2017年8月19日土曜日
下村盛長
○児玉委員 これは小泉大臣にもぜひ後からお答えいただきたいのですが、昨年の二月十三日未明、埼玉県のある病院で一人の被爆者が病院の関係者だけに見守られて寂しく息を引き取られました。お名前は下村盛長さん、お年は四十一歳でした。
この方は、広島市で胎齢三カ月に母親の胎内で爆心から五百メートルのところで被爆されて、被爆後両親は郷里の愛媛に帰られました。お父さんは急性の原爆症で九月に亡くなりました。
お母さんは盛長さんを翌年三月出産された後実家にお帰りになったので、盛長さんは父方の祖母に育てられました。
中学校は障害児学級を卒業された。その後上京されて、飲食店の手伝い、土木作業など転々とした生活をなさった。
二十八歳から二十九歳のときに右肩に腫瘤が出て、そしてそれが大きくなり、痛みも増して、一昨年の一月ついに右腕と右肩を切断する大手術をされました。
その後、この腫瘤は下腹部、頭部、腋下など全身各所に広がって、三月と六月と八月と十月、連続してこの腫瘍を切除するという大きな治療を受けられたわけです。その後は体力の衰えで手術もすることができず、薬も効かず、激痛に苦しまれながら昨年二月亡くなられました。死因は皮膚繊維肉腫、悪性新生物です。
この方に対して厚生省はどのような対応をなさったのか、伺いたいと思います。
○北川政府委員 下村盛長さんにつきましては、昭和六十一年の九月、原子爆弾被爆者に対する特別措置法に基づく医療特別手当の申請があり、昭和六十二年三月にこれが認められ、申請時の翌月である昭和六十一年十月から亡くなられた六十三年二月まで医療特別手当が支給されております。
また、同期間、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律に基づき、医療の給付が行われております。昭和六十二年四月には原子爆弾小頭症手当の申請があり、六十二年九月にこれが認められ、申請時の翌月である同年五月から亡くなられた昭和六十三年二月まで原子爆弾小頭症手当が支給をされております。
さらに、亡くなられた際には葬祭料が支給をされております。
○児玉委員 そのとおりだと思います。
下村さんは亡くなる前、入っていらっしゃった病院の近くにアパートの一室をお借りになって、そこにテレビをつけ、家具もきちんと整理をし、その部屋が非常に気に入っていらっしゃった。
激痛の中で下村さんを支えた一つの力は、病気を早く治して何とかあの部屋に帰りたい、こういうことだったようです。
その部屋には、今お話のあった昭和六十二年三月十七日付右肩皮下腫瘤に関する厚生大臣の認定書が額に入れて飾られていました。
そして、その隣に今お話のあった原爆小頭症についての認定書が同じように並べられておりました。
四十一年の生涯の中で原爆小頭症の認定を受けて暮らされたのは最後のわずか数カ月です。
厚生大臣の認定書が額に入れられて晩年の部屋に飾られていた、このことについて小泉厚生大臣はどのようにお感じか、私はぜひ大臣から伺いたいと思います。
○小泉国務大臣 原爆による被害であるということを国が正式に認めて、その医療を国の援助によって行うことができる、そういう自分の主張が認められたということに対する一つの喜びあるいは感謝の念もあったのじゃないか。
だからこそそういう額に入れてありがたく手当を受けていたのじゃないか。
同時に、希望を持って治療を受けることができたのじゃないか。しかし、現実を考えますと大変痛ましい限りだと思っております。
○児玉委員 この方のケースを聞かれたある相談員の方が、言下にそれは原爆小頭症だというアドバイスをされて、そのアドバイスが契機で認定に至りました。
私は最近その相談員の方ともお会いしましたが、大臣、額に入れられている二つの認定書は、恐らく国の援護に対する強い期待が込められていた、私はこう感ずるのでございます。
この原爆の悲惨さは、死の恐怖など人間の心理面に対して極めて深い傷跡を与えますが、同時に、昨年私の質問に対して厚生省がお答えになったこういう側面、すなわち「放射線の障害ということによって起こるがんあるいは造血臓器の障害等によって非常に慢性の経過をたどって亡くなられた、これが原爆の非常に重要な特徴である。そういう点に着目いたしまして、厚生省といたしましては、いわゆる原爆二法というものをもってこれらの被爆者の方々に対しての健康上からの対策を従来とってまいったわけでございます。」北川局長の私に対する答えです。
