2018年3月5日月曜日

被爆者援護法案に関する経緯の議事録

第130回国会 内閣委員会 第1号
平成六年九月六日(火曜日)


ところで、官房長官、被爆者援護法の問題です。官房長官は会見されておりますけれども、次の臨時国会で政府として提案するお考えがあるのかどうか、まずお聞かせ願います。
○国務大臣(五十嵐広三君) 大変難しい問題であることは改めて申すまでもないのでありますが、しかしながら、現在与党内に戦後五十年問題プロジェクトが設けられまして、そこでも鋭意検討を始めたところでございますので、そういう検討の状況を見ながら政府としてもいろいろな努力をさせていただいて、できれば結論を得て国会に御提案できるような状況にしたい、こういうぐあいに思っているわけですが、なかなか困難な状況であることは重ねて申し上げておきたいと思います。
○木庭健太郎君 一応の考え方は、政府提案と議員立法という考え方がやり方としてあると思うんです。方向としてはどっちを目指すような格好になるんでしょうか。
○国務大臣(五十嵐広三君) それはもとより、もう少し与党間の議論を見てからでなければ結論は得られないというふうに思います。
○木庭健太郎君 そういう段階で、官房長官が現行二法を一本化していわば国家補償は見送りととれるような発言をしたことは、これは極めて遺憾である。さっき官房長官はおっしゃっていましたけれども、政策の変更もある、いいものはいいものとして残していくんだ、お互い努力しながら詰めていくんだ、社会党の立場じゃ言えないというお話がさっきありました。
少なくとも官房長官としては、この国家補償という問題は、被爆者にとっても、また我々と一緒に積み上げてきた経過、私は社会党の皆さんと被爆者援護法を一緒にやりました。参議院で二回通しました。そういう経過を踏まえるならば、官房長官として、国家補償ができないということになるならば国家補償の精神をどう生かすかとか、そういうぎりぎりの努力をなさらなくちゃいけないのに極めて遺憾な発言をされている。これじゃ社会党が政権に入った意味がないじゃないですか。自民党が今まで言ってきたことをそのままのむような話をされている。これじゃ何のための社会党が入った政権か、まさに今言われている後退、すべて後ろ向きになってしまうじゃないかと思う。この点について見解を聞いておきたい。
○国務大臣(五十嵐広三君) もとより、我々としてはこういう困難な問題であるからこそ真正面から取り組んでいこう、こういうようにも思っているわけであります。
戦後補償の問題もそうでありますし、この被爆者援護の問題もそういうことであって、木庭委員が今日まで大変この問題について熱心にお取り組みいただいていることも我々もよく承知している、ところであります。今までの与野党の御議論をいただいてきた経過、そういうものもよく我々としては勉強をさせていただいているところであります。加えて、非常に困難な問題ではあるが、そういう条件ぎりぎりのところでどんなことが一体可能なのかということを真摯に今検討しておりまして、そういう意味では決して後退というものではなくてむしろどうにかしたいと、本当にそういう気持ちで今取り組ませていただいておりますので、またいろいろ今後とも与野党のお知恵をぜひいただきたい、こういうふうに思う次第であります。
○木庭健太郎君 現時点では、国家補償という問題も含めて、与党、政府あわせて検討をなさっているという考え方でよろしいわけですね。
○国務大臣(五十嵐広三君) 少なくとも、私ども政府側の検討の中では、これは国家補償という立場からは非常に難しいというふうに思っております。与党の方は必ずしもそういう前提条件のもとに御議論をしているというものではないと思いますが、我々の検討の経過からいくと極めて難しい。そういう難しいという状況を踏まえながら、可能な方途を全力を挙げて探っているということであります。
○木庭健太郎君 政府が難しいのは本当は原爆の基本懇があるからなんですよ。本来、政府そのものの考え方を変えようと思えば、基本懇をもう一回起こすなりやり方があるのですよ。そういうことも、官房長官、考えてくださいよ。今までのこの基本懇を受けた経過の中でも、これだから政府としては変えられないと、こう言って考えるのではなくて、この基本懇のあり方を変えていけば全体を見直すことができるわけです。そういう視点もぜひ持っていただきたいことを要望しておきます。




