同一条件のもとでの実験により当該原因から当該結果が発生することを確認(検証)することができる分野が存在することは周知のことである。しかしながら、本件における証明命題のように、証明対象に多数の因果法則が関与しまた多数の現象が介在するものであったり、人為的に特定の原因を与えて結果の発生の有無を確認することが許されないような場合であったとすると、原因から結果に至る家庭を細分化して各部分に関する複数の法則を組み合わせたり、総合するなどして結果の予測をせざるをえないことがある。このような場合には、利用しようとする諸法則自体の正確性等のほかに、これらが当該命題の証明に適するものであるか、実験条件が有意に同一であるか、組み合わせ等の総合あるいは解釈が正当であるかなどの複雑かつ難解な問題が生じ、確定的な事実予測をすることが困難なことが多い。
本件においても、広島原爆の被爆により原告が肝機能障害、白血球減少症に罹患したかどうかが証明対象であって、これが人為的に有意の同一実験条件下での確認を許さないものであるばかりか、広島原爆が歴史上ただ一つ製造投下されたものであって、長崎原爆のようにその後も同一型の爆弾実験が行われてものではないことが一層問題を困難なものとしてきたのである。この点は広島原爆の出力の推定、エネルギースペクトルの確定(推定)等に反映し、それぞれに見解が分かれ、いまだ議論が続けられ、特に爆心地から1000m以遠での中性子線量に関しては本件においても賛否両説からの論説が提出された状況にある。
T65DにしてもDS86にしても、ネバダ実験場による実験結果を基礎にした出力計算、放射線の空中輸送計算、放射線測定等、個々的には有意の同一実験条件下での確認を経たものを含み、これらが全体として科学的な推定体系であることが否定されるものではない。しかし、本件における原告のような複合的な放射線被曝があった場合における被曝線量全体を推定するには適さない点(顔面傷口からの体内取入れ量、食事、呼吸時の摂取量は不明であろう。)もあり、これらの線量推定方式に基づいて被曝線量を原告の被曝線量として確定的な前提とすることは相当ではない。
また、被告らの挙げるしきい値論も放射線治療の現場等における人体照射における障害発生の線量をいうものであって、動物実験による報告では実験条件に対する評価も異なりうるほか、比較的短期間における照射とそれに対する反応を観察した結果の知見であるから、これまた原告におけるような四〇年以上に渡るそれも放射性物質の体内取り込みをも含む大量の被曝による人体に対する影響の有無を論ずる場合においては、その有効性に疑問を呈さざるを得ないであろう。
原告の生育歴、被爆時の状況、発病前後の健康状態、症状の推移、医学上の知見等とその検討に加えて、物理学等の知見とそれに関する被告らの主張する諸点を考慮しても、当裁判所の先の認定判断を維持するのが相当である。



3 原告の「要医療性」について

原告は現在においても、疲労感、倦怠感、食欲不振が続いており、日常にあっては午前中は横になって休養を取って過ごし、時間かけて家事を行い、裁判用務、通院のほかは外出することが少ない生活を送っている。また、依然として白血球減少症状が継続し、これが骨髄の低形成像が示唆する造血機能障害によるものと認められることが~、免疫機能の低下が懸念されるとともに、肝機能障害については現在通院先の病院においてはC型慢性肝炎と診断され、前記医学上の知見として確定したとおり、肝硬変への移行が予測されるが、その移行診断は臨床上も用意ではないことから、慎重な経過観察、各種検査が必要とされていることが認められる。また、当然に全身状態の維持にも厳重な観察を要するであろうし、急激な衰弱等が生じた場合には応急的な治療が迫られることも十分予想されるところであるから、原告は少なくとも四週間に一度程度の定期的な医師の診察のほかに、適時の応急的な治療などをも必要とすると認められるから、原告は原爆医療法七条一項に定める「医療を要する状態にある」と認めるのが相当である。



4 本件処分の違法性について

原告が本件処分当時に罹患していた肝機能障害及び白血球減少症状は、これらが放射線被曝以外の原因によるとの可能性より放射線被曝による可能性が最も高かったのであるから、被告厚生大臣としてはこれらの疾病が原爆医療法八条一項の「原子爆弾の傷害作用に起因する」との認定処分をするべきであったところT65Dの被曝線量推定体系及びいわゆるしきい値論にしたがい原告について「起因性」を否定する意見を提出した原爆被爆者医療審議会に同調して本件処分を行ったと認めるほかない。してみると、本件処分は、行政処分の基礎となる事実の認定を誤った重大明白な瑕疵があり、違法なものとして取消を免れない。



