2017年6月3日土曜日

松谷訴訟(福岡高裁)判決文



本件は、長崎市内において被爆し、頭部外傷を負い、現在右半身不全麻痺等の症状を有する被控訴人が、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律附則3条による廃止前の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下、「旧原爆医療法」という。)8条1項に基づき、右半身不全片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を申請したところ、控訴人は、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付してこれを却下したため、右却下処分の旧原爆医療法7条1項、8条1頃の解釈適用の違法等を理由に、その取消しを求めている事件である。



1 昭和20年8月9日午前11時2分、長崎市に原子爆弾が投下され、被控訴人(当時三歳)は、長崎市稲佐町一丁目一五番地の当時の自宅で被爆した。証拠(原審証人松谷シマ、弁論の全趣旨)によれば、その際、爆風によって飛来した屋根瓦が被控訴人の左頭頂部を直撃し、被控訴人は頭部に外傷を負ったことが認められる。
被控訴人は、昭和32年9月5日、旧原爆医療法2条1号に該当する者として長崎県知事の認定を受け、被爆者健康手帳の交付を受けている。
2 証拠(乙三、原審・当審証人山下兼彦、原審における被控訴人本人)によれば、被控訴人は、次項記載の認定申請時において、右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷と診断され、有半身不全麻痺、右肘関節屈曲拘縮(伸展位四五度までで、右肘が伸びない。)、右手指伸展位をとる(他動は可)(右手指は他動的に曲げることはできるが、自らは屈曲できない。)、右尖足(右足首が伸展位をとったままの状態で固定している。)、右半身知覚低下(痛覚、触覚、振動覚ともに)、右半身の腱反射亢進、右バビンスキー反射(十)、右上下肢筋萎縮(痙性)、右上肢用廃手、右下肢に著しい障害を有する状態であったことが認められる。
3 被控訴人は、旧原爆医療法8条1項に基づき、右片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けるため、昭和62年2月10日付の認定申請書を長崎市長に提出し、控訴人は同市長からの同月12日付の進達により、これを収受した。控訴人は、原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞いた上、同年9月24日、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付して、これを却下(以下「本件却下処分」という。)した。被控訴人は、同年12月15日、控訴人に対し右処分につき、行政不服審査法に基づく異議申立てをしたが、控訴人は昭和63年6月21日付で右申立てを棄却した。



本件の争点は、本件却下処分に取り消すべき違法事由が存在するか否かにあるが、事案の構造にかんがみると、具体的には、被控訴人の傷害又は疾病が、原子爆弾の放射線に起因するか否か、若しくは、原子爆弾の爆風等に起因しかつ放射線の影響により治癒能力が低下したことに起因するか否か、に集約される。
そして、被控訴人の傷害又は疾病と原子爆弾の放射線との因果関係、原子爆弾の放射線と治癒能力の低下、治癒能力の低下と、現在の症状との因果関係の有無の判断においては、原子物理学、放射線学、疫学、医学の高度の専門的知見が経験則として重要な地位を占めることは明らかであるから、これらの因果関係の有無は、これまでに確立された科学的・医学的知見を十分に取り入れ、各知見の提供する経験則の確実さを十分検討した上で判断すべきである。そして、旧原爆医療法8条1項による認定却下処分の取消訴訟における審理、判断は、原子爆弾被爆者医療審議会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた控訴人行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきであって、現在の科学技術水準に照らし、右調査審議において用いられた経験則に不合理な点があり、あるいは申請人の疾病と原爆放射能の起因性を否定できるとした原子爆弾被爆者医療審議会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、控訴人行政庁の判断がこれに依拠してなされたと認められる場合には、控訴人行政庁の右判断に不合理な点があるものとして、右判断に基づく認定却下処分は違法となると解すべきである。





原子爆弾による放射線と被爆による身体傷害との関係についての基本的考え方

長崎に投下された原子爆弾による放射線と被爆による身体傷害との関係については、医学的にも物理学的にも因果的に明確な回答が得られない未解明な分野を多く残していて、右の関係を数値的・数理的に説明することは本来不可能である。しかるに、原爆症の認定行政においては、被爆地点の距離、被爆線量の数値的・数理的議論が先行し、被爆者の様々な実態には、数量化理論では説明できない傷害事例が存在することに目をつぶり、これまでの科学理論が用意した不十分な数値的尺度のみで被害状況を測定することに急で、被害実態の方向から原爆症認定の必要性を検討することがなかった。原爆症の認定行政の当否は、むしろ前提として前記未解明要因が存在することを十分考慮に入れたうえで現実の被害実態を把握することが不可欠であり、これを踏まえて検討されるべきであって、原爆症を測定する尺度としては不十分な数量的科学論をもってこれを論ずることは「科学的でありそうで、その実は科学的ではあり得ない。」というべきである。もとより、ここでいう未解明要因とは、科学的研究の目的となり得ない非科学的事象とは異なり、研究の目的たる科学的事象ではあるが「未だ定説となるに至っていない事象」「これまでの定説では説明できない事象」「定説における不確定要素」等を意味し、現時点においては科学的に解き明かされていないものである。このような段階において、原爆症認定のための「起因性」に関する要証事実をどのように考えるべきか、あるいは、立証責任をいかに構成するかは重要な課題であり、特別な考察を必要とする。行政の運用における「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性を否定できる。」との申請却下理由は、まさに以上のような視点から理解されなければならず、「起因可能性で足りる。」としている根拠はそこにあるというべきである。



起因性とは、原子爆弾による放射線被爆による身体傷害との条件関係的因果関係を意味するところ、前記のように長崎に投下された原子爆弾の放射線被爆による身体傷害発生のメカニズムには、未だに科学的に未解明の部分が非常に多く含まれており、線量評価システムに基づく被爆線量(それは距離的要素を最も重視する。)をもって傷傷害発生の有無が決せられるものではないこと、放射線被爆と身体傷害の因果関係を解明するためには、統計的手法(疫学的手法に類するもの)を用いることが有益であるが、控訴人は被爆距離と身体傷害との関係等に関する豊富な基礎的データを所有しているのに対し、被控訴人はこれらの資料に接近できないこと、このような状況の下で被控訴人に対し放射線被爆と身体傷害との関係につき確実な立証を求めることは不可能ないし困難を強いるもので公平でないし、また、原爆医療法の目的、性格等に照らせば、立証責任を転換するか、あるいは相当程度の蓋然性の立証で足りるとして起因性の立証の負担を軽減すべきである。控訴人も原爆症認定申請却下の理由を前記「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性を否定できる。」という定型的文言を用いて表現することによって、はからずも原爆症認定の要件としての起因性の証明に関して以上と同じような認識を有していることを示している。
したがって、被控訴人の傷害又は疾病が原子爆弾の放射線に起因する可能性を否定できない旨の証明があれば、旧原爆医療法8条1項の認定がなされるべきである。



従来、原子爆弾による放射線の人体に対する影響については、γ線、中性子線等の電離放射線のみが問題とされてきたが、原子爆弾が爆発する際には非電離放射線も放出され、また、電磁パルスが発生し強力な電磁波が放出されるから、争点についての判断にあたっては、これらが人体に与える影響をも考慮する必要がある。



被控訴人は、長崎に投下された原子爆弾被爆当時三歳で近距離からの被爆であったが、幼若なほど放射線感受性は高く、特に神経組織においてその影響を受けやすいこと、被控訴人の被爆後の状況から明らかなように長崎市内の自宅での生活中や疎開途中に爆心地の直近を通過した際に残留放射線を受けたり、未分裂プルトニウムや誘導放射線に汚染された大気を呼吸し、飲料水や食物を通じてこれを体内に摂取して放射線の影響を受けたこと、頭蓋骨骨折により脳細胞を外界から保護する頭皮、頭蓋骨、硬膜等が破壊され、大脳実質も一部破損した状況であったことを考慮すると、神経細胞への影響の可能性は否定できない。



脳孔症は頭部外傷の合併症ないし後遺症としても発症するものではあるが、被控訴人の脳実質の欠損の範囲は外傷に比して広大であり、このような広範な脳実質の欠損を生じるのは特異なことであって、放射線の影響を考慮すべきである。



被爆者には、電離放射線、非電離放射線等の影響により免疫能の低下がみられるが、被控訴人の頭部外傷の治癒が遷延したことはまさに放射線による免疫能の低下によるものであり、外傷部の治癒の遷延により脳実質等の炎症が長期化し、その欠損が深刻化したものと容易に推測される。



頭部外傷による脳挫傷、外傷による炎症、放射線の直接的な影響、放射線による免疫能の低下による治癒の遷延のそれぞれが、脳孔症を引き起こし、深刻化させているが、これらが同時に作用することによって、互いに相乗的な効果を派生させることにより、その症状は一層重傷化したというべきである。






放射線被爆の人体に及ぼす影響については、1890年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されている。原爆医療法7条1項所定の起因性の有無を判断するにあたっては、判断時に形成されている一般的な科学的・医学的知見を踏まえて行うべきである。
そして、右一般的知見によれば、放射線被爆の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響(確定的影響)とがあり、確定的影響の範疇では、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値(なお、この閾値は、生体に個体差があることを前提として幅をもって設定されている。)がある。また、確定的影響に属する範疇の人体影響については、放射線が人体に化学的変化を及ぼしたり、一定の損傷を与えても、当該組織全体としては影響を受けなかったり、影響として検出される前に回復されたりして、障害として検出されないことから、当該被爆者の被爆線量が重要な要素となる。
被控訴人の右片麻痺(脳萎縮)・頭部外傷は、いずれも確定的影響の範疇に属するものであるから、被控訴人の被爆線量を解明した上で、その線量が被控訴人主張の傷害や治癒能力の関係で影響を与えるような線量であったか、換言すれば、当該傷害や治癒能力との関係で閾値を超えた線量に達していたか否かを検討すべきこととなる。



線量推定方式であるT65DやDS86は、被爆直後から行われた線量測定の結果やアメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれその時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合した最良のものであるから、被控訴人の被爆線量を推定する場合も、これらの線量推定方式に基づくのが合理的である。



被控訴人の被爆距離は約二・四五キロメートルであって、この被爆距離をもとに、被控訴人の被爆線量を推定すると、本件処分当時適用されていたT65Dによれば、被控訴人の被爆距離での初期放射線の空気中線量は約4.1ないし2.9ラドであり、DS86によれば3ないし2.1ラドである。
一方、残留放射線による被爆線量については、被爆距離と経過時間に応じて急激に減少することが知られており、DS86によれば被爆距離二・四五キロメートルでは、0.00001ラド以下に過ぎないことが明らかである。

被控訴人の傷害、治癒能力と放射線起因性の有無について

1 被控訴人の頭部の傷害の発生経緯に照らすと、頭部外傷は原子爆弾の爆風によって飛来した屋根瓦によるものであって、放射線によるものでないことが明らかである。
2 右片麻痺(脳萎縮)について検討するに、被控訴人の推定最大被爆線量は、T65Dによれば約4.1ないし2.9ラドであり、DS86によれば3ないし2.2ラドとされているところ、脳の神経細胞を損傷する放射線の閾値は、1000ラドと考えられているから、被控訴人の右被爆線量は神経傷害等の確定的影響を起こす閾値よりもはるかに低く、被控訴人が被爆した放射線量を最大に見積もっても、傷害作用をもたらさない上、被控訴人の右片麻痺(脳萎縮)は、前記頭部外傷によって脳実質が損傷し、それに伴い脳萎縮、脳室拡大により運動神経の麻痺に至ったものとして傷害内容、発症経過等を合理的に説明できるから、放射線によるものとは考えられない。
3 放射線被爆の治癒能力に与える影響を検討するに、被控訴人の被爆線量では免疫能低下を引き起こす線量にも達していないことが明らかである。

証拠(乙二五の1、2、原審証人松谷シマ、同楠本光則、原審での被控訴本人)によれば、次の事実が認められる。
1 被控訴人は、昭和20年8月9日の被爆当時三歳五か月であった。被控訴人は自宅縁側ないしその付近で鶏を見て一人で遊んでおり、母シマは味噌の配給を取りに出掛けており、父甚太郎は昼食の用意のため台所で七輪の火をおこしていた。被控訴人は、原子爆弾の爆風により飛来した屋根瓦によって左頭頂部を直撃され、左頭頂部頭蓋骨陥没骨折、一部欠損の重篤な外傷を負った。被控訴人は、父が駆けつけた時には、既に意識不明に陥っており、上下肢の運動機能喪失・麻痺の状態でぐったりし、頭に当てたタオルが血で真っ赤に染まっていた。父は被控訴人を野外救護所に連れていったものの、医師に軽度の頭部外傷と間違えられ他の重傷者の治療が先であるとして治療を拒否されたため、やむなく防空壕に連れて帰った。母が防空壕に駆けつけた際にも、被控訴人は意識不明の状態で頭部からの出血も止まらなかったため、同日夕方再度右救護所に連れて行き、医師の診察を受けさせたところ、漸く左頭頂部の傷口は直径1ないし2センチメートルの円形で相当深部に達するものであることが判明し、致命的である旨診断されたが、設備や薬品も不十分であって、傷口にマーキュロクロムを塗布されるに止まった。
2 救護所から帰宅する途中被控訴人は全身硬直性の痙攣発作を起こし、雪の下の汁を口・鼻付近から吹き込まれ約15分後に痙攣が治まった。
3 被控訴人の自宅は爆心地から約二・四五キロメートルの場所に位置していた。原子爆弾の爆風により、被控訴人の自宅付近は建物が崩れ落ちたりした。被控訴人の自宅は瓦が落ち、戸板等も吹き飛ばされ、畳がめくれあがった。



証拠(甲三の2、3、5、一一の1ないし5、一五の1ないし5、三二、四三の1、2、四六の1、2、乙一ないし三、四の1ないし4、八、一四の2、一七、原審証人楠本光則、同山下兼彦、同安齋育郎、同古賀祐彦、原審での被控訴本人)によれば、次の事実が認められる。
1 被控訴人は、被爆後しばらく両親とともにそのまま自宅で生活し、当時稲佐小学校の二階に設置された臨時の診療所でマーキュロクロムを塗布するという程度の治療を受けたに止まった。また、被控訴人には、被爆後数日間にわたり、下痢症状が見られた。また、被控訴人の頭髪は少しずつ抜け始めた。
2 被控訴人は、昭和20年8月16日、両親及び楠本一家とともに、自宅から徒歩で稲佐橋(爆心より約一・九キロメートル)を渡り、宝町(爆心より約一・七キロメートル)を経て長崎駅に至り、同駅から列車で爆心地の直近を通過して長崎県南高来郡愛野町に避難し、同町では被爆者として厚遇を受けて10日間ほどを過ごした後帰宅した。避難先においても、被控訴人は寝たきりであったが、治療を受けることはなかった。被控訴人の頭部の傷口は化膿し、膿が出ていた。
3 被控訴人は、昭和20年10月上旬頃、両親とともに長崎県南松浦郡富江町にある父の実家に疎開のため転居した。被控訴人は、転居後も寝たきりで、自分の力で寝返りをうつこともできなかった。被控訴人の頭髪は一層薄くなった。被控訴人の頭部の傷口はふさがらず、水が吹き出すように腐臭の強い膿ないし分泌物が流れ出し続け、医師からいったん短期間で治る旨の診断を受けて医師の治療を受けたものの、傷口の一部がふさがりかけると、今度は別の部分から膿等が出始めるという状況の繰り返しで治療は効を奏せず、被控訴人の頭部外傷が一応の治癒を見たのは被爆後二年半ほど経ってからであった。富江町における治療期間中に被控訴人の頭部の傷口から瓦の破片が出てきている。被控訴人は、昭和20年12月31日から昭和21年1月1日にかけて、失神を伴う継続的な重度の痙攣発作に襲われ、心マッサージにより息を吹き返したことがあった。
4 被控訴人は、昭和22年末頃、両親と共に長崎市内に再度転居し、昭和24年4月、一年遅れて小学校に入学し、中学高校と進学し、昭和36年3月高校卒業後、事務員として就職し、今日に至っている。被控訴人の失神を伴う痙攣発作の回数は次第に減少していったが、学校時代を通じて年に一、二回位一時的に意識不明の状態に陥ることがあり、最後の発作は昭和42年頃であった。被控訴人は、昭和34年頃、約39度の高熱が一週間ほど継続する症状を呈したが、当時の診断としては明確に感染症とは判定できず、原因は明らかにならなかった。
5 被控訴人は、現在においても、前示第二、一2の症状を有しており、右足は、踵、第一指、第二指は着地せず、残りの指及びその付近の足の裏しか着地しないため、歩行が著しく不自由・不正常であり、また、その部分が硬くなり、針で刺すような痛みがある。右手は、物をつかみあげることもできない。被控訴人の左頭頂部の頭蓋骨には陥没骨折があり、また、骨折部分に対応する部分の脳実質が欠損しており、さらに、脳実質の欠損と測脳室が交通しており、脳孔症(Poren Cephaly)と診断される上、測脳室自体も拡大している。さらに、右に比較して左の頭蓋骨自体の発育も少し低下している。被控訴人は、頭部外傷の周囲の疼痛、首の硬直、上肢のしびれ感等を訴えているほか、様々な不定愁訴を有している。
6 被控訴人に対する治療としては、根本的な治療は困難であるが、症状を緩和させるために、薬物療法あるいは理学療法、機能回復訓練等が必要である。






旧原爆医療法は、戦争被災者のうち原子爆弾による被爆者のみを取り上げ、これを対象とした特別法であるから、同法八条一項に基づいてされた本件却下処分の適否を判断するにあたっては、原子爆弾の性能、それによる被害、立法の経過についても考慮する必要がある。