第131回国会 厚生委員会 第8号
平成六年十一月二十五日


順次趣旨の説明を聴取いたします。井出厚生大臣。
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原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案
〔本号末尾に掲載〕
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○井出国務大臣 ただいま議題となりました原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案について、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
我が国は、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、核兵器の究極的廃絶と世界恒久平和の確立を全世界に訴え続けてまいりました。また、被爆者の方々に対しましては、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律に基づき、医療の給付、手当等の支給を初めとする各般の施策を講じ、被爆者の健康の保持増進と福祉を図ってきたところでありますが、高齢化の進行など被爆者を取り巻く環境の変化を踏まえ、現行の施策を充実発展させた総合的な対策を講ずることが強く求められてきております。
こうした状況を踏まえ、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原爆死没者のとうとい犠牲を銘記するため、この法律案を提出することとした次第であります。
以下、その主な内容について御説明申し上げます。
第一に、この法律におきましては、特に前文を設け、法制定の趣旨を明らかにするとともに、国の責任において総合的な被爆者対策を実施することを明確にすることとしております。
第二に、被爆者であって、広島及び長崎で被爆し葬祭料制度の対象となる前に死亡した者の遺族である方に対し、特別葬祭給付金を支給することとしております。
第三に、国は、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験を次の世代に伝えるとともに、原爆死没者の方々に対する追悼の意をあらわす事業を行うこととしております。
第四に、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律に基づく各種の手当等につきましては、これを引き続き支給することとしておりますが、健康管理手当等の手当に現在設けられている所得制限につきましては、これを撤廃することとしております。
第五に、福祉事業の実施及びこれに対する補助を法定化するとともに、原子爆弾の放射能が身体に及ぼす影響についての調査研究を促進するための規定の整備を図ることとしております。
以上のほか、各種手当等の支給とともに、被爆者対策の柱となっております医療の給付につきましても、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基づく施策を引き続き行うこととしております。
なお、この法律の施行期日は、平成七年七月一日としております。
以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
○岩垂委員長 斉藤鉄夫君。
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原子爆弾被爆者援護法案
〔本号末尾に掲載〕
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○斉藤(鉄)議員 私は、ただいま議題となりました原子爆弾被爆者援護法案につきまして、改革を代表して、その提案の趣旨を御説明申し上げます。
昭和二十年八月、広島市、次いで長崎市に投下された原子爆弾は、一閃両市を焦土と化し、実に三十万人余のとうとい生命を奪ったのであります。
人類史上初の原子爆弾被爆国となった我が国は、このような非人道的な悪魔の兵器とも言うべき原子爆弾の惨禍が、地球上のいかなる地点においても再び繰り返されることのないように真摯な祈りを込めて、核兵器の究極的廃絶と恒久平和の確立を全世界に訴え続けなければなりません。
この原爆による被害は、通常の爆弾等地のいかなる兵器による被害とも比べることのできない特異な質的損害及びはかりがたい量的損害をもたらしました。
すなわち、核爆弾破裂時に放射される強烈な放射線、熱線及び爆風は、その複合的効果によって、大量かつ無差別に市民を殺傷し、あらゆるものを破壊し尽くしました。また、爆発時に空中で生成された強い放射能を持つ核分裂生成物、いわゆる死の灰は、地上にちりや黒い雨となって降り注ぎ、奇跡的に一命を取りとめた人たちにさらなる放射線被曝を与えたのみならず、体内に入り込んで深刻な放射線体内被曝をもたらしたのであります。被爆者は、この世の出来事とは思われない焦熱地獄を身をもって体験し、放射線被曝による生涯消えることのない傷跡と原爆後遺症に苦しみ、子孫に対する影響におびえ、一層健康破壊が進む中で老い、貧困や孤独に悩まされつつ、半世紀が過ぎようとしているのであります。また、被爆直後の急性原爆症に加えて、白血病、甲状腺がん等の晩発性障害があり、これらは、被爆後数年ないし十年以上経過してから発生するという恐ろしい特異性を持つものであり、この点が一般の戦災による被害と比べ、際立ったものと言うことができるのであります。
このように、被爆者の健康上の障害がかつて例を見ない特異かつ深刻なものであることを考えれば、国は社会保障の観点から被爆者対策を講じなければならないことは当然でありますが、昭和五十三年の最高裁判決が判示するように、かかる特殊な戦争被害の原因をさかのぼれば、戦争の遂行主体であった国の行為に起因する被爆によって健康が損なわれ生活上の危険ないし損失が生じたものであるという観点に目を閉じることは許されません。つまり、原爆医療法及び原爆特別措置法のいわゆる現行二法も、社会保障と国家補償の二つの側面を有する複合的性格を持っているということであります。このことは、前述の最高裁判決では、「国家補償的配慮」という言葉で表現されております。また、昭和五十五年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の報告書では、広い意味での国家補償という表現になっております。したがって、原爆被爆者対策が国家補償的配慮に基づいて行われるべきということの国民的合意は形成されていると言わなければなりません。
改革は、かかる事実を直視して、国家補償的配慮を制度の根底に厳然と据えて、葬祭料制度発足前に亡くなられた原子爆弾死没者の遺族に対する特別給付金の支給を含め万全の援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者のとうとい犠牲を銘記するための事業を行うため、この法案を提案することとしたものであります。
以下、本法律案の概要を御説明申し上げます。
まず第一は、健康管理及び医療の給付であります。被爆者の健康管理のため毎年健康診断を行うものとするとともに、被爆者の負傷または疾病につき医療を受けたときは、当該医療に要した費用を限度として、一般疾病医療費を支給することといたしました。
第二は、被爆者年金を支給することであります。被爆者の健康障害の程度に応じて年額最低二十万四百円から最高六十万円(原子爆弾の放射能の影響による小頭症の患者である者にあっては五十五万九千二百円を加算した額)までの範囲内で年金を支給し、年金額は物価スライド方式による改定を行うものとし、その他医療手当、介護手当を所要の者に支給することとし、これらの給付についてはすべて所得制限を行わないことといたしました。また、被爆者が死亡したときは、葬祭を行う者に対し、葬祭料を支給することといたしました。
第三は、特別給付金を支給することであります。葬祭料制度発足前に亡くなられた原子爆弾死没者の遺族に対し、国家的関心の表明として。また、核兵器廃絶の祈りを込めて、特別給付金として十万円を、二年以内に償還すべき国債をもって交付することとしました。
第四は、福祉事業として、相談事業のほか、居宅において日常生活を営むに必要な便宜供与事業及び養護事業を行うことといたしました。
第五は、平和祈念事業を行うことであります。国は、原子爆弾によるとうとい犠牲を銘記し、かつ、恒久平和を祈念するための事業を行うこととしました。
第六は、厚生大臣の諮問機関として原子爆弾被爆者援護審議会を設けることとしました。
第七は、国は、この法律の規定により都道府県が行う事業に要する費用の全部または一部を補助することとしました。
第八は、放射線影響研究所の法的な位置づけを明確にするとともに、必要な助成を行うこととしました。
なお、この法律は平成七年七月一日から施行することとするとともに、現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を廃止することといたしました。
以上が、この法律案の提案の趣旨でございます。
何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに可決されるようお願い申し上げます。
○岩垂委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。
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○岩垂委員長 この際、委員派遣承認申請に関する件についてお諮りいたします。
両案につきまして、審査の参考に資するため、委員を派遣いたしたいと存じます。
つきましては、議長に対し、委員派遣承認の申請をいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○岩垂委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
なお、派遣地、派遣の期間、派遣委員の人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○岩垂委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
―――――――――――――
○岩垂委員長 次に、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
両案審査のため、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その日時、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○岩垂委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
―――――――――――――
○岩垂委員長 これより質疑に入ります。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。荒井広幸君。
○荒井(広)委員 私は、自由民主党を代表しまして、ただいま提案理由説明のありました原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案及び原子爆弾被爆者援護法案につきまして、特に特別葬祭給付金及び特別給付金に関する事項を中心に質問をさせていただきたいと思います。
まず、大臣にお尋ねをさせていただきますが、私、大臣の御説明等々もっともであるというふうにお聞きをいたしておりますが、この問題は国民の皆様方に広く理解をいただける中で行われる、もちろん大変なつらい思いをされた被爆者の皆様方に対しても国民が本当に同じ気持ちで対応する、こういう中で当然この議論は進められなければならないものだと思っております。広島、長崎に原子爆弾が投下されてから、我が国が本当に貧しい時代もありましたし、そういう関係で原爆被爆者の方々に十分な対策を行うことができない、こういう時代にお亡くなりになった方もいらっしゃいました。また、御家族の、我々戦後生まれですから本当に想像を絶する、また特殊な犠牲ということもありまして想像を絶するつらいものがあった、言葉では言えないものがあったと御想像申し上げます。
こうした事実を踏まえまして、また同時に戦後五十年、これを機に、こうした御苦労を経験された方々に対して今度の法案ではどのような給付を行うのか、この点につきまして改めて大臣の御見解をいただきます。
○井出国務大臣 お答えいたします。
原爆の投下から被爆者対策の充実を見るまでの間に亡くなられた方が経験された苦難は、本当に想像に余りあるものがございます。そのことから、自分自身も被爆者としてこうした死没者の苦難をともに経験された遺族の方は、今なおいわば二重の意味で特別な不安や精神的な苦悩を有していらっしゃるものと考えるものであります。したがいまして、この際提案申し上げております特別葬祭給付金は、このような観点から、被爆後ちょうど来年五十年になります、五十年のときを迎えるに当たり、こうした方に対し、生存被爆者対策の一環として国による特別の関心を表明し、生存被爆者の精神的な苦悩を和らげようとするものでございます。
具体的には、原爆の投下から葬祭料制度の対象となる前に亡くなられてしまった方、原爆死没者の御遺族であって御自身も被爆者である方に対し、十万円を二年償還の交付公債により支給しようとするものであります。
以上でございます。
○荒井(広)委員 そこで、改革案の、法案名がきのう出てきたということでございますが、いわゆる原子爆弾被爆者援護法案についてお尋ねをさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
この法案においては、特別給付金の支給が規定されております。その趣旨及び内容をもう一度簡潔にお願いいたします。
○初村議員 荒井委員の御質問にお答えをしたいと思います。
私ども改革の特別給付金は、直爆死をされた方、また現行の特別措置法が制定をされました昭和四十四年以前に亡くなられた方にも、葬祭を行う遺族の方にも支給をしようというものであります。
これは、ともに被爆の経験を持ち、そしてまたともに長きにわたり病と闘いながら不安な日常生活を送り、または被爆者のための援護の充実のために行動し、そして二度とこのようなことが起きないようにと念じ続けてまいりました同朋の皆様方の死亡に対して国家的関心の表明として給付が行われることは、高齢化しつつあります今日なお被爆の影響や死に対する不安と闘いながら日常生活を送っておられる被爆者にとりまして、何より心安らぐ処置と言えるものであるというふうに確信をいたしております。
この考え方から、その根底にありますのは、二度とこのような核兵器の惨禍を繰り返さないという強い祈りでありまして、強い決意でございます。
以上でございます。
○荒井(広)委員 御答弁席に立たれている先生方は旧連立てのこの問題のプロジェクトのメンバーであったともお聞きしますし、また広島、長崎の御出身の先生方が多いわけでございまして、そういう意味におきまして、お気持ち、また非常にお察しする、また同感するところも多々あるのですが、これは法律という形をとります。これは厳正に審議をしていかないといけないと思います。
その意味で、今御説明にありました、また斉藤さんからの提案理由の説明、やっと手元に着きましたが、私も筆記をとっておりましたけれども、少なくとも特別給付金は現行葬祭料の遡及適用と位置づけている、だから政府のような問題、不公平は生じない、こういうふうに言っている部分がありますし、今初村先生の御答弁にもそういう点があったんですね。
そこで、私よくよく考えてみますと、八月六日、九日の直爆の時点にまでさかのぼる、今もおっしゃいました。そして、亡くなられた原爆死没者の遺族に対して特別給付金を支給する、しかし、それは葬祭料だというような表現をされるんですが、これは死没者の皆さんに着目をして、死者の皆さんにお弔いをして遺族を慰めるという意味での給付と言わざるを得ないんじゃないかな。ということは、これは実質的な弔慰金でしょう。一般戦災による死没者には何の補償も一方ではないわけですね。
こういう点を考えますと、原爆死没者の皆さんに本当に我々は心からの御冥福をお祈りするものでありますけれども、一般の戦災者の方々、大変にお亡くなりになっているわけですね。そういう方々に対しては何の給付もないわけですから、均衡という観点から大変問題がある。どのような理由で戦災者の死に対して差別、軽重をつけられるのか。差別というとおかしいですね、区別ですね。この辺どのような措置をとられるのか、私はお聞きしたいと思うんです。
○初村議員 荒井議員の御質問にお答えをしたいと思いますが、これまで現行二法によります対策というものは、他の一般戦災者に対する対策との均衡と調和を図りながら、十分に考慮をして、特別の社会保障制度であるという見解をとってまいりました。
ところが、昭和五十三年、議員も御案内だと思いますが、最高裁判所の判決によりまして、「国家補償的配慮が制度の根底にある」ということを指摘して、次のように述べておられます。「被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという事実を見逃すことはできない。」という判例がございます。このことをもってしましても、一般戦災者とはやはり区別されるべき被害者であるというふうに認識をいたしております。
○荒井(広)委員 これは非常に矛盾なんですね。昭和四十四年に、当然のことですが、葬祭料創設時の提案理由説明があるんですよ。そのことを言っておられると等しいんですね。しかし、いわゆる一般の方々との区別をどうするかということにはお答えになっていないんです。
こういうことは、先ほど来改革の皆様方が改革の提案理由を言っておられるわけでございますけれども、改革案ですね、言っておられるいわゆるその論拠とされている点、二つありましたね。筆記をとっておりましたが、五十三年三月三十日の最高裁判所の判例、一点。それから、五十五年の基本懇ですよ。それを引き合いに出されているんですね。しかし、その中で言っている大変重要なことは、心からお見舞いをして、絶対にこれからあってはならないという不戦、非核、これは当然のことですが、同時に、一般の戦没者の方々と差があってはならない、ここを十分考えなさい、こう言っておられるんです。
ですから、冬柴先生は弁護士でございますが、先ほど非常に苦しいというお話でしたね、私が聞きまして。それは、均衡におもんぱかる、おもんばかり過ぎる余りという表現を使っておられるんですよ。しかし、国民の皆様方の合意がなければ、どう負担していくかという問題が出てくるわけですから、そのお金に対して。この点を我々は避けて通るわけにはいかないんではないだろうか。こういう意味において、国民的合意を得られないと思うんですが、この点もう一度お答えをいただきたいと思います。
○冬柴議員 非常に大切な点の指摘であると思います。
ただ、この原爆被爆ということにつきましては、もう皆様方も御存じのように、この特殊な兵器、これは量的また質的にも格段の差のある、際立った被害を特定の国民に及ぼしたわけでございます。そのような被害に対して、国は国民的合意のもとにいわゆる原爆二法というものを現にもう制定をし、そして、これによってその人たちに対する国の対策というものが今日講じられてきたわけでございます。
それの立法理由、それが何にあるのかという点につきまして、政府につきましては、従来、他の戦災被災者との均衡と調和をおもんぱかる余り、これを社会保障施策の一つである、特殊な社会保障施策の一つであるということを強弁してきたわけでございますけれども、それを五十二年の最高裁判決あるいは五十五年の基本懇で、そうではないんだということを説示し、そしてまた、この答申をされたわけでございます。我々としては、その二つの重要な有権的な判断、そしてまた、五十六年には、衆議院本会議でも申し上げましたけれども、当時の園田厚生大臣が、基本懇の精神を踏まえて今後施策を講ずるという発言をしていらっしゃるわけでございまして、我々は、そのような流れから見て、決して、一般戦災者と原爆被災者との間を、不均衡であるとか不平等な扱いをしているとか、そういうことは言われることはない、国民的合意が今もう形成されているというふうに確信して、この法案を提出している次第であります。
○荒井(広)委員 じゃ、ちょっと角度を変えさせていただきます。
それでは、そういう形で修正されると、私はこれは給付金というふうにとれちゃうわけなんですが、後にも譲りますが、とすれば、一般戦没者の遺族の方々に対しても同様の給付というものをお考えになっている用意があるんでしょうか。ここを明確にお願いします。
○冬柴議員 現在そのような国民的合意は成立していないと考えております、私自身は。そのように考えております。
○荒井(広)委員 ここは当然なことだと思うんですね。
そうしますと、非常に皆さんの内容というのは矛盾に満ちているんです。そういう話になりますと、私の質問もぐっと変えなくてはならないんですけれども、要するに、もう本当にお見舞いを申し上げながら、その精神的な苦痛にどうおこたえを申し上げるか、そして同時に、もう二度と戦争、そして非核、戦争をしない、これを広島、長崎の皆さん方と国民が一体となって、この法案前文にあるように、盛り込むわけですね。精神を入れていくわけです。
そういうふうなことで考えていきますと、先ほども申し上げましたけれども、葬祭料の遡及適用ということを言っているわけです。そうしますと、今度中身においてどう、その精神的な二重の苦痛ということを我々は言っているわけですが、それに対してどうおこたえするかということで今の話の力点もあるように聞くんですね、私は。そうしますと、現行の葬祭料は、被爆者が亡くなった場合にその葬祭を行う方々に対して葬祭料を支給することによって、被爆者が日ごろ有している死に対する不安感などの特別な精神的な不安を和らげようとする生存被爆者対策なんです、私たちが言っているのは。
では、遡及適用というのは、冬柴先生は弁護士でございますけれども、少なくともそれは同じ形で、八月六日、九日にさかのぼって同じことをするということですよね、遡及的対応というのは、法律用語でも。では、同じ処遇であるならば、現行制度は十四万九千円なんです。なぜ十万円に下がっているんですか。これが一点、私、非常に問題だと思います。いかがでございましょつ。
○冬柴議員 国家補償という法概念、これは講学上の問題点でございますけれども、これは国家が公権力行使の場面において私人に対して損害を及ぼした場合に、それを法律の認める範囲で、立法政策としてその私人が受けた損害に対してどのようにこたえるか、そのような問題であると認識をいたしております。
先ほど確かに質問者から遡及的という言葉がありましたけれども、これは比喩的に使っていられるのであって、それ以外に、例えば、この昭和四十四年四月一日以降支払われている葬祭料と、それ以前に亡くなった方には一切何の手当ても打っていないというその不均衡、こういうものに対して目をつぶることができないというところが強調されてそのような言葉を使っているわけでございます。
したがいまして、今この特別給付金、我々は葬祭料という言葉は使っておりません。その給付金を考えるときに、この受けた被害に対してどのように国が報いるかという立法政策の問題でありまして、我々はこれを十万円とさせていただいた次第でございます。
○荒井(広)委員 このあたりでも明確に、現行でできる法案が、どちらがより名実ともにあるか、被爆者の皆さんに対しても十分であるかということが、私はこれだけでも十分だと思うのですが、残念ですが今の質問でちょっと御答弁になってないと思います。
これは完全に葬祭料とは異質のものではありませんか。そうしたら全く違う制度としてこれは表明された方がむしろよかったのじゃないかというふうに思うのですね。いかがでしょうか。これは弔慰金ではありませんか。別な制度でよろしかったのじゃないですか。
○冬柴議員 弔慰金とは申しておりませんで、国家がそのようなものに対する関心を示す、あくまで生存被爆者、要するに原爆が広島、長崎に投下されて来年には半世紀を迎えようとしておりますが、そのようなときに国としてどのような、この人たちに、この五十年間苦しんでこられた人々、そういう人たちがその中で、仲間がぐしの歯を落とすように一人欠け、二人欠けていくということに対する不安に対して、国がそういうものに対して関心を示したということによって、残された被爆者が心の安らぎを覚える、こういうことでございます。