5 被告厚生大臣の故意又は過失について

() 本件処分当時の医療審議会において、被曝線量推定体系のT65Dによる線量評価基準にしたがって申請者の被曝線量を推定し、推定した線量を前提として申請にかかる疾患の原爆放射線「起因性」を判定するのが例であり、原則として委員が申請者の被爆に関する状況資料等に目を通すことも、申請者を診察することもなく、申請者の主治医から意見を聴取せず、申請案件に関する要点を記載した書面によって一件あたり数分間の検討をして結論を出すのが通常の扱いであり、審議の記録は係官がメモ程度のものを作成するに過ぎず、委員の確認を得るような議事録は作成されなかった。

() 被告らは、本件処分に関する医療審議会における審議内容についてはなんら主張立証をしなかったから、これを右に認定したと同様のものと推認するほかなく、審議時間からしても、本件申請について推定線量とししきい値によって原告の申請にかかる肝機能障害及び白血球減少症状について、被爆時の状況、その後の病歴、現症状を総合的に検討することなく、これらの疾病が原爆放射線による可能性が否定できるとの結論を出したと見るほかない。この審議の実態は、被告らが本訴で主張した審議のあり方に反するばかりか、厚生省公衆衛生局v法の「治療指針」「実施要領」にも反するものであり、その審議の結果は、従来の認定例との整合性を欠くものもあり、当裁判所の判断からしても支持しえないものであって、少なくとも過失により審議会として払うべき注意義務に反した違法のものとの誹りを逃れない。

() 被告厚生大臣としては医療審議会の審議実態が前項のような違法のものであることを知っていたか、少なくともこれを知るべき立場にあったのに、格別の是正措置をとることもなく、たやすく医療審議会の意見に同調して処分の前提となる事実の認定を誤り違法な本件処分をするに至ったから、同被告においても少なくとも過失があったというほかない。



6 原告の損害額について

原告は、被告厚生大臣の違法な行為がなければ、原爆被爆者特別措置法二条等に基づいて、本件処分申請の日の属する月の翌月である昭和606月から平成102月までに総額18753570円の特別手当又は医療特別手当を受給することができた筈であった。また、本件違法行為によって受けた精神的な損害に対する慰謝料額は30万円を下らない。

以上




「原子爆弾後障害症治療指針について」厚生省公衆衛生局長通知(昭和33年8月13日)

 




原子爆弾後障害症治療指針について



(昭和三三年八月一三日)
(衛発第七二六号)
(各都道府県知事・広島・長崎市市長あて厚生省公衆衛生局長通知)




標記については、かねて検討中であったが、今回原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞き、これを別紙のとおり定めたので了知されるとともに、指定医療機関に対する周知方についてよろしく御配意願いたい。
なお、この指針は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律第一一条第二項の規定に基くものではなく、この指針による治療は、あくまで同条第一項の健康保険の診療方針中に含まれるものであって、特に留意すべき事項を定めるものであるので、念のため申し添える。
おって、昭和三二年五月一四日衛発第三八五号「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律による診療方針等について」(各都道府県知事、広島・長崎市長あて、公衆衛生局長通知)は、廃止する。


別紙
原子爆弾後障害症治療指針
この指針は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基き医療の給付を受けようとする者に対し適正な医療が行われるよう、原子爆弾の傷害作用に起因する負傷又は疾病(以下「原子爆弾後障害症」という。)の特徴及び患者の治療に当り考慮されるべき事項を定めたものである。