証拠(甲六、八、九、三一、三二、乙三五の7、原審証人安齋育郎、同肥田舜太郎、当審証人小佐古敏荘)によれば、次の事実が認められる。
1 原子爆弾は、原子核、主として重い原子核に中性子が衝突した際、原子核が分裂して大量のエネルギーを放出する作用を利用したものであり、長崎に投下された原子爆弾は、外形が直径1.5メートル、長さ3.5メートル、重さ4.5トン、爆発高度503メートル、爆弾中にはプルトニウム239が約8キログラム包含されており、約1キログラムないしは1.1キログラムが核分裂を起こしプルトニウム239が実際に分裂し、TNT火薬21キロトンに相当するエネルギーを発したとされる。そして、そのエネルギーのうち約50パーセントが爆風に、約35パーセントが熱線に使われ、約15パーセントが放射線に割り当てられたといわれているが、何分にも総エネルギーが桁外れに膨大であったため、爆風も想像を絶するほどのもので、爆心地から南方約二・五キロメートルまでの木造家屋をほとんど全壊させ、南方最長約四キロメートルの地点の木造家屋を半壊させ、約一九キロメートル地点でも窓ガラスを破壊した例があり、約一九キロメートル離れた地点でも爆風を感じさせるほどの破壊力であったし、また熱線量もたとえようのないほど膨大で、火傷による死者を大量に発生させ、約四キロメートルにおよぶ範囲の人々に身体の露出部に熱傷を与えたほどである。
なお、被控訴人は、原子爆弾による被害を考察するにあたっては、爆風、熱線、放射線の三つの要因に加えて、非電離放射線、電磁パルスの影響を考慮すべきである旨主張し、甲一〇号証(慶應義塾大学理工学部教授徳丸仁「電波は危なくないか」)及び原審証人安齋育郎の証言等を援用しているが、これらの証拠を子細に検討してみても、未だ問題提起にとどまっているように窺える上、他に非電離放射線と原爆被害の関係について研究者間に共通した知見、認識が確立されていると認めるに足りる証拠もないから考慮の対象としないことにする。
2 このように原子爆弾の爆発によって生じた爆風、熱線による破壊は、人体、物体に及んだのであるが、原子爆弾がTNT火薬を用いた通常の爆弾に比べ質的に異なるのは、原子爆弾の場合爆発により放射線が放射される点である。原子爆弾においては、爆発と同時に瞬間的に放射線(初期放射線、瞬間放射線)、主として、γ線、中性子線等が放射されるほか、原子核の分裂した破片が地上に落下した核分裂生成物(いわゆる放射性降下物「死の灰」)が地上に落下する際放射能を発し、また中性子が地上の物質に衝突した際、中性子の作用によりその物質を放射性元素に変えることによって当該物質から放射能(誘導放射能。「死の灰」と誘導放射能は一括して残留放射能と呼ばれる。)が発せられたが、これらの放射能は人体の細胞を破壊し、または損傷して被爆者を死亡させ、あるいはこれに障害を与えた。
3 初期放射線のうちα線とβ線は、空気中の透過力が弱いために地上まで到達することができないから、人体影響の点で検討すべきはγ線及び中性子線である。
4 残留放射能の被爆には、身体の外から主としてγ線をあびる外部照射と、放射性物質が体内に取り込まれてβ線やγ線を受ける内部照射とを考慮する必要がある。残留放射線のうち外部照射としては、まず、原子爆弾から放射された中性子を吸収した物質の多くは放射性元素に変わり、β線やγ線をかなり長時間にわたって放射し続ける前示誘導放射線があるが、β線は空気中での透過性が弱いために人体に対する影響を考える上ではγ線の線量が主として問題となる。次に、プルトニウムの核分裂生成物、プルトニウムの未分裂のもの、原爆機材が中性子を受けて誘導放射能を帯びたものなどが微粒子の塵埃の形で空中高く吹き上げられて大気中に広く広がって降下する放射性降下物がある。また、内部照射としては、呼吸による吸入、食物や飲料水とともにあるいは皮膚を通して体内に侵入した放射性物質がある。そして、土壌放射化による無限大時間までの放射線量は、後示DS86によれば、爆心地からの地上距離二・四五キロメートルの地点においては、0,00001ラド以下であるとされている。また、前示のような被爆後の被控訴人の行動を考慮しても残留放射能による被爆により、初期放射線と合わせた被爆線量が前記初期放射線量の2倍にまで達することはないとされている。

長崎に投下された原子爆弾による被害

証拠(甲六、一七、一八、二五の1ないし7、乙三二、原審証人渡辺千恵子、同楠本光則、同山口仙二、当審証人小佐古敏荘)によれば、次の事実が認められる。



原子爆弾の爆発によって生じた爆風、熱線は、これを浴びた被爆者を相当数死亡させたほか、生存被爆者に対しても後遺障害を与えたが、とりわけ深刻なものは原子爆弾の放射線エネルギーによる放射能障害である。放射線は、直接人体の組織細胞を破壊し、また破壊しないまでも損傷したため、被爆者の中には即死した者もあり、即死を免れた者も、急性症状として、嘔吐、下痢等の消化器症状、頭痛、頭重、不眠、めまい等の神経症状、脱力、脱毛等の無力症状、吐血、血便、皮膚の溢血斑等の出血症状、発熱、口内炎、皮膚炎等の炎症症状、白血球減少や貧血等の血液症状、無精子症月経異常等の性症状を呈し、この急性放射能障害のために、ある者は二、三週間で死亡し、おおむね被爆後八週までの間におびただしい数の被爆者が死亡した。その時期を耐えた者は、次第に回復し始め、約四か月後頃にはほとんどの者が一見健康であるかのようになったが、その後も放射能を受けたために生じた細胞の変化が持続して何らかの異常を起こすため、放射能障害の特徴としての晩発性障害が発生し、慢性的に白血病、再生不良性貧血等の造血臓器の疾患、胃、肝臓、皮膚等の悪性腫瘍、その他肝障害、胃・十二指腸潰瘍、内分泌疾患、白内障、生殖器機能障害に悩まされる例が多く、いずれも放射能の影響のため治癒し難いといわれ、他に放射能障害として寿命の短縮等がみられるし、さらには遺伝的悪影響も懸念されている。



原子爆弾の爆発によって、一般の空襲による場合とは比較にならないほどに広大な市街地が一瞬にして破壊されたため、生き残った被爆者の多くは、自己の家屋、財産、職業、労働の場を失って困窮し、また原子爆弾の被害により死亡した被爆者も多く、そのため大量の欠損家庭が作り出されたが、欠損家庭においては経済的支柱を失ったことにより家族員の相互扶助が期待できないだけでなく、親族、地域住民も同様に被害を受けていることから、これら相互扶助も期待できないため、貧困に陥った例も少なくなかった。のみならず、原子爆弾による被爆者は一般空襲による被災者と違っておおむね放射能による永続的な身体障害を受けているため、労働能力に大なり小なり影響を受け、労働能力を失った者はもとより、労働能力を失わないまでもその減退により就職に困難をきたし、職を得た後も休職、転職、失業の繰り返しを余儀なくされ、生活に深刻な苦しみをも訴える者が少なくなかった。そして、これら貧困化した被爆者は、生活の維持に没頭しなければならなかったため、十分な栄養と休息をとることができず、身体障害の回復もままならず、貧困と障害の悪循環を重ねてきた。



渡辺千恵子は、長崎市内の爆心地から約二・九キロメートル、被控訴人の被爆場所とほぼ同一の地点で被爆し、倒壊した工場の鉄骨性の梁の下敷きとなって脊椎を骨折したが、被爆直後から発熱が続き、しばらくして脱毛が起こり、被爆後1年間無月経であった。また、外傷部は容易に治癒せず、腐食して悪臭を発した。渡辺千恵子は昭和34年6月29日付で低色素性貧血及び下半身不随症により、旧原爆医療法8条1項の認定を受けた。渡辺千恵子の左大腿部の傷口はその後も感覚がなく、薄い皮膚をはるが、時々衣擦れでとれて膿汁が点々と下着に付着することがあった。
楠本光則は、長崎市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したが、被爆後約1か月後に若干の脱毛があり、一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。
長崎市内の爆心地から約二・五キロメートルの地点で被爆した梶原昌子は、被爆直後から発熱し、約1か月後に脱毛が認められ、約2か月後に鼻血、嘔吐、下痢があった。



証拠(甲六、弁論の全趣旨)及び公知の事実によれば、次の事実が認められる。
被爆者は、戦後戦争犠牲者の援護の問題が生じた際も、軍人、徴用工員、勤労動員学徒等一部を除き、大部分は救済の埒外に置かれていた。そのうち、昭和29年3月に行われたアメリカ合衆国のビキニ水爆実験により日本の第五福竜丸乗組員が被災したことが契機となって、全国的に原水爆禁止運動が盛り上がり、その一環として被爆者に対する医療面、生活面を含む総体的な援護、とりわけ国家の負担による健康診断、治療を求める声が一段と高まり、これを受けて政府は、昭和29年秋から広島、長崎両市に原爆症調査研究委託費を交付するようになった。しかし、この程度の措置では不十分であるとして、国家補償の見地からする被爆者援護、殊に被爆者に対する国費治療の立法化を求める要求がやまず、国会でも、昭和31年12月12日開催の第25回国会衆議院本会議において、「昭和20年八月広島市及び長崎市に投ぜられた原子爆弾は、わが国医学史上かって経験せざる特異の障害を残し、10年後の今日なお多数の要医療者を数えるほか、これによる死者も相次ぎ、障害者はきわめて不安定な生活を送っており、人道上の見地から考えて、まことに憂慮にたえないとともに国としてこれらの特異な被害者の治療等につき医学的見地から深い研究をすすめる必要がある。よって政府は、すみやかにこれらに対する必要な健康管理と医療とにつき、適切な措置を講じ、もって障害者の治療について遺憾なきを期せられたい。」旨の「原爆障害者の治療に関する決議」がなされた。このような背景のもとに、政府は、被爆者医療のため画期的な予算措置並びに立法措置を含む施策が必要であるとして法制化に努めた結果、昭和32年3月旧原爆医療法の制定をみるに至った。
旧原爆医療法及び後示旧原爆特別措置法の原爆二法は、平成7年7月1日に施行されるに至った原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の中に発展的に吸収されて廃止された。



昭和33年8月13日付厚生省公衆衛生局長の「原子爆弾後障害症治療指針」(甲二一)によれば、「原子爆弾後障害症に関しては、従来幾多の臨床的及び病理学的その他の研究が重ねられた結果、その成因についても次第に明瞭となり、治療面でも改善を加えられつつあるが、今日いまだ決して十分とはいい難い。したがって、原子爆弾後障害症の範囲及びその適正な治療については、今後の研究に待つべきものが少なくないと考えられる。」と述べられており、証拠(甲六、七、原審証人安齋育郎、同古賀祐彦)によれば、その後の医学研究により原子爆弾の放射能による後障害症の範囲、内容、これに対する治療方法につき解明された部分もあるが、今なお未解明の点が少なくないことが認められる。
後示のとおり旧原爆医療法は、その第1条に規定するように「被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的」として制定されたものであるが、ここに「健康上の特別の状態」とは、被爆者が種々の原子爆弾後障害症に悩まされており、原子爆弾の傷害作用が現在または将来人体に及ぼす影響及びそれに対する治療方法がいまだ十分解明されていないという特殊な健康状態にあることを指し、そのような状態にある被爆者を健康面で保護、救済することを指しており、このことは本件においても十分に配慮しなければならない。



旧原爆医療法は、原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的とするものであり(同法1条)、一定範囲の被爆者には、その申請により被爆者健康手帳を交付して毎年健康診断を行う(同法3条、4条)ほか、原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある(当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときはその者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある)被爆者に対しては、厚生大臣が原則として原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞いた上、当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定をした上で、指定医療機関による必要な医療の給付又はこれに代わる医療費の支給をし(同法7条ないし14条)、さらに、一般の負傷又は疾病によって医療を受けた被爆者に対しては、一定条件のもとに一般医療費を支給する(同法14条の2ないし14条の7)こと等を定め、これらに要する費用は全額国が負担するものとしている(同法20条)。被爆者は、従前から、被爆による健康上の障害につき、一般傷病者と同様の立場において健康保険等の各種医療保険法あるいは生活保護法等による医療給付を受けることができたのであるが、被爆者の特別の健康状態にかんがみるとなお十分でないので、更に救済を強化するために旧原爆医療法が制定されるに至ったものである。そして、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律附則三条による廃止前の原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「旧原爆特別措置法」という。)は、被爆者に対する救済内容を拡大し、被爆者であって原子爆弾の傷害作用の影響を受け今なお特別の状態にあるものに対し、医療特別手当の支給等の措置を講ずることによりその福祉を図ることを目的としている(同法1条)。
右のように、旧原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって、その点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格をもつものであるということができる。しかしながら、被爆者のみを対象として特に右立法がされたのは、原子爆弾の被爆による健康上の障害がかって例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで、かかる障害が戦争という国の行為によってもたらされたものであり、しかも、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態におかれていることによるものである。旧原爆医療法は、このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点で実質的に国家補償法的配慮が制度の根底にあることは否定することができない(最判昭和53年3月30日民集32巻2号435頁)。

旧原爆医療法7条1項は、同条による医療の給付を受け得る者につき、同項本文において、「原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、又は疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者」であることを要する旨規定し、同項ただし書において、「当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは、その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に、医療を要する状態にある場合に限る。」旨規定するとともに、同法8条1項は、「右医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」と定めている。したがって、同頃に基づく認定は、「被爆者の傷病が原子爆弾の傷害作用(爆風、熱線、放射線)に起因すること(起因性)」及び「現に医療を要する状態にあること(要医療性)」が、その要件になっているものと解される。そして、旧原爆医療法は、一般被爆者に対しては健康診断を、被爆者中同法14条の2の特別被爆者に対しては健康診断と医療の給付(社会保険等を適用した後、自己負担部分につき公費負担)を行い、前示認定を受けた原爆症に罹っている認定被爆者には全額公費負担による医療の給付を行っており、他方、国は、旧原爆特別措置法により認定被爆者に対しては特別手当と医療手当を支給していたのである。このようにひとしく被爆者であるといっても、実定法は被爆者の状況、疾病の内容等に応じてその健康及び福祉に対処する仕方を異にしているのであって、旧原爆医療法8条1項による認定処分は、同法7条による医療の給付及び旧原爆特別措置法による特別手当、医療手当の支給の前提となっており、旧原爆医療法及び旧原爆特別措置法は、認定被爆者に対し一般被爆者より厚い救済を与えているのであるから、認定処分は、国民がこれを受けることによって自己の権利、利益の拡張を得られるものであること及び旧原爆医療法8条1項の条文の規定の仕方に照らし、認定の前示要件を具備していることの証明があった場合に初めて認定がなされると解するのが相当である。なお、旧原爆特別措置法5条の規定が右解釈を左右するものではないことは後記説示に照らし明らかである。
しかしながら、前示原子爆弾による被害の甚大性、原爆後障害症の特殊性、旧原爆医療法の目的、性格等を考慮し、認定の要件の証明の程度については、起因性の点についていえば、同法7条1項本文の放射能と現疾病との間の因果関係につき、また、同法7条1項ただし書きの放射能と治癒能力との間の因果関係につき、それぞれ物理的、医学的観点から高度の蓋然性の程度にまで証明されなくても、被爆者の被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を参酌し、現傷病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の相当程度の蓋然性の証明があれば足りると解すべきである。
そして、このような観点からする起因性の要件の立証があった場合には、放射線障害を有する被爆者に対しては、症状の推移を見守る意味においても医師による長期の観察が必要であり、前示厚生省公衆衛生局長の「原子爆弾後障害症治療指針」(甲二一)が治療上の一般的注意として指摘しているように、「原子爆弾被爆者の中には、自身の健康に関し絶えず不安を抱き、神経症状を現すものも少なくないので、心理的面を加味して治療を行う必要がある場合もある。」こと等を考慮すれば、当該原爆症自体について抜本的治療方法がなくても、当該原爆症の症状を緩和させる医療の必要性が肯定されるような場合には、要医療性の要件も満たすと解するのが相当である。




被控訴人は、原子爆弾後障害症の多様性、未知性、立証の困難性、旧原爆医療法の目的、性格、原爆症認定却下の際に用いられる文言等に照らし、被爆者の医療を要する現症状が原子爆弾の影響によらないことが明確に証明されない限り、すべて放射線と関係があるものとして旧原爆医療法8条1項による認定がなされるべきであるとして、証明責任を転換すべきである旨主張する。確かに、前記原子爆弾による被害の甚大性、原爆後障害症の特殊性、旧原爆医療法の目的、性格等は、同法の解釈にあたって十分考慮すべきものではあるが、前示同法8条1項による認定処分の内容、同項の条文の規定の仕方等に照らし、これらは、未だ認定の要件を具備していることの証明があった場合に初めて認定がなされるべきであるとする前示の判断を左右するものではない。さらに、行政庁が起因性を否定して旧原爆医療法8条1項による認定申請を却下する場合に「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」という文言を用いているからといって、これをもって超因性の証明責任の転換を肯定する根拠となるとは認められない。
控訴人は、因果関係については高度の蓋然性が肯定される程度の証明を要することは、行政事件訴訟法七条が準用する民事訴訟法の原則であるから、証明の程度を軽減するためには、その趣旨の規定が置かれていることが必要であるところ、旧原爆医療法及び旧原爆特別措置法の規定を通覧しても、旧原爆医療法7条1項の要件につき、証明の程度を軽減させる趣旨の規定は見当たらない上、旧原爆特別措置法は、健康管理手当(同法5条)、介護手当(同法8条)、葬祭料(同法9条の2)に関し、括弧書きで例外的に「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」(同法5条1項)、「原子爆弾の傷害作用の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」(同法8条)、「その死亡が原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかである場合はこの限りでない。」(同法9条の2)として、各種給付の要件を緩和する規定を置いていることからすれば、旧原爆医療法7条1項の要件について、証明の程度を軽減させる趣旨でないことは明らかである旨主張する。確かに、因果関係については高度の蓋然性が肯定される程度の証明を要することは、行政事件訴訟法七条が準用する民事訴訟法の原則ではあるが、解釈によって証明の程度を軽減することは同法の下でも許されるのであるから、証明の程度を軽減することを許容する特別規定がないからといってこれを否定する根拠とはなり難いし、前示原子爆弾による被害の甚大性、原爆後障害症の特殊性、旧原爆医療法の目的、性格等を考慮し、証明の程度を軽減することには十分な理由があるというべきである。また、旧原爆特別措置法5条が健康管理手当につき、「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」と規定しているのは、造血機能障害、肝機能障害、その他の厚生省令に定める障害を伴う疾病については、これらの障害がその性質上放射能に起因することが推定されることから、これらの疾病が放射能の影響による相当程度の蓋然性に疑いを差し挟む程度の反証では足りず、放射能の影響によることを否定するに至る程度の反証のない限り、因果関係があるとして取り扱うこととしたものいうべきである。さらに、同法8条が介護手当につき「原子爆弾の傷害作用の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」と規定し、同法9条の2が葬祭料につき「その死亡が原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかである場合はこの限りでない。」と規定しているのは、被爆者の置かれた状況や右給付の性質に照らし、因果関係につき相当程度の蓋然性の証明を肯定するに至らなくても、さりとて因果関係を否定するに至らないものについても広く救済の対象としたものというべきである。したがって、これらの規定が存在するからといって、旧原爆医療法8条1項による認定要件の証明の程度を前示のように軽減することの妨げになることはないというべきである。このように解することによって、旧原爆医療法8条1項による認定を受けることを要件とすることにより、健康管理手当、介護手当、葬祭料の各給付よりも手厚い救済の内容となっている医療特別手当(旧原爆特別措置法2条)、特別手当(旧原爆特別措置法3条)にあっては、因果関係について相当程度の蓋然性が肯定されなければならないのであるから、そこに給付内容に応じ因果関係の証明の程度に相応の差異を設けることによって、被爆者の救済の実をはかろうとする法の趣旨を読みとることができる。控訴人が主張するように、旧原爆医療法8条1項による認定要件は高度の蓋然性の程度に証明されなければならないとすれば、医療特別手当、特別手当については、旧原爆特別措置法による他の給付に比較して必要以上に不均衡で困難な証明を要求することに帰し、被爆者であって前示「健療上の特別な状態」にあるものの救済を図ることを目的とする旧原爆医療法、旧原爆特別措置法の趣旨に悖ることになるというべきであり、むしろ、健康管理手当、介護手当、葬祭料の要件の証明の程度を軽減する規定が存在することは、医療特別手当、特別手当の要件の証明の程度も軽減すべきこと、即ち、旧原爆医療法8条1項による認定要件の証明の程度を前示のように相当程度の蓋然性の程度にまで軽減すべきことの根拠となるというべきである。