それからまた、こういう兵器が地球上で二度と使われてはならないという祈りを込めた意味でこのようなものを、五十周年の佳節を刻むときに我々はこういう立法措置をしたい、このような思いでこれを提案しているわけでございます。
○荒井(広)委員 冬柴先生、非常につらいところですね。これはもう明確に葬祭料として創設したときの精神なんですよ、おっしゃっていることが。ですから、そういうことになると、大臣からも何度も御説明がありましたけれども、今なお二重の意味で特別な不安や精神的な苦悩を有しておられる、そして国による特別の関心を表明して、生存被爆者の皆様方の精神的苦悩を和らげるものだ、全くそういうことなんですね。
こういうことを考えると、私は残念ですけれども、これは国民の皆様方もぜひ見ていただきたい点ではありますが、きのうこの法案が出てくる。私たちの手元にその趣旨でさえ今届く状況です。本当にこの問題を考えていたとするならば、なぜきのうあたり出てくるのか。そして、今のお話を聞くと、実際たくさんの矛盾がある。これは我が政府案が非常にまさっている、現行ではこれが最大のものだ、しかし、何らかの対抗措置をとらないと、どうも政局や政争という点で何かこうポイントをとれないというような感じも、私はどうしても今の話を聞くたびにするのです。
こういうことですし、御答弁にいらっしゃる皆様方が、公明党の皆さん、民社党の皆さん、日本新党の皆さんであって、新生党の皆さんを含めてほかの方がいらっしゃらないというのも、私はこれはどういうあれかなということでございますけれども。
そこで、時間が参りましたので、最後にもう一つ質問をさせていただきますが、改革案で、一人の死没者に複数の遺族があっても、そのうちの一人にのみ特別給付金の支給が行われる仕組みをとっていますから、遺族の間で重複して受給することがないように遺族間で順位を確認してチェックを行う必要があるはずです。しかしながら、もう半世紀たっておりますので、その確認が大変難しいんだろうと予想されます。
一点目は、本当は支給対象でありながら、確認に必要な資料がそろわないために対象から漏れてしまうようなケースというものも出ると思いますけれども、もし出ると推測されるならば大変な不公平だと思いますが、出ないという保証をここで、想定されてこれはつくっておられるわけでしょうから、出ないということは断言できますでしょうか。
○冬柴議員 先ほど二つ重要なことを言われましたので、その前に答弁させていただきます。
改革案が昨日提出されたとおっしゃいましたが、政府案はその休み前の二十二日に提出されたわけでございまして、我々は、先ほども本会議で答弁いたしましたように、昨年来十数回に及ぶ検討を重ねてきて、法案要綱は早くにでき上がっていたのです。しかし、それに対する政府の、いわゆる与党の三党合意というものを見守りつつ、そこででき上がったものが我々の納得するものであればこういう立法請求をしなかったわけでございますが、そうでなかったから、我々はその二十二日、休み前に提出された政府案を見せていただきましたところ我々が思っていた案とは違うから、休み明けのきのう、すなわち一日おくれて我々は出しているわけでありまして、急遽出したとか、あるいはこういう問題を政争の具に供するという考え方は全くありません。そのことをまずもって強く申し上げておきたいと思います。
次に、特別給付金の支給の順位等につきましては、我々の法案三十三条を見ていただきましたらわかりますように、明確に受給権者の順位等を定めております。したがいまして、それがどのような手続のもとにこういうものが申請されてくるかということは事実問題でございますので、我々は、一人も漏れなく請求をされ、給付されることを願っている次第であります。
○荒井(広)委員 願っているということですが、新たな不公平を生む結果というおそれなしとは言えないということでございます。
もう一点、被爆者の方々の高齢化は着実に進んでいるわけです。高齢化が進んでいます。確認事務に手間取っているうちに給付を受けられない、二つ目はこういう状況も予想されると思うのですよ。こういう可能性についてはどう受けとめられますか。
○冬柴議員 あらゆる制度は、その行政を行う者の万全の努力によって一人も遺漏することのないようにする努力が重ねられるわけでありますが、しかし、今まで行われました軍人恩給あるいは引揚者給付金あるいは戦没者遺族給付金等々、これは推定される数字の全部が請求をされているということはないわけでございます。しかし、政府はそれに対して一人も漏れることのないように努力をして行政は進められるべきものである、このような前提で我々は提案をいたしておるわけでございます。
○荒井(広)委員 総括をさせていただきますが、もう連合時代でもあり、もう国民の皆さんは政争に辟易していますし、またこういう問題が取り上げられれば、本当にその問題を純粋に話をしようということですから、その意味で、先ほどのお答えの趣旨、私もまことに同感ですから、どうぞ政策、法律ということが政争の具にならないように、お互いともどもこの点は銘記して、議論でこれを深めさせていただきたい、このように思います。
その議論で深めた段階でも、ちょっと時間がないので後の先輩方にお譲りしますけれども、どうも相矛盾しているところが多々ある。一般の戦災者の皆さんとのいわゆる均衡をどうするか、その許される中での範囲で初めて国民の皆様方の御理解と負担というものをいただける、こういう意味におきましては、私は改革案というものが非常に問題をはらんでいるということをどうしても申し上げなければなりません。
そして、結びの話でございますけれども、我々はともに二度と戦争を起こさない、特に我々は戦後生まれの者として、そして非核というものを世界に、そして我々の子々孫々に伝えていくということでは共通でございますので、どうかその法律として出してきたものの中で、お認めにくいかもしれませんけれども、そういう点での優劣、現行の制度の範囲の中で最良のものが政府案であると存じますので、そういう意味で、議論の中で見つかった場合には、これはお互いといってもいいかもしれませんけれども、これはお互い、被爆者の皆さんと、そして国民の皆さんと我々の責任である非核というものに向けていく大切な素地でもあると思いますので、その辺もお互い真摯に対応させていただきたいと思いす。
ありがとうございました。
○岩垂委員長 山本孝史君。
○山本(孝)委員 改革を代表して、政府から提案されております原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案について質問をさせていただきます。
まず最初の質問ですけれども、今回はこの法律に前文が設けられておりまして、「国の責任において、」援護対策を講ずるというふうになっておりますが、そもそも国の施策の中で、あるいは法律による措置というものの中で、国の責任においてなされていない、そういうものは全部国の責任においてなされると思うのですけれども、国の責任を伴わない施策というものがあるのでしょうか、明確に御答弁をいただきたいと思います。
○谷(修)政府委員 先ほど大臣の方から、本会議においてもお答えをさせていただいたわけでございますが、今回の政府案というのは、被爆後五十年のときを迎えるに当たって、被爆者の高齢化が進行しているといったような環境の変化を踏まえて、「国の責任において、」という表現を特に盛り込んで被爆者対策を講ずるということにしたわけでございます。
これはこの前文においてそういったような考え方を盛り込みましたのは、あるいはそういう文言を盛り込みましたのは、被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割というのを改めて明確にする、また原爆放射能という、他の戦争被害とは異なる特殊な被害に関しまして、被爆者の方々の実情に即応した施策を講ずるという被爆者対策、あるいは被爆者援護対策に対します国の姿勢というものを新法全体を通じる基本原則として明らかにしたものでございまして、そういう意味で、今回この前文の中に「国の責任において、」対策を講ずるということを入れましたことは、この新法全体を通ずる基本的な考え方を明らかにしたものだというふうに考えております。
○山本(孝)委員 谷さん、今その実施主体としての国の役割を明確にするとおっしゃったわけですけれども、政府が提案をされている法律でございますので、国の役割は既に明確であろうというふうに思うのです。
重ねてのお尋ねですが、じゃこの「国の責任」という表現をこの法案から外したらこの法律の効力は変わるのですか、あるいは法律の理念というものが、「国の責任」というこの文言があるのとないのとにおいてはどれだけ違うのですか、その辺をもう一度明確にお答えをいただきます。
○谷(修)政府委員 先ほど申し上げたことの若干繰り返しになりますけれども、新法におきます国の役割というものを明確にした、あるいは国の姿勢というものを明確にしたということで、しかも、それを前文の中で明確にあらわしたということでございますので、私どもはこの政府案におきます「国の責任」という言葉は非常に意味があるものだというふうに考えております。
○山本(孝)委員 そうすると、これから厚生省が出される法案には全部「国の責任として」というふうにお入れになった方がいいのじゃないかというふうに思うのですけれど、も、いかがですか。
○谷(修)政府委員 法律全体についての考え方なり立場というものをどのように考えているかというのは、それぞれの立法の際の考え方によって変わると思いますので、この法律では先ほど来申し上げているような形で明確にしたということでございます。
○山本(孝)委員 だから、これからの法律に全部入れられたらどうですかというふうに申し上げているのですが、いかがですか。
○谷(修)政府委員 それは、今後御提案申し上げますいろいろな法律のそれぞれの立法作業の過程の中で考えていく問題だというふうに考えております。
○山本(孝)委員 ここら辺はもう何度やっても水かけ論になるのかもしれませんけれども、「国の責任」ということを入れて、それで国の役割を明確にしているんだ、姿勢をはっきりしているんだという答弁ではちょっと無理があるというか、じゃみんな入れたらいいじゃないかと。今までの法律は何なんだと。じゃこれまでの現行二法というものは国の役割を明確にしていないのかという話になってしまうわけですよね。この辺は政府も、あるいは各局長も随分お答えが苦しいのじゃないかというふうに思うわけですけれども、まだまだ地方公聴会あるいは今後の審議もありますけれども、厚生大臣、今までの議論をお聞きいただいて、「国の責任」ということについて、ここの法律に書かれたという意味合いで、大臣はどんなふうに御答弁をいただけるのでしょうか。
○井出国務大臣 今事務当局の各局長が御答弁申し上げたことに尽きるわけでございますが、やはり国の姿勢をこの新法全体を通じる基本原則として明らかにするために、前文で「国の責任において、」あえて強調させていただいたと考えております。
○山本(孝)委員 委員会に今おられます委員の皆さん、お聞きのとおりの答弁しかいただけない。であれば、やはりこれからの法律は、全部厚生省の法律は「国の責任」という文言をお入れになったらよろしいだろうというふうに私は思うわけであります。
同じ問題をやっていても仕方がありませんので次にいきますが、ここに一つの声明文が届いております。長崎県被爆者手帳友の会会長の深堀さん、六十六歳となっておりますけれども、私はこの政府・与党が出されておられる被爆者援護法に反対であるということですが、少し長くなります。読ませていただきますと、
特別葬祭給付金・一人に対して十万円の交付は
何故被爆者手帳所持者のみとするのか、納得で
きない。
思うに当時は、戦地から帰って来た復員軍人・
引揚者が、故郷長崎市で見たものは、肉親の全
滅・家・屋敷の焼失など頼るべき人の亡くなっ
たことでした。
そのかなしみ、苦しみは、被爆者手帳を現在所
持したものより、はるかに大であったと思いま
す。
遺族のあるものには支給し、あるものについて
支給しないことは、遺族を分断する手法としか
思えない。
私はたとえ十万円が五万円となっても全員に支
給するべきだと思います。
それ故に私は、このたびの措置による交付金は
この方の場合は親と兄弟、三人で三十万というふうに書いておられますけれども、実際のところは交付される人は十万円ということになるのでしょうけれども、この交付金を、
私は受け取らない。勿論請求もしない。
そして、特別葬祭給付金を支給されない遺族と
ともに痛みを分かち合いたいと思っております。
こういう声明書が出ております。
先ほどの本会議でも御質問を申し上げました。ある人はもらえる、ある人はもらえない。同じように遺族を亡くしているにもかかわらず、戦地に行っておられた、あるいは学童疎開をしておられた、そういう方たちは今回の給付金の対象から外れている。そこに新たな差別を生み出すのではないか、したがって、受け取らないとおっしゃっておられる被爆者もおられるわけですけれども、この声明文、お手紙について政府はどういう御回答をなさるのか、心ある回答をいただきたいと思います。
○井出国務大臣 先ほど本会議でも山本議員にお答えいたしましたが、今回の特別葬祭給付金は、死没者の方々と苦難をともに経験した遺族の方であって、御自身も被爆者であるという方、すなわち二重の特別の犠牲に着目して、生存被爆者対策の一環として、制度としてはぎりぎりの範囲内で実施するものでございます。
改革の方の御提案の中にあります、特別給付金を昭和四十四年以前の死亡者の遺族全体に支給すべきだという点につきましても、実は与党の戦後五十年問題プロジェクトチームでも大変論議の中心になったテーマではありましたが、この点に関しましては、先ほど来委員の御質問の中にもございましたように、他の一般戦災者との均衡をどうするかといった大きな問題があり、なかなか国民的な合意はそこまではいけませんものですから、やはりこの際は生存被爆者対策の一環というところに着目した次第でありまして、私は、ぎりぎりの範囲内で御理解をぜひいただきたい、こう思うのであります。
○山本(孝)委員 同じ質問を、対案を出されておられる改革の皆さんにしたいのですけれども、こうやって実際に長崎の被爆を受けて戦後五十年生きてこられた御自身から、今回の政府案がもし通って支給されるであろうこの給付金は私は受けない、新たな差別を生み出すそんな制度に加担したくはないという、本来私たちが対象にすべき人からそういうお声が出ているわけです。
今回地方公聴会、今、日程がまだ与野党協議が調いませんけれども、地方へ出かけて、長崎、広島の方々からまたお話を聞くこともできると思いますけれども、今回の改革案を提案されておられる皆さんは、こういう長崎の声に、あるいは広島の同じような声もあるんでしょう、どういうふうにお答え、あるいはどう受けとめておられるのでしょうか。
○初村議員 私の方にも、先ほどお話がありました被爆者手帳友の会の会長さんから同じお手紙が参っております。
私自身も被爆二世でありますけれども、被爆者の実態、現状を思いますときに、まさに戦後五十年たとうとしている今日、被爆者の皆さんが求められておる被爆者援護法というものに全く、政府・与党が出されました今度の被爆者援護法については納得ができないというのは、十分に私もそのように理解をいたしております。もう何十年も活動を続けられた方でございますし、今手紙を見ておりまして、十万円が五万円でも、あるいは十万円が一万円でも、今の援護法であればおもらいにならないのではないかなというふうな気持ちでいっぱいでございます。
○山本(孝)委員 私たち立法に携わる者として、やはり一番今回の法律の対象になられる方のお声を聞かないといけない。そこに基づいて、改革の方の提案者が長崎、広島の議員ばかりでおかしいではないかというような趣旨の御発言がありましたけれども、そういう声を一番身近に聞いてきた者が今回の法律案にタッチをさせていただいている、そういうことだと思います。
引き続きの質問ですけれども、今回の政府提出の法案の中に、平和を祈念するための事業を行うという項目がございます。具体的にどんな事業をなさる御予定なのか、その辺についての御説明をお願いいたします。
○井出国務大臣 平和を祈念するための事業は、原爆による死没者のとうとい犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原爆の惨禍に関する国民の理解を深めること、また、被爆体験を次の世代に伝えること、原爆による死没者に対する追悼の意をあらわすことといった事業を行うものでございます。
具体的には、原爆に関する資料、情報の収集整理とか、あるいは死没者の永続的な追悼等を行う原爆死没者慰霊等の施設の設置といった事業を今のところ考えております。
○山本(孝)委員 今広島にいわゆる原爆資料館というのがあると思いますけれども、今厚生大臣が御説明になったそういう事業と既存の原爆資料館といいますか、あの資料館と何がどう違うんでしょうか。
〔委員長退席、鈴木(俊)委員長代理着席〕
○谷(修)政府委員 基本的な方向は今大臣から申し上げたような内容で、具体的にはこれから検討していくわけでございますけれども、現在検討している具体的な中身としては、慰霊や平和祈念といった事業に加えまして、国内外の情報の収集、あるいは資料、情報の継承の拠点とする、あるいはまた国際協力あるいは国際交流といったようなことで、国際的な貢献を行う拠点とするといったようなことを含めて、具体的な内容について今後検討をしていくことといたしております。
○山本(孝)委員 御検討ということですけれども、検討のスケジュール、あるいはいつごろ建てようということで考えておられるのか、その辺の具体的内容をもう少し御説明をお願いします。
○谷(修)政府委員 ただいま申し上げましたような慰霊施設の内容につきましては、平成四年度、五年度におきまして基本構想といったようなことを検討をしてまいりました。もう少し具体的なものにいたしまして、できれば来年度に基本設計をしたいというようなことで概算要求をしているところでございます。
○山本(孝)委員 今基本構想を練っておられて、来年度基本設計というスケジュールですけれども、重ねてのお尋ねです。
今広島にあるあの原爆資料館とどこがどう違うのかというか、どれぐらいに違うものができるのか。極端に言えば、全く同じものができるのか、あるいは全く違う内容のものができるのか。四年、五年で基本構想であれば、今六年ですからもう基本構想は終わっているんだと思いますけれども、もう一度明確に御答弁をお願いします。
○谷(修)政府委員 今おっしゃいますように、広島、長崎には既に被爆当時の資料を展示しているものがあるわけでございます。そういう意味で、私どもとしては、先ほど申し上げたような死没者の方を慰霊をする、あるいは原爆の悲惨な状況というものを後代に語り継ぐといったような機能を持たせていきたい、また国際的な視野で交流をしていく、国際協力をしていくといったようなこともその機能として考えていきたいというふうに考えております。
○山本(孝)委員 何がどう違うのかというはっきりした御答弁がいただけないので、では、観点を変えてお聞きしますけれども、大臣の本会議での御答弁でも、いわゆる被爆者手帳を持っている方だけに今回の給付金の対象が限られるので、その対象外の人には今回のこの祈念施設をつくって対応するんだという御答弁だったと思うのですね。そして、この平和を祈念するための事業、いわゆる今の御回答でいけば何らかの施設だと思うのですが、その施設を建てることによって精神的苦悩を和らげることができる、そういう観点で今回の施設を建てられると思うのですが、その精神的苦悩を和らげるための具体的なこの事業の内容は何なのか、どういうふうにお考えなのか、そういう御質問を実はしているつもりなんですが、よろしく御回答をお願いします。
○谷(修)政府委員 設置をする際の基本的な考え方といたしましては、慰霊の場とする、それから資料、情報の継承の拠点とする、それから国際的な貢献を行う拠点とするといったようなことを基本とすることとしております。
具体的な内容につきましては、慰霊あるいは平和祈念のための展示、また死没者の情報の検索をする、そういったような機能、また国内外に散在する資料、情報を総合的に把握するための機能、あるいは既存の関係機関の活動を補完をする機能といったようなことを考えておりまして、全体として、基本的な姿勢といたしましては、原爆死没者全体に対する永続的な慰霊あるいは追悼を行うということでこの施設を考えていきたいと考えております。
○山本(孝)委員 そうしますと、今ようやくはっきりしてきたと思うのですが、この平和を祈念するための事業という内容で何か建物が建つ、それは慰霊の場である、追悼の場であるということですが、今九段に平和資料館ですか、平和祈念館ですか、そういう建物の計画があって、いろいろと物議を醸しております。今回の平和を祈念するための事業、具体的に何か建物ができる、施設ができるということにおいて、被爆者の皆さん、あるいは国民の代表としての国会の皆さんの声を聞いた上でぜひ建てていただきたい。せっかく建てたものが、全く趣旨の違うというか、被爆者の皆さんに受け入れられないような施設を建てたのでは仕方がない。今回の平和祈念館の話は、どうも基本構想、基本設計というのがどこかで進んでいる、突如出てくる、全然違うじゃないかという話に私には理解ができますので、十分に情報公開をしながらということ、あるいは被爆者の声を聞きながら建てていただきたいというふうに思います。
さっき、我々の案がきのう二十四日に出てきた、遅いじゃないかということで御批判をいただいたのですが、ならば大臣にお聞かせいただきます。閣法は二十二日、もう会期末十二月三日が見えているところで、正確に言えば二十三日は休みですから、我々と一日違いでしかありませんけれども、なぜ二十二日にしか出なかったのか、質問通告していないので申しわけありませんけれども、先ほどの質問でしたので、お聞かせをいただきたいと思います。
○井出国務大臣 夏以来、与党の五十年プロジェクトの皆さんが中心になって、来年、戦後五十年という節目の年を迎えるに当たって、いろいろな問題について御検討をいただいてまいったわけでございますが、この中で、この被爆者援護法も大変大きな問題で、それぞれの三党にはいろいろな考え、今までの経緯もございます。その皆さんがぎりぎり協議なさって合意されるにはやはりかなりのお時間も必要としたと私は理解しておりまして、その中でようやく今月に入って一つの方針をお立ていただいて、厚生省といたしましても、その線に沿って法案作成をできるだけ急いだつもりでありますが、御案内のように、確かに会期がかなり残すところわずかになって出たことは確かであります。
○山本(孝)委員 一部、巷間言われておりますこととして、この会期末が見える二十二日の段階で出してくるというのは、もともと成立を目指していないというか、被爆者援護法ができなくてもいいという姿勢のあらわれであるというふうに言われている。そんな声があるのですね。私はそうじゃないと思いますので、そうじゃないんだというところを、大臣、はっきりと言っていただけませんでしょうか。
○井出国務大臣 確かに山本委員御指摘のように、会期は定められた会期末から考えた場合は本当にわずかになってはおりますが、ようやく、やっとこれだけのぎりぎりのところ合意を得まして、法案をつくることができ、国会へ御審議のために提出した以上、ぜひ成立させていただきたい、こう考えております。
○山本(孝)委員 これ以上言うと、私もちょっと言い過ぎになるのかもしれませんが、プロジェクトチームの中で社会党の皆さんとも一緒にやってきた部分があります。先ほど本会議で質問をさせていただいた内容でも触れさせていただきましたけれども、かなり多くの部分が似通っている部分がある。この被爆者援護法を政争の具にしようなどという気は毛頭ございません。参議院で何度もこの提案がされてきた、今回、ようやく与野党それぞれの中で話し合いがまとまって出てきた法律でございます。何かこの機を逃すと、またできにくいのではないかという心配もいたします。被爆者の皆さんが待ち望んでおられる法律であろうと思います。多少御不満な点もあろうと思いますけれども、与野党が歩み寄りできる部分もあるのではないか。社会党の皆さんにもぜひ改革の案を、とはなかなも言いづらいかもしれませんが、御理解をいただいて、この法案の成立にみんなで努力をしていきたいというふうに思うわけですね。
それで、「国の責任」という点、あるいは「国家補償的配慮に基づきこというこの表現、荒井議員の御指摘もあるとおり、いろいろと難しい点があるのかと思います。でも、一に被爆者の皆さんが長年待ち望んでおられる法案ですので、成立を目指して努力をしたい。国の役割、国の責任という点、何回か先ほどから質問をさせていただきましたけれども、いま一度、何かよくわからない部分が、厚生省の方もこれは大分苦しい文言なんだろうなというふうには思いますけれども、この辺もやはり押していただけないかなというふうに思いました。