そうであれば、放射線の障害が非常に慢性の経過を経て死亡する、先ほどの下村さんはその最も痛ましい典型だと思います。
こういう死没者について国として何らかの補償が講じられるべきだと思いますが、いかがですか。
○北川政府委員 個々の事例について考えますと、今先生が御指摘のように大変深刻な問題がある、非常にお気の毒であるというふうには考えます。
そういった意味から、現在の原爆二法は、その対象者、患者さんの置かれた実態に即して医療の確保を図る、あるいはその医療の周辺で必要な費用を負担をする、さらには不幸にして死の転帰をたどられた場合については葬祭料を支給するというような形で、人の健康あるいは医療ということに着目して施策を行っておるわけでございまして、それ以上の弔慰ということについて、厚生省としては、今後お金を支払うというようなことまでは現段階では考えられないというふうに思っておるわけでございます。
○児玉委員 何らかの原因で疾病障害を持つに至った場合、健康上の対策を当然国としては講ずることになる。不幸にして亡くなられた場合、弔慰金、一時金、年金。私は弔慰金というふうに限定しているのではないのです。
亡くなった方に対する何らかの補償、後ほど私たちが提出いたします修正案の中では遺族に対する一時金、年金のことを明確に述べておりますが、そういったものについて措置を講ず、日本に現存する諸制度ではそうなっています。
生前の段階における健康手当、健康上の諸対策、亡くなられた場合の弔慰金、一時金、年金、新しいことを言っているのじゃなくて、さまざまな制度で既にそうなっているのですから、当面そこに踏み切るべきではないか。
そして、厚生省が今まで何もなさらなかったとは私は決して言わない。例えば弔慰的なものとして、広島、長崎の式典に全国各都道府県の遺族が参加をする。
予算自身はそう多くはないと思いますが、昭和五十四年からそれは実施されている。そういういった中で、この際、竿頭一歩を進めるべきだと思うのですが、いかがですか。
○北川政府委員 従来から申し上げている点でございますが、被爆を受けられて、不幸にして病気を得られお亡くなりになられたその故人の方に対して必要な施策を行う、そのための費用を国が支弁するという考え方でございますので、その死後の最後の経費という点は、先ほどから申し上げております葬祭料という形で支弁をさせていただくというふうに考えておるわけでございます。
○児玉委員 こういった場合の国としての補償の問題は、当委員会が毎年採択しております附帯決議では、そこのところの表現が若干広いですが、国家補償的なという文言も使われている。
例えば医療特別手当、原爆小頭症の患者に対する手当、これらはきょう午前中議論がありました所得制限は行われていません。所得制限自身は極めて不当なものです。
今の下村さんや医療特別手当を受けておられる方々についていえば、私たちはまずそこから一歩を踏み出すべきだ。
しかも厚生省は、多くの国民、被爆者の意見を入れて死没者調査を実施するところまで踏み込まれた。
この際、今私が述べたことについては真剣に検討していただきたい。大臣、どうですか。
○北川政府委員 従来からも御答弁をしているわけでございますが、死没者調査の目的は、被爆後四十年余を経て関係者がだんだんと少なくなっていく、そういう最後といいますか、一つの段階において現在生存しておる関係者の皆様の記憶を何とか記録にとっておきたい、そういうことで死没者調査を行い、また、そうすることが亡くなられた方への弔慰を表することにもなるのではないかという考え方で調査をやっておるわけでございまして、その調査の結果、その方々に対する弔慰をお金で支払うというようなことについては現段階では考えていないわけでございまして、これはいつも申し上げております原爆基本問題懇談会の基本的な考え方にありますように、他の一般戦災者との対比において均衡を失しない範囲で施策を行っていく、この基本姿勢の範囲で今後とも施策を進めてまいりたい、このように考えているわけでございます。
○児玉委員 言葉を選んでお答えですが、今の段階ではと何回もおっしゃいますが、私はこの後、先ほどから述べた課題については国の被爆者援護の中心的な課題になると思いますから、さまざまな機会に要望してまいりますし、国としても真剣な検討をいただきたいということを強く述べておきます。
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