一 総説
1 原子爆弾後障害症の特徴
原子爆弾後障害症を医学的にみると、原子爆弾投下時にこうむった熱線又は爆風等による外傷の治癒異常と投下時における直接照射の放射能及び核爆発の結果生じた放射性物質に由来する放射能による影響との二者に大別することができる。
すなわち、前者は原子爆弾熱傷の瘢痕異常で代表されるものであって、一般熱傷の場合とはその治癒経過その他に相異が認められ、また、爆風による直接的又は間接的外傷にしてもその治癒の様相に一般の外傷と多少の相異の認められるものが少なくない。
後者は造血機能障害、内分泌機能障害、白内障等によって代表されるもので、被爆後一〇年以上を経た今日でもいまだに発病者をみている状態である。これらの後障害に関しては、従来幾多の臨床的及び病理学的その他の研究が重ねられた結果、その成因についても次第に明瞭となり、治療面でも改善が加えられつつあるが、今日いまだ決して十分とはいい難い。従って原子爆弾後障害症の範囲及びその適正な医療については、今後の研究を待つべきものが少くないと考えられる。
2 治療上の一般的注意
(1) 原子爆弾被爆者に関しては、いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え、その経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければならず、原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上、被爆者の受けた放射能特にγ線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然想像されるが、被爆者のうけた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり、また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが、治療を行うに当っては、特に次の諸点について考慮する必要がある。
イ 被爆距離
この場合、被爆地が爆心地からおおむね二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。
ロ 被爆後における急性症状の有無及びその状況、被爆後における脱毛、発熱、粘膜出血、その他の症状をは握することにより、その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある。
(2) 原子爆弾後障害症として比較的明瞭なものは、瘢痕治癒異常、造血機能障害、内分泌機能障害、白内障等であるが、この外、肝機能障害、各種腫瘍等種々の続発症の生ずる可能性も考慮しなければならない。
(3) 原子爆弾後障害症においては、その症状が一進一退することが多いので、治療を加えた結果一応軽快をみても、その後における健康状態には絶えず注意を払う必要がある。
(4) 原子爆弾被爆者の中には、自身の健康に関し絶えず不安を抱き神経症状を現わすものも少くないので、心理的面をも加味して治療を行う必要がある場合もある。
(5) 原子爆弾後障害症については、全身的な補強が、肉体的にはもちろん精神的にも好影響をもたらす場合が少くない。
特に全身衰弱の認められるものには、量的及び質的に十分な栄養の補給、強壮剤の投与を行うとともに、各種のストレスに対する予備能力の低下傾向に注意する必要がある。


二 各論
1 造血機能障害の治療
原子爆弾後障害症のうちで最も変化が著しく、発現率の高いのは、造血機能障害である。
これには、放射能の照射によってひき起こされた障害が遅れて現われる後発症状と傷害の後遺症ともいうべき症状との二種類がある。すなわち、後年における白血病の発生等は前者に属し、また、常に幾分の貧血や白血球減少が認められ、必要な場合に白血球の調節が十分でないというような例は障害を受けた機能の回復が不十分なものであって後者に属する。ただし、実際にはこの両者を厳密に分けることの困難な場合が多く、また一見順調に機能が維持されているかにみえるものでも、将来突然変調をきたす場合もあるので注意する必要がある。原子爆弾後障害症としての造血機能障害が一般の造血機能障害とその発生機序がどのように異なるかについては、必ずしも明瞭でなく、従ってその治療に際しては一応既知の造血機能障害に準じて取り扱うこととなる。
また、造血機能障害が放射能によるものか否かの鑑別診断がかなり困難な場合が多いので、被爆者について他の原因が認められない場合には、一応被爆の影響を除外し得ないものとして治療を行う必要がある。