証拠(甲一一二、乙三九、原審証人安齋育郎、同藤田正一郎、同古賀祐彦、当審証人小佐古敏荘)によれば、次の事実が認められる。放射線被爆の人体に及ぼす影響には、確率的影響と確定的影響(非確率的影響)とがあり、確定的影響の範疇では、一定線量以上の放射線を浴びないと影響が起こらない閾値があるが、癌の誘発と遺伝的影響が確率的影響の範疇に属し、それら以外はすべて確定的影響に属している。そして、エックス線の発明等により放射線の人体に対する傷害作用が明らかになった以降の医療事故、産業活動・研究活動に伴う被爆事例、広島・長崎における原子爆弾の被爆によるデータ等に依拠して、確定的影響に属する各症状について閾値が求められている。現在においては、白血球減少は50ラド、吐気は100ラド、脱毛は300ないし500ラド、脳神経の障害は1000ラドとされており、また、リンパ球の障害による免疫能の低下については、免疫能を持つ細胞を90パーセント殺す線量は約350ラド、平均致死線量は80ないし100ラド、影響が検出されないという意味での閾値は10ラドより少し上程度とされている。したがって、放射線被爆の人体に及ぼす影響を判断するにあたっては、人体が被爆した放射線量が重要である。また、全体としての放射線量は同じであっても、短期間に放射線を浴びた場合、即ち放射能率が高いほど、被爆による影響は大きいとされている。ただ、放射線の感受性には個体差があり、近年、一般集団における個人間の放射線感受性についても、細胞致死量に外挿すれば、10倍もの違いがあるという指摘もある。また、幼弱なほど放射線感受性は大である。







証拠(乙三一、三二、原審証人安齋育郎、当審証人小佐古敏荘、弁論の全趣旨)によれば、日本の文部省とアメリカ合衆国のAEC(米国原子力委員会)はそれぞれ線量推定研究プログラムを組織した。昭和31年には、アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所の科学者らによるICHIBAN計画が始められ、ネバタ砂漢での核実験の結果等を踏まえて一九五七年(昭和32年)3月に暫定線量(Tentative 1957 Dose)が発表されたこと、この線量評価システムは、線量評価にあたった研究者自身その評価は不明確であるとの認識を有していたが、暫定的なものとしてそれなりに利用されてきたことが認められる。



証拠(乙一八、二四、三〇ないし三二、原審証人安齋育郎、同藤田正一郎、当審証人小佐吉敏荘)によれば、次の事実が認められる。
1 アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所の研究者らは、1965年(昭和40年)に暫定線量評価システムT65D(Tentative 1965 Dose)を発表した。この線量評価システムは、アメリカ合衆国ネバタ砂漠において長崎原爆と同型の原爆を爆発させて得た核実験のデータ、放射線影響研究所における広島、長崎の被爆看三万人弱に対する被爆場所、遮蔽物の有無、遮蔽物の構造等の被爆状況及び後障害の内容等に関する面接調査結果の解析データ、日本の研究者により行われた広島、長崎における中性子により放射性物質となった鉄筋に含まれるコバルト60の残留放射能の計測結果等に基づいて、無遮蔽状態における原子爆弾の炸裂点からの距離の関数としての空気中線量及び被爆者の周囲の建造物による放射線の遮蔽効果について記述したものとされている。T65Dは、被爆者個々人の遮蔽等を考慮して実際の被爆線量を計算するのに年月がかかり、実際には1968年頃から原爆放射線線量の評価に用いられるようになり、1970年代の間、危険率評価にかなりの信頼度を持って使用された。当時、誤差は広島で±15パーセント、長崎で±10パーセントといわれていた。
ただ、この線量評価システム作成の資料となった広島、長崎の被爆者三万人弱に対する面接調査は、放射線による急性症状が終了した後の調査であるために、包括的な急性症状に関する調査はされていない。
2 T65Dによれば、長崎に投下された原子爆弾による空気中総線量は、爆心地から一・一五キロメートルの地点で494.5ラド、一・三キロメートルの地点で267.9ラド、一・五五キロメートルの地点で99.2ラド、一・七五キロメートルの地点で45.8ラド、二・二キロメートルの地点で8.6ラド、二・三キロメートルの地点で5.9ラド、二・四キロメートルの地点で4.1ラド、二・五キロメートルの地点で2.9ラドであり、その誤差は±10パーセント程度とされていた。
3 T65Dによる線量システムには、1976年頃からいろいろな問題や矛盾が指摘されるようになり、非常に大きな誤差が含まれていることが明らかになった。その主な点は、中性子カーマは水蒸気含有率が高いと減少するが、T65Dはネバタ核実験場の乾燥した空気中における値をそのまま採用し広島及び長崎の高い湿度を取り上げなかったため中性子カーマが過大評価されてしまったこと、広島と長崎の原爆は、構造、内容が非常に異なっていたが、T65Dは長崎型原爆の核実験に基づいて評価されていたため広島について誤差が大きかったこと、家屋による遮蔽計数を一種類だけしか用意していなかったこと等であるとされている。
4 後示DS86による被爆線量は、広島においては、T65Dに比較してγ線は約1.5ないし2倍、中性子線は約10分の1であり、長崎においては、γ線はやや減少しており、中性子線は約2分の1ないし3分の1であって、T65Dにおいて予想されていた誤差を大きく上回っている。



証拠(乙一五、一六、一九、二四、三一、三二、原審証人安齋育郎、同藤田正一郎、同古賀祐彦、当審証人小佐古敏荘)によれば、次の事実が認められる。



そこで、T65Dによる線量評価システムの見直しが行われることになり、1981年にアメリカ合衆国に線量再評価実務委員会、日本側に線量実務委員会が設置され、さらに、それぞれその上級線量委員会が設置されて検討が行われた。その結果、T65D作成時の実験データ、その後の知見・実験の結果、被爆者から得られた情報等をコンピューターに入力してシミュレーション・ゲーミング手法による線量評価システムが開発され、1983年2月から1986年3月までの間に4回の日米共同ワークショップが行われ、1986年(昭和61年)3月に開かれた日米合同の上級委員会においてDS86(Dosimetry System 1986)と名付けられた線量評価システムが承認された。この線量評価システムは、T65Dがネバタという乾燥した空気中の核実験データをそのまま長崎、広島に適用していることを見直し、広島、長崎の高湿度、すなわち空気中の水蒸気成分を考慮するとともに、T65Dでは長崎に投下された原子爆弾の出力を22キロトンとしていたのが、その後21キロトンと判明したこと等に基づいて再評価を行ったものとされている。






原爆の出力は線量計算にとって最も基礎的なデータであるにもかかわらず、投下時のデータの大部分が失われたため、直接の測定値からの値は得られていないため、DS86における長崎原爆の出力の推定にあたっては、長崎原爆と同型の原爆による大気圏核実験のデータを基礎にして、1、火球中にあった破裂片を放射化学分析することによって推定する方法(長崎では、原爆を投下した航空機が採取していた原子雲の残骸の一部分を放射化学分析の資料とされたとされている。)、2、火球が時間と共に膨張していく速度を測定することによって推定する方法、3、原子爆弾の構造から理論計算する方法、4、爆風の圧力波の被害から推定する方法、5、熱ルミネセンスの測定値とDS86の計算値を合わせることによって推定する方法の五つの方法によって、推定値を計測した上、これを総合的に評価し最も推奨できる値として21キロトンと推定され、その誤差の範囲は10パーセント、±2キロトンとされたものである。このうち「3、理論計算」は核弾頭を設計する直接の理論計算であり、軍事機密を利用してアメリカ合衆国で行われたものであり、日本側に公表されていない。
当審証人小佐古敏荘は、「3、理論計算」に関し「長崎の原爆は極めて初期の時代のものであり、起爆のタイミングとかの爆弾の細部はうまく制御できていない。現在の核弾頭の計算がそのままあてはまるかといわれると、多分あてはまり難いというところもあり、他の方法で長崎の出力を固めて、それで全体的、総合的に評価する方法になっている。理論計算の資料が日本側に公表されていないからといって、DS86全体の信用性を損なうものではない。」旨証言している。これに反し、上野陽里京都大学名誉教授は「DS86体系についての意見書」という論文(1996年10月、甲一二四)の中で、「自然科学では、第三者による追試験で同じ結果が出なくてはどんな研究も意味がない。原子爆弾の線量評価に関しては追試験ができない。詳細な計算コードも定数も明らかにされておらず、計算過程を追試験できないということは、本来公開性を持つことが条件である科学にとっては、決定的な欠陥である。」と述べている。



原子爆弾が爆発すると中性子とγ線が放射される。爆弾の表面から放射される放射線の総量、エネルギー分布、方向(角度)分布(これを放射線の「ソースターム」あるいは「遺漏スペクトル」という。)は、放射線が起爆剤の軽元素及びケーシングの重元素と相互作用を起こすため、爆弾の構造によって変化する。長崎爆弾は核分裂物質の周囲に火薬を配置してこれに点火して圧縮する方法であり、弾頭は薄い鋼鉄でできているため、中性子は比較的厚い軽元素と薄い重元素の層を通る。ソースタームは、核分裂で放射された放射線とその二次放射線が爆弾の外郭材料を通過し、爆弾の周囲の大量の大気を通過することを考慮した複雑なコンピュータープログラムにより算出された。そして、その計算結果の検証は、ICHIBAN計画での裸の金属原子炉での遺漏スペクトルの測定、ネバダでの原爆実験で計算された遺漏スペクトルの輸送計算における使用、広島爆弾の複製原子炉による測定値と計算値の比較等により行われた。



即発中性子、即発γ線及び空気捕獲γ線の空中輪送は、別々の研究機関がそれぞれ別の計算法である二次元離散的座標コードあるいはモンテカルロコードを用いて大規模な計算がされた。その際、地面上部での爆発高度、大気密度と湿度の状態、水分含量を考慮した大地の組成が重要であることから詳細な検討がされた。また、上昇中の火球の中の核分裂片から出る遅発γ線についても一次元に簡単化して計算が行われた。これらの計算は、実験データとの比較、あるいは異なった計算コードを用いた結果と比較することによって検証された。その結果、遮蔽や人体の各臓器の違い以前の空気中組織カーマの場合、長崎については、DS86のγ線カーマはT65Dより幾分小さくなっている。これはT65Dが長崎型の爆弾を用いたICHlBAN計画に基づいたためであると考えられている。また、中性子カーマはT65Dの約2分の1ないし3分の1であるが、DS86で大きく減少したのは大気中の水蒸気成分を考慮した影響であると考えられている。



土壌を素材としたレンガやタイルには石英や長石が含まれているが、石英等は放射線のエネルギーを吸収し、これを加熱すると吸収した放射線のエネルギー量に比例した量のルミネッセンス(光)を発生するので、これを測定することができる。レンガやタイルの熱ルミネッセンスの中性子に対するレスポンスは無視し得るほど小さいので原爆による熱ルミネッセンスはγ線のみで生成されると考えてよいため、熱ルミネッセンス測定によって建物表面が受けた原爆によるγ線量が測定でき、DS86による計算値の検証に用いることができる。広島、長崎の両市で、市民の協力を得て被爆したままの状態で火災にも遭っていないレンガやタイルが収集され、これらは日本の放射線医学総合研究所、奈良教育大学、アメリカ合衆国のユタ大学、英国のオックスフォード大学の五箇所の機関で測定され、測定の相互比較等に用いられた。熱ルミネッセンス測定結果は、DS86による計算結果と比較すると、広島においては一キロメートル以上の地点で測定値が計算値より大きく、計算値が測定値と一致するためには18パーセントの増加を必要とするとされ、長崎においては一キロメートル以上の地点で測定値が計算値より小さく、計算値が測定値と一致するためには10パーセントの減少を必要とするとされている。
当審証人小佐古敏荘は、「T65Dとの比較では、DS86の方がはるかに良い一致を示し、DS86の使用を支持している。」と証言している。



原爆から発生した中性子は、いくつかの元素を中性子核反応により放射化した。そこで、この誘導放射能を測定することにより、DS86の中性子に関する計算モデル及び断面面積等のパラメーターの検証に用いられた。



約3メガボルト以上の高エネルギー中性子フルエンスについては、原爆投下直後の調査で広島において採取された絶縁碍子中の硫黄に含まれるリン32の測定結果がほとんど唯一のデータであるとされている。このデータによる測定値とDS86による計算値とは爆心地から数百メートル以内の距離では大きな隔たりは見られないが、400メートル以遠では測定値の誤差が大きくなるため結論を下すことができないとされている。



広島、長崎の両市でコンクリート建物の鉄筋その他の鉄材の中に含まれるコバルト60を分析し中性子の線量が測定された。この結果では、近距離ではDS86の計算値が測定値より大きく、遠距離になるに従って測定値を下回り、一・一八キロメートル地点では4分の1になるという系統的食い違いが生じた。この不一致の原因について種々の検討が試みられたが、現在のところこの食い違いは説明されておらず、未解決のまま残されている。DS86は、測定結果についての反復分析結果の再現性も良好であり、コバルト60に関するデータと比べて信頼性が高いと考えられ、一・一八キロメートル地点における4倍の違いは解決しない、この問題は未解決のまま残されているとしている。また、岩石中のユーロピウム152の測定データについても検討された。その結果では、DS86と比較すると全体的には合っているが、数値は誤差がひどく大きく一キロメートルの地上距離における計算結果の妥当性を確認するには不確かさが大きく、測定機関の間でも開差が認められるとしている。






放射性降下物は、爆心地から約三キロメートルの距離で、広島では西の己斐・高須地区で、長崎では東の西山地区で発生した。両地区では、投下後数週間から数か月の期間にわたって数回の測定が行われた。放射性降下物の中には多種類の放射性物質が含まれており、放射能は時間と共に急速に減衰する。DS86は、爆発一時間後から無限時間までの地上一メートルの位置でのγ線の空気中の積算線量は、長崎の西山地区の最も汚染の著しい数ヘクタール地域で20ないし40ラドと推定し、空気中の線量が最大値の5分の1にまで減少する範囲は約1000ヘクタールであると推定しており、また、西山地区住民は約600名で、爆発直後の行動の実態調査結果を基にして、汚染地区に居続けた人の空気中最大照射線量は右積算線量の約3分の2と推定している。そして、放射能による人体影響を検討するために、これらの積算線量を人体組織の吸収線量に換算すると、放射性降下物による人体組織の無限時間までの積算線量は最大で21ないし24ラドとなると推定している。また、放射性降下物の放射性核種の吸入及び摂取については、西山地区の住民についてセシウム137の体内実測値の測定が行われたが、昭和40年から40年間の被爆線量は男性で10ミリレム、女性で8ミリレムと推定された。



中性子の照射によって爆心地付近の土壌その他の物質中に生じた誘導放射能のうち、早期入市者との関連で重要な放射性核種はマンガン56ほか数種類である。広島、長崎の爆心地付近においては、爆発後数週間ないし数か月の期間に、誘導放射能による地上でのγ線の線量率の測定がそれぞれ数回行われており、また、中性子フルエンスと土壌分析結果から重要核種の照射線量の計算が行われた、。その結果、爆心地での誘導放射能からの外部放射線への潜在的最大被爆は、広島については約80ラド、長崎については約30ないし40ラドと推定された。これらの被爆は時間や距離とともに減少し、累積的被爆は一日後には約3分の1、一週間後には数パーセントと考えられている。そして、放射能による人体影響を検討するために、これらの積算線量を人体組織の吸収線量に換算すると、誘導放射能による人体組織の無限時間までの積算線量は、長崎では最大で約18ないし24ラドとなると推定している。
DS86は、以上の検討結果を総合的に評価し、右に記述されている被爆は長崎の西山地区にあっては数字的に有意であるが、他の被爆者群における残留放射線への個人被爆は爆弾投下時における直接放射線に比べて有意でないとして、線量評価に加えていない。



日本家屋による遮蔽を計算するために、典型的な日本家屋の集まりのコンピューターモデルとして六家屋クラスターモデルが作成され、連結モンテカルロ法により自由空間の放射線場と結合させることによって、被爆者が被爆時にいた位置における中性子及びγ線のエネルギーと角度別フルエンスが計算された。その結果、一・五キロメートルの地点での透過率は、即発γ線で0.53、遅発γ線で0.46となった。また、戸外にいて家屋又は地形により遮蔽されていた被爆者については、家屋クラスターの戸外26個所と丘によって遮蔽された10個所を選び、4つの距離と8つの方向と二つの都市に対して上記方法を修正して連結計算が行われた。これらのデータは、主として原爆傷害調査委員会(ABCC)が1950年代の前半から60年代の初めにかけて行った広島・長崎の被爆者三万人弱の面接調査によっている。放射線影響研究所(RERF)は、被爆者とのインタビューで作った書面による記録を保存しており、その記録には、大部分が近距離で被爆した人、一部は遠距離で被爆した人よりなる広島・長崎の寿命調査対象被爆者について、原爆投下時における原爆被爆者の位置、方向、遮蔽等の包括的記述が含まれている。具体的には、被爆者について入手可能なコンピューターデータは、都市や地上距離に基づいて、無遮蔽場の放射線環境を決定するために処理、使用された。次いで、被爆者の9パラメータまたはグローブデータが処理され、遮蔽影響を計算するために、遮蔽モデルにより使用された。最後に、身体遮蔽計算が各選択臓器についてなされたが、被爆者のサイズ、性別、方向及び姿勢に基づいていて、家屋遮蔽放射線を身体中の臓器位置でのカーマとフルエンスに換算されているとされている。
なお、9パラメータ法は、原爆被爆者が日本家屋の中又はそばで被爆した場合にその状況を九つのパラメータにより記号化し、その関数として遮蔽効果を計算したものであり、グローブ技法は戸外にいて家屋又は地形により遮蔽されていた被爆者に対し、その地点に入射する全球面を角度別に細分化して各部の遮蔽割合を記号化し、中性子とγ線の角度分布と組み合わせて遮蔽を計算したものであり、DS86は、この二種類の記号化された遮蔽データが利用できるようにモデルを組み立てたものとされている。