改革の私たちは、今回、提案者となっておられる長崎、広島選出の皆さん中心でやってまいりましたけれども、先ほど長崎のことは初村さんからもお触れをいただきましたけれども、広島での被爆者の皆さんがこの援護法の成立に寄せておられるお気持ちなり、ここで御一端を御披露いただければというふうに思いますが、改革のどなたか御発言をいただけますでしょうか。
〔鈴木(俊)委員長代理退席、委員長着席〕
○斉藤(鉄)議員 山本委員の御質問にお答えいたします。
広島におきましても、私は被爆者の方といろいろとお話をしました。やはり「国家補償的配慮」、これは現在の現行二法にも貫かれている精神でございます。この国家補償的配慮に基づいた被爆者援護法にしてほしい。また、特別給付金、政府案では特別葬祭給付金となっておりますが、特別葬祭給付金は直爆から昭和四十四年三月までに亡くなった方の原爆手帳を持った遺族の方だけに支払われる、昭和四十四年四月以降に亡くなった被爆者の遺族の方には支払われない全く新しい性格のお金でございまして、その期間に亡くなった方だけに全く新しい性格のお金を支払うのはどうしても理解できない。また、被爆者の分断を図るものだという意見が大勢でございます。そういう意味で、与党の方、どうか改革案に沿いました合意をぜひお願いしたいと思います。
以上でございます。
○山本(孝)委員 それでは、高木議員の方の受けとめを聞いて、私の質問の最後にさせていただきます。
○高木(義)議員 山本議員にお答えをいたしますが、私どもはこの五十周年に向けまして、とにかくこれまでも参議院で二回可決を見ておる、また衆議院におきましても、審議はされませんでしたけれども、否決を見ていない、こういう長年の経過を踏まえて、何とかこの時期に被爆者援護法、いわゆる今の原爆二法を拡充強化する、このことが大切ではないかと思っております。
特に、被爆者という立場から見ても、あるいは国民の立場から見ても、原爆という一般戦災被害に類を見ない被害に我々は着目をしなければならぬと思っておりますし、同時に、政府案におきましては、生存者の対策として二重の苦しみということが言われておりますが、原爆投下時の死没者に着目をしておるのが重要なことであろうと私は思っております。我が国の大きな国是とする非核三原則、原爆というものがどれほど人類や自然の生態系を破壊するか、私どもは二度とこのような事態を地球上に起こしてはならない、こういうかたいあかしであり、それが我が国の大きな役割であり使命であろう、こういう意味で今回特にこの法案を成立させたい、こういう思いでございます。
○山本(孝)委員 ありがとうございました。
どうぞ、与党の皆さんもこの改革案の方がいいと思っておられる方多いと思いますけれども、ぜひ御賛同をいただいて、可決できますように、よろしくお願い申し上げ、私の質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
○岩垂委員長 田口健二君。
○田口委員 社会党の田口健二でございます。
今議題となっております原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案について幾つかお尋ねをいたしますが、その前に、私は一言申し上げさせていただきたいと思います。
私ども社会党がこの被爆者援護法を当時の野党の皆さん方と一緒になって国会に提出をいたしましたのは、一九七四年の第七十二回国会からでありました。今日までちょうど二十年という日にちが経過をいたしております。また、この二十年間に私どもは十六回にわたってこの法案を国会に提出をしてまいりました。私自身も、十二回目から十四回までの三回の間、当時の社会労働委員会においてこの法律案の趣旨の説明を行ってまいりました。御案内のように、最後の二回については参議院ではいずれも可決いたしましたが、本院においては審議未了、廃案となった経過もございます。
そういう今日までの経過を振り返ってまいりますときに、私は、ここにこの援護法案が提案をされ、こうして審議が始まるということに感無量の気がしておりますし、また同時に大変喜んでおります。今日の法案提出まで大変な御尽力をいただいた関係者の皆さんに、私は心から敬意を表したいと思うわけであります。
質問の第一でありますが、この間社会党が提案をしてまいりました援護法の一つの大きな柱は、この法律は国家補償の精神に基づいて制定をするということが第一の大きな柱でありました。
そのことは、昭和五十五年の十二月に出されましたあの基本懇の答申の中にも幾つか列挙をされております。それは、原爆の「その無警告の無差別的奇襲攻撃により、前代来聞の熱線、爆風及び放射線が瞬時にして、広範な地域にわたり多数の尊い人間の生命を奪い、健康上の障害をもたらし、人間の想像を絶した地獄を現出した。」こういう記述もあります。まさに、この原爆による犠牲は「他の一般の戦争損害とは一線を画すべき特殊性を有する「特別の犠牲」であることを考えれば、国は原爆被爆者に対し、広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべき」である、このような記述もされておるわけでありまして、我々は、当然のものとして、この援護法は国家補償の精神に基づいて制定をされるべきであるということを一貫して主張してまいりました。
今回の法律案では、その前文に「国の責任において、」ということが明記をされています。私は、単純に考えますと、この「国の責任において、」という言葉は、極めてこれは重要な内容を持っておるんではないか、このように考えるわけでありますが、政府においては「国の責任において、」いうふうに表現をされたその考え方、理由について、まずお伺いをしたいと思います。
○井出国務大臣 お答えいたします。
その前に、社会党が二十年前からこの問題に取り組んでいらっしゃったという田口先生の御感慨を今お聞きしながら、私もまた、考えさせられるところがありました。五十年の歳月が必要だったのかなと一方で思いながら、また、戦後すぐ冷戦に巻き込まれちゃった事態がそういう原因をつくっちゃったのかななんていうようなことも考えながら、実は今お聞きをしておったわけでございます。
お尋ねの、今回の政府案の前文に「国の責任において、」いう表現が設けられておるわけでございますが、この新法は、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、高齢化の進行など被爆者の皆さんを取り巻く環境の変化を踏まえて、現行の被爆者対策を充実発展させ、保健、医療及び福祉にわたる総合的な対策を講じようとしているものでありまして、新法におきまして「国の責任において、」いう表現を特に盛り込みましたのは、こうした制定の趣旨を踏まえ、被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割を明確にし、また原爆放射能という、他の戦争被害とは異なる特殊の被害に関し、被爆者の方々の実情に即応した施策を講ずるという国の姿勢を新法全体を通じる基本原則として明らかにしようとしたところのものでございます。
○田口委員 今大臣の方からお考えが表明をされました。そうしたお考えによってこの法律が内容的にどういうところにそのお考えが示されておるのか、内容が盛り込まれておるのか、その辺をまずお伺いをしたいと思います。
○井出国務大臣 「国の責任において、」いう表現を盛り込むことは、その内容におきましては、まず被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割を明確化するとともに、被爆者の方々の実情に即した総合的な施策を講ずるという国の姿勢を新法全体を通ずる基本原則として明らかにするところであるということは、先ほど申し上げたとおりであります。
このような考え方を踏まえて、新法におきましては現行の原爆二法を一本化するとともに、医療、手当等の各施策を援護の施策として総合的に位置づけること、また被爆者の高齢化の状況を踏まえ、総合的な対策を行う観点から、福祉事業の実施及びこれに対する補助を法定化すること、また三番目としましては、原爆放射能の人体への影響についての調査研究に関し、国の推進義務を規定するとともに、こうした研究を実施する民法法人への補助を法定化すること等の内容を盛り込んでいるところでございます。
○田口委員 次に、私どもがこの援護法を制定をするに当たって二番目の大きな柱としてまいりましたのが、原爆の被害によって亡くなられた方、すなわち死没者に対する国の措置を明確にするということでありました。現行原爆二法の一番の欠陥というべき問題はそこにあるというふうに思っています。現行二法の中では何らそのことが措置をされてない、こういうことで、この原爆によって亡くなられた方に対する国の責任、措置を行うべきだということを要請をしてまいりました。
今回の法律案では特別葬祭給付金という名前でこの死没者に対する対応がなされています。私も与党の一員として与党間折衝に初めからずっとかかわっておりましたから、内容はよく存じ上げておりますのであえては申し上げませんが、そのためには、社会党としては原爆投下時からの死没者に対する措置が何よりも必要である、これを年次を区切って区別をするということでは絶対納得をすることができないという立場から一貫してこのことを申し上げてまいりましたし、それは政府案の中に取り入れていただきました。それを大変ありがたいと思っておるんですが、しかし、この法律案の規定によれば、亡くなった方の遺族が被爆者に限定をされておるということでありますので、そうなりますと同じ遺族の方をまた区別をすることになる。
私も長崎の出身でありますから被爆の体験を持っておりますし、あの被爆の惨状もこの目をもって見、体験もしてきた者の一人でありますが、やはり遺族の中には、お話にもあったかと思いますが、子供が長崎大学に修学をしておって原爆の被害に遭われた、県外から両親が駆けつけてこられたときには、あの入市被爆の期間を既に経過をしておったとか、あるいは外地から復員をしてきて帰ってきてみれば一家は全部原爆で全滅をしておった、こういう方々も私は何人も知っております。
そういう意味では、遺族の方が区別をされるということは大変残念なことでありますし、私にはなかなか了解できない問題でもあります。それは「国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記する」ということが前文に書かれておるわけでありまして、果たしてこの条文からいって、今回の特別葬祭給付金の支給というものが適当であるのかどうなのか、その辺ひとつ政府の見解もお聞かせをいただきたいと思います。
○井出国務大臣 原爆の投下から被爆者対策の充実を見るまでの間に亡くなられた方が経験された苦難は想像に余りあるものがあること、したがいまして、自分自身も被爆者としてこうした死没者の苦難をともに経験された遺族の方は、今なおいわば二重の意味で特別な不安や精神的な苦悩を有していらっしゃる、こう考えるのであります。したがいまして、今回御提案申し上げております特別葬祭給付金は、このような観点から、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、こうした方々に対し、生存被爆者対策の一環として国による特別の関心を表明し、生存被爆者の精神的苦悩を和らげようとするものであることは、先生御理解いただけると思います。
ただ、先生御指摘のように、与党の五十年問題プロジェクトチームで、この点、一つは二十年までさかのぼるべきだ、さかのぼれるのかということと、それから、同じ遺族でありながら被爆者である方とそうじゃない方とに差がついてしまうじゃないかという点が大変議論の中心になったとお聞きしておりますし、今回改革の方から御提案なさっていらっしゃる案と私ども政府案との大きな違いの一つがまたこれであることも、事実かもしれません。そんな中で与党プロジェクトチームは、やはり全部の遺族の皆さんを対象にというのは、どうしても一般戦災者との均衡の問題でなかなか理論的にクリアできないという大変苦しみの上のぎりぎりの合意であった、こんなふうに私どもも承知しておりますし、その合意に基づいてこんな法案をつくらせていただいたわけであります。
したがいまして、そういう皆さんがいらっしゃることは確かでありますし、私ども忘れちゃいけないと思います。したがいまして、御指摘のような方々には、なるほど特別葬祭給付金は差し上げられませんが、原爆死没者慰霊施設の設置など、平和を祈念するための事業を実施することなどによりまして、国としてそのとうとい犠牲を銘記し、追悼の意を表してまいることといたしたいと思いますし、また、先ほど来それぞれの委員の先生方御表明のように、二度とこういうことを繰り返さないということが、それらの皆様に対する私ども最大の責務じゃないかな、こんなふうに考えておるところであります。
○田口委員 今大臣からお答えをいただきましたように、私どもも与党折衝の中で大変困難をきわめた課題でもありましたし、そういう意味では、先ほど申し上げましたように、私どもが主張いたしました原爆投下時までさかのぼる、この要求というか主張が入れられましたことは、大変私は大きな前進であったとは思っています。しかし、やっぱり結果的にこの制度の観点が違うわけですから、結果として遺族が区別をされる、そのことは同時にまた、亡くなった方にもやっぱり区別をされるということにひいてはなっていくことだろうというふうに思っています。私は、この特別葬祭給付金の対象範囲については、引き続きやっぱり政府でも今後検討していただきたい、このことを要望として申し上げておきたいと思います。
次に、被爆地域是正の問題でお尋ねをいたしたいと思います。私の地元の長崎では、被爆問題で非常に大きな課題として、被爆者の皆さんや地域の住民あるいは自治体、行政当局を含めて、このことに非常に大きな関心を持って今日までも政府に対して要請を行ってまいりました。しかし、先ほど申し上げました五十五年の十二月に出された基本懇の、被爆地域の拡大は、科学的かつ合理的な根拠がなければ拡大をしてはいけないという答申に基づいて、なかなか政府としてもこの問題は率直に言って対応し切れなかった、私は、そういう意味で今までも随分国会の中でもこの問題を取り上げて政府に意向をただしてきたのですが、残念ながら、いまだに一歩も前進をすることができないという状況であります。
科学的ということで考えますと、それでは長崎の被爆地域は科学的根拠に基づいて決められたのかというと、そんなことは全然ございません。ただ当時の長崎市の行政区域によって決められたということでありますから、例えば南の方には十二キロまで延びているとか、あるいはその後の追加で、何年でしたか、北の方に今度また延ばしていくとか東西では五キロあたりで切られておるとか、そもそも科学的なデータによってこの地域が決められたわけでもありませんし、また、かつ合理的な根拠によって決められたわけでもございません。
私どもは、そういうことで今回の与党折衝の中でもいろいろと話し合った結果、三党間で合意をしましたことは、科学的根拠ということもさることながら、合理的根拠というところに着目をして、必要があればそれは当然その措置を行うべきである、こういう点では三党、実は認識が一致をいたしました。法案の中にはそのことは具体的に明示はされておりませんが、そういう経過がございます。
したがって、政府は、この被爆地域の是正、とりわけ今私が申し上げました長崎の地域における地域是正についてどのようなお考えを持っておられるか、あるいは今申し上げました三党で合意をされておるこの事項についてどのように御判断をしておられるか、お聞かせをいただきたいと思います。
〔委員長退席、鈴木(俊)委員長代理着席〕
○谷(修)政府委員 今先生の方からお話ございましたように、この原爆被爆地域の指定あるいは見直しということについては、昭和五十五年の基本懇の意見の中にもございますように、科学的、合理的でなければならないということで、そういうような意味合いにおきまして、科学的、合理的な根拠がある場合に限定をして行うべきだというのが政府の私どもの一貫した立場でございます。与党の中の五十年プロジェクトの中でも、今お触れになりましたようなこの問題についての議論があったということは私どもも承知をいたしております。
また、今お触れになりましたように、長崎市の指定地域について過去幾つかの経緯があったということも承知をしておりますが、現在、この問題については、長崎市が行いました調査結果を専門家の検討班において検討しているという段階でございます。近くこの報告書がまとまるというふうに理解をしておりますけれども、いずれにいたしましても、合理的ということと同時にやはり科学的ということが私どもの立場としては必要であるというふうに考えているわけでございまして、そういう意味で、現在検討が進められている研究会の結果を待って、この問題を科学的な面あるいは合理的な面で検討をしてまいりたいというふうに考えております。
ただ、先ほど冒頭に申しましたように、私どもの基本的な立場というものは、科学的、合理的な根拠がある場合に行うというのが基本的な従来からの立場でございますので、御理解をいただきたいと思います。
○田口委員 今、地域是正の問題について局長の御答弁がありましたが、それは今までの政府答弁と私は一歩も変わっていないと思います。
さっき私が申し上げましたように、当初からこの地域というものが科学的かつ合理的に設定をされておるものであればそのような主張も一定の理解ができますけれども、もともとがそうではない。しかも、もう被爆から五十年近く経過をしているわけですね。その中で一体どこに科学的な根拠を求められようとしておるのか、私には理解ができないわけであります。
今考えるとすれば、先ほどから私どもが指摘をしておるように、やはり合理的なところに着目をして、その不合理性を正すという立場から、私は、この地域の是正をもう一遍見直すべきであるというふうに思っています。長崎における原爆は地上五百八十メーターの地点で爆発をしているわけですから、私は、合理的な範囲ということであれば、その同心円の中で地域をやはり決めていくべきである、それは、現行十二キロというものがあれば十二キロの同心円の範囲内を被爆地域として決めるべきであろう、それが合理的な考え方ではなかろうかというふうに思っています。どうも先ほどの答弁は、私も何回もこの問題について質問をし、同じような答弁のような感じがしてなりません。
ただ、先ほども申し上げましたが、今回の与党三党合意の中ではそういう確認ができておるわけですから、私は、従来のような政府の答弁だけでは納得ができないと思いますので、もう一度、この三党合意についてどのように判断をしておられるか、ひとつ政府のお答えを聞きたいと思います。
○井出国務大臣 田口先生御指摘のこの地域、十二キロの同心円の地図を私もいただいております。南の方はまさに該当地域に入っておりながら、こちらは全く入っていない。この十二キロ、センターから入れてもいいのじゃないか、こういう御要望だと理解しております。
ただ、今度こういうあれにして、新しくそういうところの地域の皆さんにそれなりの国のお金を使ってあれする場合は、国民の皆さんの税金を使わなくちゃなりませんから、やはり国民的な合意といいましょうか、理解がどうしても必要だということも、これ事実であろうかと思います。
したがいまして、先ほど局長も御答弁いたしましたが、ただいま地元の方から提出されております資料を厚生省の研究会が検討しておりますから、その検討を待ちたいと思いますが、やはり科学的、合理的というのを、先生、科学的は難しい、じゃ合理的というのはどういうあれかなというと、正直なところ私もまだ、こうできますよ、こういたしますというところまで御答弁できなくて申しわけありませんが、その検討を待たせていただきたい、こう思います。
○田口委員 今大臣の方から検討するという御回答をいただきましたので、ぜひそのことを私は期待を申し上げたいと思います。
これが、法律上の制約があるということであれば、当然私も法律を変えなきゃならないかなと思いましたが、今度の法律案においても従来と同じように、附則の中でその特例地域のことはちゃんと規定をされておりますし、政令によってその地域を定めるということでありますから、法律上は何ら支障のないことであろうというふうに思っておりますので、ぜひひとつ御検討をこの機会に重ねてお願いを申し上げておきます。
次に、被爆二世の問題についてお尋ねをしたいと思います。
従来からも、私ども、この被爆二世に対する対応というものをやはり国が責任を持ってやるべきであるということを随分前から主張してまいりましたが、なかなかこの問題についても今日まで前進を見ることができませんでした。ただ、数年前から予算措置として、二世の希望者については健康診断を実施をする、こういう制度といいますか、予算措置でありますが、そういうことができました。
私は、被爆二世に放射線障害が影響しておるかどうかというのはなかなかまだ今日の時点では結論が出せない問題だと思っております。今までの政府のお答えは、影響はない、こう言い切っておりまして、現行二法の中にもこの二世問題というのは全然触れられておりませんし、今度の法案の中にも入っておりません。私は、つい先日も放影研の重松理事長とお話をしたのでありますが、重松先生のお考えでは、確かに今まで障害があったという事実は見つかっておりません、しかしそのことと障害がないということとはまた別問題です、特にこのような遺伝に関係をするような問題はそんな短期間に結論を出すべきものではありません、こういうお考えもお聞きをいたしました。
与党間協議の中でも、この問題については、政府はやはり引き続いてこの二世問題については研究調査を行い、そして現行の予算で持っておる措置についてはこれからも引き続き継続すべきであるということが三党間の合意としてでき上がっております。そのことをぜひ今後とも考えていただきたいと思いますし、このことについての政府の考え方についてお尋ねをいたします。
○谷(修)政府委員 被爆二世の方々のことでございますが、今先生お触れになりましたように、この問題については幾つかの調査研究を長年にわたって続けてきております。
現在までのところ、原爆によります放射線の遺伝的影響というのは医学的、科学的に認められてないわけでございますが、ただ、今お触れになりましたように、被爆二世の方に対しましては従来から希望者に対する健康診断というのを実施をしてきておりまして、今後ともこの施策を引き続き行っていく所存でございます。
○田口委員 次に、法案の第四十条二項についてお尋ねをしたいと思います。
この条項を読んでみますと、原爆放射能の人体への影響について調査研究をする民法法人への補助規定などがここで規定をされているわけです。これは、私が見るところでは、こういう表現になっておりますが、はっきり言えば、現在、広島、長崎に置かれておる放射線影響研究所、略称放影研というふうに言っておりますが、このことを指しておるのだろうというふうに思っておりますが、ひとつその辺ははっきりさせていただきたいと思っています。
○谷(修)政府委員 今お触れになりました法案の四十条の民法法人につきましては、財団法人放射線影響研究所を考えております。
○田口委員 そこで、この放影研の運営の問題についてお尋ねをしたいと思うのでありますが、御案内のように、放影研は、日米交換公文によって、いわゆるフィフティー・フィフティーの日米間の拠出によってこれが運営をされておる。よその国のことを言ってはなんでありますが、アメリカも国家財政が非常に厳しいというふうな状況の中から、この放影研の運営についてもいろいろな支障が出てきておる。
私は、広島、長崎における放射線影響研究所の業績というのは、非常に世界的に評価をされておるというふうに思っています。これは、従来のABCCの時代から今日に至るまでの調査研究の結果というのは、これも放影研の重松理事長からつい先日お聞きをしたのでありますが、先日パリで世界的な放射線の影響の国際会議が開かれて、その中でも、非常に放影研の業績というのは評価をされたそうであります。特に、チェルノブイリ原発のあの事故等の調査を含めて、大変な役割をこの放影研が果たしておることは、これはもう紛れもない事実でありまして、これだけの立派なデータを持っているところは世界じゅうにここしかない、このように言われています。