(1) 貧血の治療
イ 造血剤によって回復を期待し得る貧血
(イ) 小血球性低色素性貧血
これらは一般に鉄不足の状態にあり、また骨髄中にも細胞の増殖を認められるものが少なくないが、鉄剤の使用により回復させ得る場合が多い。ただし、出血、寄生虫症等他の原因を十分考慮して除外する必要がある。
(ロ) 大血球性高色素性貧血の一部
これはやはり骨髄中に細胞の増殖がみられる場合であって、一般には肝製剤、ビタミンB12、葉酸等が有効である。
ロ 造血剤のみの使用によっては回復の不可能な貧血
正常血球性(正常色素性)貧血、大血球性(高色素性)貧血の一部等は一般に骨髄が再生不良性の状態を示すが、なかにはむしろ細胞数の多くみられるものもあり、この所見は細胞の成熟障害あるいは部位的な細胞増殖と考えられるもので、これに対しては各種造血剤の使用、輸血、摘脾等の治療が有効な場合がある。
しかし、この種の貧血で高度の場合には、再生不良性貧血に準じて取扱うことが必要である。
また輸血は原則的に造血剤の使用後その経過をみて行うが、貧血が高度の場合には必要に応じて行う。
(2) 多血の治療
軽度の赤血球増多には、特殊の治療を要しないが、高度のものは一般の多血症に準じて治療を行う。
(3) 白血球減少(顆粒球減少)の治療
一般に骨髄に著変を認めない軽度の白血球減少は他に特別の所見のない限り、対症療法を用いるに止める。
また、白血球減少の高度のもの又は他の病状を伴うものにあっては、一般の白血球減少症に準じて治療を行う。
(4) 白血球増多の治療
放射能以外の原因を十分考慮したうえ、白血球増多の高度なものについては白血病への移行を検討する必要がある。
(5) 再生不良性貧血の治療
再生不良性貧血には次の治療を行う。
イ 多種造血剤の使用
ロ 輸血
ハ 必要に応じて摘脾
ニ 非特異性蛋白剤、ホルモン剤、ビタミン剤の使用
ホ 抗生物質の投与
ヘ その他必要に応じた治療
(6) 顆粒球減少症の治療
顆粒球減少症には次の治療を行う。
イ 各種白血球増多性製剤(核酸物質を含む)及び造血臓器製剤の使用
ロ 輸血
ハ 摘脾(脾の抑制作用が考えられる場合)
ニ 非特異性蛋白剤、ホルモン剤、ビタミン剤の使用
ホ 抗生物質の投与
(7) 出血性素質の治療
出血性素質には次の治療を行う。
イ 各種造血剤の投与
ロ ビタミンD、K、C剤、カルシウム剤の使用
ハ 輸血
ニ 摘脾
ホ ACTH、コーチゾン等のホルモン剤の使用
ヘ その他必要に応じた治療
(8) 白血病の治療
白血病には次の治療を行う。
イ 輸血
ロ 各種白血球減少性製剤(抗白血病製剤)の投与
ハ 放射性燐の使用
ニ ACTH、コーチゾン等ホルモン剤の使用
ホ 抗生物質の投与
ヘ その他必要に応じた治療
(9) 造血機能障害の治療に関する注意
イ 貧血、白血球減少症、血小板減少症はしばしば併存していわゆる汎骨髄瘻の形をとる。従ってその治療も全般的に行う必要のある場合が多い。
ロ 造血機能障害の場合にも一般栄養状態及び合併症に対する治療を必要とする。


2 内分泌腺機能障害の治療
原子爆弾後障害症としてみられる内分泌腺機能障害は主として副腎皮質機能障害、性腺機能障害、甲状腺機能障害であるが、これらは特に放射能に基くか否かの判断が困難な場合が多いので、可能な限り他の原因を排除し、原因の明瞭でないものは被爆による影響の可能性を考慮して治療を行わざるを得ない。
その治療法は一般の副腎皮質機能低下及び性腺機能障害の治療に準ずる。ただし、内分泌機能障害が造血機能障害等と共存する場合が多いので、この場合は両者の治療を同時に行う必要がある。
3 肝機能障害の治療
放射能が肝機能に及ぼす影響についてはいまだ明瞭でない点が多いが、原子爆弾後障害症として肝機能障害を生ずることがあると一般に考えられている。
この場合には一般の肝機能障害に準じて治療を行う。
4 熱傷瘢痕異常の治療
原子爆弾熱傷部の瘢痕は、種々の異常状態を呈して今日に至っているが、それに対する治療方針の検討に際しては、まず、原子爆弾熱傷の特殊性を考慮し、次いで、それら瘢痕の性状、経過及び現状を観察して対策を講ずべきである。しかし、事件発生後一〇年余の経過した今日、それらの瘢痕異常は、すでに固定期に入るものと考えられるので、今後に於ける実地上の治療方針については、大体において、他の原因で発生した熱傷瘢痕の異常と同様の線に沿って検討してもさしつかえない。
原子爆弾熱傷の瘢痕異常で、今日において治療を必要とするものは、瘢痕肥厚、均縮等に基く醜形ないし機能障害であり、治療術式としては、瘢痕の除去、植皮による形成等を主体とする外科的方法であるべきであろうが、原子爆弾熱傷の特殊性に基いて、それ等の異常な治療が極めて困難であり、種々努力を重ねても十分に満足すべき成績を挙げにくいことがある。従って、これらの瘢痕異常の治療にあたっては、適応の選択を厳正にしなければならない。特に、美容のみを目的とする治療に際しては、一層慎重に適応の選択に当ることが必要である。
原子爆弾熱傷の瘢痕異常に対する外科的形成治療法の実施に際して、一般的に注意を要することは、次の諸点である。