放射線を受ける個別の臓器は、その位置、性質によって放射線の透過率、吸収率が異なる。DS86では、赤色骨髄、膀胱、骨、脳、乳房、目、胎児/子宮、大腸、肝、肺、卵巣、膵、胃、睾丸及び甲状腺の15の臓器について線量推定がされた。このため、昭和20年当時の典型的日本人の解剖学的データが集められ、これに適合するファントム(人体模型)が作成された。これは、性別のほか、年齢別に三種類、被爆時の姿勢として立位、座位、臥位の三種類が開発され、線量計算に用いられた。



DS86による線量推定についての誤差、不確定性及び及び感度については、現在までに出力、線源出力及び空中輸送の不確定性のみが。推定されており、今後、誤差、不確定性及び感度について討議することが検討されている。現在のところ、不確定性の推定としては、それぞれの項目別に推定がされており、その総合として空気中カーマに対して広島で16パーセント、長崎で22パーセントとなり、臓器カーマに対しては25ないし35パーセントとなっている。



DS86によれば、長崎におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一・二五キロメートルの地点で259.94ラド、一・五キロメートルの地点で89.9311ラド、一・六五キロメートルの地点で49,256ラド、二・一キロメートルの地点で8.779ラド、二・二キロメートルの地点で6.06ラド、二・三キロメートルの地点で4.236ラド、二・四キロメートルの地点で2.963ラド、二・五キロメートルの地点で2.092ラドとされる。広島におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一・一キロメートルの地点で266.5ラド、一・三五キロメートルの地点で92ラド、一・五キロメートルの地点で49.538ラド、一・九五キロメートルの地点で8.573ラド、二・一キロメートルの地点で4.921ラド、二・二キロメートルの地点で3.422ラド、二・三キロメートルの地点で2.376ラド、二・四キロメートルの地点で1.673ラド、二・五キロメートルの地点で1.182ラドとされる。



前示認定事実によれば、被控訴人の被爆距離は約二・四五キロメートルであって、その初期放射線の空気中線量は、DS86によると約3ないし2.1ラドであり、残留放射線による被爆線量は評価するに足りない程の線量というのであり、不確定性の推定は空気中線量で13パーセント、臓器線量で25ないし35パーセントであり、他方、閾値は、脳の神経細胞の損傷1000ラド、白血球減少50ラド、吐気100ラド、脱毛300ないし500ラド、また、リンパ球の障害による免疫能の低下については、免疫能を持つ細胞を90パーセント殺す線量は約350ラド、平均致死線量は80ないし100ラド、影響が検出されないという意味での閾値は10ラドより少し上程度とされているのであるから、DS86と閾値理論を本件に機械的に適用する限り、被控訴人の現症状は放射線の影響によるものではないということになる。






前示事実によれば、原子爆弾の構造、能力は基本的に明らかになったとされており、これに基づく理論的計算もされているのみならず、爆弾の出力も三度にわたる長崎型原爆の実験データと長崎・広島での現地のデータに基づいて推定されており、ソースターム、放射線の空中輸送についても理論計算を実験値のみならず、広島・長崎に残されたγ線・中性子線の痕跡からの測定値によって検証されており、特に放射線の大部分を占めるγ線については、ほぼ測定値によって検証されていることが認められ、また、証拠(乙三一、三二、三九、原審証人藤田正一郎、当審証人小佐古敏荘)によれば、日米合同の上級委員会は、1986年(昭和61年)3月にDS86を承認するに際し共同ステートメントを発表し、その声明の中で、「我々は現在の科学水準からみて、この計算方式が最良のものと信じており、今後における研究の進展によって修正が必要かもしれないが、大きな変更はないものと考えている。」と述べていること、これを受けて原爆放射線の影響研究に携わる科学者はもとより、世界中の放射線防護学の研究者の間で放射線影響研究の基礎として採用されてきたこと、さらに、国際放射線防護委員会(ICRP)、国連原子放射線の影響に関する科学委員会(UNSCEAR)等の国際機関による放射線のリスク評価の際の被爆線量算定の基礎となってきたことが認められる。これらの事実によれば、DS86が体系的線量評価システムとして優良性を備えているものとして取り扱われてきたことが認められる。したがって、DS86は、原子物理学、放射線学、放射線防護学等の研究者が純粋の学問的見地から放射線影響研究の基礎としたり、原子力産業や原子力政策の立案等の基礎資料とする等、被爆者を大量的、概括的に被爆者群として把握して問題を検討する場合には有力な専門的知見、経験則としてこれを用いることにはさして問題はないと考えられているように受け止められる。
しかし、本件では、被爆の状況を前示認定以上には、客観的証拠によって必ずしもに明らかにすることができない具体的、個別的な被爆者に対する放射線の影響を検討する場合に、DS86を絶対的な尺度として用いることが許されるかということが問われているというべきであるから、この観点から更に検討する。






前示のとおり、広島、長崎の両市で収集されたコンクリート建物の鉄材の中に含まれるコバルト60を分析し中性子の線量を測定した結果、DS86による計算値は遠距離になるに従って測定値を下回り、一・一八キロメートル地点では4分の1になるという系統的食い違いが生じ、この不一致の原因は説明されておらず、未解決のまま残されているとされているのであり、また、岩石中のユーロピウム152を測定した結果によっても、計算値は誤差がひどく大きく一キロメートルの地上距離における計算結果の妥当性を確認するには不確かさが大きく、測定機関の間でも開差が認められるとされている。
イ 澤田昭二名古屋大学名誉教授は、「DS86体系適用についての意見書」という論文(甲二一五)の中で、DS86による原爆線量評価の問題点として次の諸点を指摘している。



澤田名誉教授は、長友恒人奈良教育大学教育学部助教授、星正治広島大学原爆放射能医学研究所助手らの論文(1995年)の要旨を紹介し、「長友らが広島の爆心から二・〇五キロメートルの距離から収集した瓦5枚のγ線線量を熱ルミネセンス法によって測定したところ、測定値の平均が129±23ミリグレイであり、DS86の推定に比較して2.2倍大きかった。γ線の線量実測値は、爆心から近い距離においてはDS86の推定値とほぼ同じかむしろ小さめであるのに対し、遠い距離においては逆転してDS86の推定値から次第に大きい方にずれ始める。遠距離のγ線は直接原爆から放出されたものよりも、主として中性子が空気中の原子核と衝突して生成されたものであることから、原爆から放出された中性子のエネルギー・スペクトルについてのDS86の推定が誤っている(遠距離に到達できる成分が過小評価されている)ことに起因すると考えられる。」と述べている。



澤田名誉教授は、コバルト60、ユーロピウム152、塩素36の実測値とDS86の計算値を比較すると、爆心から○・九キロメートルまではDS86による推定線量が大きいが、これを超えると実測値が計算値を超え、その差は距離が大きくなるほど大きくなるとした上、「もし、実測値にフイットさせた破線の曲線を更に延長させると、爆心から一・五キロメートル地点での中性子線量はDS86の推定線量の約10倍になり、二キロメートル地点では約100倍に、二・五キロメートル地点ではDS86の推定線量の1000倍以上にしなければならない。したがつて、遠距離になればなるほど、DS86の推定線量の適用は桁違いの誤差を生む可能性が強くなり、慎重さが要求される。」と述べている。
ウ もっとも、澤田昭二意見書に関連して、証拠(乙三二、当審証人小佐古敏荘の証言)によれば、熱ルミネセンス法による測定値には多くの誤差が含まれる可能性があり、特に自然界には一定量の放射線量(バックグランド)が存在するから、低線量のγ線を熱ルミネセンス法によって測定することは決して容易ではないこと、このためDS86においては、熱ルミネセンス法による測定結果の信頼性確保のため前示六つの研究機関が競合して測定を行っていること、DS86自体においてγ線線量の計算値と実測値との間に一定の誤差があることが認識され、それも評価された上、一定の課題を残しながらも、これらの誤差がDS86が目的とした人体への放射線の悪影響を計る上での障害とならないとされたものであることが認められること、証拠(乙五二)によれば、丸山隆司放射線医学総合研究所物理研究部物理第三研究室室長らが平成1年12月に長崎市旭町所在の山田石油倉庫(爆心からの距離二・〇四三キロメートル)から採取した資料について行ったγ線の測定結果によると、熱ルミネセンス推定線量は自然放射線量の2分の1以下となっており、DS86の計算値を挟んで、最小の推定値と最大の推定値の間には2ないし3倍の開きがあることがあったことが認められ、これらの事実に照らすと、澤田意見書のように数ある測定データの一つに過ぎない長友らの測定値を絶対的な尺度としてDS86の線量評価の価値を問題にするのは相当ではないとの見方も有力な見解であるいうべきである。
また、澤田昭二意見書に関連して、証拠(乙三二)によれば、DS86作成当時から、低線量中性子の計算値とコバルトやユーロピウムの中性子フルエンスの測定値との間には、特に爆心から一キロメートルを超えた場合に系統的で、かつ、有意な差があることが指摘され、この差が何に基づくものなのか未解明のままになっていたこと、DS86はこのことを折り込んだ上で、爆心から一キロメートル以遠では熱中性子の中性子線カーマへの寄与は数パーセント程度に過ぎないし、原爆放射線カーマヘの中性子線の寄与はγ線に比して極めて小さいから、DS86の誤差評価では熱中性子の測定結果と計算値の差異の原因が解明されないからといって、その線量評価の有効性が損なわれることはないとされたことが認められること、DS86の作成に関与した当審証人小佐古敏荘は「我々の見積もっている範囲では中性子の評価値が最大動いたとしても、10倍以上になることはないと見込んでおりまして、実用的視点という観点からいきますと、これは十分我々の初期の目的としたところには入っていると私は考えます。ただし物理的に厳密なものという視点からいきますと、これは議論することも可能であるし、議論は残るだろうというふうに思います。」と述べていることに照らすと、DS86の中性子線量推定と実測値の不一致の問題を澤田意見書のように過大に評価するのは相当でないとの見解にも傾聴すべきものがあるというべきである。
エ 上野陽里京都大学名誉教授は、「DS86体系についての意見書」という論文(1996年10月、甲一二四)の中で、「DS86を使用した最近の論文でも、今後DS86が変更になればその研究結果は異なったものになるとわざわざ注釈をつけているものもあり、放射線科学の研究者は今後起こるであろうDS86の変更を予測しなければ論文自体の評価が下がる状態になっている。現在、DS86に信頼をおくことは正当性を欠き、DS86体系を何かの判断根拠とすることは誤りである。これが最近のDS86を取り巻く情勢である。」と述べ、更に「現在放射線科学の研究者が一般的に了承している認識は、被爆放射線の二つの要素の中で、中性子に関しては、爆心からほぼ一キロメートルまでは、DS86の示す被爆線量は実際の被爆線量よりもほぼ一・五倍大きく、一キロメートル以遠では、両者は逆転し、一・五キロメートル付近ではDS86の示す被爆線量は実際の被爆線量のほぼ5パーセント弱しか示していないという結果である。また、もう一つの要素であるγ線については、高エネルギーのγ線がDS86体系の中では過小評価されていて、結果として遠距離のγ線量が実際より少ないのではないかという問題がある。」と述べている。
オ 証拠(甲一六、原審証人肥田舜太郎)によれば、広島大学原爆放射能医学研究所の早川武彦教授、松浦正明助手らは、広島県内の被爆関係者の中から昭和43年から昭和57年までの15年間に広島県に居住したことのある人について、原爆投下直後から二週間の行動と死亡原因を調査し、その調査分析の結果を平成4年7月13日京都市で開催された「低線量放射線被爆と生体防御機構に関する国際会議」において報告したこと、その報告によると広島市に原爆が投下された昭和20年8月6日に救助等で二キロメートル圏内に入市した人は7033人おり、この中で2140人が昭和43年から15年間に死亡し、そのうち23パーセントにあたる498人が悪性腫瘍で死亡しており、昭和20年8月10日以降に二キロメートル圏内に入市した人の悪性腫瘍により死亡した人に比較し20パーセント死亡率が高く、統計的にみて有意の差があるとされており、同教授は「悪性腫瘍による死亡は、栄養状態等の生活環境の違いも推測できるが、原爆による放射線が影響していると考えなければ説明できない。」と述べ、残留放射線、低線量放射線被爆が被爆者に深刻な影響を与えていることを示唆していることが認められる。
カ 澤田昭二名古屋大学名誉教授は、「原爆の誘導放射能の地形による非等方性の可能性」という論文(甲一一九)の中で、「爆風の地形によって生じる非等方性は、爆風で運ばれる放射能を帯びた空気や塵等誘導放射性物質の分布の非等方性を作り出す。したがって、特に、地形の影響が大きかった長崎の場合はこのことを考慮して、大気中の誘導放射能の影響は、むしろ被爆者の間にどのような急性症状が生じたかを丹念に調査することによって推測されることになる。誘導放射能の影響は、右の他、放射能を帯びた空気や埃を吸ったかどうか、飲食物をとったかどうかなども影響する。こうした大気中の誘導放射能による影響では内部被爆が重要になると考えられる。そこで、被爆直後の空気中あるいは地表や建物の表面に生成され、浮遊した半減期の短い放射性核種も含めて考察する必要がある。これらの効果が、閾値以下の一次放射線が到達した地域における放射線症の発生を説明する可能性の一つである。」旨述べている。
キ また、ジェイ・M・グールド及びベンジャミン・A・ゴルドマンは、共著「死に至る虚構・国家による低線量放射線の隠蔽」(甲七三)の中で「チェルノブイリ惨事の統計的観察によって、データからいえば、低線量持続的内部被爆は影響が小さくなるわけではなく、むしろ、高線量瞬間被爆と比べて線量がゼロに近づく境界付近でかえって影響が強い。」「ペトカウ博士は、低線量放射線が高度に毒性化した遊離基(フリーラジカル)と呼ばれる酸素分子を生成し、それが高線量率の時よりも、低線量率の場合に一層、効果的な細胞膜破壊をもたらすことを実験してみせた。それより2、3年前、T・ストック博士と共同研究者達は、超低線量のストロンチウム90は高線量の時よりも、ラットの骨髄をより効果的に障害することを観察した。ペトカウの理論は、高線量X線への瞬間被爆や原爆のγ線への瞬間被爆と比べ、フォールアウトの低線量放射線に長時間被爆した時に極めて重篤な免疫機構の障害が生じることを説明している。」「ストロンチウム90は化学的にはカルシウムに似ているため、成長する乳幼児、小児、思春期の男女の骨髄の中に濃縮される。一度、骨中に入ると、免疫担当細胞がつくられる骨髄に対し、低線量で何年にもわたって放射線を照射し続ける。ストック博士と彼の協力者は、1968年、オスロー癌病院で、たった10ないし20ミリラドの小線量のX線が、恐らくフリーラジカル酸素の生成を通じて骨髄増結細胞にはっきりした障害を作り出すことを初めて発見した。」と述べている。



前示認定事実及び証拠(甲一二四、一二八)によれば、次の事実が認められる。線量評価システムは、T57Dに始まり、T65D、DS86と、それぞれの時代において最良の線量評価システムと評価されて実用に供されてきたが、それぞれその後の研究の進展により種々の問題が指摘されるようになり、見直しが行われてきた。殊に、DS86は、最良の原爆放射線量評価システムとして、原爆放射線の影響研究に携わる科学者はもとより世界中の放射線防護学者の間で放射線影響研究の基礎として採用され、国際機関による放射線のリスク評価の際の被爆線量算定の基礎となってきた。しかし、DS86にも、それ自体が指摘しているように、広島、長崎の両市で収集されたコンクリート建物の鉄材の中に含まれるコバルト60の分析による中性子線量の測定値と比較すると、DS86の計算値は遠距離になるに従って測定値を下回り、一・一八キロメートル地点では4分の1になるという系統的食い違いが生じ、この不一致の原因は説明されておらず、未解決のまま残されているとされ、また、岩石中のユーロピウム152の測定値と比較すると、DS86の計算値は誤差がひどく大きく一キロメートルの地上距離における計算結果の妥当性を確認するには不確かさが大きく、測定機関の間でも開差が認められるという問題点が含まれていたのである。その後、主に日本側研究者の努力により、DS86は主として中性子線量に関して幾つかの問題点を抱えていることが頻りに指摘されるようになり、その結果その見直し作業の必要性が叫ばれるようになった。このような問題状況は、先に見たように、本件訴訟においても研究者によって異なった見解が述べられるという形で反映されている。こうした状況を受けて、DS86体系作成に主導的であったアメリカ側の研究者の発議による日米委員会「原爆線量再評価のためのワークショップ」が1996年(平成8年)5月22日、23日カリフォルニア州で開かれ、次いで同年7月26日、27日に広島の放射線影響研究所で開催された。この会議の日米の主な参加者は、葉佐井博巳博士(広島電気大学)、星正治博士(広島大学原医研教授兼京都大学放生研教授)、静間清博士(広島大学工学部)、柴田徳恩博士(東京大学核研)、T・ストローム博士(ローレンス・リバモア研究所)であり、イギリス・ドイツからも参加者があった。同委員会は、1998年(平成10年)を目途に、被爆計算式の修正を検討することになると伝えられている。
4 これまでに検討してきたところによれば、各線量評価システムは、それぞれその時代における最良のものとされつつも、常に問題点を内包しており、その後の研究の進展により見直しが行われてきた歴史を有しており、これは人類が初めて体験した原子爆弾の線量を事後的に推定しようとする困難な作業でありかつ性質上追試実験を許されない事柄に属する故の宿命であると考えられるのである。そして、DS86自体にもいくつかの問題点が内包されていて、その評価をめぐって研究者間に論争があり、被爆計算式の修正が検討されている状況である上、殊に、広島、長崎の両市で収集されたコンクリート建物の鉄材の中に含まれるコバルト60の分析による中性子線量の測定値と比較すると、DS86の計算値は遠距離になるに従って測定値を下回り、一・一八キロメートル地点では4分の1になるという系統的食い違いが生じ、この不一致の原因は説明されておらず、未解決のまま残されているとされ、また、岩石中のユーロピウム152の測定値と比較すると、DS86の計算値は誤差がひどく大きく一キロメートルの地上距離における計算結果の妥当性を確認するには不確かさが大きく、測定機関の間でも開差が認められるとされているのであって、正に二・四五キロメートルの遠距離被爆による人体影響の有無を問題とする本件のような場合において、DS86が内包するこのような問題点は、被爆者群を離れて具体的、個別的被爆者の呈する個々の傷害又は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたって、その絶対的尺度としてDS86自体をそのまま適用することを躊躇させる要因となるというべきである。また、DS86が原爆投下時の瞬間放射線、初期放射線による直接の被爆を重視してその計算対象としており、放射性降下物、誘導放射能による被爆、これら残留放射能の放射性物質が体内に摂取されることによる体内被爆については、長崎の西山地区にあつては数字的に有意であるが、他の被爆者群における個人被爆を問題にする場合には有意ではないとして線量評価に加えていない点も、これらの被爆により人体に無視することのできない健康被害をもたらすことが指摘されている今日、具体的、個別的被爆の呈する個々の傷害又は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたって、その絶対的尺度としてDS86自体をそのまま適用することを躊躇させる要因となるというべきである。