したがって、私は、放影研の運営については、将来、この今の日米のフィフティー・フィフティーの折半ではなくて、お互いの日米の役割分担というのも当初とはやはり変わってきてもいいのではないか、日本独自としての考え方に基づいた役割を放影研にも持たせてもいいのではないか、そして、そのための経費は日本政府が負担をする、こういう考え方をしていいのではないか。今、冒頭に申し上げましたようなさまざまなそういうことから考えてみましても、私はそんな気がするのですが、将来、そういうお考えがおありかどうか、この機会にお尋ねをしておきたいと思います。
○谷(修)政府委員 放影研の運営につきましては、昭和五十年の日米交換公文に基づきまして、今お話がございましたように、フィフティー・フィフティー、折半の負担で行っております。ただ、現在、アメリカ政府の財政状況が必ずしもよくないといったようなことから、この運営費の確保ということにつきましては、昨年来、日米政府間においていろいろな交渉をしてきております。私どもといたしましては、米国政府に対しまして、具体的にはエネルギー省でございますけれども、放影研運営費予算の確保ということを求めておりまして、引き続きその面についての交渉はやっていかなければならないと考えております。
一方、その交渉の過程の中で、このフィフティー・フィフティーの、いわゆる日米交換公文の原則を変えるかどうかということについては、具体的には議論は出ておりません。と申しますよりも、先ほど先生もお触れになりましたように、やはりこの放影研におきます今までの研究業績というものは非常に高くアメリカ側も評価をしているということから、今の段階でこのフィフティー・フィフティーの原則というものを変える考えはないということを私どもは交渉の過程で聞いているわけでございます。
そういう意味におきまして、私どもとしては、当面やはりアメリカ側と引き続き交渉しまして、必要な予算の確保ということに努めていくということがまず当面の課題だろうというふうに認識をしております。
○田口委員 そこで、その放影研のもう一つの課題でありますが、特に広島における本部の移転問題というのがもう数年前から大変問題になっておりますが、今言ったような財政状況その他があって、これが非常に難航しておるという状況にあります。このことについて、政府としてどのようにお考えなのか。広島市自体もなかなかこの問題が解決できないということで困惑をしておられるようなので、このことについてひとつ見解をお伺いをしたいと思います。
○谷(修)政府委員 放影研の移転の問題につきましては、過去数年来、広島市の意向を踏まえた上でアメリカ側と交渉してきているわけでございますが、ただ、昨年の夏になりまして、アメリカ側から、米国政府の財政事情によって現時点では移転経費の計上ができないといったような意見の表明がございました。その後、米国側担当者と直接この問題について協議をしてきているわけでございますが、現時点で移転費用の支出が困難であるというアメリカ側の姿勢が変わっていないわけでございまして、私どもとしては、この問題については、外交、外務省の方にもお願いをいたしまして、この移転の実現ということについて引き続きアメリカ側に働きかけをしていきたい、またいかなければならないというふうに考えております。
○田口委員 時間がなくなりましたので、最後に一点だけお尋ねをします。
それは、被爆者である高齢者の医療費負担の問題ですね。年々高齢化が進み、あるいは医療費が増大をするという中で、今の国の被爆老人医療費の助成では地方自治体が非常に困る、やはりこれをもっと増額をしてもらわないと、地方からの持ち出しか大変ふえて非常に財政的にきついという意見を関係の自治体からも聞いておるわけでありますが、この点について今後どのようにされていくのか、お考えを聞き、最後の質問にいたしたいと思います。
○谷(修)政府委員 今お話のございました問題は、昭和五十八年の老人保健制度の制定の前後におきます、原爆被爆者老人を多く抱えている地方公共団体の負担の問題だと理解をしておりまして、これにつきましては、地方公共団体の負担が激変するのを緩和するという観点から、国による特別の補助、いわゆる原爆臨調というものを実施をしてきているところでございまして、この金額が平成六年度におきましては約二十九億円といったような数字になっております。
予算的には年々その充実を図ってきているところでございますけれども、今後とも、この被爆者である老人を多数抱えている地方公共団体におきます老人医療費負担の軽減ということは、この制度を活用いたしまして予算の獲得に努めてまいりたいというふうに思っております。
○田口委員 以上で質問を終わります。ありがとうございました。
○鈴木(俊)委員長代理 三原朝彦君。
○三原委員 紆余曲折の中で、きょうからやっと被爆者援護法の問題が議論されるようになったわけでありますが、その前に、ここまで至る前に、実は三党で合意に至って、それを新しい政府が提案として法案を出してという、その間、各党でも、今政府・与党の方、自民、社会、さきがけ、この中でもかんかんがくがくの議論があったんだと思います。
実は我が党でも、やはり意見はバラエティーに富んでおりまして、特に、この場でも、先ほどの本会議の場でも議論になった国家補償的配慮と国の責任というこの問題、これでは我が党の中でもいろいろ議論が出たわけであります。それも確かに難しい問題です。むべなるかなと思います。
そのことを議論しておりますと、それはやはりさきの大戦、第二次世界大戦に対する国家というものの責任に対してどう考えるかという、そして、それによって被害を受けた人とか、また被害をこうむった物件あたりに対して、では我々はどう考えるのか、こういうことになると思います。その中で、特に今回の場合には無差別大量殺りく兵器、あの当時の新型爆弾。また、それによって放射能に汚染された人は永年にわたって苦しむ。特別な、特殊な爆弾による被害であったという。ここにおいてその認識というものに差異があって、今回、今も最初に申し上げた配慮の考え方が生じてくるんだと私は思うのです。
私自身は、やはりさきの大戦、私は戦後生まれですから、それを知らない時期に、それこそ戦後世代の幸運な時期に生まれて今日まで平和、繁栄を享受して生きてきた。ありがたい。その裏には数々の犠牲や被害を受けた人がおられたということは、それは片時だって忘れてはいけませんが、そういう中で広島、長崎の原爆に遭われた人たちのことをどう考えるかという問題だと思うのです。そのことに関して、もう本会議でも、この席でも、何度かいろいろな人に対する答えを大臣や先生方、冬柴先生やら斉藤先生あたりからございました。
聞くまでもないかもしれませんが、私自身は、明らかに何らかの責任というものがあると。しかし、それをあまねくということになると、やはりこれ、さきの大戦で非戦闘員で亡くなった人あたりのことまでも考えてみるとなかなか微妙な問題だ。本当なら、みんなそういう人たちにも、調べ上げて何らかの弔慰をすることが実は突き詰めて考えると正しいことでもあるかなと思いながら、しかし、そういうことでは、もうこれは明らかに現実的な解決にはならないと思えばこそ、どこかの場面で、これまでは国が問題意識を持ちます、これから先は国民の皆さん、わかってください、理解してくださいということになると思うのですね。
そこのところの微妙な差異が今度の二つのこの法案になったと思うのですけれども、冬柴先生あたりが改革の方の中心になってやられたんでしょうけれども、そこのところをいま一たび、ちょっとお話しいただけますか。
○冬柴議員 本法の一番大切な部分にお触れたと思います。戦争というのは、大なり小なり国民の生命、身体、財産に対して無差別に、程度の差こそあれ大きな被害をもたらす許すべからざる行為だと私は思います。そのような戦争被害は、多くは国民としては受忍しなければならない範囲に、そういう論議でおさめられてしまうんであろう、そういうふうに思います。
しかしながら、この原子爆弾による被害は、三原議員もお触れのように、大変質的にも量的にもその被害は未曾有のものであり、また今後再び地球上のいかなる地点においてもこのようなことが行われてはならないというふうに我々に思わせるに足る、大変な質的に違う被害をもたらしました。そういうことから、政府は、昭和三十一年には原爆後遺症に悩む国民のために医療法を制定され、そしてまた昭和四十四年には特別措置法というものを制定されました。これはもちろん国民合意の上で制定されたものであります。これは原爆という、そういう被爆をしたという人たちだけを対象にしているということをあわせ考えますと、国民は、戦争被害の中でも原爆による被害というものについて、これが特殊であり特別の救済を必要とするものであるという、そういう合意が成立していたあかしであろうと思います。
しかし、我々が不満に思うのは、政府はその両法の制定の折、またこれを執行する折に、他の戦争被災者にそれが波及することを恐れるの余り、これは社会保障的な制度である、すなわち、原爆被爆者が現在置かれている困窮状態あるいは疾病に悩む状態という現在の状態に着目して、国家としてこれを見過ごすことができないから救済をするんだという、そういう立場に終始してきたというふうに思うわけでございます。
今回の政府提案の中で、「国の責任」という、今まで使われたことのない、一つ法律に使われていることはありますけれども、大変不明確を言葉をお使いになった。しかしながら、三十一年、四十四年のこの原爆二法を最高裁判所は五十三年の判決の中で明確に、この医療法は社会保障的制度とともに、その後ろに、なぜこういう原爆を被爆しなければならなかったかということをさかのぼれば、国が戦争を遂行したというその点に絞られるのではないかということを論及しているわけでありまして、したがって、これを国として、国家補償という、講学上そういうような概念がありますが、そういう立場で、戦争を遂行したということの国の責任を、故意過失というものは問われないけれども起こった結果については国が全面的責任を負うという、それをまとめて国家補償と言うならば、そういう制度の根底に国家補償的配慮というものが厳然とあるんだということを判決の中で述べました。
また、五十五年の基本懇でもこれを踏襲されまして、広い意味における国家補償の見地に立って対策は講じるべきである、こういうふうに明確に言われたわけであります。
また、五十六年には厚生大臣も、この基本懇の精神を受けて今後はこのような立場で広い意味の国家補償の立場に立って措置を講じますという約束をされたわけであります。
しかるに、今回提出された法案は、そのような三つの立場と相反する、やはり社会保障的立場というものを出ない、そういう立場で立法されているから、我々は非常に不満なわけでございます。裏返して言えば、我々が言っている国家補償的配慮に立ってということは、配慮のもとにということは、最高裁判決、それから基本懇の答申及び園田厚生大臣の、政府の衆議院本会議場における答弁、この三つの立場とを総合して、そのとおりに我々は基づいてこの法律を構成した次第であります。御理解をいただきたいと思います。
〔鈴木(俊)委員長代理退席、委員長着席〕
○三原委員 裁判でも反対尋問がありますから、政府の方からもちょっとそのことに関して陳述、開陳するのも当然かと思いますが、どうでしょ一つ。
○井出国務大臣 お答えをいたします。
今回の新法は、実は再三御答弁しておりますが被爆後五十年のときを迎えるに当たり、高齢化の進行など被爆者の皆さんを取り巻く環境が大変変化しております、そんな状況を踏まえて、与党の五十年プロジェクトの皆さんが大変熱心に御論議くださって、ようやく合意に達した点を踏まえて法案化したところでございます。現行の被爆者対策をさらに充実させ、保健、医療及び福祉にわたる総合的な対策を講じようとしておるものでございます。
「国の責任において、」いうような表現をあえて使わせていただいたわけでございますが、これは、こうした今申し上げましたような制定の趣旨を踏まえて、被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割を明確にし、さらにまた、原爆放射能という、ほかの戦争被害とは異なる特殊の被害に関し、被爆者の方々の実情に即応した施策を講ずるという国の姿勢を新法全体を通じる基本原則として明らかにしたところであります。
なお、一般戦災者全部を対象というか、国が何かすべきじゃないかという御論議は、与党のチームの中でも大きなテーマでもありましたし、先ほど申し上げましたように、今回改革の方から提案なさっていらっしゃる法案と政府の内容と大きく違っているところでありますが、どうもこれは、心情的にはそういう皆さんまで手を差し伸べられればいいとは思うんですが、具体的な問題になりますとこれは実際到底無理な話だということで、こういう同じ遺族でも被爆者である方と被爆者でない方に区別せざるを得なかった、ぎりぎりなところだったということを御理解いただきたいと思います。
○三原委員 あとはやはり国家の財政の中から何とかしてそれに対する償いをということでありますし、もう一方、冬柴先生や改革の側から見れば筋を通してやれということなんでしょうが、私は、別に井出大臣が私と同じ党から出ておる大臣だからというわけではないんですけれども、どっちかというと結論じみて言いますと、私も実は井出大臣の方に気持ちを傾けておるわけです。とはいいながら、皆さん御承知のように、戦時の未解決問題として一時期がんかんがくがく議論したシベリア抑留と在外資産の問題、それと軍恩欠ですよね。この問題あたり、実は国の責任というものから考えると、原爆でという、その特殊な爆弾でということだけは差異があります。それ以外のところでは、まさに冬柴先生が最初に言われた、戦争によって生命財産が侵されたという点から考えると何ら差異もない。そういう人たちに対しては、我々は解決といいますか、もうできるものはできる、できないものはできないということでやってきたわけです。
それに加えて、僕はもう一つここで、私自身が今度の被爆者援護法に賛同するに当たって、一つだけこれから先思いをいたしていかなければならないと思っているのは、アメリカが第二次世界大戦中に直接に上陸してきた沖縄に対して、我が国が他の地域と地域的に別な観点から物を考えていいんじゃないか、考えるべきだと私は思っているわけです。沖縄に行きますと、ひめゆりの塔とか健児の塔というのがありまして、明らかに彼女たちは非戦闘員で、前線から、前線というかあそこは沖縄全体がもう戦乱のちまたになったわけですから、前線も何もあったものじゃなかったのですが、一歩下がったところで亡くなっていったああいう人たちのことを考えると、非戦闘員の人たちのことを考えると、ここを一つの機会にして、沖縄で亡くなった人に対する国の責任というものに対して、私は問題提起してもいいんじゃないか、そんな気がするのですが、ちょっと政府のそういうことに関する考え方を聞いてみたいと思います。
○井出国務大臣 三原委員おっしゃる沖縄の皆さんに対する思いは、私も通ずるところがあります。また、広島、長崎の皆さんがこの原爆投下によって大変なお苦しみをなさったという点につきましても、戦争が国の行為であり、原爆投下により被爆者のこうむった損失が国家の行為たる戦争に起因するものであることは否定できない、こう私も考えます。しかしながら、戦争という国の存亡をかけた非常事態での行為について、法律論として国の不法行為責任があると言うことはまたできないんじゃないかな、こう考えております。
○三原委員 この沖縄の問題に関してはここで議論するあれでもないでしょうから、また場所を変えて我々は真剣に考えたいとは思っておるところでありますけれども、これも一つの新たな問題提起になる、国の戦争に対する責任に関してなると私は確信するところであります。
次に移りますけれども、特別葬祭給付金についてです。死亡者が生じた場合に、そのところで、原爆手帳を持っておる人と持ってない人の差異もありますけれども、もう一つは、何か余りいい言い方じゃないかもしれませんけれども、親兄弟、親族がたくさんたまさか元気で、元気といいますか長生きした人は、そういう人たちはいい。しかし、何かのかげんで早く亡くなった人は、死亡者に対して書いてある親族が一人か二人なら一人か二人分だけ、そうでなければ多いということから考えると、何だかそこにしっくりいかないものを私は感ずる。やはり亡くなった人は亡くなった人に対しての葬祭の給付金であるべきなんじゃないかな、こう私は思う。その額は今度の場合には遺族の側が十万円、国債でということですけれども、何だかちょっとそこのところしっくりしないのですけれども、問題意識を政府の側も野党の方も持たれなかったですか。
○井出国務大臣 三原委員の御指摘というかお考えもわからないわけじゃございませんが、今回政府の考えておるこの対策はあくまでも生存被爆者対策の一環でございまして、したがって、特別葬祭給付金と名づけているわけでございまして、弔慰金じゃないのもそこにゆえんがあるわけでございます。したがって、特別葬祭給付金につきましては、死没者の数ではなくて生存者の数に応じて支給されることになるわけでございます。
今申し上げましたように、生存被爆者対策として行われるというこの給付金の基本的性格に由来するところを御理解いただきたいと思いまして、そういった意味では、親族が多い少ないによって不平等じゃないかという御指摘は当たらないんじゃないかな、こう考えるものであります。
○冬柴議員 我々も三原委員と全く同じ疑問を持っておりまして、我々の案ではそのように遺族の数によって給付金が変わるという立法措置はしなかったわけでありまして、葬祭を行う者一人に対して給付するという意味で現行の葬祭料と同一の構造をとっております。数人遺族がいたら数回葬儀が行われるとは考えられませんので、そのようにいたしました。
○三原委員 これも妥協の産物なんでしょうけれども、しかし、同じ党だからといっても別にいつも一から十まで賛成するということもないわけでありまして。――今後とも審議に協力してくださいね。その点は私自身はやはりしっくりいかないなという気は当然しておることも率直に申し上げておきたいのですが、次に移ります。
政府の案の四十条と四十一条、調査研究、今さっき田口先生が放影研の話をされましたね。それと平和祈念事業という、私はこの辺に実は大いに力点を置きたいと思うわけでありまして、我々はこの地球上で唯一の被爆国、悲惨な体験を我が国はしたわけであります。その分だけ、今、田口先生が質問なさったときに、この放影研の話、貴重な存在であること、唯一の貴重な存在であることを話されましたが、その面で、私は、これから先、まさに平和事業で祈念するためのモニュメントを建ててみたりとか、そういうことも大切だと思うのですよ。広島に行けば平和ドームが残っていますし、長崎に行けば北村西望さんの平和の像があります。そういうことも私はもちろん大切だと思いますが、それと同時に、例えばこの前、原爆の放射能による影響というだけではない、放射能の影響というのはあらゆるところでありますから。一つの例が、チェルノブイリの問題が起こったときにすぐに対応、何でああしたのかわかりませんが、友好国だからでしょう、キューバあたりが子供たちを呼んでみたりとかいう話を聞いてみたりしましたが、日本にも何人か来られましたが、そういったぐいのときに最もノウハウを持っておるのが我が国なんでありますよね。
そういう点から考えると、まさに広島、長崎あたりは世界の研究の中心、別に核戦争を予想してやるんじゃなくて、全くそういうことじゃなくて、これから先も、いろいろ賛否ありますけれども、ヨーロッパあたりでも原子力エネルギーに対して国では政策がくるくる変わっています。変わっていますが、そういう中で、万々が一ということを考えれば、チェルノブイリだスリー。マイル島だなんということがある。ああいうことから考えると、我々は一つの画期的なことをやる中心になれるんじゃないか。
それこそが実は平和祈念事業の中心になるべきだ、そんな考えもあるし、またそういう科学的なことだけではなくて、平和を希求する国民が世界にみんないるんだという気持ちからなると、かつての中曽根総理のころですか、十万人留学生計画というのがありましたけれども、ああいったぐいのスケールの大きいのをお互いに政治学の面とか経済学の面でもやってみる、そういうことをどんどんやることもこの中に込められればいいがなと私は思っておるのですけれども、その点に関しては、野党の皆さん、そしてまた政府の側の皆さんは、何かより具体的に、より建設的に、より夢がある、より希望があるような、何か夢物語りの話くらいできませんか。
○斉藤(鉄)議員 私も三原委員の御提言に大賛成でございます。
我々の案は議員立法でございまして、政府案のように詳細に将来の事業について検討しているわけではございません。今考えておりますのは、原爆死没者に対する慰霊事業、それから被爆や原爆被害に関する資料の収集、保存というふうなことを漠然と考えているわけでございますが、先ほど三原委員御提案のような事業もやっていきたいと思っております。
日本は特にABCC、放影研がございまして、日本とアメリカは人体に対する放射線影響のデータでは世界一でございます。特に低い放射線量をたくさんの人が浴びた場合にどういう影響が出てくるかということについては、もう多分日本とアメリカしか際立った研究者がいないという現状でございまして、これを踏まえて、これからの原子力時代、また宇宙に行きますと宇宙放射線が飛び交っておりまして、宇宙飛行士は多大な放射線を浴びますけれども、将来の宇宙時代に向けてこれらのデータが生きてくるということも考えられます。当然私どもが提案しております祈念事業の中にもそういうものをどんどん取り入れていきたいと思っております。
○井出国務大臣 平和祈念事業につきましては、先ほど山本孝史委員の御質問にもお答えしたところでございますが、原爆による死没者のとうとい犠牲を銘記し、かつ恒久の平和を祈念するため、原爆の惨禍に関する国民の理解を深めること、また被爆体験を次の世代に伝えること、さらに原爆による死没者に対する追悼の意をあらわすことといったような事業を行うものでございまして、具体的には、原爆死没者慰霊等施設の設置を行うこととしております。
この施設においては、慰霊や平和祈念といった事業に加え、国内外の情報の収集を行ったり、あるいは資料、情報の継承の拠点とするとともに、国際協力や交流等によって国際的な平和のための貢献を行う拠点とすることなども含め、現在その内容について検討を行っているところでありますが、どうか三原議員におかれましても、前向きな夢のある、楽しい具体的な御提案をいただけたら大変ありがたいと思うわけでございます。よろしくお願いを申し上げます。
○三原委員 直接この委員会の話と違いますけれども、一週間ほど前に我が国の外務省が国連で核の問題あたりで提言をしてみたりしましたよね。例えばああいうことをやるにしても、もっと諸外国の国際的な政治学者とか、そういう人たちが集まってやることによってまた新たなアピールができてみたりする。そんなことから考えると、ただモニュメント的なものじゃなくて、私は、もっといろいろ幅広く、「平和を祈念するための事業」という中にいろいろなものを盛り込んでやるという、そういう前向きな姿勢は大いにあっていいんじゃないかという気がしておるものですから、その面では、もうこの法律の運用やそれだけではなく、この法律に固執しなくても、我々はやはり二度と再び原子爆弾による惨禍を地球のどこにも起こさないということが実はこれから先大切なことなんですから、そのことを考えてやっていきたい、やるべきじゃないかということも最後に申し上げて、私の質問を終わらせていただく次第であります。
ありがとうございました。
○岩垂委員長 岩佐恵美君。
○岩佐委員 まず、原爆被害の特徴について、一九七七年、NGOの被爆問題シンポジウムで、第一に、民衆に逃避の余裕、逃げる余裕を与えない瞬間奇襲性、第二に、一定地域の全住民を殺傷する無差別性、第三に、人間のみならずあらゆる生物及び環境を破壊し尽くす根絶性、第四に、人間生活の今、暮らし、心の全面に被害を与え、人間らしく生きることを奪った全面性、そして第五に、被害の持続的拡大性の五つの特徴があると報告をされています。
原爆被害の特別に悲惨な実態について、改めて大臣のお考えを伺いたいと思います。
○井出国務大臣 お答えをいたします。
広島、長崎の原爆被害は、原爆の熱線、爆風、放射線により、広範な地域で多数の人命を奪い、健康上の障害をもたらすなど、悲惨きわまりないものであったと認識しております。健康上の障害については、直後の急性原爆症に加えて、白血病あるいは甲状腺がん等の晩発障害があるなど、一般戦災による被害に比べ、際立った特殊性を持った被害であると認識をしております。