(1) 肥厚ないしケロイド化瘢痕の除去は完全に行うことを原則とすべきである。特に機能障害の治療にあたっては、部分的な切除だけでは、永続的効果をもたらし得ないことが多い。
(2) 皮膚の移植は自家皮膚移植法が原則とし、十分に余裕をもった移植片を用うべきである。遊離切断皮膚片の外、必要に応じては、有茎性、特に管状有茎移植法或いは埋没移植法等の応用されることが望ましい。植皮術における移植皮膚片、特にその厚さの選択については、被覆すべき欠損部の大きさ、深さ、移植床の状況等に従って、慎重に考慮しなければならない。例えば同じくシュールシュ氏法による皮膚片であっても、少し大形のものを用いる場合には、やや厚めのもの(デルマトームがあれば適宜に加減が出来る)を用いると、種々の点で都合がよい。
(3) 高度畸形の外科的矯正術に際しては、深部組織としての腱筋膜、筋肉、骨等の変状は勿論のこと、特に血管及び神経の収縮固定状態に注意し、慎重周到な対策をもって臨まなければならない。そうでないと、機能の改善が得られないばかりでなく、その部の循環障害ないし壊疽を来たして、かえって目的に反することがある。
(4) 美容的治療法としての意味が多い施術に際しては、一般に漸進的方策のとられることが望ましい。そして皮下の瘢痕組織等を形成部下敷用として利用すること等の注意が必要である。特に発育期にある小児においては、これらの注意が必要である。
(5) 今日においても、形成治療の後に、まれには、皮膚縫合部瘢痕が軽度ながら肥厚ないしケロイド化の傾向を示すことがあるが、これを、原子爆弾障害の影響によるケロイド素質が残っているものと考える前に、形成治療法の手技に欠けるところがないかを反省してみることが必要である。
従って美容を主目的とする治療に際しては、残存皮膚縁部の取扱いは特に庇護的にし、縫合針並びに縫合絲等もなるべく細小のものを用いるべきである。
なお身体のいずれの部分を問わず、熱傷瘢痕の部に難治の潰瘍を残し、あるいは時々潰瘍形成を繰り返す場合には、必ず、適宜植皮法によって被覆治癒させなければならない。潰瘍形成に至らないまでも、瘢痕部に時々皹裂を発生するような場合も、前項に準じて処理すべきである。これらの注意は、いうまでもなく、皮膚癌発生の危険を未然に防止しようとするためのものである。

5 眼障害の治療
眼科領域における原子爆弾後障害のうち、治療を要するものは、主として直接の眼外傷による後遺症と放射能性白内障とであるが、その他、眼機能の異常等も、稀には、存在することがある。以上の場合の治療法は、次に掲げるもの以外は、一般の治療法に準じて、適宜行うものとする。

(1) 眼外傷による後遺症の治療
原子爆弾による眼外傷は、主として熱線による火傷と爆風のため飛来した異物による損傷であるが、これらは何れも前述の熱傷瘢痕異常の治療を参考の上、一般眼外傷の後遺症に準じて治療を行う。
(2) 放射性白内障の治療
原子爆弾による白内障は、被爆時瞬間的に放射されたγ線及び中性子によって生じた放射能性白内障であって従来知られているX線又はラジウムによる放射能性白内障に類似している。
放射能性白内障に水晶体の溷濁が進めば他の原因による白内障と区別することが困難であるが、原子爆弾後障害症としての放射能性白内障は、おおむね、爆心地から比較的近距離で被爆した者に現われるので、特に他の原因の明らかなものを除き、近距離で被爆したものの白内障は、放射能性白内障として処理せざるを得ないことが多い。
原子爆弾後障害症としての白内障の治療はおおむね一般の白内障の治療に準じて行う。





2017年5月2日火曜日

原爆症認定訴訟において被告(国)が行っている主張とは






だが、全国の各裁判所は

被告(国)の主張を退ける判決を次々と下した