日米合同調査団による調査

昭和20年9月から12月にかけて行われた日米合同調査団による長崎における調査の結果(甲六)によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約18パーセント、二・○キロメートルの地点で約10パーセント、皮膚出血斑は二・○キロメートルの地点で約7.5パーセント、二・五キロメートルの地点で約2.5パーセント、口腔咽頭病巣は二・○キロメートルの地点で約17パーセント、二・五キロメートルの地点で約14パーセントの者にそれぞれ生じたとされている。また、広島における調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約19パーセント、二・○キロメートルの地点で約7.5パーセント、皮膚出血斑は二・○キロメートルの地点で約4パーセント、二・五キロメートルの地点で約2パーセント、口腔咽頭病巣は二・○キロメートルの地点で約16パーセント、二・五キロメートルの地点で約16パーセントの者にそれぞれ生じたとされている。なお、嘔吐は広島及び長崎を合わせると、一・五キロメートルの地点で約18パーセント、二・○キロメートルの地点で約9パーセント、二・五キロメートルの地点で約7パーセントの者にそれぞれ生じたとされている。これらの症状は、いずれも爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。

東京帝国大学による調査

昭和20年10月から11月にかけて行われた東京帝国大学の広島における被爆者の調査の結果(甲六)によれば、脱毛は爆心地から一・六キローメートルから二・○キロメートルの地点で9.0パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で6.4パーセント、皮膚出血斑は二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で2.2パーセント、悪心嘔吐は一・六キロメートルから二・○キロメートルの地点で4.2パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で2.6パーセントの者にそれぞれ生じたとされている。なお、この調査においても、各症状は爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。

厚生省による調査

昭和60年に厚生省が行った原子爆弾被爆者実態調査報告(甲二八)に、よれば、長崎において爆心地から二ないし三キロメートルの地点で被爆した死亡者のうち急性障害によるものが3.2パーセント、広島においては5.4パーセントであったとされている。また、昭和40年に厚生省が行った原子爆弾被爆者実態調査及び生活調査報告(甲六五)によれば、被爆地点が二キロメートルを超える場合も相当多数の者に脱毛等の急性症状があり、四キロメートルを超える場合も、早期入市者で11パーセント、それ以外の者で3.1パーセントの者に脱毛が生じたとされている。

日本原水爆被害者団体協議会による調査

昭和60年に日本原水爆被害者団体協議会が行った原爆被害者調査報告(甲二六、二七)によれば、長崎において、爆心地から二キロメートルを超え三キロメートル以内の地点で被爆した者のうち51.1パーセント、三キロメートルを超えた地点で被爆した者のうち37.1パーセントの者に急性症状が生じたとされている。
2 右に見たとおり、被爆者の急性症状に関する各種調査によれば、前示DS八六及び閾値理論をそのまま適用すれば、発症しないはずであるにかかわらず、二キロメートルを超える被爆者にも脱毛等の急性症状が生じたとされており、かつ、その割合は爆心からの距離と相関関係にあることが明らかになったとされている。
控訴人は、二キロメートルを超える被爆者にも急性症状が生じたとされている各種調査結果について、疫学的観点からみた場合、調査対象の偏りや急性症状が発症したとされる交絡因子に関する分析が不十分なため、これらの数値によって爆心から二キロメートルを超える場合でも、放射線による急性症状が発症していると結論付けることは医学的、科学的な見地からは適切ではないのであって、二キロメートル以遠で発症した脱毛等の急性症状は、栄養障害、肉体的衰弱、精神的ストレス、熱線による影響が主たる原因であると主張し、原審証人藤田正一郎、同古賀祐彦も右主張に沿う証言をしている。確かに、被爆者の急性症状に関する各種調査は、厳密な意味での疫学の観点からは調査方法にある程度の偏りがあることを否定し得ないが、被爆者の急性症状は原子爆弾投下直後及びこれに引き続く敗戦の混乱の中で生じたものであって、科学的な把握になじみ難いものであり、この調査対象の把握の困難さは時間の経過によっても変わることのない性質のものであるから、そこに控訴人が主張するような厳密さを要請するのは相当ではなく、これを概括的にとらえるとき、二キロメートル以遠でも脱毛等の急性症状が生じている事実を全て否定し去ることはできない。そうすると、DS86自体に内包する前示の問題点は、ここでもこれらの・急性症状をもって、あげて放射線以外の他の要因に起因するものと推認することを躊躇させるとともに、放射線による各症状の閾値については、広島及び長崎における被爆者のデータを基礎資料とするものもあるが、脱毛等の急性症状に関しては、被爆者のデータは基礎資料とされていないことをも想起させるのであって、個別的、具体的被爆者の呈する個々の傷害又は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたって、その絶対的尺度としてDS86自体をそのまま適用することを躊躇させる要因となるというべきである。



原子爆弾後障害症に関する治療に関する行政通知

1 証拠(甲二一によれば、厚生省公衆衛生局長は、昭和33年(1958年)8月13日、原子爆弾後障害症に関する治療上の一般的注意事項として、「原子爆弾後障害症治療指針」と題する行政通知を発し、次のとおり述べていることが認められる。
「原子爆弾被爆者に関しては、いかなる疾患又は症侯についても一応被爆との関係を考え、その経過及び予防について特別の考慮が払われなければならないが、原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上、被爆者の受けた放射線特にγ線及び中性子線の量によってその影響の異なることは当然想像されるが、被爆者の受けた放射線の量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり、また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが、治療を行うにあたっては、特に次の諸点について考慮する必要がある。
この場合、被爆地が爆心地からおおむね二キロメートル以内の時は高度の、二キロメートルから四キロメートルまでの時は中程度の、四キロメートルを超えたときは軽度の放射線を受けたと考えて差し支えない。
被爆後における脱毛、発熱、粘膜出血、その他の症状を把握することにより、その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある。」

2 また、証拠(甲二二)によれば、厚生省公衆衛生局長は、同日、被爆者の健康診断を行うにあたって特に考慮すべき点につき、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」と題する行政通知を発し、次のとおり述べていることが認められる。
「原子爆弾の放射能に基づく疾病である限り、被爆者の個々の発症素因、生活条件等は別として、被爆者の受けた放射線の量が問題となることはいうまでもない。しかし、現在において被爆当時に受けた放射線の量を把握することはもとより困難であるが、おおむね次の事項は当時受けた放射線の量の多寡を推定するうえにきわめて参考となり得る。
被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内の時は高度の、二キロメートルから四キロメートルまでの時は中等度の、四キロメートルを超えるときは軽度の放射線を受けたと考えて差し支えない。
原子爆弾後障害症に関し、問題となる放射能は、主としてγ線及び中性子線であるので、被爆当時における遮蔽物の関係はかなり重大な問題である。このうち特に問題となるのは、解放被爆と遮蔽被爆の別、後者の場合には遮蔽物等の構造並びに遮蔽状況等に関し、十分詳細に調査する必要がある。
原子爆弾後障害に影響したと思われる放射能の作用は、主として体外照射であるが、これ以外に、塵埃、食品、飲料水等を通じて放射能が体内に入った場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。したがって、直ちに他に移動したか等被爆後の行動及びその期間が照射量を推定するうえに参考となる場合が多い。
前述の被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて、被爆後数日ないし数週に現れた被爆者の健康状態の異常が、被爆者の身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。すなわち、この期間における健康状態の異常のうちで脱毛、発熱、口内出血、下痢等の諸症状は原子爆弾による傷害の急性症状を意味する場合が多く、特にこのような症状の頭著であった例においては、当時受けた放射能の量が比較的多く、したがって、原子爆弾後障害症が割合容易に発現しうると考えることができる。」

3 右行政通知は、直接的には旧原爆医療法に基づく原子爆弾後障害症の治療にあたって考慮すべき事項あるいは原爆被爆者の健康診断の実施にあたって考慮すべき事項を述べたものであって、旧原爆医療法8条1項に基づく認定にあたって考慮すべき事項を述べたものではない上、未だT65D、DS86も公表されておらず、閾値理論も未発達の時期のものではあるが、DS86が公表され、閾値理論が提唱されている現時点においても、具体的、個別的被爆者の呈する個々の傷害又は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたって、その絶対的尺度としてDS86自体をそのまま適用することを躊躇させる要因が存在し、その結果個々の被爆者の受けた放射線量を的確に把握することが困難であることに変わりはないのである。
そうすると、原子爆弾被爆者に関しては、いかなる疾患又は症侯についても一応被爆との関係を考え、被爆時の諸状況、特に、被爆距離、被爆場所の状況、被爆後の行動等あるいは被爆直後の急性症状の有無等の健康状態等から、個々の被爆者の被爆線量及びこれによる原子爆弾後障害症の発現の有無等を推定、する等して、放射線の影響の有無を総合的に判断する必要があるとしている点は、現時点においても、旧原爆医療法8条1項に基づく認定に際し、具体的、個別的被爆者の呈する個々の傷害又は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたっての正鵠を得た判断基準として十分に参酌されなければならないと認められる。



1 前示認定事実に証拠(甲一一の1ないし5、原審・当審証人山下兼彦)を総合すれば、被控訴人は、原子爆弾の爆風により飛来した屋根瓦によって左頭頂部を直撃され、左頭頂部頭蓋骨陥没骨折、一部欠損の重篤な外傷を負ったこと、これが直接の原因となって脳挫傷を生じ、その周辺脳組織を圧迫し、頭蓋骨内に出血が発生して脳浮腫の状態となったこと、また、外傷による炎症により脳内にも出血を生じたこと、これらの結果脳実質が損傷を受け、脳実質の壊死あるいは萎縮による脳孔症となったこと、被控訴人の脳孔症は脳実質に広範な欠損があり、側脳室が拡大し、脳実質欠損部と側脳室が交通しており広範損傷の一種であること、脳実質の欠損部分は身体の右半身の運動及び知覚を支配する神経領域にあるため被控訴人の現在の症状である右片麻痺あるいは前示一2の各症状を呈するに至ったこと、被控訴人は被爆後下痢、脱毛の急性症状があったこと、被控訴人の頭部外傷が一応の治癒を見たのは被爆後二年半ほど経ってからであったこと、その間傷口の一部がふさがりかけると別の部分から膿等が出始めるという状況の繰り返しであったこと、治療期間中に被控訴人の頭部の傷口から屋根瓦の破片が摘出されていること等の事実が認められる。
2 証拠(乙四〇)によれば、頭部外傷の受傷機転は、一般に、1、鈍力による損傷、2、早い速度で飛んできた小物体による損傷の二種類に類別され、1は転倒あるいは自動車事故等により頭部を路面等に強打したような場合に生じる損傷であり、この場合の衝撃外力は広範に頭部全体に及び、頭皮には挫傷が起こり、頭蓋骨には線状骨折が起こるのが通例であり、広汎に及ぶ脳の損傷を伴うのに対し、2は銃弾やゴルフボール等が頭部を直撃したような場合に生じる損傷であって、頭皮には裂傷が起こり、頭蓋骨には陥没骨折が起こるのが通例であり、脳実質への影響は受傷した局所では高度であるが、局限性で脳全体に与える影響は少ないことが認められる。前示被控訴人の受傷状況及び頭蓋骨陥没骨折の状況に照らすと、被控訴人の頭部外傷の受傷機転は2の場合に該当すると認められるのであるから、脳実質への影響は受傷した局所では高度であっても局限性で脳全体に与える影響は少ないのが通常であるのに、被控訴人の場合は脳実質に広汎な欠損があり、側脳室が拡大し、脳実質欠損部と側脳室が交通しており、広汎損傷の一種と認められる。そうすると、被控訴人の頭部外傷がこのように広汎な脳孔症をもたらしたのには、頭部外傷の合併症というだけでは説明できない希な状態であるということができ、屋根瓦による打撃以外の要因も加味していることを強く推認させるというべきである。被控訴人は、被爆当時3歳で爆心から二・四五キロメートルの被爆であったが、幼若なほど放射線感受性は高い上、被控訴人は原子爆弾が投下された時から起算して8日後には、自宅から徒歩で爆心から約一・九キロメートルの稲佐橋を渡り、爆心から約一・七キロメートルの長崎駅に至り、同駅から列車で爆心地の直近を通過して疎開しているのであり、残留放射能による被爆、放射性物質の体内摂取による体内被爆による影響も無視し得ないものがあると窺え、脳細胞、神経細胞を外界から保護する頭皮、頭蓋骨、硬膜等が破壊され、脳実質も一部破損した状況での脳細胞、神経細胞へのこれら放射能による影響の有無を神経細胞への閾値で計り得るのかも疑問の残るところである。また、治療期間中に被控訴人の頭部の傷口から屋根瓦の破片が摘出されているのであり、その屋根瓦自体も放射能に汚染されていた可能性も否定できないのである。さらに、現実の原爆被爆者は、劣悪な生活環境と栄養状態にあったのであり、このような状況下での放射線被爆の影響は、近時の医療現場や原子力産業現場における被爆とはおのずから異なるものがあるとも推認される。また、被控訴人に現実に生じた下痢や脱毛の事実も放射線との関連性を推認させるものがある。
また、証拠(甲一三の1ないし5「昭和28年・日本学術会振興会編集発行・原子爆弾災害調査報告書」、乙一四の2、原審証人山下兼彦)によれば、原爆症死亡者の剖検例によると放射線の影響として脳膜あるいは脳実質内に浮腫あるいは出血、損傷が認められたとされ、また、急性期を経過して死亡した人の剖検例により脳の組織学的変化に着目すると脳幹の神経細胞に変成が認められたほか、脳全域あるいは脳皮質の細胞レベルの障害が指摘されていること、原子爆弾による外傷患者に特徴的な点は原爆症を併発するに至った患者の場合にはその時点で治癒が遷延すること、特に肉芽は回復能力が劣ることがあることが認められる。被控訴人の頭部外傷が一応の治癒を見たのは被爆後二年半ほど経ってからであり、その間傷口の一部がふさがりかけると別の部分から膿等が出始めるという状況の繰り返しであり、約二・九キロメートルの遠距離で被爆し原爆症の認定を受けた前示渡辺千恵子と類似の経過をたどっているのであり、このような症状の経過、治癒の遷延は医療物資の欠乏による治療の不十分、不適切さだけでは十分に説明できないものがあるといえる。
3 以上検討してきたところを総合すれば、被控訴人の脳孔症、右片麻痺等の現症状は、放射線の影響と関わりなく専ら屋根瓦の直撃という物理的要因により生じた事態であると解するのは相当ではなく、屋根瓦の直撃、放射線の直接的影響、放射線の影響による生体の防御機構としての免疫能の低下、それによる治癒能力の低下等の要因が複合的、相乗的に機能して生じた、少なくとも放射線の影響により治癒能力が低下したために治癒が遷延しその結果現在の状態に至ったものと相当程度の蓋然性をもって推認することができる、というべきであるから、旧原爆医療法7条1項前段・後段の一括適用によりあるいは同項後段の適用により起因性の要件を満たすことが認められる。また、被控訴人に関し、要医療性の要件も満たすと解すべきことも前示説示に照らし明らかである。




そうすると、被控訴人の疾病と原爆放射能の起因性を否定できるとした原子爆弾被爆者医療審議会の調査審議及び判断の過程には看過し難い過誤、欠落があるというほかはないところ、控訴人行政庁の本件却下処分がこれに依拠してなされたことは明らかであるから、控訴人の右判断は不合理な点があり、右判断に基づく本件却下処分には違法事由があるといわなければならないから、取り消しを免れず、したがって、これと同旨の原判決は相当であり、結局、本件控訴は理由がないというべきこととなる。
よって、控訴費用の負担につき、行訴法7条、民訴法95条、89条を適用して、主文のとおり判決する。




福岡高等裁判所第二民事部


裁判長裁判官 山口 忍


裁判官 宮良允通


裁判官 西 謙二

松谷訴訟(福岡高裁)判決骨子・要旨

平成5年(行コ)第17号 原爆被爆者医療給付認定申請却下処分取消請求控訴事件
(原審・長崎地方裁判所昭和63年(行ウ)第3号)

判 決



東京都千代田区霞ヶ関1-2-2
控訴人 厚生大臣 小 泉 純一郎

右指定代理人 田 川 直 之


長崎市深堀町1-293-11 県営住宅D10-101
被控訴人 松 谷 英 子

右訴訟代理人弁護士 横 山 茂 樹


主 文

本件控訴を棄却する


控訴費用は控訴人の負担とする


骨 子

1 原爆症の要件である起因性の証明は相当程度の蓋然性の程度で足りる。
2 遠距離被爆における具体的、個別的被爆者の呈する個々の障害叉は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたって、DS86自体を絶対的尺度としてそのまま適用することには躊躇させる要因がある。
3 行政通知は、具体的、個別的被爆者の呈する個々の障害叉は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたっての判断基準として十分に参酌されなければならない。
4 被控訴人は、旧原爆医療法7条1項前段・後段の一括適用によりあるいは同項後段の適用により原爆症と認められる。
5 被控訴人の疾病と原爆放射能の起因性を否定できるとした原子爆弾被爆者医療審議会の調査審議及び判断の過程には看過し難い過誤、欠落があり、これに依拠してなされた本件却下処分には取り消すべき違法事由がある。