○岩佐委員 ここに、通産省に委託をされている財団法人原子力発電技術機構、この広報企画室が出している原子力ニューズレター、こういう広報誌がございます。ここでは、「世界で初めて原爆の洗礼を受けた同地。」そこで、「広島の地に燃えるアジア競技大会の聖火。」こういうものが行われるのだということで、その受けた同地、「被爆のイメージを極力抑制した大会の演出がさわやかです。」こういう文言がありました。これについて、非常に不適切である、そういう批判を受けて回収をされました。これは十月号でありまして、ちょうど私の事務所にもこれが送られてきて、そして、回収をいたしますという、そういう「お詫びと回収のお願い」という文書も来ております。
私は、本当にこれを読んでひどいなというふうに思いました。「被爆のイメージを極力抑制した」、そういう演出がさわやかだ、こういう表現というのは、二度と再び被爆者をつくらない、そのために被爆の実態を多くの人に語り継ごうと、みずからの苦しみ、悲しみを乗り越えて活動しているそういう被爆者の気持ちを本当に踏みにじるものだ、そう思いました。こういうことはもう許せないというふうに思いますけれども、厚生大臣としてこのことについてどうお考えになられるか、伺いたいと思います。
○井出国務大臣 御指摘の件につきましては、私も新聞報道等で承知はしておりますが、先生おっしゃるように、被爆者の方々の心を傷つけたまことに遺憾な事態であった、こう思っております。
○岩佐委員 私自身非常に感動しました報道について、ちょっとここで御紹介をしておきたいというふうに思うのですけれども、四十九年たって初めて被爆体験を証言された方の例であります。この方は、ことしの原水爆禁止九四年世界大会、その大会の国際会議の分散会でみずからの体験を語った方でありますけれども、六十八歳の女性の方です。
この首をみてください。左の首から胸、いまでもケロイドになっています。そして、顔
も…。戦後、お見合いをして、「だれがあんなお化けと」と、三回断られました。
四十九年たって、今度初めて話したんですよ。だれにも、七年前に亡くなった主人にも話さなかった。さわりたくない、過去には。あの日の真っ青な火を思い出すだけで怖くなる。目をつむれば、あれがみえるんです。同級生や友だちも、ようけ死んでいきました。私だけ生き残ったのが、なにか申し訳ないという気持ちになる。まわりを見回せば私などまだ幸せな方だったと思う、それがヒロシマなんです。それが原爆なんだ、ということを知ってほしい。
この方は、広島の爆心地から一・二キロの軍需工場で被爆をしたわけですけれども、意識をとりもどしたのは、四日後でした。兵隊さんの話では、次から次にできる死体の山を、油をかけては焼き、かたずけているときに、死人の山のいちばん上で手や足が動いでいるので、生きているのではないかと熊手で引き下ろしたのが私だったそうです。その兵隊さんは「ほんの二、三分遅ければ灰になるところだった。あなたは本当に命びろいでした」そういうふうに言われたそうであります。
こういう被爆体験は、私は、やはり本当に語るときは勇気が要ったと思います。そして、だからこそ、聞いた皆さん、私は直接聞いたわけではなくて新聞報道で知ったのですけれども、涙があふれて仕方がありませんでした。多くの人々の心を揺さぶっているんだというふうに思います。
私たちは、こういう過去の本当に悲惨な事態というのを語り継いでいかなければいけないし、決していっときも忘れてはならない。それを何かこういう、被爆のイメージを極力抑制するなどというそんな表現というのは本当にもってのほかだということを改めて思っている次第です。大臣もそういうお気持ちだということでありますので、次にちょっと伺っていきたいと思います。
ことしの六月の本委員会で、国際司法裁判所が核兵器の使用は国際法違反ではないか検討してほしいと各国政府に意見を求めたことに関連しまして、当時の大内厚生大臣の見解を私はこの委員会で伺いました。大内厚生大臣は、核兵器の使用は、これまでの国際法規の精神に照らしまして、そのような大量殺りくあるいは大量破壊の兵器は使用してはならない、細菌であるとかあるいは化学兵器といったようなものは国際法上禁止されているもので、核兵器はそれらに大きくまさるとも劣らないものでございまして、そのようなものが国際法上使用されてはならないということが国際法の精神である、そう答弁をされました。
改めて井出大臣に、この問題についてお伺いしたいと思います。
○井出国務大臣 核兵器の使用が国際法上違法かどうかというのが六月の時点で問題になったことを、私も記憶しております。厚生省として判断を申し上げる立場にはなく、これの解釈は外務省にゆだねるべき問題だとは思いますが、しかしながら被爆者対策を所管する厚生大臣といたしましては、世界で唯一の被爆国の日本でありますし、そこの厚生大臣としての立場から申し上げれば、核兵器の使用は人道主義の精神に反するものであり、二度とあってはならないことだと考えております。
○岩佐委員 これは皆さん御承知のことだと思いますけれども、一九六三年の東京地裁の判決では、
広島、長崎両市にたいする原子爆弾の投下
は、戦争に際して不要な苦痛を与えるもの非人
道的なものは害敵手段として禁止される、とい
う国際法上の原則にも違反すると考えられる。
原子爆弾のもたらす苦痛は、毒ガス以上のもの
といっても過言ではなく、このような残虐な爆
弾を投下した行為は、不必要な苦痛を与えては
ならないという戦争法の基本原則に違反してい
るということができよう。と言っているわけであります。
そういう意味では、アメリカによる原爆投下は国際法違反であるというふうに思いますけれども、その点、いかがでしょうか。
○井出国務大臣 御質問の点につきましては、判例等によれば、国が被爆者に対し法的に補償を行う責任を負うものではない、こう言われていると承知しておりますが、原爆被害という、他の戦争被害とは異なる特殊な被害であることにかんがみ、国の責任において被爆者に対する総合的な援護対策を推進していかなくてはならぬ、こう考えております。
○岩佐委員 国際法違反の行為によって生じた損害に対してアメリカ政府に賠償を要求する権利があったにもかかわらず、日本政府は、サンフランシスコ条約によってアメリカ政府に対する損害賠償請求を一切放棄をしてしまいました。日本政府がアメリカ政府にかわって被爆者とその遺族に賠償責任を負うのは当然だと思います。また、原子爆弾の被害は、国が国民に強制した戦争の結果生じたものです。その点からも国家補償の立場に立ったそういう援護を行うべきだ、私はそう考えます。その点について、改めてお伺いしたいと思います。
○井出国務大臣 御質問の点につきましては、先ほども申し上げましたように、国際法上の解釈にかかわる問題であり、厚生省としてはお答えすべき立場にはない、こう考えております。
○岩佐委員 先ほどから論議をされているように、政府案の「国の責任」というのは、これは原爆被爆者対策基本問題懇談会の報告に沿ったもので、国家補償の立場、国家補償の考え方は含まれない、そういうものだということですけれども、国家補償の被爆者援護、これは原爆被害に対して、さきに述べたような国の責任を認めて、さらに絶対に繰り返してはならない、そういう立場から償いを行うものだというふうに私は思います。
国家補償に基づく被爆者援護法の制定、これは、被爆者はもとより、二度と原爆の被害を繰り返してはならないと誓う広範な国民の長年にわたる切実な要求なんです。国の戦争責任を示すものとして「国家補償に基づく」と、そのことを明記してほしい、これが多くの皆さんの願いなのです。そのことに本当に真っ正面から国がこたえるべきだ、私は改めてそう思うのですけれども、いかがでしょうか。
○井出国務大臣 「国家補償」という用語につきましては、どのような概念を指すものか確立した定義がないことから、被爆者に対する給付を内容とするこの新法においてこの表現を用いますと、国の戦争責任に基づく補償を意味するものと受け取られる可能性が強いこと、また、その場合には、被爆者に対して国の戦争責任を認めるのであれば、一般戦災者の皆さんとの均衡上の問題が生じること等の理由を考慮した結果、今回の新法には「国家補償」の話を盛り込むことは適当でないと連立与党のプロジェクトチームも合意されまして、私どもも、従来からの経緯に基づきまして、同様、適当でないと考えている次第であります。
○岩佐委員 私は、政府が「国家補償」を明記しない、そのことの考え方の基礎には、核兵器廃絶というきっぱりしたそういう政策を持っていない、あるいはそういう姿勢をとり切れない、だからじゃないかなというふうに思うのです。
例えば最近、国連の第一委員会での非同盟諸国の提案による、核兵器使用、威嚇は国際法違反とする裁定を国際司法裁判所に求める、そういう決議、これに対して日本政府は棄権をしました。これが十九日です。それから一方、アメリカの核独占を容認する核不拡散条約、いわゆるNPT条約ですが、この無期延長を支持した核兵器の究極廃絶決議をみずから提案をする、こういう姿勢をとっている。これが私は、その根底にある大きな問題じゃないかというふうに思っているのです。その点についていかがでしょうか。
○井出国務大臣 私ども政府の国連代表が、過日、あれは十八日でしたか、国連の第一委員会におきまして核軍縮決議案を提出し、採択されました。これは、被爆後五十年を迎えるに当たり、被爆国である日本の提案によって、まことに私は時宜を得たものだと思いますが、日本単独で出したのも初めてでございましたし、圧倒的な賛成百四十、反対ゼロでしたか、棄権は八だったと思いますが、ということでおわかりいただけるように、決して日本政府が核廃絶に不熱心とか望んでいないということはないということを御理解いただきたいと思います。
○岩佐委員 非同盟諸国が核兵器について、この使用、威嚇は国際法違反である、そういうことで司法裁判所に対して裁定を求める、そういう決議を棄権をする、このことがどうして核兵器の廃絶をちゃんとやっているということになるのですか。
あるいは、NPT条約については、これはアメリカが核を持つ、あるいは今核を持っている人たちが核を独占をする、そういうものではありませんか。不平等条約だというそういう非常に大きな問題がある。それについて、唯一の被爆国である日本が、核を持つという、アメリカが持ったり、今核を持っている人たちが核を持つことを容認するというようなものを率先して決議をしたり、いろいろ延期することを提案したりとかということは、これはもう論外だというふうに思っています。
この問題だけで私は委員会で議論をするつもりもありませんので、そのことは指摘をして、次に進みたいというふうに思います。
改革の皆さんの対案にちょっと質問させていただきたいのですけれども、改革が提出された対案の「国家補償的配慮」という、こういう言葉は、これも最高裁判決で使われているわけですけれども、政府案の「国の責任」というものとどういうふうに違うのかなという疑問なんです。
皆さんの提案の趣旨説明の中には、「現行二法も社会保障と国家補償の二つの側面を有する複合的性格を持っている」ものだというふうなことで、現行二法のことをそういう位置づけをされておられるので、これと政府案とどういうふうに違うのか、ちょっと改めて伺っておきたいというふうに思います。
○冬柴議員 このような悲惨な原爆被災者が受けた損害というもの、それを現時点の人たちの状態をとらえて、その人たちが原爆後遺症に悩んでいらっしゃる、そしてまた生活上も困窮であり、そして老後、孤独の中で五十年を過ごされたという悲惨な状況だけに着目して、そしてこれを社会保障的な観点からとらえるというのが政府の立場のように思われてならないわけでございます。その点は、基本懇もそのように指摘をいたしております。
我々は、そうではなく、そのような被害を受けた原因をさかのぼったときに、そこには国家の戦争遂行行為というものがあった、この事実を見た上で、国家が国家補償的配慮のもとにこれの損害を相当の範囲で補償する、そういう立場にならなければならない。すなわち、何が原因であったのか、その原因をどう評価するのか、そして今の状態とどう関連づけて考えるのか、そういう点を我々は、国家補償的配慮のもとにというふうにあらわしているわけでございまして、その点に政府案は欠けるところがあるというふうに私は思っているわけでございます。
○岩佐委員 過日、参議院で可決をされた野党の共同提案、ここには、国家補償の精神に基づくというふうになっているわけですね。これとの違いはどうなんでしょうか。
○冬柴議員 確かに「国家補償の精神に基づきこというふうになっておりました。その後、最高裁判決が出たこと、あるいはこの言葉自身が、国家と特別権力関係にあった、すなわち、使用関係にあった人々の被使用人の損害というものを補償する法律で二度使われている、そういうようなことを考えまして、今回我々は最高裁判所のとったこの判断、これを採用させていただいた次第でございます。
○岩佐委員 さらにもう一つ、年金について伺いたいのですが、被爆者年金は、手当を受給している被爆者に支給されるということになる案になっていますけれども、被爆者の中には、全被爆者に年金を支給してほしい、こういう強い要求がありますけれども、こういう要求に対してはどうお考えでしょうか。
○斉藤(鉄)議員 今回の我々の提案は、基本懇答申の趣旨に沿っております。つまり、被爆による放射線障害の実態に即して、必要の原則に従いまして適当な救済措置を講ずるという観点から、参議院を通過したあの被爆者援護法と異なっている、そこを見直したということでございます。
○岩佐委員 次に、被爆者は原爆投下から十年の間が一番苦しかったと言っています。一九七七年に出されたNGO被爆問題シンポジウム報告書で被爆者のさまざまな訴えが紹介をされているわけですけれども、原爆のゲンの字も言わせてもらえなかった、そういうことを言うと、国賊みたいに、あるいはアカだと言われて家族はつらい目をした、血を吐いて死ぬと、あれは胃潰瘍と病名をつけられるし、血便出したら疫痢だと言われ、無傷の人はみんな心臓病という病名をつけられた、十年間に広島の被爆者は、病名をごまかされて死んだ人がどんなに多かったか、私は、何といってもその十年間の被爆者の犠牲が最も大きいと思うと証言をしています。最も心身の障害が進行し、不安定な状態にあった上に、物資の不足、インフレの進行、治療費の自己負担により、多くの被爆者は治療も受けられず、塗炭の苦しみの中で亡くなりました。
大臣にお伺いしたいのですが、被爆後、長年にわたって被爆者を放置し、その苦しみを増大させたそういう責任についてどうお考えになっておられるか、また、特別措置法ができるまでの間に死没した被爆者は何人になるか、その点もあわせてお答えをいただきたいと思います。
○井出国務大臣 昭和二十年代、確かに、被爆された皆さんがその後大勢の方がお亡くなりになったのも期間的には一番多い時期だったと思いますし、敗戦直後の大変な時代でございましたから、その苦しみは大変だったということは十分理解をいたしますし、国としてもっと何かやれなかったかなという思いもないわけではございませんけれども、しかし、あの二十年代の我が国の経済状態、国民一般の生活水準等を考えますときに、なかなか特別な施策を行うことは困難でもあったのかな、こんなふうにも考えておるところであります。
国としては、被爆者の方々に対し、原爆医療法制定までの間、一般の社会保障制度の中で救済措置を講じてはおりましたから、何もせずほったらかしていたというふうには言えない、こんなふうに考えております。
なお、具体的な死没者の数等は、担当局長からお答えいたします。
○谷(修)政府委員 被爆によります死没者の数ということにつきましては、正確な数はわかっていないわけでございますが、幾つかの調査をもとにいたしまして推計をいたしますと、今おっしゃいましたように原爆特別措置法が制定されるまでの間の死没者数ということでは三十万人から三十五万人程度ではないかというふうに推計をしております。
○岩佐委員 原爆によって亡くなられた方は四十五万人とも言われていますけれども、死没者名簿に掲載されている方は約三十六万人程度、六十年に死没者調査を行って以来、本格的調査は実施をされておりません。特別葬祭給付金の支給対象が二十三万人から二十八万人、こういう非常に幅のあるものであります。これは、いかにその実態をつかんでいないかということを示しているのではないかというふうに思います。
死没者の実態、名簿についてこれを機会にしっかりと把握をすべきだ、そう思いますけれども、その点についてお答えいただきたいと思います。
○谷(修)政府委員 政府案の中での特別葬祭給付金の給付対象者、これは基本的には現在生存されている被爆者の方が基本になるわけでございまして、それはことし、平成六年三月末で約三十三万人でございます。ただ、今お触れになりましたように、それらの生存被爆者の方で、政府案がお示ししておりますような遺族の方で、被爆者で亡くなられたという方がどれくらいかということについては、いろいろな調査をもとにして推計はしておりますが、先生もちょっとお触れになりましたように、七割から八割ぐらいというような数で推計をしているところでございます。
なお、死没者の数につきましては昭和六十年に調査をいたしておりますけれども、来年さらにまた実態調査をするということを予定いたしておりますけれども、その中で補完的な調査もしていくということを予定いたしております。
○岩佐委員 特別葬祭給付金、これは原爆投下時までさかのぼって支給される、そういうことになりました。このことは私どもは前進ということで評価をいたしておりますけれども、生存被爆者対策として位置づけられているために、先ほどからも議論になっていますが、被爆者でない遺族には支給されないわけですね。
調布市に住んでおられる光広さんという御夫妻の例ですけれども、当時広島に住んでいて、御主人は出征中だったのですけれども、御主人のお父さん、お母さん、それから祖父母、弟さんや妹さん、そして奥さんの九人がいたわけですが、原爆によってお父さんと奥さんだけが助かって、その後、お父さんも歯茎から出血や頭髪が抜けるをどの症状があらわれて寝たきりになった後、亡くなってしまいました。この光広さんの例で言うと、八人も亡くなっているのに、御主人は被爆者でないため対象とならなかった。そしてまた、奥さんは血族でない、そういうことでまた今度の支給対象にならないということになってしまうのですね。
こういう方は当然支給すべき人になるというふうに思うのですけれども、そういう点、いかがでしょうか。
○谷(修)政府委員 先ほど来御説明をさせていただいておりますように、今回の特別葬祭給付金というのは、死没者の方々と苦難をともにした遺族の方であって、自身も被爆者であるという、いわゆる二重の犠牲に着目をして生存被爆者対策の一環として実施をするものでございます。この考え方につきましては、先ほど来お話のありますように、一般戦災者との均衡の問題、そういったようなことが与党の中でいろいろ議論をされまして、ぎりきりの範囲内でこの制度、生存被爆者対策としてやるということでございます。
そういう意味では、今お話のございましたようなすべての方に、すべての被爆者の遺族の方に支給をするということではございませんので、この特別葬祭給付金が支給されないという方がおられるわけでございますが、この政府案におきましては、こういったような死没者の方あるいは遺族の方々に対しましては、平和を祈念するための事業ということの中で国としてそれぞれの方々のとうとい犠牲を銘記し、またあわせて追悼の意を表してまいりたい、このように考えているわけでございます。
○岩佐委員 東京の被爆者の方の声があります。「父母の死を国が認めてくれて嬉しい。でも知り合いに貰えない人がたくさんいる。広島にいたらもらいにくかった。東京にいてよかった」と言っておられるわけですね。
被爆後十数年の間に亡くなった方と苦労をともにした遺族に弔慰のための給付金、これが差別がある、そういうことで、本当に遺族の中でぎくしゃくが起こるということになるわけですね。これは私は何か、今の御答弁を伺っていて、冷たいな、実態に合わないな、そのことを本当に改めて思うのですね。金額的にもそんなに大きな差になるわけでないでしょうし、原爆被害という特殊性にかんがみて、本当に、そういう遺族の中に差をつくるような、そういうことはやるべきではないというふうに改めて思いますけれども、その点いかがでしょうか。
○井出国務大臣 再三御答弁申し上げておるわけでございますが、なかなか先生のお気に召さない答弁になって恐縮でございますが、生存被爆者対策の一環として考えておるものですから、これが制度としてはぎりぎりの範囲内だと申し上げる次第であります。
○岩佐委員 そこのところは納得をしない。私のお気に召さないということではなくて、やはりそういう被爆者の遺族の方々、あるいは国民が見てもおかしいというふうに思うことだと思います。
次に、被爆二世のことについて伺いたいと思います。
先ほどもちょっと触れられましたけれども、三年前に発表した被爆二世調査では、四人に一人は健康に自信が持てないと答えています。体がだるい、腰痛、胃腸が弱い、風邪を引きやすい、病気が治りにくい、貧血など、さまざまな異常を訴えておられます。みずからの不安、あるいはそれだけじゃなくて、みずからの子供あるいは被爆三世への不安、そういう不安を持っておられる方は六五%にも達しています。被爆二世健診だけじゃなくて、被爆者調査と併合した被爆二世の実態調査を行う、そういう必要があると思いますし、また医療の給付の対象にするなどの措置を考えるべきだというふうに思いますけれども、その点についてお伺いしたいと思います。
○谷(修)政府委員 先ほども御議論があったところでございますが、被爆者の方の二世の方につきましては、過去、長年にわたって主として放射線影響研究所を中心としまして研究調査をやってきております。ただ現在までのところ、原爆によります放射線の遺伝的な影響というものは医学的、科学的には認められていないということでございまして、具体的には、例えば成長の問題、あるいは発達の問題、あるいは死亡率の問題等々の調査をやってきております。また現在では、遺伝子についての研究も一九八五年から実施をいたしてきておるところでございます。
そういう意味で、被爆二世の方に対して新法を適用するということは私どもは考えていないわけでございますが、ただ被爆二世の方に対しまして、従来から希望者の方については健康診断を実施をしてきておりまして、この施策については今後とも引き続いて実施をしていく予定でございます。
○岩佐委員 医療特別手当の支給を受けている方は今二千五人です。特別手当受給者は千五百八十一人で、全被爆者のそれぞれ○・六%、○・五%にしかすぎません。なぜこんなに少ないのか、また認定率はどの程度になっているのか、その点について伺いたいと思います。
○谷(修)政府委員 医療特別手当あるいは特別手当というのは、御承知のように、原子爆弾の放射能に起因する負傷あるいはまた疾病に現にかかっておられる方に特別に支給されるものでございまして、学識経験者によります審議会の意見に基づいて認定を行っております。数字につきましては、今先生がお触れになったとおりでございます。
この放射能に起因することが明らかでない場合を除きまして、被爆放射能との関連がある障害にかかっておられる被爆者である方には、別途健康管理手当の支給が行われておりまして、この健康管理手当については現在二十四万人の方が支給をされております。
認定率でございますが、平成六年度におきましては、申請件数が二百九十件に対しまして、認定件数が百五件となっております。
○岩佐委員 原爆による認定疾病患者となるには大変な厳しい条件がつけられている、これはもう広く知られているところなわけですね。こういうふうに言われているのですね。「がんや白血病で片足を棺おけに突っ込まないと認定されない」。本当にひどい話だと思うのですね。
それで、これもある新聞で紹介されたのですけれども、五十九歳で亡くなられた原爆孤児の方ですけれども、この方が、この問題について遺族の方が告発をしています。
この五十九歳で亡くなられた方は、十歳のときに被爆をしています。広島で被爆をしているわけですが、「十歳の少年を襲った原爆はここの方を「孤独、差別、病気に追い込み、ついには今までも奪い去りました。国は、親たちの死への償いも、福田さんの苦難への償いもしませんでした。五十九歳の命を閉じるまで、国が福田さんをすすんで助けたといえるのは、被爆後二カ月間、炊きだしのおにぎりだけです。」こういう方なんですね。
この方が原爆症だということで認定されたのは亡くなられた後でした。そういう本当に悲惨な例があるわけで、こういう方のような例を二度と繰り返さないためにももっと国は誠意を持ってこの事態に取り組むべきだ、そのことを私は指摘をしておきたいと思います。
何かあれば答弁をいただきたいと思いますし、大臣の決意でも結構です、ぜひ前向きにこの問題については取り組んでいただきたいというふうに思います。いかがでしょうか。