要 旨

1 旧原爆医療法7条1項所定の原爆症の要件である起因性の立証責任は被爆者にあるが、原子爆弾による被害の甚大性、原爆後障害症の特殊性、旧原爆医療法の目的、性格等を考慮し、その証明の程度については、同法7条1項本文の放射能と現疾病との間の因果関係及び同項ただし書きの放射能と治癒能力との間の因果関係につき、それぞれ物理的、医学的観点から高度の蓋然性の程度までに証明されなくても、被爆者の被爆時の状況、その後の病歴、現症状等を参酌し、現象病が原子爆弾の障害作用に起因する旨の相当程度の蓋然性の証明があれば足りると解すべきである。
2 DS86自体にもいくつかの問題点が内包されていて、その評価をめぐって研究者間に論争があり、被爆計算式の修正が検討されている状況である上、殊に、DS86の放射線量の計算値は、広島、長崎の両市で収集されたコンクリート建物の鉄材の中に含まれるコバルト60の分析による中性子線量の測定値と比較すると遠距離になるに従って測定値を下回り、系統的食い違いがあり、この不一致の原因は説明されておらず未解決のまま残されていること、岩石中のユーロピウム152の測定値と比較すると誤差が大きく、計算結果の妥当性を確認するには不確かさが大きく測定機関の間でも開差が認められるとされていること、DS86が原爆投下時の瞬間放射線、初期放射線による直接の被爆を重視してその計算対象としており、放射線降下物、誘導放射能による被爆、これら残留放射能の放射性物質が体内に摂取されることによる体内被爆については、有意でないとして線量評価に加えていないこと等の問題点は、被爆者群を離れて遠距離被爆における具体的、個別的被爆者の呈する個々の傷害叉は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたって、その絶対的尺度としてDS86自体をそのまま適用することを躊躇させる要因となるべきである。
3 行政通知が、原子爆弾被爆者に関しては、いかなる疾患叉は症候についても一応被爆との関係を考え、被爆時の諸状況、特に、被爆距離、被爆場所の状況、被爆後の行動等あるいは被爆直後の急性症状の有無等の健康状態等から、個々の被爆者の被爆線量及びこれによる原子爆弾後障害症の発現の有無等を推定する等して、放射線の影響の有無を総合的に判断する必要があるとしている点は、現時点においても、具体的、個別的被爆者の呈する個々の傷害叉は疾病ないし治癒能力と放射線の影響の有無を検討するにあたっての判断基準として十分に参酌されなければならない。
4 被控訴人の現症状は、放射線の影響と関わりなく、専ら屋根瓦の直撃という物理的要因により生じた事態であると解するのは相当ではなく、屋根瓦の直撃、放射線の直接的影響、放射線の影響による生体の防護機構としての免疫能の低下、それによる治癒能力の低下等の要因が複合的、相乗的に機能して生じた。少なくても放射線の影響により治癒能力が低下しために治癒が遷延しその結果現在の状態に至ったものと相当程度の蓋然性をもって推認することができるというべきであるから、旧原爆医療法7条1項前段・後段の一括適用によりあるいは同項後段の適用により起因性の要件を満たすと認められる。
5 被控訴人の疾患と原爆放射線の起因性を否定できるとした原子爆弾被爆者医療審議会の調査審議及び判断の過程には看過し難い過誤、欠落があるというほかはないところ、控訴人行政庁の本件却下処分がこれに依拠してなされたことは明らかであるから、控訴人の右判断は不合理な点があり、右判断に基づく本件却下処分には違法事由があるといわなければならないから、取消を免れない

松谷訴訟(長崎地裁)判決文

原爆被爆者医療給付認定申請却下処分取消請求事件
長崎地裁昭六三(行ウ)第三号
平5・5・26民事部判決
原告 松谷英子
右訴訟代理人弁護士 横山茂樹
同 石井精二
同 小野正章
同 片山昭彦
同 金子寛道
同 國弘達夫
同 熊谷悟郎
同 小林清隆
同 小林正博
同 塩塚節夫
同 龍田紘一朗
同 中原重記
同 中村照美
同 中村尚達
同 原章夫
同 福崎博孝
同 松永保彦
同 水上正博
同 森永正
同 山下俊夫
同 山田富康
同 吉田良尚
同 安原幸彦
同 永田雅英
同 椎名麻紗枝
同 池田眞規
同 内藤雅義
被告 厚生大臣 丹羽雄哉
右指定代理人 増田保夫 外一一名


主 文

一 被告が昭和六二年九月二四日付で原告に対してした原子爆弾被爆者の医療等に関する法律八条一項に基づく認定申請の却下処分は、これを取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一 請求
主文一項と同旨
第二 事案の概要
本件は、長崎市内において被爆し、頭部外傷を負い、現在右半身不全麻痺の症状を有する原告が、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)八条一項に基づき、右片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を申請したところ、被告は、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付してこれを却下したため、右却下処分の同法七条一項、八条一項の解釈適用の誤りの違法を理由にその取消しを求める訴訟である。
一 争いのない事実及び前提となる事実
1 昭和二〇年八月九日午前一一時二分長崎市に原子爆弾が投下され、原告(当時三歳)は、長崎市稲佐町一丁目一五番地の当時の自宅で被爆し(争いがない。)、その際爆風で飛ばされた瓦により頭部に外傷を負った(証人松谷シマ)。
2 原告は、次項記載の認定申請時において、右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷と診断され、右半身不全麻痺、右肘関節屈曲拘縮(伸展位四五度までで、右肘が伸びない。)、右手指伸展位をとる(他動は可)(右手指は他動的には曲げることができるが、自らは屈曲できない。)、右尖足(右足首が伸展位をとったままの状態で固定している。)、右半身知覚低下(痛覚、触覚、振動覚ともに)、右半身の腱反射亢進、右バビンスキー反射(+)、右上下肢筋萎縮(痙性)、右上肢廃用手、右下肢に著しい障害を有するという症状を有し、治療を要する状態であった(〈書証番号略〉、証人山下兼彦、原告本人)。
3 原告は、原爆医療法八条一項に基づき、右片麻痺及び頭部外傷が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けるため、昭和六二年二月一〇日付の認定申請書を長崎市長に提出し(争いがない。)、被告は同市長からの同月一二日付の進達により、これを収受した(〈書証番号略〉)。被告は、右申請に対する処分を行うに当たり、原子爆弾被爆者医療審議会の意見を聞いた(〈書証番号略〉)上、同年九月二四日、「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との理由を付してこれを却下した(争いがない。)。原告は、右処分に対して同年一二月一五日、被告に対し行政不服審査法に基づく異議申立てをなしたが、被告は、昭和六三年六月二一日付で右申立てを棄却した(争いがない。)。
二 争点及び争点についての当事者の主張
原告の右疾病は,原子爆弾の放射線に起因するか若しくは原子爆弾の爆風等に起因しかつ放射線の影響により治癒能力が低下したことに起因するか。(なお、原爆医療法七条一項には、「放射能」とあるが、放射能とは放射性物質が放射線を出す現象又は性質をいい、原子爆弾によりもたらされる放射性元素の崩壊に伴って放出されるα線、β線、γ線、中性子線等の粒子線は放射線というのが正確であるから、以下、放射線と読み換えて判断することにする。)
(原告の主張)
1 原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との関係についての基本的考え方
長崎に投下された原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との関係については、医学的にも物理学的にも現代科学は因果的に明確な回答が得られない未解明の分野を多く残していて、右の関係を数値的・数理的に説明することは本来不可能であるが、原爆症の認定行政においては、被爆地点の距離・被曝線量の数量化といった数値的・数理的議論のみが先行し、被爆者の様々な傷病事例中に数量化理論では説明できない障害事例が存在することに目をつぶり、これまでの科学理論が用意した不十分な数値的尺度で被害状況を測定するのみで、被害実態の方向から原爆症認定が必要かどうかの方向から接近することがなかった。原爆症の認定行政の当否は、むしろ前提として前記未解明要因が存在することを十分考慮に入れたうえで現実の被害態様を把握することが不可欠であって、これを踏まえて考察されるべきものであって、原爆症を測定する尺度としては不十分な数量的科学論をもってこれを論ずることは「科学的でありそうで、その実は科学ではあり得ない。」というべきである。もとより、ここでいう未解明要因とは、科学的研究の目的となり得ない非科学的事象とは異なり、研究の目的たる科学事象ではあるが「未だ定説になっていない事象」「これまでの定説では説明できない事象」あるいは「定説における不確定要素」等を意味し、現時点においては科学的に解き明かされていないものである。このような段階において、原爆症認定のための「起因性」に関する要証事実をどのように考えるべきか、あるいは、立証責任をいかに構成するかは重要な課題であり、特別な考察を必要とする。行政の運用における「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」との申請却下理由の表現は、まさに以上のような視点から理解されなければならず、「起因可能性で足りる」としている根拠はそこにあるというべきである。
2 いわゆる「起因性」の証明について
起因性とは、原子爆弾による放射線と被爆による身体障害との条件関係的因果関係を意味するところ、前記のように長崎に投下された原子爆弾による放射線と被爆による身体障害発生のメカニズムは未だ科学的に未解明の部分が非常に多く、線量評価システムに基づく被曝線量(それは距離的要素を最も重要視する。)をもって、同障害発生の有無が決せられるようなものではないこと、統計的手法(疫学的手法に類するもの)(最判昭和四四年二月六日民集二三巻二号一九五頁は統計的因果関係という。)による被爆障害の発生の可能性を検討するに必要とされる被告保有の右原爆被爆距離と被爆障害との関係等に係わる豊富な基礎データに原告が接近できないこと等から原告に対し確実な立証を求めることは不可能ないし困難を強いるもので公平でないし、また、原爆医療法の目的、性格等に照らせば、立証責任を転換するか、あるいは相当程度の蓋然性の立証で足りる(最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁は、一般的に訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、事実と結果との間に高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる、という。)として起因性の立証の負担を軽減すべきであって、被告も原爆症認定申請却下の理由を前記「申請に係る申請人の疾病は、原爆放射線に起因する可能性は否定できる。」という定型的文言で表現することによって、はからずも原爆症認定の要件としての起因性証明に関して以上と同じような認識を有していることを示しているのであって、原告の疾病が原子爆弾の放射線に起因する可能性を否定できないことが証明されれば、原爆医療法八条一項の認定がなされるべきである。
3 非電離放射線の影響
従来、原子爆弾による放射線の人体に対する影響についてはγ線、中性子線等の電離放射線のみが問題とされてきたが、原子爆弾が爆発する際には非電離放射線も放出され、また、電磁パルスが発生し強力な電磁波が放出されるから、争点についての判断にあたっては、これらが人体に与える影響をも考慮する必要がある。
4 神経系への直接的な放射線の影響
原告は、長崎に投下された原子爆弾被爆当時三歳で近距離からの被爆であったが、幼若なほど放射線感受性は高く、特に神経組織においてその影響を受けやすいこと、原告の被爆後の状況から明らかなように長崎市内の自宅での生活中や疎開途中に爆心地の直近を通過した際に残留放射線を受けたり、未分裂プルトニウムや誘導放射線に汚染された大気を呼吸し、飲料水や食物を通じてこれを体内に摂取して放射線の影響を受けたこと、頭蓋骨骨折により脳細胞を外界から保護する頭皮、頭蓋骨、硬膜等が破壊され、大脳実質も一部破損した状況であったことを考慮すると、神経細胞への影響の可能性は否定できない。
5 原告の脳孔症に与えた放射線の影響
脳孔症は頭部外傷の合併症ないし後遺症としても発症するものではあるが、原告の脳実質の欠損の範囲は外傷に比して広大であり、このように広汎な脳実質の欠損が生じるのは特異なことであって、放射線の影響を考慮すべきである。
6 免疫能の低下による治癒の遷延
被爆者には、電離放射線、非電離放射線等の影響により免疫能の低下がみられるが、原告の頭部外傷の治癒が遷延したことはまさに放射線による免疫能の低下によるものであり、外傷部の治癒の遷延により脳実質等の炎症が長期化し、その欠損が深化したことが容易に推測される。
7 複合的影響
頭部外傷による脳挫傷、外傷による炎症、放射線の直接的な影響、放射線による免疫能の低下による治癒の遷延のそれぞれが、脳孔症を引き起こし、深刻化させているが、これらが同時に作用することによって、互いに相乗的な効果を派生させることにより、その重度化は一層深まったものというべきである。
(被告の主張)
1 放射線被曝の人体に及ぼす影響については、一八九〇年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されているところであるから、原爆医療法七条一項所定の起因性の有無を判断する際にも、判断時に形成されている一般的な科学的・医学的知見をふまえて判断すべきである。そして、右一般的知見によれば、放射線被曝の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響(確定的影響)とがあり、確定的影響の範ちゅうでは、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値(なお、この閾値は、生体に個体差があることを前提として幅をもって設定されている。)
があり、また、確定的影響に属する範ちゅうの人体影響については、放射線が人体に科学的変化を及ぼしたり、一定の損傷を与えても、当該組織全体としては影響を受けなかったり、影響として検出される前に回復されたりして、障害として検出されないことから、当該被爆者の被曝線量が重要な要素となるところ、原告の右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷は、いずれも確定的影響の範ちゅうに属するものであるから、原告の被曝線量を解明した上で、その線量が原告主張の傷害や治癒能力の関係で影響を与えるような線量であったか、換言すれば、当該傷害や治癒能力との関係で閾値を超えた線量に達していたか否かを検討すべきこととなる。
2 被曝線量の解明について
線量推定方式であるT六五DやDS八六は、被爆直後から行われた線量測定の結果、アメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれの時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合した最良のものであるから、原告の被曝線量を推定する場合も、これらの線量推定方式に基づくのが合理的である。
3 原告の被曝線量について
原告の被爆距離は約二・四五キロメートルであって、この被爆距離をもとに、原告の被曝線量を推定するに、本件処分当時適用されていたT六五Dによれば、原告の被爆距離での初期放射線の空気中線量は約四・一ないし二・九ラドであり、DS八六によれば三ないし二・一ラドである。一方、残留放射線による被曝線量については、被爆距離と経過時間に応じて急激に減少することが知られており、DS八六によれば被爆距離二・四キロメートルでは、〇・〇〇〇〇一ラド以下にすぎないことが明らかである。
4 原告の傷害、治癒能力と放射線起因性の有無について
(一) 原告の頭部の傷害の発生経緯に照らすと、頭部外傷は原子爆弾の爆風によって飛来した屋根瓦によるものであって、放射線によるものでないことが明らかである。
(二) 右片麻痺(脳萎縮)について検討するに、原告の推定最大被曝線量は、T六五Dによれば約四・一ないし二・九ラドであり、DS八六によれば三ないし二・一ラドと認められるところ、脳の神経細胞を損傷する放射線の閾値は、一〇〇〇ラドと考えられているから、原告の右被曝線量は神経傷害等の確定的影響を起こす閾値よりもはるかに低く、原告が被爆した放射線量を最大に見積もっても、傷害作用をもたらさないうえ、原告の右片麻痺(脳萎縮)は、前記頭部外傷によって脳実質が損傷し、それに伴い脳萎縮、脳室拡大により運動神経の麻痺に至ったものとして傷害内容、発症経過等を合理的に説明できるから、放射線によるものとは認められない。
(三) 放射線被曝の治癒能力に与える影響を検討するに、原告の被曝線量では免疫能低下を引き起こす線量にも達していないことが明らかである。

第三 争点に対する判断
一 原告の被爆の状況
証拠(〈書証番号略〉、証人松谷シマ、K、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、昭和二〇年八月九日の被爆当時三歳五か月であったが、爆心地方向が空き地でこれといった遮蔽物のない西側庭に向いた自宅の縁側ないしその付近で鶏を見て一人で遊んでおり、母シマは味噌の配給を取りに出掛けており、父甚太郎は、昼食の用意のため台所で七輪で火を起こしていた。長崎の爆心地に投下された原子爆弾が爆発した際、その爆風により吹き飛ばされた屋根瓦が原告の左頭頂部を直撃し、その部位に頭蓋骨が陥没骨折し一部欠損する重篤な外傷を負ったが、父が駆けつけた時には、既に意識不明に陥っており、上下股の運動機能喪失・麻痺の状態でぐったりし、頭に当てたタオルが血で真っ赤に染まっている原告を父が臨時の野外救護所に連れていったものの、医師に軽度の頭部外傷と間違えられ他の重症者の治療が先であるとして治療を拒否され、父はやむなく防空壕に連れて行った。母が防空壕に駆けつけた際にも原告は意識不明の状態で痛いといって泣くこともなく、頭部からの出血も止まらなかったため、同日の夕方再度右救護所に行き、医師に診察を受けたところ、漸く左頭頂部の傷口は直径一ないし二センチメートルの円形で相当深部に達するものであることが判明し、致命的である旨診断されたが、設備や薬品も不十分であって、傷口にマーキュロクロムを塗布されるに止まった。
2 救護所から帰宅する途中原告は全身硬直性の痙攣発作を起こし、ゆきのしたの汁を口・鼻付近から吹き込まれ約一五分後に痙攣が治まった。
3 原子爆弾の爆風により、原告の自宅付近は建物が崩れ落ちるなどし、自宅は瓦が落ち、戸板等も吹き飛ばされ、畳がめくれ上がった。
4 原告の右自宅は、爆心地から約二・四五キロメートルの箇所に位置していた。
二 原告の被爆後及び現在の状況
証拠(〈書証番号略〉、証人松谷シマ、K、山下兼彦、安齋育郎、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、放射線感受性の強い幼時に被爆後しばらく両親とともにそのまま自宅で生活し、当時稲佐小学校の二階に設置された臨時の診療所でマーキュロクロムを塗布するという程度の治療を受けたに止まった。また、原告には、被爆後数日間にわたり、下痢症状が見られた。
2 原告は、昭和二〇年八月一六日、両親及び隣家のK一家とともに、自宅から徒歩で稲佐橋(爆心より約一・九キロメートル)を渡り、宝町(爆心より約一・七キロメートル)を経て長崎駅に至り、同駅から列車で爆心地の直近を通過して長崎県南高来郡愛野町に避難し、同町では被爆者として厚遇を受けて一〇日間ほど過ごした後帰宅した。避難先においても、原告は寝たきりであったが、治療を受けることはなかった。
3 原告は、昭和二〇年一〇月上旬ころ、両親とともに長崎県南松浦郡富江町にある父の実家に疎開のため転居した。
(一) 原告は、転居後も寝た切りであって、自分の力で寝返りを打つこともできなかった。
(二) 転居前から、原告の頭部の傷口は化膿し、膿が出ていたが、転居後も傷口がふさがらず、水が吹き出すように腐臭の強い膿ないし分泌物が流れ出し続け、医師からいったん短期間で直る旨の診断を受け、医師の治療を受けたものの、傷口の一部がふさがりかけると別の部分から膿等が出始めるという状態の繰り返しで治療は効を奏せず、医師の診断では免疫能の低下を考えなければ説明が付かない程に治癒が遷延し、原告の頭部外傷部が一応の治癒を見たのは被爆後二年ないし二年半ほどたってからである。
(三) 転居前から、原告の頭髪が少しずつ抜け、転居した後かなり薄くなった。
(四) 原告は、昭和二〇年一二月三一日から昭和二一年一月一日にかけて、失神を伴う継続的な重度の痙攣発作に襲われ、心マッサージにより息を吹き返したことがあった。
4 原告は、昭和二二年末ころ、両親とともに長崎市内に再度転居し、昭和二四年四月、一年遅れて小学校に入学し、中学校、高校と進学し、昭和三六年三月高校卒業後、事務員として就職し、今日に至っている。
(一) 原告は、次第に失神を伴う痙攣発作の回数は減じてはいったが、学校時代を通じて年に一ないし二回くらい一時的に意識不明の状態に陥ることがあり、最後の発作は昭和四二年ころであった。
(二) 原告は、昭和三四年ころ、約三九度の高熱が一週間ほど継続する症状を呈したが、当時の診断としては明確に感染症とは判定できず、原因は明らかにならなかった。
(三) 原告は、現在においても、前記第二、一2記載の症状を有しており、右足は、かかと、第一指、第二指は着地せず、残りの指及びその付近の足の裏しか着地しないため、歩行が著しく不自由・不正常であり、また、その部分が硬くなり、針で刺すような痛みがある。右手は、物をつかみ上げることもできない。
(四) 原告の左頭頂部の頭蓋骨には陥没骨折があり、また、右骨折部分に対応する部分の脳実質が欠損しており、さらに、右欠損と側脳室が交通しており、脳孔症と診断される上、側脳室自体も拡大している。原告は、頭部外傷部分の周囲がひどく痛むことがある。
(五) 原告に対する治療としては、根本的な治療は困難であるが、症状を緩和するために、薬物療法あるいは理学療法、機能回復訓練等が必要である。

三 原爆症の認定について
1 原爆医療法七条一項の「厚生大臣は原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者に対し必要な医療の給付を行う。ただし、当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときはその者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」、同法八条一項の「右医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けなければならない。」という各規定の趣旨からして、原爆症の認定の要件は、(一) 被爆者の負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること(起因性)、及び、(二) 現に医療を要する状態にあること、ただし、その負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものでないときは治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため現に医療を要する状態にあること(要医療性)であると解される。
2 国は、本件処分当時、原爆医療法に基づき、一般被爆者に対しては健康診断及び医療保険等の自己負担分の公費負担を行い、前記原爆症認定被爆者に対しては全額公費負担による医療の給付を行っており、その一方で、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「特別措置法」という。)に基づき、同認定被爆者に対しては、医療特別手当あるいは特別手当の支給、所定の障害により介護を要する場合には介護手当の支給、葬祭料の支給等の措置を行っていた。
以上のとおり、およそ被爆者とはいっても、一般の被爆者と前記原爆症認定被爆者とでは、現行法制度上は、被爆の状況、負傷又は疾病の内容等に応じて健康及び福祉に対する処置に差異を設けていて、原爆医療法八条一項に基づく原爆症認定処分は、同法七条による医療の給付及び特別措置法による特別手当の支給等の手厚い救済を受ける前提となっており、この認定処分によって一般被爆者は自己の権利、利益が拡張される効果があること及び原爆医療法八条一項の前記規定自体の形式を考慮すれば、前記各認定要件の該当事由の証明があった場合に、それによって原爆症の認定がされなければならないのである。
3 原告は、原爆医療法の目的、性格、放射線の人体に対する影響の未解明性等に照らし、右認定要件の証明について立証責任を転換するか、あるいは相当程度の蓋然性の立証で足りるとして、起因性の立証の負担を軽減すべきであって、原告の疾病が原子爆弾の放射線に起因する可能性を否定できないことが証明されれば、原爆医療法八条一項の認定がなされるべきである旨主張するので、この起因性の証明の点について検討する。
原爆症の認定に係わる原爆医療法七条一項、八条一項の規定内容及びその認定要件の理解、その認定のため要件具備の証明を必要とする根拠等については、前記1、2のとおりであり、以下はもとよりこれを前提とする。
証拠(〈書証番号略〉、証人安齋育郎、古賀佑彦)によれば、爆風、熱線等の破壊力をも有する放射線大量殺戮兵器としての原子爆弾は、現実に投下されて爆風、熱線、放射線等により人体、物体に広域にわたり多大かつ凄惨な被害を及ぼしたが、特に最も広くかつ深刻な影響を与えたのはその放射線による障害である。この放射線は、人体の細胞を破壊ないし損壊したために、悪心、嘔吐、食思不振、下痢、出血斑ないし点状出血、脱毛、口腔咽頭病巣、出血、発熱、白血球数の減少、貧血、精子減少、月経異常等の急性症状、白血病、多発性骨髄腫、再生不良性貧血等の血液の障害、白内障等の後障害、胎内被曝児における小頭症等の多種多様な症状を発生させたが、これらの人体傷害には放射線によることを明確に示すような特異性はなく、また、現代科学において、そのメカニズムに関する理論的ネットワークは必ずしも十全に確立されているものではないことが認められる。すなわち、今日に至るまで放射線の人体に対する影響については、科学的医学的研究が続けられ、原子爆弾の放射線による後障害の範囲、内容、これに対する治療方法等について本来解析が可能な分野につき合意的な結論に到達した部分もあるが、なお現在においても未解明の点が少なくなく、治療に関しても多分に体質面からの自然治癒に頼らざるを得ない状況にあることが認められる。そして、このことは、後に詳記する昭和三三年八月一三日付厚生省公衆衛生局長(〈書証番号略〉)の「原子爆弾後障害症治療指針」に「これらの後障害に関しては従来幾多の臨床的及び病理学的その他の研究が重ねられた結果、その成因についても次第に明瞭となり、治療面でも改善を加えられつつあるが、今日いまだ決して十分とはいい難い。従って、原子爆弾後障害症の範囲及びその適正な医療については、今後の研究を待つべきものが少なくないと考えられる。」と記述されている認識が依然として妥当することを意味している。
以上に関して、ここで、とくに留意して置きたいのは、投下された原子爆弾による人体に対する傷害作用や後障害についての科学的分析的な解明に当たって、この後障害等による苦しみを感じている一個の全体的な障害者という統合的視点は不可欠なものとしてきっとこれを確保し、その解析結果の規定性の射程領域については謙虚な態度で臨まなければならないということである。
そして、原爆医療法一条に「被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的」とすると規定されて、被爆者のみを対象として特に右立法がなされた背景には、原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみないほど特異かつ深刻なものであることと並んで、被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者より不安定な状態に置かれているということがある。また、原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって、その点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格をもつものであるということができるが、他方、原子爆弾被爆という特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任においてその救済をはかるという一面をも有するものであり、その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは、これを否定することができない(最高裁昭和五〇年行ツ第九八号、同五三年三月三〇日第一小法廷判決・民集第三二巻第二号四三五頁参照)。
さらに、行政の運用としても、前記争いのない事実のように、厚生大臣は、本件却下処分を「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる。」という文言を用いて行っており、また、証拠(〈書証番号略〉、証人W)によれば、後記のようなT六五DあるいはDS八六によっては放射線量が人体に確定的影響を及ぼさない程度のものであるとの説明が行われる帰結となるであろう地点における被爆者に対してもこれまで原爆医療法八条一項による認定処分をなす運用がなされた先例があったことが認められる。(なお、被告は、「可能性は否定できる。」との文言は、「認められない。」という意味以上のものを持たない旨反論し、確かに純粋科学上も医学上もこの文言による命題の妥当する余地は考えられない(証人肥田舜太郎、山下兼彦)が、行政庁が、法律を適用しておよそ重要な影響を及ぼすべき処分を行うに当たり、これに係わる言明の持つ意味を的確に規定し、区別しないまま用いることは到底考えられず、被告の右反論の趣旨は付会的な印象を受ける。)
4 以上のような投下された原子爆弾による傷害作用、その科学的解明度、後障害症の特殊性、原爆医療法の目的、性格、行政の運用等を総合考慮すると、原爆医療法八条一項にいういわゆる起因性とは、必ずしも原子爆弾の放射線等による傷害作用と現傷病との一対一の特定的因果関係につき医学的な一定の科学的理論の見地に立った一意的かつ厳密に確定された特殊な起因性に限定されるものではなく、そのほかに、現実に長崎の爆心地に投下された決定的な放射線大量殺戮兵器としての原子爆弾が放射線と共に爆風、熱線等の破壊力により広域にわたり同時的、共時的に傷害作用を及ぼしたこと、これによる被爆者側の被爆時の諸状況、その被爆者の諸素因、その後の諸病歴,諸現症状等をもその総合的、体質的視点から十分に参酌し、これらを現代の病理学的・臨床医学的知見の一般的水準に照らし、相互補完的に、現傷病が原子爆弾の放射線による傷害作用に起因する可能性が否定できない、という本来の様態に適合する意味に理解されなければならないものと考える。
以上の見地に立って、争点について検討することにする。

四 原告の現在の症状の原因について
右一及び二で認定した事実によれば、原子爆弾の爆風により飛んできた瓦が原告の左頭部を直撃し、その部分の頭蓋骨が陥没骨折したために、脳の挫傷及び周辺の脳組織の圧迫が起こり、頭蓋骨内に出血が発生し脳浮腫の状態になり、また、外傷による炎症により脳内にも出血が発生し、これらの結果脳実質が損傷を受け、壊死してなくなってしまい、脳孔症になり、あるいは脳が萎縮したものと考えられるが、右欠損部分は、身体の右半身の運動及び知覚を支配する神経領域にあたるため、原告の現在の症状である右片麻痺あるいは前記認定の各症状を呈するに至ったものと推認される。
したがって、原告の疾病は、少なくとも原子爆弾の爆風による傷害作用によるものと認めることができるから、原告の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているかどうかについて、次に検討する。

五 原告の治癒能力に対する原子爆弾の放射線の影響について
1 証拠(〈書証番号略〉、証人安齋育郎、藤田正一郎、古賀佑彦)によれば、原子爆弾による放射線、その被曝、その人体に及ぼす影響等について次のとおりの理解があることが認められる。
(一) 長崎に投下された原子爆弾はプルトニウム二三九を用いたもので、原子核に中性子を衝突させて爆発的な核分裂を起こし、それによって巨大なエネルギーを放出させるものであり、右エネルギーは、熱線、衝撃波とそれに伴う爆風、放射線という形で放出される。原子爆弾の爆発により生じる放射線は、爆発後直ちに放出される初期放射線と、それ以後の一定期間被爆地域に認められる残留放射線とに大別される。
(二) 初期放射線のうちα線とβ線は、空気中での透過力が弱いために地上まで到達することができないから、人体影響の点で検討すべきはγ線及び中性子線である。そして、T六五Dによれば、爆心地から二・四キロメートルの地点ではγ線四・一ラド、中性子線〇・〇ラド、総線量四・一ラドであり、爆心地から二・五キロメートルの地点ではγ線二・
九ラド、中性子線〇・〇ラド、総線量二・九ラドである。また、DS八六によれば、爆心地から二・四キロメートルの地点ではγ線二・九六ラド、中性子線〇・〇〇三五五ラド、であり、爆心地から二・五キロメートルの地点ではγ線二・〇九ラド、中性子線〇・〇〇二〇四ラドである。
(三) 残留放射線の被曝には、身体の外から主としてγ線をあびる外部照射と、放射性物質が体内にとり込まれてβ線やγ線を受ける内部照射とを考慮する必要がある。残留放射線のうち外部照射としては、まず、原子爆弾から放出された中性子を吸収した物質の多くは放射性アイソトープに変わり、β線やγ線をかなり長時間にわたって放射し続ける誘導放射能があるが、β線は前記のように空気中での透過性が弱いために人体に対する影響を考える上ではγ線の線量が問題となる。次に、プルトニウムの核分裂生成物、プルトニウムの未分裂のもの、原爆器材が中性子を受けて誘導放射能を帯びたもの等が微粒子の塵埃の形で空中高く吹き上げられて大気中に広くひろがって降下する放射性降下物がある。また、内部照射としては、呼吸による吸入、食物や飲料水とともにあるいは皮膚を通して体内に侵入した放射性物質がある。そして、土壌放射化による無限大時間までの放射線量は、DS八六によれば、爆心地からの地上距離二・四五キロメートルの地点においては、〇・〇〇〇〇一ラド以下である。また、前記のような被爆後の原告の行動を考慮しても残留放射線による被曝により、初期放射線と合わせた被曝線量が前記初期放射線量の二倍にまで達することはない。
(四) 放射線被曝の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響(確定的影響)とがあり、確定的影響の範ちゅうでは、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値があるが、癌の誘発と遺伝的影響が確率的影響の範ちゅうに属し、それら以外はすべて確定的影響に属するものとされている。そして、エックス線の発明等により放射線の人体に対する傷害作用が明らかになった以降の医療の分野や動物実験におけるデータ、更には広島及び長崎における原子爆弾の被爆によるデータ等により、確定的影響に属する各症状についてその閾値が求められ、現在においては、白血球減少は五〇ラド、吐気は一〇〇ラド、脱毛は三〇〇~五〇〇ラド、脳神経の障害は一〇〇〇ラドとされている。また、リンパ球の障害による免疫能の低下については、免疫能を持つ細胞を九〇パーセント殺す線量は約三五〇ラド、平均致死線量は八〇ないし一〇〇ラド、影響が検出されないという意味での閾値は一〇ラドより少し上程度とされている。
2 以上の見解を包括するT六五DあるいはDS八六によって推定される原告の被曝線量に基づく限りでは、脱毛、脳神経の障害、リンパ球の障害による免疫能の低下等についての一般的な閾値を下回ることになり、原告の現在の疾病は放射線の影響がないものと説明されることになる。
3 しかし、原告は、(これに関わる一般論的主張は前記のとおりであるが)T六五D、DS八六による被曝線量の推定には限界があるうえ、前記の閾値のような従来の放射線防護学における被曝線量と放射線障害との関係についての見解を原子爆弾の被爆者にそのまま適用することはできない旨主張するので、この点について検討する。
証拠(〈書証番号略〉、証人安齋育郎、藤田正一郎、肥田舜太郎、古賀佑彦、W、K)によれば、次のとおり認められる。
(一) T六五Dは、アメリカ合衆国のオークリッジ国立研究所の科学者によって発表された線量評価システムであるが、ネバダ核実験場で行われた各種の実験等から得られたデータ、一九五〇年代の前半から一九六〇年代の初めにかけて行われた広島及び長崎の被爆者との面接調査により集められた遮蔽等の被爆状況についてのデータ、日本の研究者により行われた、広島及び長崎における中性子により放射性物質となった鉄筋に含まれるコバルト六〇の残留放射能の計測結果等に基づいて、無遮蔽状態における原子爆弾の炸裂点からの距離の関数としての空気中線量及び被爆者の周囲の建造物等による放射線の遮蔽効果について記述したものとされ、DS八六が発表されるまでは最良のものとして使用された。
(二) その後、アメリカ合衆国のローレンス・リバモア国立研究所とオークリッジ国立研究所において推定線量の見直しが行われ、一九八六年アメリカ合衆国及び日本の共同グループにより、T六五D作成時の実験結果、被爆者から得られた情報、その後の実験等の結果等を入力してコンピューターでシミュレーションするという方法でDS八六が発表され、現在においては最良の線量評価方法とされている。
(三) T六五Dによれば、長崎に投下された原子爆弾による被曝総線量は、爆心地から一一五〇メートルの地点で四九四・五ラド、一三〇〇メートルの地点で二六七・九ラド、一五五〇メートルの地点で九九・二ラド、一七五〇メートルの地点で四五・八ラド、二二〇〇メートルの地点で八・六ラドであり、その誤差はプラス・マイナス一〇パーセント程度のものとされていた。また、DS八六によれば、長崎におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一二五〇メートルの地点で二五九・九四ラド、一五〇〇メートルの地点で八九・九三一ラド、一六五〇メートルの地点で四九・二五六ラド、二一〇〇メートルの地点で八・七七九ラドとされる。なお、広島におけるγ線と中性子線の線量を合計した放射線線量は、爆心地から一一〇〇メートルの地点で二六六・五ラド、一三五〇メートルの地点で九二ラド、一五〇〇メートルの地点で四九・五三八ラド、一九五〇メートルの地点で八・五七三ラドとされる。そして、このDS八六においては、原子爆弾の構造等が軍事秘密として公開されていないし、原子爆弾から出た放射線の線源、空中伝播の方式、被爆者からの情報等すべて誤差を含んでいる等から、プラスマイナス二〇ないし三〇パーセントの誤差を含んでいるとされる。
また、広島においては現実の被爆建物から推定される線量とDS八六による推定線量とにかなりの差があることも指摘されており、現在もなお改訂作業が行われている。
DS八六推定線量は、広島においては、T六五Dに比較してγ線は約一・五ないし二倍、中性子線は約一〇分の一であり、長崎においては、γ線はやや減少しており、中性子線は約二分の一ないし三分の一であって、T六五Dについて予想されていた誤差を大きく上回っている。
(四) T六五Dでは、その基礎データ収集のための被爆者との前記面接調査においては、被爆した場所、遮蔽物の有無、遮蔽物の構造、見取図等被爆状況及び後障害が主として調査され、急性症状については包括的な調査はされていない。
(五) その一方で、昭和二〇年九月から一二月にかけて行われた日米合同調査団による長崎における被爆者の調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約一八パーセント、二・〇キロメートルの地点で約一〇パーセント、皮膚出血斑は二・〇キロメートルの地点で約七・五パーセント、二・五キロメートルの地点で約二・五パーセント、口腔咽頭病巣は二・〇キロメートルの地点で約一七パーセント、二・五キロメートルの地点で約一四パーセント認められた。また、広島における調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・五キロメートルの地点で約一九パーセント、二・〇キロメートルの地点で約七・五パーセント、皮膚出血斑は二・〇キロメートルの地点で約四パーセント、二・五キロメートルの地点で約二パーセント、口腔咽頭病巣は二・〇キロメートルの地点で約一六パーセント、二・五キロメートルの地点で約一六パーセント認められた。なお、嘔吐は広島及び長崎を合わせると、一・五キロメートルの地点で約一八パーセント、二・〇キロメートルの地点で約九パーセント、二・五キロメートルの地点で約七パーセント認められた。なお、これらの症状は、いずれも爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。
(六) 昭和二〇年一〇月から一一月にかけて行われた東京帝国大学の広島における被爆者の調査の結果によれば、脱毛は爆心地から一・六キロメートルから二・〇キロメートルの地点で九・〇パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で六・四パーセント、皮膚出血斑は二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で二・二パーセント、悪心嘔吐は一・六キロメートルから二・〇キロメートルの地点で四・二パーセント、二・一キロメートルから二・五キロメートルの地点で二・六パーセント認められた。なお、この調査においても、各症状は、爆心地からの距離が遠くなるに従って減少している。
(七) 昭和六〇年に厚生省が行った原子爆弾被爆者実態調査報告によれば、長崎において爆心地から二ないし三キロメートルの地点で被爆した死亡者のうち急性障害によるものが三・二パーセント、広島においては五・四パーセント認められた。
(八) 昭和六〇年に日本原水爆被害者団体協議会が行った原爆被害者調査によれば、急性症状が現れた者は、爆心地から二キロメートルを超え三キロメートル以内の地点で被爆した者のうち五一・一パーセント、三キロメートルを超えた地点で被爆した者のうち三七・一パーセント認められた。
(九) 広島の太田川の上流の爆心地から約二・五キロメートルと思われる地点で被爆した少年ふたりは、いずれも熱線による火傷を負い、脱毛、下痢等の各症状を呈したが、兄は約六か月後に吐血して死亡し、弟はその約三ないし四か月後に下血して死亡し、両名とも放射線傷害による死亡と考えられる。
(一〇) Wは、長崎市内の爆心地から約二・九キロメートルで、かつ、原告の被爆場所とほぼ同一方向の地点で被爆したが、被爆直後から発熱が続き、しばらくして脱毛が起こり、被爆後約一年間無月経であった。なお、同人は、昭和三四年六月二九日付で低色素性貧血及び下半身不随症により、原爆医療法八条一項の認定を受けている。
(一一) Kは、長崎市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したが、被爆約一か月後に若干の脱毛があり、一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛した。また、原告の自宅近くの提灯屋の娘も全部脱毛した。
(一二) 広島市内の爆心地から約二・四キロメートルの地点で被爆したTは、被爆当日の夜から発熱し、約一〇日後には脱毛及び血便があった。
(一三) 長崎市内の爆心地から約二・五キロメートルの地点で被爆したBは、被爆時から発熱し、約一か月後に脱毛がみられ、約二か月後に鼻血、嘔吐、下痢があった。
(一四) 放射線による各症状の閾値については、広島及び長崎における被爆者のデータを基礎資料とするものもあるが、脱毛に関しては、被爆者のデータは基礎資料とされていない。
以上のとおりであって、右の認定を前提に以下検討する。