○谷(修)政府委員 今の特別手当の認定ということにつきましては、放射線の影響が現にあった者に対する特別措置ということで位置づけられておりまして、そういう意味では放射線の影響があるということが重要な要件の一つでございます。これにつきましては、被爆の状況とあわせまして疾病の状況等を原子爆弾医療審議会において総合的に判断をいたしているところでございまして、その認定に当たっては今後とも適切にやってまいりたいと考えております。
○岩佐委員 もう一問、最後にちょっと伺いたいと思います。
相談事業が法定化された、これは非常によいことだというふうに思いますが、これを機に国の相談事業費を増額すべきだというふうに思います。また、被爆者が少ないところほど制度が知られていない。概算要求ですべての都道府県に拡大することとしていますけれども、ぜひこの点、実態を調べながら拡充充実をさせていっていただきたいというふうに思います。
さらに、日本被団協の原爆被爆者中央相談所、ここにも補助金を出してほしい、そういう要求があるわけですけれども、その点あわせてお答えをいただきたいと思います。
○谷(修)政府委員 この相談事業につきましては、昭和五十一二年度から実施をしておりますが、現在までのところでは被爆者が五千人以上おられる都道府県で実施をするということになっておりますが、来年度においてこれを全都道府県で実施できるように予算の要求を現在しているところでございます。
なお、この事業は都道府県が実施をする事業という形で位置づけられておりますので、今お話のございました被団協の実施する相談事業に助成をするということは考えておりません。
○岩佐委員 終わります。
○岩垂委員長 衛藤晟一君。
○衛藤(晟)委員 私は、議題となっております政府案及び改革案について、基本的な論点に絞ってお尋ねをいたします。
まず最初に、政府案の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案についてお尋ねをいたします。
御承知のとおり、昭和二十年に広島及び長崎に投下されました原子爆弾は多数の人々の命を一瞬のうちに奪いました。また、一命を取りとめられました被爆者にも生涯いやすことのできない傷痕と後遺症を残したのであります。こうした原爆放射能による健康被害に苦しむ被爆者の方々に対し、政府はこれまでにいわゆる原爆二法に基づいてさまざまな施策を講じてきたところでございますが、他方、被爆後五十年近い時間が経過し、被爆者の方々の高齢化が著しく進んできております。このような状況を踏まえまして、与党において真摯で責任ある論議を積み重ねた末、十一月の初旬に与党三党の合意を見たところであります。これを踏まえて、今回の政府案は被爆者対策を大きく前進させるものであり、現状で考え得る最善のものであるというぐあいに私は確信をいたすものであります。
そこで、まず政府案の制定の趣旨、それから基本的考え方についてお伺いをいたしたいと思います。
○谷(修)政府委員 今お話ございましたように、被爆者対策につきましては、これまでいわゆる原爆二法に基づいて各般の施策を講じてきたところでございますけれども、今般、与党におきますプロジェクトチームの結果を受けて、高齢化の進行など被爆者を取り巻く環境の変化を踏まえ、現行の施策を充実発展させた総合的な対策を講ずるということにいたしたわけでございまして、今回の新法は、こうした状況を踏まえまして、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて国として原爆死没者のとうとい犠牲を銘記するものでございます。
具体的には、被爆者対策の実施主体としての国の責任の明確化、特別葬祭給付金の支給、平和を祈念するための事業の実施、また諸手当にかかわります所得制限の撤廃、従来予算措置で行ってまいりました福祉事業の実施及び補助の法定化、調査研究の促進等をその内容としたものでございます。
○衛藤(晟)委員 次に、その政府案の前文にございます、私どもも今回の経過につきましては、余り普通の法律では見られないけれども、ぜひ前文を入れようではないか、そして、大変な苦しみを受けられて、そういう中で一瞬のうちに命を失った方々、あるいは長い間いやすことのできない傷痕と闘いながら、後遺症に苦しみながら命をなくした方々、そういう方々に対して心からの慰霊の気持ちを込めて法律の中に盛り込むべきである、また、長い間苦しまれた方々に対して本当に心から大変でありましたねと、そして御苦労さまでございますという慰労の気持ちを込めた前文をつくるべきである、法律の中に盛り込むべきであるということを当初より主張させていただきました。そして、さらにはそのことを通じて核の廃絶と恒久平和を祈念したい、一つの大きなスタートにしたいという意味を込めてということでこの前文を盛り込むことを主張させていただきました。
この政府案の前文の中におきまして、「国の責任において、」総合的な援護対策を講ずるということが新たに規定をされているわけでありますが、この表現は今までの原爆二法では用いられなかったものでございますが、この場合の「国の責任」とはどのような意味であるのか、また国の戦争責任を意味するのかということについてお尋ねをいたします。
○谷(修)政府委員 今回の新法は、被爆後五十年のときを迎えるに当たって、被爆者を取り巻く環境の変化を踏まえ、現行の被爆者対策を充実発展させる、あわせて保健、医療及び福祉に対する総合的な対策を講じるということを基本的な考え方といたしまして、この新法におきましては、特にこの前文の中に「国の責任においてこという表現を盛り込みましたのは、そうした制定の趣旨を踏まえまして、被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割を明確にし、原爆放射能という、他の戦争被害とは異なる特殊の被害に関し、被爆者の方々の実情に即応した施策を講じるという国の姿勢を新法全体を通じます基本原則として明らかにしたものでございまして、この「国の責任」という言葉自体は、事業実施の主体としての国の役割を明確にしたものでございます。したがって国の戦争責任を意味するものではございません。
○衛藤(晟)委員 次に、改革案の原子爆弾被爆者援護法案についてお尋ねいたします。
改革案では「国家補償的配慮に基づきこというぐあいに前文に規定をされておりますが、この場合の「国家補償」とは国の戦争責任に基づく補償を意味するものなのか、また、国の戦争責任に基づく補償を意味するものでなければ、国のどのような責任に基づくどのような性格の補償を意味するのかということについて提案者の明確な御所見をお伺いいたします。さらに、その意味がこの法案のどの部分で具体化されているのか、明らかにされているのかについてもあわせてお尋ねします。
○冬柴議員 「国家補償的配慮に基づきこという言葉は、先ほど来何回もお答え申し上げておりますように、昭和五十三年の三月三十日の最高裁判所第一小法廷判決、この中で明確にこの言葉が使われております。また、五十五年のいわゆる基本懇の報告の中にも、「広い意味における国家補償の見地に立って」対策は講ずべきである、こういう言葉が使われておりまして、「国家補償」という言葉がこの文章にあります。また、五十六年、園田厚生大臣は、衆議院の本会議でも、この基本懇の答申を受けまして、今後この被爆者対策というものは広い意味における国家補償の見地に立って講ずべきものであると考えます、このような答弁をしていられるわけでありまして、我々はこのような有権的判断あるいは政府の行政的判断、こういうものに依拠いたしましてこれを使ったものであって、決して目新しい言葉ではありません。
それから、それが国の戦争責任を認めるのか、この問題でありますけれども、我々はそのようには思っておりません。責任を認めるという意味を込めて使ったわけではありません。
講学上、いろいろ、国が公権力行使の場面において私人に対して損害を与えた場合、これをどう補てんするかというのにはいろいろな考え方があります。国家機関の中に故意過失があった場合には、憲法十七条による国家賠償法という法体系によってその損害はてん補されます。また、国家の行為が適法であった場合には、憲法二十九条三項による損失補償という法体系によってこれが補てんされると考えます。しかしながら、今回のように、国家の行為、戦争行為、遂行行為というものは高度の統治行為であります。そういう意味で、それについてそれの適法性とかあるいは故意過失というものを考えるまでもなく、その結果起こった結果あるいは引き起こされた危険、こういうものについて国が相当の補償をしなければならないという法意が国家補償の、いわゆる講学上使われている国家補償というものの法体系であります。我々はそのような意味でこれを使っておりますし、最高裁の判決あるいは基本懇の答申の中の説明書もそのような意味合いで使われているものと考えておりまして、決して、これは国の戦争責任を真正面に認めて書かれた言葉ではない、このように理解をいたしております。
○衛藤(晟)委員 大変ありがとうございました。
私は、そういう意味であるのであれば、この「国家補償」という言葉を入れるということは極めて大きな誤解を招くと思いますね。
冬柴先生は、先ほどだれかの質問に答えて、例えば最高裁判決を引用いたしまして、そしていわゆる戦争遂行主体であったというぐあいに言いましたね。そのときに、戦争を始めた責任ということをちょっと言っているのですね。戦争を始めた責任が国にあって、そして戦争遂行主体であったという引用をしている。
ところが、最高裁判決には、戦争を始めた責任だとかそのような形のいわゆる不法行為責任に基づく賠償みたいなことは一言も書いてないのです。御承知のとおりであります。今そうでありませんよとはっきり言われた。ところが、先生みずからが今答弁の中では、戦争を始めた責任は国にある、そして戦争遂行主体であったから国家補償という言葉を使ったんだというぐあいに答弁されているのです。
このように極めて大きな誤解を招きやすいのです。それは、いわゆる国家補償という言葉の中に非常に多くの意味を含んでいる。含んでいるゆえに、いろいろな方がいろいろな思いを込めてこの国家補償という言葉を使うものですから、どうしても、本当に先生が今のように、そのような国の戦争責任とかそういうことではないということをはっきり言われるのであればあるほど、そうではないということを明確にしなければいけないと思いますね。そのことを基本懇ははっきりと言っているわけですね。ですから、基本懇の方は、そういう立場では、いわゆる「広い意味における国家補償の見地」ということは、戦争遂行に関し国の不法責任を是認したり、あるいは賠償責任を認めるという趣旨ではありませんよ、あくまでも一般の戦争被害とは、損害とは一線を画すべき特別の、大変苦しい苦しい放射能被害であったという実態に照らしてやるんですよ、その結果に照らしてやるんですよということを言っているのですが、どうですか、その点。
○冬柴議員 ですから、我々は最高裁判決及び基本懇の答申を踏まえてこの法案を立案したものである、このように申し上げているわけでありまして、あなたの読まれた基本懇のその後に、国家が戦争遂行したその結果生じた結果責任、括弧して「危険責任」というふうに言っていたと思いますけれども、それに対して補償する、そういう考え方がその中に盛り込まれているのでありまして、我々が今答えていることは何ら矛盾していないし、それからまた誤解の生じようもないほど有権的判断が示されているわけであります。むしろ「国の責任」という言葉こそ非常に不確かでありまして、今まで、いろいろなその立法過程における妥協の結果使われたことが一例あるようでございます。
未帰還者留守家族等援護法、昭和三十四年、この中に「国の責任においてことたしか書かれていると思います。いろいろな言葉が使われております。台湾住民弔慰金法は「人道的精神に基づきこと書かれていますし、それから戦傷病者戦没者遺族等援護法とか戦傷病者特別援護法には「国家補償の精神に基づきこういう言葉が使われておりました。
我々はそういういろいろな言葉の中で、この原爆二法は今後どう措置すべきかという基本理念を厚生大臣の諮問機関である基本懇が明確に、今後は「広い意味における国家補償の見地に立って」措置を講ずべきだ、こういうふうに言われて、園田厚生大臣もそれを認められたわけですから、我々がそれを使うことが、決して委員が心配されるような結果を招くものでない、そういう確信のもとに今回使っているわけでありますから、御理解をいただきたいと思います。
○衛藤(晟)委員 誤解を招く心配があるからこそ言っているわけですね。ですから、仰せのとおりに国家補償という言葉はいろいろな意味で、先ほどから説明ありましたように、不法行為責任に基づく損害賠償だとか、あるいは適法行為に基づく損失補てんだとか、それから最後に今お話もございましたが、使用者として行う補償という意味もあります。それから、結果責任に基づく補償という、これでもって言っているんだということですね。ところが、そうすると、一般戦災の方にはどういうぐあいにされるんですか。
○冬柴議員 先ほど来申し上げておりますように、戦争行為というのは許すべからざる行為ではありますけれども、国民に多かれ少なかれ、程度の差こそあれ、その国民の生命、身体、財産に対して重大な損害を及ぼすものでありまして、一般的に見れば、その戦争の損害というものについては国民が受忍しなければならない場合が多いと思います。国家がそれを賠償するということは、国民の税金でそれを賄うわけですから、多くの人が損害を受けた以上、それをてん補するというのは非常に困難な場合がありますから、基本懇も言っているように、それは受忍をしなければならない場合があります。
しかしながら、今回の原爆という、人類がかつて経験をしたことのない、このような非人道的な兵器によって非常に多くの人に、大量にして、そして耐えることのできない質的な、今まで経験したことのない残虐な非人道的な結果をもたらした、そして、戦後五十年たつ今日もなおその傷痕はいえていない、ますます苦しんでいる、こういう事実を国民は納得をして、昭和三十一年には原爆被災者に対して医療法を制定したではありませんか。また、四十四年には特別措置法を制定したではありませんか。これは国民の総意でありまして、原爆という非人道的な兵器が使われた結果生じたその結果に対して国民が共有の財産で、税金で、その人たちだけの犠牲にしてはならない、我々で少しでもてん補しようという、こういう国民のコンセンサスがあったからこそ原爆二法は制定されたのではないでしょうか。
そういう意味で、今回戦後五十年を迎えるに当たって、なお皆様方が足らざるところと主張されて久しいこの問題について、我々は、この二法を統一をし、そして、足らざるところを補って一つの法体系をつくっていこう、こういう考えてあります。御了解いただきたいと思います。
○衛藤(晟)委員 ちょっと答えになってないと思いますけれどもね。恐らく明確に答えられない。恐らく、他の戦争被害の方に関しては受忍できるものである、それに対して行わないんだという意味だと思うんですね。そうしますと、今回の場合は、直爆で亡くなった方の遺族に出そうという皆さん方の案ですね。そうすると、それと国家補償という言葉が結びつくとどうなりますか。
○冬柴議員 東京大空襲で焼夷弾直爆を受けて亡くなった方、また、一艦砲射撃で一家全滅になった方がいられることはわかっておりますし、私も満州で大変な戦争被害を受けた体験を持っております。母も亡くしました。しかし、そのような戦争被害は、先ほど来言いますように、あの当時生きた日本国民、多かれ少なかれ、耐えることのできない被害を受けたわけでございます。
直爆死とおっしゃいますけども、原爆で亡くなった方、原爆二法というものはもう厳然と今、国民が原子爆弾というものの非人道性というものに着目して、その結果生じた損害というものは他の損害とは際立った特異性があるという観点に着目をして、今原爆二法はもう現に施行されているわけでございます。したがって、それの延長線上で、直爆で亡くなった方、それじゃ、一カ月生きて亡くなった方には政府案でも、あなた方の案でも補償しなきゃならないということになるんじゃないでしょうか。我々は、そういう非人道的兵器で亡くなったということに対して着目して、これに対して補償するということは、いや、それに対して国家が関心を示すということは何ら矛盾するものでない、このように思います。
○衛藤(晟)委員 それは明らかに論理矛盾を起こしていますよ。これは、最高裁も言っていますように、「原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んでこそういうふうに書いてある。放射能被害というものはそれほど過酷だよ、普通のものとはちょっと違うんじゃないか、それだけに、国民の皆さん、この悲惨な結果に対して、悲惨な健康に対する影響に対して、みんなでできるだけのことをしようじゃありませんかと言って二法ができたわけです。しかも、それは広い意味での国家補償的見地という言葉を使っていますが、そのときに間違えられないように基本懇でこれだけくどく書いているんです。それは一番御承知のことです。
だから、皆さん方が使っていらっしゃるのは、あえて間違われるように使っていらっしゃるんですよ。そして、そうでなければ、政府が出している案は、だからこそ生存被爆者に対することをやるんです。それだって広い意味のということになります。しかし、被爆された方々が、手帳を持たれている方々が、二重の意味で、自分の肉親を、近い肉親を亡くしたということについて、本当につらかったねと、五十年間本当につらかったねということの意味を込めてこれは出しているんです。そこが基本的に違うんです。
皆様方は一般戦災と明らかに区別しょうがない者に対してでも出すということは、そしてかつ、これに「国家補償的配慮」という言葉が持ち込まれると、明らかに国民意識の中に混乱を起こすんです。このことが我々も非常に苦労したところなんです。何としても弔意をあらわしたい、本当に大変だった、そういう気持ちをあらわしたい、そして核廃絶の願いを明らかにしたい。しかしながら、この原則というものをいかにクリアしていくのか、このことがどうしてもなかなか一致できなくて今まで苦労してきました。その中で、私どもは自社さきがけの中で本当に真摯な議論を重ねました。その中で出てきた、ああ本当にこれはよかったなと思ってこの政府案に私は賛同している次第であります。
冬柴先生の言われているのは、そういう意味では明らかに誤解を招くであろうということはわかるにもかかわらず、これだけの国家補償についていろいろな意見があるにもかかわらず、だからこそ基本懇ではこれだけの丁寧な説明をしているにもかかわらず、非常に軽々に使い過ぎている。そして、その中身もそういうぐあいになっているんですよ。
いいですか。今の葬祭料、昭和四十四年に出し始めたときは、自分が死んだ後大変だ、線香の一本も上げてくれないかもしれない、だからその心配を、大丈夫ですよと解消するためにわずか一万円からスタートしたんです。今自分が死んだ後の葬式もちゃんとやってくれないかもしれない、それでは困る、その安心のために、大丈夫です、あなたが亡くなってもということをしたんです。
しかし、それを簡単にさかのぼって遺族にそのまま出すということは意味が違うんですよ、決定的に。そのことの意味をわざと取り違えるかどうか知りませんよ。意識的にか無意識的にかわかりませんよ。しかし、その中でまた「国家補償」という言葉を使ったら一体どうするんですか。責任ある政治なんと言うけれども、とてもそうは思えないのかあえてやったのかそれはわからないけれども、そこのところについて明確にお答えいただきたいと思います。
○冬柴議員 私の言うことは今まで随分言ってきたとおりでございますけれども、政府の方が、生存被爆者に対する心の安らぎというもので葬祭料を払う、このような説明のもとに、現在、一人亡くなったときに葬祭を行う者一人に対して、幾ら肉親がいても一人に対して十四万九千円の葬祭料を支払っていられるわけです、現状においては。それを受け取る人は健康手帳を持っていない人に対してでも払っていらっしゃるわけでございます。そういう事実をまず頭に入れていただきたいと思います。
なぜに四十四年三月三十一日をもって区切り、その以前の人には何らそういうものを渡さず、そしてその以降の人に対しては一万円から出発して今日十四万九千円になっている、この不均衡、この不正義、こういうものに対して被爆者の方は久しく訴え続けてこられたわけです。そういう意味で、我々はこれを政府案のように「葬祭」という言葉を使わずに、特別給付金という形でこれを生存被爆者のために、これは政府の場合は生存被爆者のうち生存遺族に対してやっていらっしゃるわけで、生存遺族に対してやらなきゃならないというような答申はどこにもありません。そういう意味で、間違っていらっしゃるのではないか、このように思います。
○衛藤(晟)委員 それでは十四万九千円にするか四十四年スタートしたときの一万円というのなら一つの理屈は立つのですよ。しかも、これは被爆をしていない遺族に差し上げるということは、この原爆を受けられた、健康上の苦しみを受けられたという苦しみを直接された方々に対してしようというのがもともと法の趣旨なんですよ。だから、亡くなった方の遺族、昭和二十年直接亡くなった、それは焼夷弾で亡くなった方も原爆で亡くなった方も我々としては区別のしようのないことなんですよ。大変つらいことでありますけれども、低別をしたいけれども、区別のしょうがないのです。だから、そうすると、その遺族に何で十万円を差し上げるという根拠があるのですか。十四万九千円でもなくて一万円でもなくて何で十万円なのかわからないのですよ、皆さん方のは。
○冬柴議員 国家補償の法理というのは、講学上、立法政策上の問題で、国民がその行為によって受けた損害のうち相当部分を支払いを受ける、こういう制度なんですよ。ですから、我々としては、それはもう十万円では償えないそういうような大きな、二十万円でも百万円でも償えないものではあろうけれども、この際五十周年を刻むときに、今まで放置されていた人たちに対して十万円をお支払いをしよう、そういう我々の不戦の誓いといいますか、そういうものを込めた我々の立法趣旨でありますから、御了解をいただきたいと思います。
○衛藤(晟)委員 ですから、このような形の給付金を支給するということは、空襲だとか焼夷弾とか艦砲射撃で肉親を亡くされた方々と原爆によって亡くなられた方との間に法律による死の重みの違いを設けることは極めて難しいのですよ。それによって一般戦災者との均衡上著しい不均衡を生ずることになるのですよ。この皆さん方の言われるような給付金を支給する以上、たとえどのような解釈論を展開しても、「国家補償的配慮」に基づくの表現は国の戦争責任を認めたものというぐあいに解釈されざるを得なくなるのですね。だから、ここのところをちゃんと整理をしなければいけないというぐあいに思います。
それから最後に、そういうぐあいにもしなってくると、国内外からもこの戦後補償問題についても大変大きな対応を迫られると思いますが、その財政負担は大変大きな額に達するのだろうと思います。その負担は結局は国民に求めなければいけないわけでありますが、国民の皆さんにそれだけのことを求める覚悟と合意を得るだけの自信がありますか。それだけ。
○冬柴議員 直爆死、いろいろ独自の議論展開ですけれども、政府案も、直爆死についても今回特別葬祭給付金を払われるのじゃないでしょうか。
それから、こういうことがいろいろに波及するとあなたはおっしゃるけれども、私はそうは思いません。それですから、我々がそれを国民に、この法律をつくることによってそれ以上に負担を求めなければならない、覚悟はあるかどうかと言われましても、我々はそういうことは起こり得ない、このような判断でありますので、御了解をいただきたいと思います。
○衛藤(晟)委員 最後になりますけれども、今お話し申し上げましたように、「国家補償的配慮」という言葉、そして皆さん方のこの特別給付金という、直接被爆による死没者までさかのぼられてその遺族に出すということは、私は、他との不均衡の問題、また国民の皆さんに大きな誤解を与えると思います。先ほどから何度も申し上げておりますように、基本懇でも、ぜひ国民の皆さん誤解をしないでくださいよということをあれだけ丁寧に書いてあるのです。そういうことが一言も入らないで、余り軽々に使うということは好ましい法律案だというぐあいには余り思いませんね。それよりも我々は、私どものこの前文にも書いておりますように、まさに慰霊、慰労の願いを込め、そして核廃絶と恒久平和への願いを込めて、国の責任でこの被爆者対策を行うということが最もすばらしい案ではないのかなと思っておりますので、それで質問を終わりたいと思います。
以上です。どうもありがとうございました。
○岩垂委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。