まず、科学に関する一般通念では、専門的科学者間に最も権威があり最良のものとされる、ある一定の、ことに先端的な科学的理論であっても、それはその科学者らの一時的・暫定的な合意であり、これに対する同意の契機は、本質的に諸々の期待による選択の問題であって、観測装置や基礎的データの客観的確実性への信頼、自己の研究実践の基本的準拠枠、科学的教育の影響、政策的な立脚点等がそれとして指摘されているが、いずれにしてもその定式化された化学理論が対象としている事象に対する認識力、理論的帰結に関して完全な規定性を有することはなく、本来解明可能とされるいわゆる科学的事象はなお将来における研究目標として維持されていても、必ず未解明の分野や反証の余地は残しているものであるとされているし、その一方で、解明された部分については、これを精確かつ簡潔にそして整合的に予測を導き応用の説明をするために、通常、数値的・数理的表現が行われるが、この数量化は具体的事象を言語等による説明以上に抽象化するものではなく、所詮は目的事象の一つの描写に過ぎないとはいえ、むしろ言語等によっては表現が困難な事柄を質的にも量的にも細密に、より具体的・多面的に説明するものとされているのであって、以上のような点に係わる原告主張は、そのうち、現実に投下された原子爆弾による被害の実態や障害事例の個性的細部に対しては未解明の側面があるのに、これらを定式化された特定の科学理論の概念的基礎を用いることのみによって一律かつ線形的に規定し尽くすことが容認されるとするかのような態度がかえって科学的合理性の見地からは適切ではない、というものである限りにおいて理由があるものといえる。
ところで、被曝線量推定方式であるT六五D及びDS八六については、前記のとおり、被告は、これを最良の理論であることを前提にその適用関係について詳細に主張するが、その最良とする根拠については、被爆直後から行われた線量測定の結果、アメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれその時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合したからというのである。しかし、その最良性の議論は、本件においては、その理論自体が具体的な障害事例の個性的細部に対する適用に係わって問題視され、その正当性が問われている事案であるから、その主張の次元では十分ではなく、さらに具体化された臨床レベルで行わなければならない。ところが、その基礎資料のうち、まず、その核心的前提となるべき投下された原子爆弾の構造、能力等自体が明らかにされておらず、また、広島及び長崎における被爆者のデータが使用されているといいながらその具体的個別的な内容あるいは使用状況等が必ずしも明確でないのみならず、少なくとも被爆者の放射線による急性症状に関する調査については十分なものとはいえないし、結局のところ、現実に投下された原子爆弾による放射線による人体及び物体に対する影響から放射線量が推定されたものというよりは、他の立証がない限り、主としてアメリカ合衆国ネバダ砂漠における実験の観測結果を中心的資料として放射線量を推定したものと推認せざるを得ず、そうだとすれば次に科学的実験のもつ後記のような一般的限界が問われなければならないことにもなる。しかも、T六五DとDS八六のそれぞれの誤差とか、現在かなり精確なものと評価されているDS八六についても実測値と異なるとかの前記指摘があることからすると、たとえ現在の専門的知見において精確なものと評価されているにしても、現実に投下された原子爆弾の被爆放射線による被曝線量との比較においてどれほど精確かという観点からは、その精確性の限界に疑問を入れる余地がまったくないわけではない。
また、T六五DあるいはDS八六による推定線量と前記1の(四)で認定した放射線の人体に対する影響についての閾値については、被告は、その積極的な根拠として、前記のとおり、放射線被曝の人体に及ぼす影響については、一八九〇年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されている等の主張をしているが、本来的な性格からいって純粋科学上の説明概念である「閾値」自体もその基礎的観察データの吟味が厳密になるに連れてその有効性の度合いが限定されるという関係にあるもので(証人肥田舜太郎)、これは理論的説明を細密化するだけでは到底支えきれる事柄ではないといえるほか、本件においては現実の原爆被爆の障害事例の個性的細部についての議論が提起されているにもかかわらず、この閾値の考え方の成り立ちを一般的に基礎付けるべき観察データの実例、範囲等について右の議論の個性的な細分化レベルにまで下降した客観的確実性の立証や、またその適用の帰結を原爆被爆における現実に観察可能な諸障害事例と比較して、これらが一致することを示す枚挙的な立証もなく、前記のとおり、現実に投下された原子爆弾の被爆者中には、閾値以下の被曝線量しか被曝しておらず、閾値の形式的適用の帰結としては、脱毛、吐き気、出血等の急性症状が発生しないはずの者にも、右のような急性症状が発生していることが、統計的にも、個別の事例としても認められ、これにいわゆる反証の非対称性の原則をも考慮に入れると、被曝線量が閾値に達していないからといって、放射線の影響を直ちに否定してしまうことには問題が残らないとはいえない。これを逆に見てみると、脱毛のみならず、閾値と現実の急性症状が矛盾している右のような症状については、閾値の基礎資料として、広島及び長崎における前記(五)(六)の調査結果は中立かつ所与の観察データとしてそのままには使用されず、閾値は、主として実験結果あるいは医療の現場におけるデータを基礎資料としているのではないかという推測も妥当しかねないし、もしそうであれば、実験系においては、およそ、これに係わる先行理論に依存する定量的規則性獲得目的のための手続、解法、規則その他の実験装置の設計に従い、放射線以外の他の要素は無視できるように動物など被験対象等の初期条件を設定して行われるのが通常であるし、医療の現場におけるデータも、放射線を使用すること自体はあらかじめ計画され、治療等のために他の条件を限定的に整えるなどした上で医師等の監視の下に行われ、あるいは事故の場合であっても被曝者の症状に他の要素が意味をもって関係することは通常考えられない。これに比較して、現実に投下された原子爆弾による被爆の場合には、そもそもこれが決定的な放射線大量殺戮兵器として実戦に使用され、放射線と共に有する爆風、熱線等の強大な被壊力による全体的な傷害作用を同時的、共時的に加えられ、被爆者によっては爆風による瀕死の重傷とともにあるいは熱線による大火傷とともに毒性のある放射線を浴びせ掛けられたもので、しかも被爆者は条件設定はおろかそれぞれなんの防備もなくその場で不意を打たれたという個々独自かつ複雑微妙なあるがままの状態で被爆し、受けた精神的衝撃は大きく、また、戦時中であってみな食料不足による栄養状態も悪い上、空襲等により精神的・肉体的に疲弊しているなど、実験や医療の現場とは大きく異なる条件下において被曝したのであるから、これら被爆者の置かれた諸状況を捨象して、一般化された閾値(誤差の範囲を含めて)を一律に当てはめることで果たしておおかたの納得が得られるであろうかどうか疑問である。
なお、被告は、閾値以上の被曝線量がなければ脱毛が起こらないことは組織学的にも明らかであり、また、小児の中枢神経系白血病の予防治療における放射線治療で五〇ないし一五〇ラドを反復して頭部に合計一五〇〇ないし二四〇〇ラドを照射した場合においても、その副作用として神経症状である嗜眠傾向が一部に見られても、特別な治療をすることなく回復するとされていることなどをあげて、DS八六による放射線量に推定及び閾値を正当なものと主張し、これに矛盾する右のような急性症状については、栄養障害、肉体的衰弱、精神的ストレス等放射線以外の理由による説明が可能であるという。証拠(〈書証番号略〉)によれば、これに沿うかのような研究結果として藤本孟男ほかの「小児の中枢神経系白血病の予防治療に関する研究」(〈書証番号略〉)、白井寛の「広島市に於ける原子爆弾放射線病患者の毛髪変形象に就いて」(〈書証番号略〉)があることが認められるが、前者の研究における脱毛は、直接には、中枢神経系白血病予防治療事例について治療として患者の状態等に配慮した上で行われた頭蓋放射線照射による副作用の結果として捉えられたものであり、また、後者の研究は,原爆放射線患者の病勢標準による軽重と毛髪の形象変化との関連を狙いとしたものであって、必ずしも閾値との関係は明確でなく、前記のような状況下での原子爆弾による被爆と同一には考えられないから、これらにより前記判断が左右されるものではない。さらに、栄養障害等による説明は、その根拠自体が臆断の域を出ず、曖昧である上、閾値に及ばない被曝線量とされる地点においても各症状を呈した被爆者の割合は、爆心地からの距離が遠くなるに従って減少するという一定の傾向を示しているのに、距離との関係が明確な放射線による影響を排除して、距離とは無関係な栄養障害等で説明しようとするのは無理があるといわなければならない。
以上のとおりであって、DS八六による推定線量及び閾値により、被曝線量が閾値に及ばないことを唯一の理由として、あらゆる被爆者の諸症状に対して放射線の影響を直ちに否定することはどうしても相当とは考えられない。 

4 ところで、前記の「原子爆弾後障害症治療指針について」によれば、治療上の一般的注意として、
「原子爆弾被爆者に関しては、いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え、その経過及び予防について特別の考慮が払われなければならず、原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上、被爆者の受けた放射能特にγ線及び中性子線の量によってその影響の異なることは当然想像されるが、被爆者の受けた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり、また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが、治療を行うに当っては、特に次の諸点について考慮する必要がある。
イ 被爆距離 この場合、被爆地が爆心地からおおむね二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。
ロ 被爆後における急性症状の有無及びその症状、被爆後における脱毛、発熱、粘膜出血、その他の症状を把握することにより、その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある。」
とされている。
また、昭和三三年八月一三日付厚生省公衆衛生局長の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」(〈書証番号略〉)によれば、
「被爆者の健康診断を行うに当って特に考慮すべき点は、次のとおりである。(一)被爆者の受けたと思われる放射能の量 原子爆弾の放射能に基づく疾病である限り、被爆者の個々の発症素因、生活条件等は別として、被爆者の受けた放射能の量が問題になることはいうまでもない。しかし、現在において被爆当時に受けた放射能の量を把握することはもとより困難であるが、おおむね次の事項は当時受けた放射能の量の多寡を推定するうえにきわめて参考となりうる。
1 被爆距離 被爆した場所の爆心地からの距離が二キロメートル以内のときは高度の、二キロメートルから四キロメートルまでのときは中等度の、四キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えてさしつかえない。
2 被爆場所の状況 原子爆弾後障害症に関し、問題となる放射能は、主としてγ線及び中性子線であるので、被爆当時におけるしゃへい物の関係はかなり重大な問題である。このうち特に問題となるのは、開放被爆としゃへい被爆の別、後者の場合には、しゃへい物等の構造並びにしゃへい状況等に関し、十分詳細に調査する必要がある。
3 被爆後の行動 原子爆弾後障害症に影響したと思われる放射能の作用は、主として体外照射であるが、これ以外に、じんあい、食品、飲料水等を通じて放射能物質が体内に入った場合のいわゆる体内照射が問題となり得る。従って、直ちに他に移動したか等、被爆後の行動及びその期間が照射量を推定するうえに参考となる場合が多い。
(二) 被爆後における健康状況 前述の被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて、被爆後数日ないし、数週に現れた被爆者の健康状態の異常が、被爆者の身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。すなわち、この期間における健康状態の異常のうちで脱毛、発熱、口内出血、下痢等の諸症状は原子爆弾による障害の急性症状を意味する場合が多く、特にこのような症状の顕著であった例では、当時受けた放射能の量が比較的多く、従って原子爆弾後障害症が割合容易に発現しうると考えることができる。」
とされている。

被告は、これらの通知は、未だT六五Dも発表されておらず、正確な被曝線量の評価方法がなく、閾値の存在も明らかになっていない時代に発せられたものであり、また、あくまで原子爆弾後障害症の治療あるいは原爆被爆者の健康診断の実施に当たって留意すべき点を述べたものに過ぎない旨主張する。しかし、現在においても右通知は効力を失っていないことはもとより、前記のように、現在においても、現実に投下された原子爆弾の被爆者についてDS八六による推定被曝線量及び閾値のみによって放射線の影響の有無を一律かつ終局的に判断することは必ずしも相当ではないし、原子爆弾被爆者の被曝線量の正確な算出には困難があるため、被爆者の諸病歴、諸現症状については、被爆との関係を考え、被爆者の諸素因、被爆時の諸状況、特に、被爆距離、被爆場所、被爆後の行動等あるいは被爆直後の急性症状等の健康異常から、その被曝線量及びこれによる原爆障害症の発現等を推定するなどして放射線の影響の有無を総合的、体質的視点から判断する必要性がある、という点では、原爆医療法八条一項に基づく認定も原子爆弾後障害症の治療あるいは原爆被爆者の健康診断の実施と共通しているのであるから、原告の現在の症状に対する放射線の影響の有無を判断するうえで、右各通知の考え方は相当なものとしてなお十分に参酌しなければならないものと考える。

5 このように見てくると、現実に長崎に投下された原子爆弾により爆心地から二ないし三キロメートルの地点でかつ爆心地方向にこれといった遮蔽物のない箇所において被爆するなどし、その傷害作用により負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態にある被爆者が、たとえDS八六による推定線量及び閾値によれば、被曝線量が閾値に及ばないため、被爆者の症状に対して放射線の影響を疑われる場合であっても、被爆当時幼若であったなど放射線感受性が強かったほか、原子爆弾の爆風等により瀕死ともいうべき重篤な外傷を負うのと同時的、共時的に放射線に被曝し、しかも被爆後に放射線被曝以外の原因では説明できない急性症状を示し、かつ、被爆直後から通常の治療を受けておりながらなおその傷害部位の治癒が免疫能の低下を疑わざるを得ないように異例に遷延し長期間を要した結果、損傷が著しくなり現在の諸障害症状に至った等という事実関係のもとでは、その症状の原因として治癒能力に放射線が影響した可能性を否定することができないものとするのが相当である。
これを原告についてみると、原告は約二・四五キロメートルの被爆距離で被爆し、このことそれ自体ではDS八六による被曝線量が前記閾値に及ばない帰結となるものであるが、前記認定の原告の被爆状況及び被爆後の状況等、特に、原告には、三歳五か月時に屋根瓦の直撃による意識不明を伴う頭蓋骨陥没骨折の致命的重傷を負うと共に放射線に被曝したうえ、そのまま被爆箇所に留まってその余燼の中で生活し、避難のため被爆約一週間後に爆心地近くを通過したりもしていて、被爆後下痢及び脱毛があり、これらは放射線による急性症状と説明するほかはないものであり、かつ、右の外傷は医師の通常の経験例に比較して治療が困難であったもので、しかも、少なくとも富江町に疎開した後は栄養状態も悪くなく、医師の治療も受けていたにもかかわらず、結局、その治癒に被爆後二年ないし二年半という免疫能の低下を考えなければ説明が付かない程に異例の長期間を必要としたなどという諸事情があること、そして前記認定の頭部外傷から現在の疾病に至る諸経過等を総合考究すると、原告の頭部外傷は、通常の外傷に比較して治癒が遷延し、その結果脳の損傷が著しくなり、右片麻痺に至ったものと推認され、また、その原因として治癒能力に放射線が影響した可能性は否定できないものというべきこととなる。

第三 結論
以上によれば、原告の現在の疾病は、原子爆弾の爆風の傷害作用によるものであり、かつ、原告の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているために現に医療を要する状態にあることを認めることができるから、原告の本件請求は理由がある。

裁判長裁判官 江口寛志 
裁判官 井上秀雄
同、森純子