2018年2月12日月曜日

原爆症認定制度の問題点と在り方(伊藤直子)



社団法人 日本被団協原爆被爆者中央相談所
理事 伊藤 直子

自己紹介
私は1970年から日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)で働き、1978年に社団法人 日本被団協原爆被爆者中央相談所(被爆者中央相談所)設立後は、全国的な被爆者の相談事業に携わってまいりました
中央相談所では、「被爆者相談110番」事業に寄せられた10万件を越える電話、手紙、来訪など相談に対応してきました。また、毎年全国8ヶ所で開催された相談事業講習会では、医師や関係者と被爆者施策の活用などについて啓蒙・普及をはかってきました。
その結果全国的に被爆者対策の活用がすすみ、相談に対応できる被爆者相談員が養成されています。


原爆症認定と被爆者の思い
40年にわたる被爆者相談活動の中で、つらかったことのひとつは、原爆症の認定を求める被爆者の相談に十分に応えられないことでした。
原爆症認定を求める被爆者は、時代の流れの中で変化はありましたが、「国に被爆してからの苦しみは原爆のせいだ認めてほしい」という一貫した思いがあります。
身体が悪くて思うように働けない、怠け者と思われてつらいなどの原因が、自分の責任ではなく、遡れば被爆したことにあることを国に認めてほしいということです。
被爆者健康手帳や各種の手当は都道府県知事が交付または支給の認定をしています。被爆者対策で、唯一(厚生労働大臣)が認定する原爆症認定制度に被爆者は強い思いを寄せることになるのです。
しかし、入市や直爆でも2㌔をこえた被爆者の申請は却下され続けました。
被爆者や関係者の中に、原爆症認定は厳しくて、申請しても無駄あきらめがあったことも確かです。
私も認定を希望する被爆者に「原爆症の認定申請は誰でもできますが、この被爆距離では多分却下されますよ」とこたえていました。
私自身がまるで認定申請を自己規制するための先導役をしていたのではないか、という反省があります。
認定申請の却下処分に対して異議申立てを援助し、これも棄却され、裁判を提訴するかを検討したとき、「裁判をしたい気持はあるが、プライバシーが明らかになるから困る、「国を相手に裁判なんてできない」などとあきらめざるをえなかった多くの例があります
その中の一人に、4歳の時広島で被爆し、足ケロイドに皮膚がんが発症したために、認定申請をした女性がいます。
皮膚がんのほかに体がだるい、疲れやすいなど主婦として十分な事ができないと苦しんでいました。そんなこともあったのか夫は家に帰らなくなり、皮膚がんの手術で入院している時に離婚届けが出されていました。子供2人は彼女が引き取りました。
2.4㌔で被爆した彼女には、「皮膚がんになったのは自分の責任ではない、絶対原爆によるもの」という確信があります。せめてそれを国に認めて欲しいと願ったのですが、被爆距離の壁の前にあきらめざるを得ませんでした。
これは一つの例に過ぎませんが、こうして被爆者は原爆症認定申請を自己規制することになっていったのだと思います


認定制度の経過
原爆症認定制度は、1957年の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)」制定によって、原爆症と認定された疾病に対しの負担で医療を給付する制度としてスタートしました。
この当時は、がんのほか、現在では全く認定されない熱傷瘢痕いわゆるケロイドやガラス片などの体内異物混入による「負傷」や慢性肝機能障害が多く認定されていました。
1960年に「一般被爆者」、「特別被爆者」という制度が設けられ、「特別被爆者」に一般疾病医療費が支給されることになり、健康保険による自己負担が被爆者健康手帳によって負担されることになりました。同時に入通院する認定被爆者に医療手当が支給されることになります。
1968年に「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)」が制定され、認定被爆者に月額1万円の特別手当が支給され疾病や所得などの制限はありましたがそのほかの被爆者に3千円の健康管理手当支給れることになりました
当時生計の中心でありながら、病気がちで働けないといった被爆者にとって特別手当、医療手当は大きな救いであり、原爆症認定申請増加しました。
1965年、66年、67年と100人未満であった申請者が、1968年には399人となっています。
1974年に一般被爆者、特別被爆者の区分が廃止され、被爆者健康手帳所持者全員に一般疾病医療費が支給されることになりました。そして、原爆症認定制度が医療給付という目的から経済的救済の側面を強くしていくことになります
1981年に所得制限のない医療特別手当が創設された時、日本被団協との交渉で、せめて高卒初任給程度にとの要求に、当時の厚生省の局長は努力したいと答弁しました。
医療給付から始まった原爆症認定制度、認定被爆者の経済的な救済へと性格を変えていきました。
お配りしてます表を見ていただきたいのですが、認定申請が増えても年度末の認定被爆者数はほとんど変化がありませんでしたまた、被爆者健康手帳所持者の中での原爆症認定被爆者は1パーセント未満でした。
被爆者は、この数字を見て厚生労働省は、最新の科学的知見に基づいて放射線起因性を判断していると言うが、実際の認定は予算の範囲行われているのではないかと原爆症の認定審査に疑問を持ち始めます。そうでなければこんなにそろった数字が出るわけがありません。
20007月に長崎の松谷訴訟最高裁判決が確定しました。
松谷英子さんの認定疾病は「右半身不全片麻痺及び頭部外傷」です。
多くの被爆者が、今後原爆症認定松谷さんの被爆距離である2.45㌔までは拡大されるだろうと期待しました。
20015月に原爆症認定基準としては始めて「原爆症認定に関する審査の方針」が公表されました。それまでは「認定基準は委員の頭の中にある」といわれていました。しかし、公表された「審査の方針」は、松谷さんさえも認定されない厳しいものでした。
そこで、原爆症認定申請を自己規制することはやめよう「自分の病気は原爆のせいと思う人は原爆症認定申請をしよう」として取り組まれたのが2003年から始まった原爆症認定集団訴訟でした。
集団訴訟の結果明らかになったことの一つが原爆被害についてまだまだ未解明なことが多い、ということです。放射線影響研究所の大久保利晃理事長、中国新聞のインタビューに「原爆放射線による晩発影響で、わかっているのは5パーセント程度かもしれない」と答えていることとも一致します


積み木細工のような被爆者対策
原爆被爆後12年後に始まった国の被爆者援護ですが、今年で54年になります。
原爆医療法、原爆特別措置法の制定、それを一本化した現行の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の制定までの経過を見ると、被爆者の長年にわたる要求によって改正を重ねたことは明らかです。被爆者は原爆被害に対する国家補償被爆者援護法を求めて日本被団協結成以来粘りつよく運動を続けてきました。法律の制定・改正の経過をみると被爆者の国家補償要求から逃れるためのものだったといえます。
その結果、現行の被爆者対策は、積み木細工のような継ぎ接ぎだらけの施策になっており、多くの矛盾と問題を含むことになってます
今回の原爆症認定制度のあり方を検討するに当たっては、さらにその矛盾と問題を広げるべきではありません。
その矛盾の一つが、原爆症の認定疾病と健康管理手当の対象疾病の多くが重なっていることです。同じ悪性腫瘍であっても3.6㌔では原爆症と認定されず健康管理手当となり、3.5㌔以内であれば原爆症と認定され医療特別手当が支給されことになります
認定と不認定を分けるのは、放射線起因性と要医療性とされていますが、それを被爆距離、入市日だけで判断するのはあまりにも機械的で、被爆者は納得できないのです。
未解明なことの多い原爆被害だからこそ、その実態を総合的に判断すべきです。
また、現在原爆症認定疾病が治癒した場合、医療特別手当から特別手当に切り替えることになっていますが、これはあくまでも一度原爆症と認定を受けた場合に限られます。
現在の「新しい審査の方針」によると、3.5㌔以内で被爆した場合、現に要医療性のある悪性腫瘍であれば認定されて医療特別手当が支給されます。そして将来治癒した場合は特別手当に切り替えられます
しかし、旧「審査の方針」時代には、例え2㌔の悪性腫瘍でも認定されませんでした。多くの被爆者が、却下されたままあきらめてしまいました。そして現在疾病がすでに治癒していれば認定申請をしても原爆症とは認定されず、特別手当は支給されません。
不公平だとの声が上がっています。
さらに、原爆症認定に当たって、国は一貫して放射性降下物からの残留放射線による人体への影響を考慮していません原爆症認定集団訴訟は残留放射線による被害を含めて原爆被害を総合的に判断するべきであるとして、原告の27連勝につながっているのです


長年の被爆者の相談の経験から、私個人の意見ですが、
あるべき「認定」制度について申し上げたいと思います。

被爆から65が経過して、原爆症認定に当たって原爆被害がいまだ未解明なことに加え、時間の経過による放射線起因性立証する困難さがあります。
平均年齢が76歳を越え高齢化した被爆者の公平な援護を図るという立場から、被爆者の疾病には何らかの形で放射線が関与していると見るべきです。そこで
       医療特別手当、特別手当、保健手当は廃止する。
       健康管理手当の疾病制限を廃止してすべての被爆者に支給する。
(手当名は、健康管理手当にこだわらない)
       政令で認定疾病・障害を定め全員に支給される手当に重篤度に応じた加算を行う
(加算される手当の上限は現行の医療特別手当額とする)
という制度に改正するのが、実態に即し、公平な援護制度になると思います。
ぜひご検討ください
むろん原爆症認定制度の在り方を検討するに当たっては、現行法10条、11条に関わっての改正も検討されるべきであることは当然のことと思います。

最後に私は原爆症だと訴える被爆者を紹介します。
愛媛県松山市に住む廣田閲子さんは、37ヶ月のとき、広島の爆心地から600メートルの鷹匠町で被爆しました。背中、腹部、両手両足にヤケドを負いましたまさに奇跡的に助かったと言っても過言ではありません。
被爆後は身体中から膿みが出て、そこにうじ虫が入り込み、高熱と下痢、下血がつづき、食べ物もほとんどとれませんでした。髪の毛がパラパラと抜け落ちて丸坊主になりました。
1945年暮れに松山に戻って寝込んでいる廣田さんを見た親戚縁者全員が、「この子はもたない」と思ったそうです。後年には「あんたが生き延びると思ったものは誰もいなかった」といわれたようです。
小学校に入学する頃には赤い毛がポチポチはえてきましたが、机に向かってしっかり坐ることができないほどつらさをおぼえ、何時も机にうつぶせて授業を受けていたといいます。
9歳の時にリウマチ、17歳の時狭心症と肝臓病との診断を受けました。
49歳で網膜剥離、59歳で甲状腺に水泡があるといわれます。この間にもさまざまな症状で入院回数は数え切れないといいます。
廣田さんは今も全身多発性関節リウマチ、甲状腺腫、副甲状腺水泡、狭心症、慢性胃炎、逆流性食道炎、うつ病、肝障害などの治療のため6ヶ所の医療機関に通院しています。
廣田さんは200711月に副甲状腺機能亢進症と甲状腺腫瘍で原爆症認定申請を行いました。しかし20102月に却下処分を受けます。
副甲状腺機能亢進症は申請されたデーターでは、疾病の有無を判断できない、甲状腺腫瘍については放射射線起因性がないというのが却下理由です。
彼女は普通の人がいう健康ということを知らない人生だったといいます。今彼女を苦しめているのは主にリウマチです。しかし認定の対象疾病ではありません。
廣田さんは被爆してからさまざまな病気と戦いながら懸命に生きてきました。
「私は誰も恨まないように生きてきました。しかしどうして私が原爆症と認定されないのですか。国を恨みたくなります」と廣田さんは言います。
廣田さんのような人救済される制度が求められているのです